【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話 作:WhatSoon
目の前にあるのはオバケを模したケーキだ。
白い布を被ったポピュラーで可愛らしいデザイン。
フォークを入れると……断面図が見える。
スポンジとクリームの層が美しい。
そして、そのスポンジ部分を覆っている白い布……これは卵を使っていない白いクレープ。
それにシュガーパウダーで色付けをして……目と口はチョコソースだ。
見た目は間違いなく100点。
ハロウィンというイベントに相応しく、更に奇を衒っていない王道なデザイン。
可愛さと、美しさがある。
では味は?
フォークで口に入れる。
……クリームは甘さ控えめで、逆にスポンジが甘く作られている。
そのままだと甘過ぎだと感じてしまうだろう……だが、このケーキの主役はもう一人いる。
そう、白いクレープ生地だ。
これは卵が入っていない事からも察せられる通り、薄味……甘さも控えめだ。
シュガーパウダーの仄かな甘みが優しい味わい……二つと併せて食べる事で程よい甘さとして完成する。
更に目と鼻を描いているチョコソース。
これは味のアクセントにもなる。
ミルククリームの味にビターなチョコ風味、これは下品にならない甘さだ。
凄い。
このケーキは本当に美味しい。
普段食べている市販のケーキよりも、遥かに。
これが……お金持ちが食べている最高級のスイーツなのか。
羨ましい。
私はフォークをもう一度入れて──
「ミシェル」
私は口に入れたまま、振り返った。
そこには主催のハリーがいた。
「
「フフ、飲み込んでからで良いよ」
私はケーキを急いで飲み込……味わって、飲み込んだ。
そして、ピーターが居なくなっている事に気付いた。
「あれ?ピーターは?」
「……彼は、そうだね。今少し用事で離れてるよ」
「用事……?」
何の用事だろう?
……ハリーはピーターがスパイダーマンである事を知っている。
私から態々離れているのだから、それ関係だろうか?
「ところで、パーティは楽しんで……うん、楽しんでくれているみたいだね」
ハリーが私のケーキに目を移した。
「うん、ありがと。誘ってくれて、嬉しい」
そう微笑むと、ハリーが自分の口元に手を当てて目を逸らした。
「……どうしたの?」
訝しんでいるとハリーが微笑んで私を見た。
うん、いつもの爽やかな笑顔だ。
「ミシェルと会うのは久々だから、少し浮かれちゃったかな」
「……うん?」
そんな気障な事を言うハリーに苦笑いする。
きっと彼は誰にでも、こんな事を言っているのだろう。
ハリーが机から飲み物を取り、口にした。
そして私の事を一瞥する。
「……父さんが逮捕された時、またここまで立ち直れるとは思ってなかったよ」
その視線の先にはパーティを楽しんでる人達の姿があった。
……ノーマンが逮捕されてから、オズコープ社の経営は悪化した筈だ。
だけど、ハリーは……まだ若いのに頑張って信頼を取り戻したんだ。
一度はゴブリンになってしまったけど、立ち直って……今は、きちんと真っ当な人間になっている。
少し、尊敬している。
「ハリーの、努力の成果……だから、凄いと思う」
心の底からそう思って、口にした。
それに対してハリーは眉を下げた。
「いいや……僕だけじゃ無理だった。ミシェル、君に諭してもらったからだ」
「私が……?」
空になった皿を机に置き、腕を組む。
ど、どの発言だろう?
分からない……もう、忘れてしまった事にしよう。
「ごめん、ハリー……覚えてない」
「フ、フフ……そうだろうね。君にとっては特別な事じゃなかったんだろうな」
怒った様子ではない。
呆れた様子でもない。
ただ嬉しそうにハリーは笑っていた。
「あぁ、そうだ……午後から仮装コンクールをやるんだ。良かったら出ないかい?」
「コンクール?」
「そう、屋敷の中に幾つかドレスや仮装を用意してるんだ……きっと、参加する人も沢山いる。ミシェルもどうかなって」
「私は……」
先日、グウェンにダメ出しされてしまった
散々な評価だった……ピーターの引いた顔が脳裏に蘇り、思わず眉を顰めてしまう。
ちょっと苦手意識が付いてしまったのだ。
「私は……いいかな」
「そうか……でも、出たくなったら、いつでも言ってくれ。用意するから」
……何故、ハリーは私に仮装させたがるのだろう?
