【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話   作:WhatSoon

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#86 マイラヴ・ユアラヴ part4

居ない。

 

私の探している緑色のスーツを着た男……彼は既に居なくなっていた。

 

 

「…………」

 

 

この人数、そして喧騒の中では探すのは厳しいか。

 

後でピーターから名前を聞いて……ハリーの帳簿から逆引きでもすれば良いか。

 

諦めた私は、庭に並べられていた白い机を見る。

今は無惨な姿で転がってる。

 

上に乗っていたケーキは土や砂埃が付いていて食べられたものではないだろう。

あぁ、なんて勿体無い。

 

ため息を吐いて、彼を探す事は諦める。

私は踵を返し、ピーターの元へ戻ろうとし──

 

 

一人の男が私を見ている事に気付いた。

 

 

紫色のスーツを着た男。

黒髪をオールバックに仕立て上げた、何者か。

ネッドと話していた男だ。

 

訝しみつつ……自身の容姿が目を惹くような物であることを自覚している私は、そういう類の物かと納得した。

 

そのまま歩みを進めて──

 

 

「失礼、君と少し話をしたい」

 

 

そう、紫色の男に話しかけられた。

 

 

私は断ろうと──

 

喜んで頷いて──

 

彼の為ならば何でも──

 

私は──

 

瞬間、脳がクリアになった。

まるで何かで上書きされたかのように、靄が晴れた。

 

何か、おかしな事が起きたのだと、理解するには充分だった。

しかし、何が起きたかは分からない。

何が原因で、何で気付いたのかも。

 

訝しみながらも、私は首を横に振った。

 

 

「ごめんなさい、人を待たせているから」

 

 

そう断ると、紫色のスーツを着た男は……非常に驚いた顔をしていた。

 

 

「そうか……ほんの少しでも良いんだ。君と話をしたい」

 

 

彼と目が合う。

……心の中を暴き、無遠慮に踏み込んでこようとする不快な目。

私は今すぐ此処から離れたかった。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

目を逸らし、私は彼から顔を背けた。

 

 

「せめて名前だけでも──

 

 

後ろから掛けられた声すらも無視する。

何者かは分からない。

 

だけど、共にいると悪寒がする。

心の奥底から、彼の側から離れたいと感じていた。

 

だから私は歩く事を止めなかった。

 

 

 

少し、歩いて。

人混みから離れて。

オズボーン邸の陰まで来ていた。

 

喧騒は遠のいて、ほんの少し静寂を感じる事が出来た。

 

私は振り返った。

 

そこには誰もいない。

あの紫色の男も居ない。

 

安堵の息を深く吐いて、しゃがみ込んだ。

 

 

「あれは……誰?」

 

 

私は自分の頭に手を置いた。

……私の脳、記憶……あやふやに捻れている前世の記憶。

何かに封をされたように、鍵が無ければ中身を見れない箱に入った記憶。

 

あの時、目の前にいた紫色の男から、私は箱の外形を朧げに見た。

鍵が無ければ中身は分からない。

だが、彼の事を知っているような気がしていた。

 

紫色のスーツを着た男。

 

これだけのキーワードと容姿だけでは、正体は分からない。

しかし、感じているのは嫌悪感だ。

碌な人間ではないのは確か。

 

コミックの中にある存在と、現実に見た存在。

それらを紐付けるパスがなければ、判別は出来ない。

 

もう少し、話し込めば良かったのか?

情報を引き出し、その正体を探るのが賢明だったのだろうか。

 

 

「……チッ」

 

 

思わず悪態を吐く。

『ミシェル・ジェーン』らしくない態度だ。

だが、そんな事を考えていられるほど私は冷静では無かった。

 

後悔は先に立たない。

今すぐ戻って、探るべきだ。

 

彼が私の大切な誰かを……傷付けないとは限らない。

傷付けられた時、八つ裂きにするのは容易い。

だが、傷は治らない。

 

グウェンの時のように都合の良い事はそうそう起こらない。

この世界では、誰かが助けを求めたところでヒーローが必ず来てくれるとは限らない。

 

それは、私がよく知っている。

 

ゆっくりと立ち上がり、また広場へ戻ろうとする。

 

……超人血清によって強化された視界で、遠くに発見した。

だが、その男はタクシーへ乗ろうとしていた。

 

もう、間に合わないか?

