【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話 作:WhatSoon
ニューヨーク州、ニューヨーク市。
そこはこの国でも最大規模の都市。
経済や芸能、ファッション、ありとあらゆる物が集う場所。
それがニューヨーク。
だが、光があれば影は生まれる。
目を焼くような輝きに魅せられて、影の住民も集う。
マフィア、半グレ、強盗団……様々な悪人が集う。
そう、ニューヨークは途方もなく治安が悪い。
そんなニューヨークの治安を守る市警は……非常に危険な仕事だ。
時にはマフィアと戦い、時には
途方もない正義感と、強靭な精神が求められている。
そんな
煉瓦積みの趣のある建物には見慣れた旗が建てられていた。
ついに来たのだと思えば、無意識に鼻息が荒くなり──
「君がケイティ巡査か?」
声をかけられ、慌てて敬礼をする。
「はっ!本日付けで配属になりましたケイティです!」
「……随分と張り切っているね」
「はっ!恐縮です」
目前にいるのは初老の警官……その胸にあるバッジから、彼が警部である事を悟った。
「マリガン警部から話は聞いている。何でも従軍によって配属時期が同期とズレたんだって?」
「えっと……はい、仰る通りです」
警部の後ろを歩き、警察署に入る。
何度か見た事はある……だが関係者以外立ち入り禁止の場所に入った所で、ようやく自分が『関係者』になれたのだと胸を震わせた。
「おっと、自己紹介がまだだったね。私の名前はジョズだ。ジョズ警部……いや、単にジョズで構わない」
「分かりました、ジョズ警部」
「……君は少し固い人間のようだね」
そう言われても……と少し視線を逸らす。
確かに私は子供の頃から融通が効かないと言われていた。
しかし、礼儀は守られるべきだと私は思っていた。
故にこの個性を変えるつもりはない。
「こっちだ」
ジョズ警部に連れられて辿り着いたのは、古い紙の匂いがする一室だった。
そこには段ボールに詰められたファイルが大量に置かれていた。
「はっ……ここは?」
「君が優先的に派遣されるであろう、クイーンズの書類保管庫だ。有名どころの悪党共の特徴なんかが残っている」
「はぁ……」
「目を通しておくといい」
私はファイルを手に取り、捲る。
電撃を操る『エレクトロ』、巨大な金属製アーマーを来た『ライノ』、空を飛ぶ強盗『ヴァルチャー』……まるでサーカスのように一芸に秀でた悪人たちの情報が並んでいた。
「ジョズ警部……」
「む?何だい、ケイティ巡査」
「何故、彼らは逮捕後に再犯しているのでしょうか?一度、逮捕されているにも関わらず……むざむざと自由を得ているのでしょう」
「それは人によりけりだね。保釈金が支払われていたり、刑務所が襲撃されたり……裏で色々とあってね」
「……そうですか」
ジョズ警部はタバコに火をつけた。
……今は分煙が提唱されている時代だ。
こんな書物庫で吸うのはやめていただきたいが、本日配属の新人にとやかく言える訳がない。
「ケイティ巡査、私達の仕事は治安を守る事だ。捕まえた後の犯人に関しては管轄外だ」
「……それは、そうかも知れませんが」
「割り切った方がいい。それが賢明な選択だから」
少し不服に感じながらも、飲み込んだ。
そしてまた書類に視線を落とし──
ジョズ警部の胸元から音が鳴った。
携帯電話ではなく、警察独自の無線回線だ。
「はい、こちらジョズ警部だよ。どうぞ……ふうん、そうか……了解した。直ちに向かうよ」
言葉の流れから、彼が呼ばれているのだと分かった。
何か事件があったのかと思案していれば、ジョズ警部が私へ目を向けた。
「行くよ、ケイティ巡査」
「はっ……ですが、どこへ?」