何か、私に着て欲しい仮装でもあるのだろうか?
……申し訳ないけど、あまり仮装はしたくない。
「ミー、シェー、ル?」
談笑していると、後ろから声を掛けられた。
でも、ピーターじゃない。
「グウェン?」
「良かったぁ。ちゃんと来てたんだ……わ、そのドレスめちゃくちゃ可愛い」
グウェンが手を口に当てつつ、私の周りを回る。
前後左右からドレスにチェックが入る。
このドレスはティンカラー製の防刃防弾ドレスだが、見た目は普通のドレスだ。
勘付かれる事はないだろう……だが、少しドキドキしていた。
そんな私を他所に、グウェンは興奮した様子で笑っている。
そして、スマホを取り出した。
「撮っても良い?」
「……良いけど」
笑顔で写真を……パシャリ。
だが、笑っているのはグウェンだ。
私は頬が引きつっている。
被写体よりも撮ってる人間の方が笑顔だなんて、チグハグだ。
そして、グウェンが目を逸らし、ハリーを見た。
「ハリーも入って?」
「ぼ、僕もかい?」
慌てた様子のハリーに、私は近付いた。
手の届く距離……寄り添って、グウェンの方を見た。
パシャリ、ともう一枚。
「ありがとー、ミシェル。後で送るからね」
「ん」
そして、グウェンはハリーを見た。
「ハリーにも送るから」
そして、ウィンク。
勢いに押されたのか、ハリーが困ったような顔で笑っていた。
そして、一つ違和感を感じた。
私はグウェンに問い掛ける。
「ネッドは?居ないの?」
そう、グウェンも一人連れてこれるなら……きっと、ネッドを誘って来ると思った。
なのに、彼女は一人で来た……どこかに来ているのだろうか?
「……あれ?そう言えば……どこだろう?」
グウェンが見渡し、「あ」と声を出した。
私も視線で追う……その先には、いつもよりお洒落をしたネッドと……紫色のスーツを着た爽やかそうな男と会話していた。
グウェンが手を振ると、気付いたのかネッドは会釈してコチラに駆け足でやって来た。
「ごめん、ごめん……少し話をしていて」
「話ぃ?」
ネッドの言葉に、グウェンが不思議そうに首を傾げた。
「話って……何を話してたの?」
「それは……あれ?何だっけ?」
惚けた返答に、グウェンが思わずため息を吐いた。
「何それ?じゃ、誰と話してたの?」
「えーっと……ごめん、分からないかも」
「それも?……ネッド、あんた寝不足なの?」
グウェンがまた、ため息を吐いた。
そんな何も分からないなんて……私は先程、ネッドが居た場所を見る。
……紫色のスーツを着た男は居なくなっていた。
アレは一体、誰だったのだろう?
訝しんでいると、ハリーがネッドに近付いた。
そして手を伸ばした。
「初めまして、ハリー・オズボーンです」
「えっと、初めまして。俺……じゃなくて、私はネッド・リィズです」
何だか、ぎこちない様子で挨拶してる二人を他所に、グウェンが私へ話しかけた。
「ミシェル、ピーターは?」
「今、用事だって」
「……ふーん?ミシェルを放って置いて、用事……ねぇ?」
グウェンが眉を顰めた。
何だか知らないが、ピーターに対して怒っているようだ。
口添えしておくか、可哀想だし。
「……その、あまり怒らないであげて欲しい」
「ん?ミシェル、別にピーターに怒るつもりはないわよ?」
「そうなの?」
何だ、勘違いか。
「『教育』するだけよ」
いや、やっぱり勘違いじゃないようだ。
苦笑いしつつ、私は辺りを見渡す。
ピーターは何処に……あぁ、居た。
オズボーン邸の側、石の柱の側に彼は居た。
思わず呼びかけそうになるけれど……すぐ側に、誰かいる事に気付いた。
それは私と似た金髪と、青い眼を持つ男だった。
年は私より上みたいで……緑色のスーツを着ている。
……誰だろう?