少し焦って、私はそこへ向かおうとして──

 

 

「ミシェル?」

 

 

声を掛けられた。

 

 

私は『ミシェル・ジェーン』だ。

ニューヨークに住む、何も知らない普通の女の子。

即座に、表情を整える。

 

 

そのまま、声を掛けてきた方へ顔を向ける。

 

 

「どうしたの、ハリー?」

 

 

薄く笑って、ハリーへと言葉を返した。

 

 

「いや、ミシェルの方こそ……すまない、急いでいた?」

 

「……大丈夫。急いでない」

 

 

男を乗せたタクシーは、既に此処を後にしていた。

今から追いかけるのは無理だ。

 

諦めるしかない。

 

 

私は軽く息を吐いて、ハリーへ質問する。

 

 

「ハリー?それで、何か用事?」

 

「いや……用事はないんだ。ただ君と少し、話がしたくて」

 

「……そうなの?」

 

 

何となく、そう、何となくだが……ハリーが私に好意を抱いているのは感じていた。

それが友愛か、親愛か、恋愛なのかは分からないが。

 

 

「あぁ、その──

 

 

話す内容が思い付いてないのか、ハリーが目を逸らし……地面に落ちてしまっているケーキに気付いた。

 

 

「家の中にならケーキがまだ残ってるんだ。よかったら、どうかと思って」

 

「……ん、食べたいかも」

 

 

同意して、ハリーについて行く。

決してケーキに釣られたからではない。

私はそんな安い女ではない。

 

ただ、彼が私と話したいと言うのならば、それに付き合っても良いかな、と納得しただけだ。

ちなみに、ケーキはどれぐらい残っているのだろうか?

 

オズボーン邸の中に入り、高級そうな内装に目移りしつつ、大きなキッチンへとたどり着いた。

 

 

「あ……」

 

 

銀色の机の上には、プラスチックの蓋が被さったケーキが置いてあった。

それも、沢山。

ババロア、ガナッシュ、ザッハトルテ、ティラミス、フォレノワール、タルト。

煌びやかな景色に、私の気分は良くなった。

 

頬が緩んでしまう程に。

 

 

横を見ればオードブルもあった。

ポテトとかそんなの。

こっちはどうでもいい。

 

 

「外に出してなかったけど、沢山作ってたんだ」

 

「そっか……」

 

 

興奮してる事を知られたら恥ずかしいので……悟られないように頷いた。

だが、そんな私を見てハリーは微笑ましそうに笑っていた。

 

 

「……何?」

 

「いいや、何でもないさ」

 

 

そう言ってハリーがまた笑う。

よく分からない。

 

 

「あんな事があったしパーティはお開きになる。捨てるのは勿体無いから、箱にでも入れて参加者に配るつもり……なんだけど、どうかな?」

 

「……うん、凄くいいと思う」

 

 

顔を近付けて、フォンダンショコラを見る。

今すぐフォークを突き刺して、流れ出すチョコレートに包まれたい。

 

 

「ミシェルは本当にケーキが好きなんだね」

 

 

そう、ハリーが言った。

 

思わず振り返って、少し笑った。

 

 

「うん、ケーキじゃなくても、甘いものなら。ハリーは?」

 

「僕?僕は──

 

 

ハリーがシンクに手を置いて……息を吐いた。

金属製の壁が白く曇って、ハリーの顔を隠した。

 

 

「僕も、好きだな」

 

「それなら──

 

「君の事も、好きだ」

 

 

ポツリ、と呟かれた言葉に思わず息を呑んだ。

 

 

「私も、ハリーの事は好きかな」

 

 

聞かなかったフリは出来ない。

だけど、これは友愛なのだと誤認しているフリをする。

 

少し、声が震えている。

 

ハリーが私の方へと振り返った。

 

目が合う。

 

 

「僕は男として、君を女性として好きなんだ」

 

 

告げられた言葉に、私は──

 

 

「ごめん、なさい」

 

 

謝罪しか、出来なかった。

 

私は視線を下げる。

彼と合わせる顔がなかった。

 

貴方の思いに応えられなくて。

ごめんなさい。

 

本当は彼に好かれるような人間ではないのに。

ごめんなさい。

 

貴方を騙して。

ごめんなさい。

 

 

口の中が乾く。

 

数秒しか経っていないのに、何時間も過ぎたように感じる。

 

 

「そうか……僕こそ、こんな事を言って悪かった」

 

 

その沈黙を破ったのはハリーだった。

私は顔を上げて、彼の顔を見た。

 

……悲しそうに眉を下げていたけれど、スッキリとしたような顔だった。

 

 

「ううん、私の方が──

 

「いいや、ミシェルは悪くない」

 

「私が──

 

「僕が──

 

 