「決まっているだろう、クイーンズだよ。喜べ、初仕事だね」
悪戯好きそうな笑みを浮かべるジョズ警部に、私は思わず苦笑した。
私、ケイティ巡査の初出動という事だ。
◇◆◇
ニューヨーク市、クイーンズ。
ジョズ警部の警察車両に同席していた私は、シートベルトを外して外に出た。
ビル街の一角、侵入禁止のテープが貼られた一角へ足を運ぶ。
半壊した建物の前に
ジョズ警部が迷いなく、その仮設テントに足を運んだ。
「で?現状、どうなっているのか誰か答えられるかい?」
ジョズ警部は無線で状況を理解しているようだったが……恐らく、私への情報共有も兼ねているのだろう。
仮設テント内の警官が一人、ジョズ警部の前で敬礼した。
「はっ、では自分が説明させていただきます──
被害にあったのはATMのみ配置されている簡易銀行。
ATMが破壊されて中の金庫ごと盗まれたらしい。
……そして、破壊した痕跡は残っているが、何で破壊されたかは不明らしい。
機械の前面と後方が真っ二つになるよう、捩じ切られている事から、とんでもない力で引っ張られたらしいが……理解はできても納得はできない。
クレーン車で引っ張れば再現できるらしいが、流石にそんな大掛かりな方法でATM強盗なんて行わないだろう。
「……なるほど、困ったね」
ジョズ警部が頷き、椅子に座った。
顎を手に置き、私を一瞥する。
「うーん、これは私達の管轄外だね」
「え、はっ……?」
思わず驚く。
明らかな強盗事件だ。
なのに、これが管轄外と言えば……何のために警察が存在しているのか分からなくなる。
声を出した私をジョズ警部がジェスチャーで嗜めた。
不服に感じながらも口を閉じれば、彼が頷いた。
「君、要請は出しているかい?」
「はい!明らかに異常がありましたので、既に」
「よろしい。なら少し待とうか」
ジョズ警部が足を組んだのを見て、説明係の警官が敬礼をして去った。
……私は、ジョズ警部に耳打ちする。
「要請とは何でしょうか?」
「……あぁ、知らなかったね?単純な話だよ」
ジョズ警部が机に何か、カードのような物を置いた。
そこには猛禽類のシルエットが描かれていた。
「戦略国土調停補強配備局、って知ってるかい?」
「ええと……はい。『S.H.I.E.L.D.』の事ですね?」
「そう、『S.H.I.E.L.D.』だね」
戦略国土調停補強配備局、通称『S.H.I.E.L.D.』は世界各地で超常現象を対処して回っている、国際平和維持組織だ。
私からすれば雲の上にあるような存在だ。
「その、その『S.H.I.E.L.D.』がいったいどう──
「我々、警官が相手できるのは一般的な犯罪者のみだ。
「……あっ、なるほど。つまり、今回の事件は──
「『S.H.I.E.L.D.』案件だね」
ジョズ警部がタバコに火を付けようとして……車のエンジン音が聞こえた。
私達の乗る警察車両とは違う音だ。
するとジョズ警部は片眉を上げて、タバコをしまった。
「警部?」
「いや何、彼女はタバコが嫌いなんだよ」
「……その、彼女とは?」
「外でお出迎えしよう」
ジョズ警部に連れられて仮設テントを出ると──
「これは……?」
真っ黒なスポーツカーらしき物が停まっていた。
一般的に流通している車両とは明らかにデザインが違う。
ジョズ警部を一瞥すると、私を見て鼻で笑った。
……こうして驚く様を見て楽しんでいるようだ。
何とも意地の悪い上司ではないか。
少しして、車両のドアが上に開いた。
中に乗っていたのは──
『待たせたか?』
中性的な機械音声で話す、黒いアーマースーツを着た男だった。
「いいや、私も今、来た所だよ」
『そうか。なら良かった』
正直、不気味だ。
これが『S.H.I.E.L.D.』のエージェントだって?