何故か、凄く、凄く気になっていた。
今すぐ確かめたい。
誰なのか知りたい。
彼は──
「ミシェル?」
声が聞こえて、私は振り返った。
それは、ハリーの声だった。
「どうかしたのかい?」
「……何でもない」
気になるのは確かだが、今すぐハリー達を無視してまで行くのは……失礼だと思った。
それに緑色のスーツを着た男が参加者だと言うのなら、話す機会ぐらいあるだろう。
私はピーターと話している、その男から目を逸らした。
◇◆◇
「では、フィニアスさんは何故、僕に話を?」
僕は目の前にいる緑色のスーツを着た歳上の男……フィニアスにそう訊いた。
「呼び捨てでも良いよ?敬語も不要だし」
僕の質問には答えず、そんな事を言う。
「……歳下なので、僕は」
「礼儀正しいんだね……謙虚さは美徳だ」
「……どうも?」
「さて、君に話しかけた理由だけどね……うーん」
フィニアスが目を逸らし……ミシェルへと目を向けた。
今はハリーや、グウェン、ネッドも居て談笑している。
……早く、あっちに混ざりたいな。
そう思ってる僕に、フィニアスが質問して来た。
「あの白金髪の彼女とは、どんな関係だい?」
「ど、どうって?」
「恋人なのかい?」
こ、恋人!?
「ち、違いますよ……友達です」
「そうか、友達かぁ……ふーん、そっか」
そう言って、フィニアスがニヤリと笑った。
「な、何ですか?」
「君は彼女の事が好きなのかい?」
す、好き!?
「それは、その……何で、初対面の人に言わなきゃならないんですか?」
冷静さを取り戻し、そう訊いた。
するとまた、フィニアスは意地悪そうに笑った。
「その反応は『好きだ』って言ってるような物だよ?もっとポーカーフェイスにならなきゃ」
「う……」
な、何なんだ、この人は。
僕の事を馬鹿にしてるのか?
「君、隠し事が下手そうだね……彼女も気付いてるかも知れないよ?」
「そんな事は……」
ない、と思いたい。
気付いているのだとしたら、ミシェルは……僕のアプローチを全て無視している事になる。
僕とこれ以上、仲を発展させるつもりはない……少なくとも、彼女の側から寄って来るつもりは無いという事だ。
だから、知らないと思いたい。
「フフフ、良い反応だ。実に面白いね」
「……揶揄ってるんですか?」
「そうだよ?」
悪びれる様子もなく、フィニアスが笑った。
……この人、顔は凄くカッコイイのに、性格が子供っぽいな。
そう思った直後に──
「じゃあ少し、込み入った話をしたいけど……良いかな」
凄く、真面目そうな顔をした。
「何を……?」
「そんなに身構えなくて良いよ。ちょっとした問題提起をしたいだけさ」
「も、問題?」
何を言ってるか分からなくて、聞き返す。
先程までみたいな悪戯好きそうな顔でフィニアスが口を開いた。
「トロッコ問題って知ってるかな?」
「……知ってますよ」
暴走したトロッコの進む先に『沢山の人』がいる。
そのまま進めると『沢山の人』は死んでしまう。
だけど、僕の手元にはレバーがあって、それを切り替えればトロッコは分岐する。
『沢山の人』は助かる。
だけど、その分岐先には『一人』いる。
その人は死んでしまうだろう。
『沢山の人』を見殺しにするか?
『一人』を自分の選択の結果、殺してしまうのか?