声が重なって、お互いに黙った。

 

少し気まずくなって……ハリーが笑った。

 

 

「こんな事を言って何だけど……まだ、友達では居てくれるかい?」

 

「それは……勿論」

 

 

頷くと、安堵したように深く息を吐いた。

 

 

「良かった……君に嫌われたら、どうしようかと思ってた」

 

 

その言葉に私は首を傾げた。

 

 

「人に好きと言われても……その人を嫌いになんてならない、と思うけど」

 

「……それは、君が優しいだけだよ」

 

 

ハリーが頷いて、頬を緩ませた。

そして、目をキッチンのドアへと向けた。

 

 

「庭園に戻ろうか、きっとピーターが待っているよ」

 

「……分かった」

 

 

そうだ、ピーター。

彼は、まだ外で私を待っている筈だ。

 

 

「あと、これを……好きにしてくれて、構わないから」

 

 

ハリーがカップに入ったケーキを私に手渡した。

思わず受け取る。

 

彼の手に触れて、少し、温かかった。

 

 

そして、私は入って来た入り口を潜り……ハリーへ振り返る。

彼はその場から動いていなかった。

 

 

「……ハリーは?」

 

「まだ少し、ここに居るよ。使用人にも話をしないといけないからね」

 

 

そう言ったハリーは爽やかに笑っていた。

 

あぁ、良かった。

好意を無碍にしてしまったから、傷付いてしまうのかと──

 

いや、違う。

彼は傷付いている。

 

顔には出していないけれど、シンクの縁を掴む手が震えているから。

 

だけど、励ます事なんて出来ない。

私にその資格はない。

 

 

「ハリー、先に行ってるから」

 

「あぁ、分かったよ」

 

「待ってるから」

 

「……分かったよ」

 

 

私はそのままキッチンから出て、廊下を歩いた。

広場へ戻るために……少し、早足で。

 

 

「はっ、はっ……」

 

 

息を荒らげているのは疲れているからじゃない。

自身に対する自己嫌悪と……居心地の悪さ、ハリーへの懺悔、後悔、様々な感情がストレスと感じているからだ。

 

だけど、悪いのはハリーじゃない。

彼は普通の事をした。

 

好きな異性に「好きだ」と言っただけだ。

問題があるのは私だ。

 

彼を騙して、好意を引き出し、傷付けた。

 

 

「う……」

 

 

息を深く吐いて、オズボーン邸の外で座り込む。

自己嫌悪で心が重くなる。

 

だけど、今すぐに普段の『ミシェル・ジェーン』に戻らなくては。

こんな顔は誰にも見せたくない。

 

だから。

 

 

特に──

 

 

「ミシェル?」

 

 

(ピーター)には。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ミシェルが誰かを探しに行って……結構な時間が経った。

 

待ち惚けて居ても暇だけど、かといってこの場所から離れるのも億劫で。

 

僕はハリーが用意した机から、蓋が付いていて汚れて居ない飲み物を手に取る。

カップにストローを刺して口に入れれば……甘酸っぱい酸味が広がった。

 

疲れた脳に染み渡っていくような気がした。

 

 

そのまま飲み切って、机の上に戻して──

 

 

「ピーター、ミシェル知らね?」

 

「わっ」

 

 

ネッドが僕に話しかけた。

隣にはグウェンも居る。

 

急に話しかけられたから、ビックリして思わずカップを落としそうになった。

 

 

「何だよ」

 

「いや、急に話しかけてくるから……」

 

「……疲れてんのか?」

 

「まぁね」

 

 

ネッドに心配されつつ、首を縦に振る。

疲れてるかって?

そりゃあ疲れてるよ。

 

めちゃくちゃ運動したし、僕。

 

そんな僕達の会話に、グウェンが割り込んできた。

不機嫌そうに眉を顰めている。

 

 

「で?ミシェルは?一緒じゃなかったの?」

 

「ミシェルは今、誰かを探しに行ってるよ」

 

「誰か?誰よ」

 

「さぁ……僕も知らないけど」

 

 

バシン、と音がした。

グウェンの蹴りが僕の尻に当たった音だ。

 

 

「いっ」

 

「エスコートするのがアンタの役目でしょうが……何そこでボケーっと突っ立てんの」

 

「そ、それはそうだけど──

 

「何?言い訳するの?」

 

「い、いえ」

 

 

グウェンの隣でネッドが小さな声で「ひえー」って言っていた。

彼女は振り返り、ネッドを睨み付けた。

こわい。

 

 

「ちょ、ちょっとミシェルを探してくるよ」

 

 

とにかく、ミシェルが少し心配なのもあるし、怒れるグウェンから逃げたいのも相俟って、僕はミシェルを探す事にした。

 

その場を離れて、人混みを掻き分ける。

彼女のドレスを思い出して、辺りを見渡すけど……居ない。

 

小さかった心配が、少し大きくなる。

 

ほ、本当に何かあったのだろうか?