警部が親しげに話していなければ、不審者だと思ってしまうだろう。
そんな疑わしい、真っ黒で艶やかなマスクが私を一瞥した。
『ジョズ警部、彼女は誰だ?』
「新人だよ。よろしくしてやってくれ」
言葉を促された私は、慌てて敬礼した。
「はっ!ケイティ巡査であります!」
『……固いな』
「フフ、だろう?」
腕を組んで私を評価するジョズ警部と、黒マスクの男に苛立ちながらも言葉を飲み込む。
「失礼ですが、お名前をお聞きしてよろしいでしょうか?」
『ん?あぁ……そうだな』
黒マスクの男が腕のアーマーを開いた。
瞬間、空中にIDと『S.H.I.E.L.D.』のマークが投射された。
『『S.H.I.E.L.D.』のエージェント、ナイトキャップだ』
「……ナ、ナイトキャップ……ですか?」
明らかなコードネームだ。
私程度に名前を語る意義はないとでも言いたいのだろうか。
彼に少し不信感を抱いていると、ジョズ警部が私の肩を叩いた。
「ケイティ巡査、彼女は本名を明かさないんだ。勿論、私にもだよ」
「はっ……そうなのですか?」
私は頷い……待て、彼女?
そういえば、仮設テント内でもジョズ警部は『彼女』と呼んでいた。
まさか……。
「じ、女性なのですか?」
『……そうだが?何か問題があるか?』
「い、いえ……」
思わず訊いてしまったが失態だろう。
私も女性の身であり警官をしている。
大なり小なり、侮られる経験はあった。
故に、この質問の不躾さは私も理解している。
頭を下げて謝ろうとして──
「立ち話もそこまでにして、現場に向かわないかね」
『そうだな。案内は出来るか?』
ジョズ警部がナイトキャップを連れて、現場に向かって歩き出した。
「あっ、その……」
私は謝ろうとしたが──
『なんだ?』
「い、いえ……何でもありません」
その黒いマスクに反射する、情けない自分の姿を見て押し黙った。
……こんな筈ではなかったのだけれど。
ナイトキャップの表情は黒いマスクで見えないが、ほんの少しの不信感を滲ませながら視線を戻した。
私はジョズ警部と彼女の後ろを追いかけた。
まぁ、仕方ない。
悩んでいても良い事はない。
ポジティブにならなければ……。
大丈夫だ。
私は警官学校を次席で卒業した女だ。
失点はどこかで取り返せばいい。
◇◆◇
ATMが並べられた街角。
しかし、そのATMは今……無惨な姿をしていた。
まるで引きちぎられたかのような姿に、私は思わず息を呑んだ。
腰も抜かしてしまいそうだ。
しかし、ジョズ警部とナイトキャップは何事もないように、そのまま現場へ入って行った。
「これまた派手だね」
『……ふむ、あまり精細な方法ではないな』
「強盗が何かしたってより、ハルクがブッ壊したって言われた方が納得出来るね」
『私も同意見だ』
現場を見渡す。
砕けたガラス片、引きちぎられたケーブル、擦れた後……確かに、巨大な人間が暴れたような後だ。
「えっと……犯人の映像は監視カメラに残っていないのでしょうか?」
「ケイティ巡査、その意見は正しい。だが、もう既に確認済みだ」
「あ、すみません……」
私が謝っていると、ナイトキャップが私を見た。
うっ、やっぱりちょっと見た目が怖い。
『監視カメラは犯行直前に破壊されていた。このタイヤ痕から、大型車両で入口に突っ込んできたのだろう……その際に巻き込まれ、壊れたようだな』
彼女が地面を指差す。
……確かに擦れた跡が二つずつ均等にあった。
また、ナイトキャップが視線をATMに戻した。
中にある筈の金庫は抜かれてしまったようで空洞になっている。
『……この壊され方は、よほど強く引っ張られたようだな』
「確かに、そうだね」
二人何かに気付いた様子に、思わず私は声を掛けた。
「……ジョズ警部、何か不審点でもあるんですか?」
「不審点しかないよ、ATMの表面に掴んで引っ張れるような部分があるかい?」
「いえ、それは……?」
「そう、表面上の突起程度を引っ張って真っ二つにするなんて出来ないだろう?突起が先に壊れるからね」
「……あぁ、そういえばそうですね」
私が頷くと、ジョズ警部も頷いた。
確かに……こうして中心から引きちぎられたようにはならないだろう。
なら、どうして──
『
「へっ、は?」
思わず声を上げた。
何だそのSFみたいな単語は?