そう言う問題だ。
フィニアスは満足そうに頷いて、口を開いた。
「僕は『沢山の人』を救う為に、『一人』は犠牲になるべきだと思ってる……それが最も合理的だからだ。君は、どう思うかな?」
「……何で、こんな質問を──
「教えてくれないか?君なら、どうする?」
有無を言わせぬ眼光に思わず、怯んでしまう。
……この問題に正解なんてない。
あるのは、どちらかを死なせてしまう後悔だけだ。
……だから、僕は。
「僕はレバーを切り替えます」
「……じゃあ、その『一人』を犠牲に──
「そして、どうにか頑張って『一人』を助けます」
「うん……?」
「どちらかを諦めろなんて……僕には、出来ないので」
僕の返答は屁理屈だ。
正しいか正しくないかじゃない、問題の趣旨から外れた最低な解答だ。
「く、フフフ、フフ」
僕の返答に、フィニアスが笑った。
正直、馬鹿にされるとは思ってた。
だけど、その笑い方は嘲笑じゃなくて……愉快そうに笑っていた。
「フフ、フ……君、面白いね。うんうん、それでこそだ」
「……褒めてるんですか?」
「勿論さ。君なら、そうするだろうからね」
「はぁ……?」
フィニアスが壁にもたれ掛かり、頷いた。
そして。
「ではもし、その『一人』が──
この問題は終わっていないようだった。
「とんでもない『悪人』だったとしても、君は助けるかい?」
「助けますよ」
少しも、僕は悩まなかった。
答えは決まっていたからだ。
「もし、トロッコを止められず……君が巻き込まれてしまう可能性があってもかい?」
「はい」
フィニアスが手を顔に当てて、不思議そうな顔をした。
「それはどうしてだい?何を君が突き動かすんだ?」
「……死んで良い人なんて居ませんよ」
僕の答えに、フィニアスは訝しむような顔をした。
納得してない様子だ。
だから、僕は言葉を繋げた。
「死んだら……『そこまで』じゃないですか。罪を犯した人間は償うべきです」
「……へぇ」
「死んで終わりだなんて……ただ、悲しいだけだから。助けられるなら、僕は助けたい……そう、思うんです」
……僕の答えに、フィニアスが面白そうに笑った。
「君は独特な価値観を持っているようだね」
「そう、ですかね」
「誇って良いよ……君を育てた人は、凄い人だ」
脳裏にベン叔父さんの事が思い浮かんだ。
……僕が褒められるよりも、叔父さんを誉められる方が僕は嬉しい。
そして、フィニアスが石の柱から離れて……ズボンを払った。
「さて、楽しいお喋りを有難う。僕はこの辺でお暇させて貰うよ」
「あ、はい」
不思議な人だったけど……何だか、嫌いにはなれない人だった。
「では……楽しかったよ、ピーター。また会えたら、よろしくね」
そして、背を向けて歩くフィニアスに──
僕は、少し違和感を感じた。
「あれ?」
何で僕の名前を知っているんだ?
僕は彼に話した覚えはないのに……何故?
気になったけれど……きっと、僕とミシェルの会話を聞いていたのだと勝手に納得した。
そして、ミシェル達に合流しようと僕は踵を返して──
『私の名前はフラグスマッシャー!このパーティ会場は私が占拠させて貰う!』
スピーカーで増幅されたであろう、大きな声が耳に聞こえてきた。
あぁ、もう、全く。
スパイダーマンに休暇は無いのだろうか?
僕はオズボーン邸の裏に隠れて、腕時計型のスーツを起動して……あれ?
何故か、起動しない。
冷汗が……頬を伝う。
そ、そんな、嘘だろ!?
ボタンを押すけど、変わらない。
故障……?
いや、そんな筈はない。
毎日メンテナンスをしてるし……この腕時計型スーツは特殊金属製だ。
日常生活で壊れる事なんて無い筈なのに、何で!?