このパーティは警備してる人も沢山いるし、オズボーン家の関係者しかいない筈だから、参加者は善良な人しか居ない筈だ。

 

そう思っていたけれど……僕は危機感を覚えながら、辺りを歩き回り……ハリーも居ない事に気づいた。

 

……もしかして、オズボーン邸の中?

 

僕は出入り口に向かって歩き出し……そこで、しゃがみ込んで蹲っているミシェルを見つけた。

慌てて駆け寄って、僕は声を掛ける。

 

 

「ミシェル?」

 

 

そう、名前を呼ぶと……顔を上げて、僕を見た。

彼女は、泣いていた。

 

 

「……ピーター?」

 

 

声も震えていた。

 

 

「ど、どうしたの?何か嫌な事でも──

 

「私は、嫌な事なんてされてない」

 

 

彼女が口にしたのは否定の言葉だ。

 

 

「なら、どうして……」

 

「人を傷つけちゃったから……」

 

 

その言葉に僕は気付いた。

 

ハリー、か?

彼が告白をして……彼女が断ったのだろうか?

 

それでハリーが傷付いて……それを悟った彼女が傷付いている。

 

だけど、それは──

 

 

「君の所為じゃない……」

 

「……何?」

 

 

僕の呟きは、彼女には聞き取れなかったようだ。

告白を断って……された側が傷付くなんて、それは……彼女が優しすぎるからだ。

人を傷つけたくないと、心の底から思っているのだろう。

 

 

「その、傷付けたってのはハリーの事?」

 

「……知ってるの?」

 

「知らないけど、何となく」

 

「……そう」

 

 

また、ミシェルが塞ぎ込もうとして、慌てて僕は言葉を紡いだ。

 

 

「ミシェル、何があったの?」

 

 

そう訊くと、ミシェルが少し、悩んだ表情をして……喋り始めた。

 

 

「ハリーが、私のこと……好きだって」

 

「そう、なんだ」

 

 

やっぱり告白したみたいだ。

だけど、彼女の様子を見るに……望ましい返答は貰えなかったのだろう。

 

 

「私、断って……ハリー、凄く傷付いてた」

 

「……そっか」

 

「私の所為で……」

 

 

ミシェルの目が潤んでいた。

 

僕は彼女の横に座り込んだ。

少し驚いたようなミシェルと、目線が合う。

 

もう一度、口にする。

 

 

「それはミシェルの所為じゃないよ」

 

「違う……私が……踏み躙って」

 

 

思わず、ため息を吐いて……それから笑った。

 

 

「そんな事ないよ。ハリーだって、ミシェルに傷付けられたなんて思ってない。誰も君の事を恨んでないし……誰も悪いだなんて思ってない」

 

「……それが、嫌」

 

「え?」

 

 

帰ってきた言葉に思わず、声が漏れた。

 

 

「誰も私を責めない……私はそんな良い子じゃない……私は──

 

 

それは彼女がずっと抱えてきた劣等感、罪悪感だ。

初めて会った時から、彼女の自己評価は低かった。

 

それは単純に『低い』という言葉で片付けられない程に……それ程に、彼女は病的に自身を悪く言っていた。

 

だけど、これ以上……ミシェルに自分を悪く言って欲しくなくて──

 

 

「違うよ」

 

 

僕は……彼女を肯定する為に、彼女の言葉を否定した。

 

 

「違う?何が……?」

 

「ミシェルが自分の事を、どんなに悪く言ったとしても……僕達はミシェルを良い人だって思い続けるよ」

 

「何で……?」

 

「僕達がそう感じたからだよ……人の評価は自分だけでは決まらない。他の人が感じた気持ちが、その人の評価になるんだよ」

 

「でも」

 

「僕だってハリーだって、グウェンも、ネッドも……みんなが君の事を大切だと思ってる」

 

 

俯いていたミシェルが、僕と目を合わせた。

 

 

「だから、ミシェルが自分を悪く言っているのを見ると……悲しくなるんだ」

 

「……でも私は」

 

「自分を責めないで欲しいけど……それ以上に、僕達の大切だって気持ちは否定しないで欲しいんだ。君は良い人だ」

 