『10年近く前、ニューヨークに宇宙人が襲来した際の落とし物だ』
「へぇ。なるほど、チタウリかい?」
『そうだ。『S.H.I.E.L.D.』も全てを押収できた訳ではないからな……』
ジョズ警部は分かっているようだが、私は分かっていない。
確かに10年前、ニューヨークに宇宙人の軍団が襲来した事があった。
だが、それが何故、今更?
一人、悶々としているとナイトキャップが私に視線を向けた。
『……警部。彼女は昨今の事情を知っているか?』
「……いいや、すまないね。新人だから知らないよ」
『そうか。なら少し話そう』
彼女は私をよく見ていたようで、表情から理解していない事を悟ったようだ。
『最近、
「えっ……?そ、そうなんですか?」
『あぁ。チタウリの遺産を所持していた人間が数年前に死ん……亡くなってな。その所在が分からなくなっていたのだが、どうやらマフィアか何かが見つけたらしい』
ナイトキャップが態々、言い換えたという事は……何か、そのチタウリの武器を持っていた人間に思う所があるのだろうか?
しかし、私は義憤に駆られる。
「……迷惑な話ですね。その人がチタウリの遺産を『S.H.I.E.L.D.』や国に渡しておけば、こんな事にはならなかったのに」
『……それもそうだ。だが、彼にも色々と理由があったんだ』
庇うような言動に、私は目を瞬いた。
「……ナイトキャップさんの知人なんですか?」
『少し、な』
そこでようやく、私は失言を重ねていたのだと悟った。
慌てて頭を下げる。
「す、すみません……知り合いだったとは……」
『いや、いい。彼は悪人だったからな……そう言われても仕方ない』
ジョズ警部に脇を肘で突かれた。
最初の失言を取り返そうと意気込んでいたのに、また失言してしまった。
小さいため息が電子音で響き……ナイトキャップが視線をATMへ戻した。
『とにかく、犯行に使われた道具はチタウリの遺産だろう。
「なるほどね……それで犯人の行方に見当は?」
『今はない』
「……今は?」
ナイトキャップが頷いた。
そして、腕に装備されているコンソールを操作した。
『
何を言ってるかサッパリ分からない。
ジョズ警部を一瞥すると、彼も不思議そうな顔をしていた。
『ニューヨーク中に設置された『S.H.I.E.L.D.』の観測機器が、その重力波形を捉えて……よし、残っているな』
空中に映像が投射される。
何かしらの折れ線グラフが宙に浮く。
赤と青の線が模様を描いている。
多少の揺れはあっても水平を保っている赤い波形に比べて、青い波形は急激に上下している箇所があった。
『犯行時刻と照らし合わせれば、確かに一致した。赤が正常な重力場で、青がここの重力場だ』
「ほう。という事はその、ア、アン……ええと──
『
「そうそう、『それ』が犯行に使われたって事で、間違いないよね?」
『ここまで証拠が残っていればな』
私とジョズ警部が頷く。
このナイトキャップって人……ある程度、こういう事象にも精通しているみたいだ。
こんなの、特捜班の専門が調べてようやく分かるものだと思っていたけれど……。
一つ、気付いた。
「つまり、その『S.H.I.E.L.D.』の観測機器で重力場の乱れを察知して、現場に向かえば──
『そう、犯人を現行犯で捕まえられるだろう』
ようやく、まともに理解できたと安堵の息を吐いた。
少しは……いや、ほんの少しは失言を取り戻せたんじゃないだろうか?