「そこのお前!何をしている!」
黒いマスクを被った男に、僕は銃を突きつけられてしまった。
◇◆◇
「君達には、人質になって貰う!政府との取引材料として、だ!」
複数人の黒いマスクを被った男を従えているのは……白と黒のタイツを着た黒いマスクに……外は黒、中は赤色のマントを着た男だ。
「私の名前はフラグスマッシャー!国境と言う下らぬ壁を破壊したいだけだ……協力するのであれば、君達に危害は加えない。約束しよう」
そう、笑顔で言った。
全く信用できないけどね……現に僕達は腕を縛られてるし。
ミシェルやネッド、グウェン、ハリーは離れた場所にいる。
……ミシェルとネッドの側にはグウェンが居る。
何かあっても、きっと大丈夫だ。
問題があるとしたら僕だ。
……スパイダーマンになれない今、どうすれば良いか分からない。
ここで不特定多数に正体がバレると……スパイダーマンを憎む悪党達が、
それはダメだ……もし、ネッドやミシェルが傷付けられたら。
取り返しが付かない。
謝ったって、どうにもならない……僕は必ず、後悔をする。
……あの時、ノーマンにビルからグウェンを投げ捨てられた時のように。
また助けられるとは限らないから……。
だから、正体を隠せない今、僕に出来る事は……。
「そこのお前、国境についてどう思う?」
「え?」
フラグスマッシャーが指差したのは、僕だった。
「どうって……」
「
「そんな……」
「反応が悪いな、
そう言って──
「うがっ!?」
僕は殴られた。
口を切って、血が地面に散る。
周りから悲鳴が聞こえた。
ミシェルが視界に入った……口をグウェンに抑えられている。
……良かった……もし、目立ったら、殴られるかも知れないから。
「そこは『はい、そうですね』と答えるべき所だろうが!」
「うぐっ!?」
腹を蹴られた。
咽せて、咳き込む。
だけど、不幸だとは思わなかった。
寧ろ、殴られたのが僕で良かった。
大したダメージじゃないからだ。
僕達は人質だと言った。
だから、無闇に殺せないんだ、コイツらは。
「チッ!」
這いつくばっている僕に、フラグスマッシャーが舌打ちをした。
そのままフラグスマッシャーはハリーの前に立った。
「お前がこのパーティの主催者だな?」
「は、はい」
そして、ハリーを無理矢理に立たせた。
「俺達は喉が渇いている。何か飲み物を持ってきてくれないかな?」
「分かりました。でも、一人だと手が足りないので……もう一人、連れて行っても良いですか?」
「む……確かにそうだな……なら──
「その足元の彼でも良いですか?」
ハリーが指差したのは……僕だ。
「彼なら貴方達を傷つける程の力もありませんから、安全ですよ」
「ふむ、そうだな……立て!」
フラグスマッシャーに立たされて、僕はハリーの横についた。
「……大丈夫か?」
小声で耳打ちされる。
僕は無言で頷いた。
「変な事はしないように、一人付いていけ」
フラグスマッシャーが視線で合図をし、黒いマスクを被った男が僕達の後ろに付いた。
そして、ハリーと僕は人質を囲っている庭から離れて、オズボーン邸へと足を踏み入れた。
……今日は、とんだ災難な日だ。
高級な絨毯を敷き詰められた廊下を歩き……ハリーが突然、足を止めた。
「……この辺かな」
小さく、僕に聞こえる程度に呟いた。
「オイ、何を止まって──
ハリーが地面から片足を浮かし、即座に振り返った。
そのまま回し蹴りが、男の頭に命中した。
「あがっ」
大声を上げる暇もなく、男が倒れて花瓶の置いたチェストに──
慌てて僕は、男を受け止めた。
そのまま物音を立てないように引き摺り、部屋の中に置く。
腕のウェブシューターから
……やっぱり、ウェブシューターは動く。
腕時計型のスーツだけ起動しない……何故だ?