安堵の息を吐く。
しかし、ジョズ警部は少し難しそうな顔をしていた。
「だが、犯人は再び現れるかな?これで打ち止めにするかも知れないだろう?」
……確かにそうだ。
今回の強盗が成功したのに満足して、再犯をしない可能性もある。
だとしたら、待っているだけでは犯人を捕まえられないんじゃ──
『いいや、犯人は再び事件を起こす』
しかし、ナイトキャップは断言した。
「……それは何故だい?」
『勘だ』
その言葉に思わず私は目を瞬いた。
「か、勘って──
『私の経験則でもある』
ナイトキャップが壊れたATMに視線を向けた。
『力を手に入れた者は、その力を振り回さずにはいられない。手放す事は出来ないだろう』
そして、その切断面に黒い指で触れた。
抉れたような断面は鋭く、素手で触れれば切断してしまいそうだ。
『それが他人から金で手に入れた力ならば尚更だ。間違いなく、再度行われる。それも期間を空けずにな』
その有無を言わせない言葉に、私とジョズ警部は頷かずにいられなかった。
◇◆◇
翌日。
私は、警察署に来ていた。
そう、そこの一室で……私は体を強張らせていた。
目の前で真っ黒なアーマースーツを着た女が座っているからだ。
彼女……ナイトキャップは手元で何やら端末を弄っている。
どうも私物には見えないが……こ、ここは休憩室なのに。
次の犯行が行われるまで日中は待機という事になり、私は彼女と休憩室で待機しているのだが……少しも気が休まらない。
だって、怖い。
警察と『S.H.I.E.L.D.』で組織が異なる故に明確な立場の差はないが、それでも私からすれば彼女の方が立場は上だ。
何もせず座っていると──
『ケイティ巡査』
「は、はいっ……!?」
突然声をかけられて、上擦った声が出た。
『もう少し、気を楽にしていい』
「いえ、はい!リ、リラックスしていましゅ!」
『…………』
噛んだ。
沈黙が部屋を支配する。
冷や汗が滝のように流れる。
き、っき、き、気まずい!
『はぁ……そう畏まられるほど、私は偉い人間ではないのだが』
「うっ。で、でもですね……私は一介の警官でして……『S.H.I.E.L.D.』のエージェントの方に比べれば、とてもではないですが、そのぉ……」
私がそう言うと、黒いマスクの奥からため息が聞こえた。
『私と君との間に、大きな差はない』
「はぁ……そうでしょうか?」
『君は、この街が守りたくて警官になったのだろう?』
私は頷く。
すると、目前のナイトキャップが少し姿勢を崩した。
『私もそうだ。自分にできる範囲で、出来る事をしなければならないと思ったからだ。私は人より少し強い……だから、人を守らなければならないんだ』
「……それなら、そう……ですね。私と同じです」
『フフ、そうだろう?』
姿形は黒いスーツに隠されて分からないが、性別も同じという事もあり少し打ち解けられた気がした。
心なしか昨日より態度も柔らかくなっていた。
『ケイティ巡査も楽にすれば良い。計器に異常が出ない限りは休息していれば良い』
「はっ……ですが、その……それはその、貴女もでは?」
『私か?私は見ての通り休んでいるが?』
……え?
黒いアーマースーツに身を包み、手元の端末を弄っているのに?
私の視線がその端末へ向いているのに気付いたようで、ナイトキャップが端末を持ち上げた。
『いや、これは別に『S.H.I.E.L.D.』の仕事をしている訳ではなくてだな……』
「そうなのですか?では何を?」
問い掛けると、彼女は固まった。
少し挙動が不審になり、首を斜めにした。
何かダメな事を訊いてしまったかと、私は冷や汗を──
『こ、恋人に連絡を取っているだけだ』
「え?は?」
思わず耳を疑う。
『……仕方ないだろう。今日は元々、非番の予定だったのだから。いつ頃、帰れるかと連絡をしていたんだ。いや、そこから少し話が発展してつい連絡を取りすぎてしまっているが』
急に早口になったナイトキャップを見ても、私は少し脳内が混乱していた。
黒いアーマー姿のナイトキャップ……その隣には白いアーマー姿の異性が──
『……ケイティ巡査、何か失礼な事を考えていないか?』
「い、いえ……」
この人も、やっぱり一人の人間なのだと感じて少し嬉しくなった。
見た目は真っ黒なアーマー姿だが、中身は生身の女性なのだと。
安堵の息を吐いていると……背後のドアが開いた。
「ケイティ巡査……と、ナイトキャップ。差し入れだよ」
ジョズ警部だ。
手元には紙箱があった。
『いつもすまないな』
「いいよ。警官のパスポートがあれば、無料だからね」
箱が私と彼女の前、机の中心に置かれた。
「あ、ありがとうございます」
「いんや、仲良く分けて食べてね」
どうやらコレは食べ物らしい。
しかし、仲良く分けて、か。
「……ジョズ警部は食べないのですか?」
「あ、うん。私はこの事件以外も担当しているからね」
「はっ、すみません。ご苦労様です」
私の敬礼を見て、ジョズ警部が部屋を出た。
そして、私はテーブル上の紙箱に視線を戻した。
「……それで、これは何でしょうか?」
『食べた事がないのか?』
「いえ、その……すみません」
『あぁ、いや……謝る程の事ではない』
ナイトキャップが器用に箱を開けると……ドーナツが5つ入っていた。
「これは……?」
『
彼女は休憩室の棚から勝手知ったる様子で紙皿を二つ取ってきた。
そして、ドーナツを一つ手元に置いた。
『……そうか、食べた事がないと言っていたな?』
「あ、いえ、ドーナツは食べた事ありますよ。こんな所で見るとは思わなかっただけです」
『ドラマ等は見ないのか?警察官といえばドーナツという印象があるが』
「いえ、ドラマや映画とか……フィクションはあまり好きにはなれなくて、ですね」
『……まぁ、趣味嗜好は人それぞれか』
私もドーナツを一つ手に取る。
……スーパーで購入する物より上等そうだ。
しかし、今、私は目の前のドーナツよりも気になる事がある。
視線を少し上げて盗み見る。
黒いマスク姿を。
いったいどうやって食べるのか?
そのマスクを脱ぐのか?
素顔は?
等と考えていると、ナイトキャップが腕のコンソールを弄った。
瞬間──
マスクの下半分だけが展開し、口元が見えた。
いや、確かに衝撃的だが……うん、てっきり脱ぐ物だと思っていたから、拍子抜けだった。
そのまま、彼女は口元にドーナツを運び……私の視線に気付いた。
「……どうした?食べないのか?」
そして発せられた声は、マスク越しの機械音声とは異なり綺麗な女性の声だった。
私とは違う……まるでテレビのアナウンサーかと思えるような美声。
若い女性の声だった。
「あ、いえ……た、食べます」
心臓を跳ねさせながら、私はドーナツを口に含んだ。
……なるほど、美味しい。
だが、それ以上に彼女が気になっていた。
明らかに声が若かった。
私と同年代、だろうか?
それほど若いのに『S.H.I.E.L.D.』のエージェントをしているのだろうか?
そもそも、何故、マスクを──
悶々としながらドーナツを一つ食べ終えて、二つ目に手を出す。
ちら、と視線を上げるとナイトキャップは美味しそうにドーナツを食べていた。
表情は見えないが……口元の笑みを見れば分かる。
……しかし、整った口元だ。
マスクの下にはトンデモない美人顔が隠されているんじゃないか、と妄想が広がる。
そして二つ目も食べ終えて──
「…………」
「…………」
ドーナツは五つあった。
二人で食べれば、必然一つ余る。
そのドーナツをどうすべきかと、私は悩んでいた。
彼女は美味しそうに食べていた……先んじて、口を開く。
「ナイトキャップさんが食べて頂いて良いですよ」
「む、いや……だが、君に譲ろう」
「いえいえ、構いませんよ。どうぞどうぞ」
「本来は警官である君達の物だ。遠慮しなくて良いが──
譲り合い、話は平行線になる。
……こんな事をしていても馬鹿らしいな、なら──
「そうだな、それほど要らないと言うのなら私が──
「分かりました。食べまっ……す?」
言葉が被る。
「…………」
「…………」
再び沈黙。
「……う、ではっ、こうしましょう……!