しかし、今は原因を究明している場合じゃ無い。
「ハリー」
「ピーター、何でスパイダーマンにならない?」
僕より先に、ハリーが質問した。
僕は観念して事情を話す。
僕の話した内容に、ハリーは訝しんだ。
「……故障か?」
「分からない。もしかしたら、何かに妨害されてるのかも……」
「そんな……くそ、ピーターをフリーにして、スパイダーマンに助けて貰う作戦だったんだが」
「ご、ごめん」
情けなく感じて、思わず謝る。
そして、ハリーが手を頬に当てて……口を開いた。
「そうだ……ここから、5つ先の部屋に、仮装コンクール用の衣装がある」
「仮装……なるほど、分かった。それを使えば良いんだね」
仮装用の衣装なら、顔と姿を隠す事も簡単だろう。
「そう言う事だ……僕がなるべく時間を稼いでおく。だけど、なるべく早く来てくれよ?」
「任せて」
僕は部屋を出て、廊下を物音を立てぬように走る。
1、2、3、4……ここだ!
僕は部屋のドアを開けて、転がり込む。
そこは、僕の住んでいるアパートの一室よりも広かった。
……少し、複雑な気持ちになる。
並んでいる大きなハンガーラックには、沢山の衣装が吊り下げている。
狼男、半魚人、スーパーマン。
色も形も様々だ。
だけど、どれも量販店で売っているような安物ではなかった。
……ハリー、わざわざちゃんとした物を買ってきたのか。
いや、どれも新品じゃなさそうだし……元々、ハリーの家にあった物かな?
なら、この衣装はノーマン・オズボーンの趣味かも知れない。
彼はハロウィンが好きだったから。
ハンガーラックに手を乗せて、中の服を確認する。
これは……女性用の服を纏めたラックみたいだ。
黒いウェディングドレスみたいなのもある。
これを着ては戦えない……別のハンガーラックへと手を伸ばす。
カシャカシャと音を立てて、使えそうな服を探す。
だけど、どれもこれも装飾過多だ。
困ってしまう。
男性用……なるべく肌を隠せる奴で、動きの邪魔にならないような……あった!
僕は人型のタイツを引っ張り出した。
それは、黒と青の生地で出来たタイツだ。
そして……胸元に『4』と書かれていた。
「うわ、ファンタスティック・フォー……」
『ファンタスティック・フォー』は四人のヒーローチームだ。
手足が伸びる天才科学者、ミスター・ファンタスティック。
バリアも貼れる透明人間、インヴィジブル・ウーマン。
燃える男、ヒューマン・トーチ。
怪力岩人間、ザ・シング。
この四人だ。
そんな彼らは仲がいい……ミスター・ファンタスティックとインヴィジブル・ウーマンは夫と妻だし。
ヒューマン・トーチとインヴィジブル・ウーマンは姉弟だし。
だからか、知らないけどお揃いのスーツを着てるんだ。
この青と黒のタイツをね。
……そして、これは多分、そのレプリカだ。
思わず、顔を顰めた。
だって知り合いだし……ヒューマン・トーチはいけすかない奴だし。
でも選り好みしてる場合じゃない!
僕は着ている服を脱ぎ捨てて、全身タイツを着る。
……う、ちょっと大きいけど、まぁ大丈夫だ。
両手に黒いゴム製のグローブを嵌めて、よし、完成だ。
後は顔を隠す物は……ラックの下や、側を探す。
「な、ない……」
被り物は別の部屋なのか……?
でも探している暇なんて、今は一刻も争うんだ。
視界の隅に、ベージュ色の紙袋が見えた。
この仮装を持ち込むのに使用したであろう、無地の紙袋だ。
……これしかない。
僕は紙袋を手に取り……よし、見た目より結構丈夫だ。
壁に掛けられているバインダーのボールペンを手に取り、目の位置に穴を二つ開けた。
そして……穴の空いた紙袋を被り、僕は部屋を飛び出した。