……瞬間、私はドーナツを手に取り、ナイトキャップさんの皿の上に置いた。
悩んでいる時間が無駄だと思ったからだ。
彼女は少し驚いたような表情をして、その後、少し微笑んだ。
「すまないな」
「いえいえ、構いません。私は警官ですからね、これからも食べる機会は沢山ありますから」
そう適当な言い訳をする。
なるべく、彼女が罪悪感を抱かなくて済むようにだ。
きっと、彼女には見透かされているだろうが。
それでもドーナツを手に取り、食べてくれた。
「……ナイトキャップさんは、ドーナツが好きなんですね?」
「まぁな……」
彼女は口元を拭いて、マスクを閉じた。
……もう少し、彼女の生の声と会話をしていたかったが仕方ない。
会話を広げようと、話題を探す。
「えっと……何か、ドーナツを好きになった理由はあるんですか?」
『そうだな……私は甘い物、全般が好きだが……これが少し特別だ』
彼女は少し、ほんの少し顔を下げた。
『兄が一度、私にドーナツを買って来てくれたんだ』
「あぁ、分かりました。その時のドーナツが美味しくて、ですか?」
『あぁ……きっと美味かったんだろうな』
彼女は少しだけ、視線を上げた。
マスクの下の表情がどうなっているかは分からない。
『だからかな。あの時から、ドーナツを見ると兄の事を思い出す。それが心地いい』
「……そうなんですね」
その口調から、彼女の兄は既に……この世には居ないのだろうと感じた。
『すまない、少し暗い話になったな』
「いえ、すみません。私の方こそ、その変な話題を振ってしまって」
『君は悪くないさ』
少し迷って、私は息を深く吐いた。
何か別の話題を、と探していれば──
ナイトキャップの手元のコンソールが鳴り……彼女が勢いよく立ち上がった。
「え?」
『観測機器に異常が出た。
「な、それなら──
『あぁ、出動しよう』
私も慌てて立ち上がり、彼女の後ろを追う。
するとナイトキャップが、外で何やら別の警官と会話していたジョズ警部の肩を軽く小突いた。
『警部、観測値に異常が出た。犯行現場に急ぐぞ』
「えぇ?白昼堂々の犯行かい?」
『余程、自信があったのだろう』
二人の会話を聞きつつ、警察車両の鍵を棚から取り、拳銃を腰のホルダーに入れる。
呼吸が少し荒くなるのが分かる。
私は今、緊張と共に使命感で胸がいっぱいになっていた。
だから──
「あ、ケイティ巡査。大捕物だが、君は無理をしなくて良いからね」
「なっ……!?」
ジョズ警部の言葉に、思わず反抗的な目を向けてしまった。
『ケイティ巡査、それは私からも頼む、無理はしてくれるな』
「……っ、私が未熟な
『そうだ』
全く淀みのない返答に面食らった。
はっきりと言われると思わなかったからだ。
『いつかは命を賭けるべき時が来るだろうが、今ではない。私が何とかする』
「で、ですが……」
脳内には引きちぎられたATMの姿があった。
鉄の塊を容易く、あんな無惨にできる道具を犯人は持っている。
そんな相手を彼女に任せるなどと──
『安心してくれていい』
「あ、安心ですか?」
あやすように……機会音声だから、抑揚もないけれど、それでも優しく私に声を掛けてくれる。
『あぁ、こう見えて私は強いんだ』
こう見えて、か。
……黒いアーマースーツを着ている。
特殊部隊のような姿。
明らかに警官が持っているものとはグレードの違う装備。
……こう見えて?
「……あ、はい。分かりました」
私は自分の考えを改めて、素直に頷いた。
彼女の姿があまりにも、そう、強そうだったからだ。