「……そう、なのかな」

 

「そうだよ」

 

 

そう言うと、ミシェルの目から大粒の涙が溢れた。

 

 

「……ありがとう、ピーター」

 

「どういたしまして?」

 

「……何で疑問型なの?」

 

「あんまり実感が湧かないから、かな?」

 

「……ふふ、変なの」

 

 

僕はミシェルに手を差し伸べて……彼女がその手を握った。

そのまま立ち上がらせると……手に持っているカップケーキに気付いた。

 

……きっと、ハリーが渡した物だろう。

 

僕は、彼女のその自己評価の低さ……それが何か知りたかった。

そして、出来る事なら解決したかった。

 

だから、僕は一歩踏み込んだ。

 

 

「ミシェル、何か困ってるなら……僕に言って欲しいんだ」

 

「ピーターに?」

 

「うん。必ず、僕が解決してみせるから……どんな問題だって、僕が何とかする。助けになりたいんだ」

 

「…………」

 

 

ミシェルが……眉を顰めて、下げて。

頬を緩めて、口を開いて……閉じて。

 

そうして、悩んだ後、また口を開いた。

 

 

「ううん、何も。困ってない。助けは必要ない」

 

 

それは、突き放すような言葉だった。

 

僕に何も伝えたくない、という気持ちだけが僕に伝わった。

 

少し、薄暗い気持ちになりそうだったけど、僕は取り繕った。

 

 

「そっか……でも、もし困ったら言って欲しい」

 

「うん、どうしても助けて欲しくなったら……その時は──

 

 

ミシェルが嬉しそうに、悲しそうに、苦しそうに、笑った。

 

 

「『助けて』って言うから」

 

 

そう言ったミシェルの顔は、冗談を言ったかのような……現実では、そんな時は来ないのだと……そう確信しているような表情をしていた。

僕はそれが悔しくて……それでも、今はただ頷く事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「……あの女」

 

 

私はタクシーの中で、手を顎に当てる。

先ほど出会った見目麗しい……白金髪の青目の女を思い出す。

 

 

「……私の言葉に従わなかった」

 

 

車のバックミラーには虚な目をした運転手がいた。

 

彼は今日、ここで、初めて出会った男だ。

だが、今は私の従順な下僕だ。

 

何をしたか?

……何もしていない。

 

ただ一言、『従え』と言っただけだ。

 

私は生まれた時から『そう』だった。

頭の悪い母体が詐欺紛いの似非科学に引っかかり……妊娠した身で神経ガスを体内に打ち込んだ所から、私という人間は形作られた。

 

私は知っている。

ありとあらゆる人間は、私を愉しませるだけに存在する傀儡に過ぎない。

 

誰も彼もが私に従う。

どんな地位に就いていようが、どんな力を持っていようが。

 

金も、女も、暴力も。

全てが私の思うがままだ。

 

……幾つかの例外を除いて、だが。

 

 

その例外に彼女が混ざり込んで来た。

 

 

「…………フフ」

 

 

だが、不快ではない。

寧ろ、嬉しいんだ。

 

幼い頃から全てが思い通りだった。

だからこそ、思い通りにならない物が好ましい。

 

 

「せめて名前だけは知りたかったが……まぁ良い。機会は幾らでもある。それに──

 

 

私は紫色のネクタイを締め直した。

 

紫は好きだ。

暴力の赤と、静寂の青。

二つが交わり、混乱となる。

 

紫色のジャケット、その内側のポケットから携帯端末を取り出す。

 

電源ボタンを押せば、女の顔が写っていた。

 

 

「本命はこっちだ」

 

 

黒髪の黒いジャケットを羽織った女。

気の強そうな目をしている。

 

名は……ジェシカ。

ジェシカ・ジョーンズ。

 

彼女もこの、ニューヨークに居る。

 

私は心を躍らせて、頬を緩める。

そのままメールボックスを開き、幾つか確認する。

 

それは私に対する依頼のメール。

 

……私に仕事を依頼するなんて、身の程知らずだ。

だが、金払いは良い。

その気になれば金なんて幾らでも手に入る……だが、あまり目立つと『例外』が私を殺しに来る。

 

不要なリスクは控えなければならない。

だから、受けた。

 

 

「面倒だが、それでも……見返りはある」

 

 

タクシーが止まった。

どうやら、目的地に到着したらしい。

 

携帯端末をスリープモードにして懐に仕舞う。

 

私は椅子から立ち、タクシーのドアに手を掛ける。

 

おっと、そうだ。

 

 

「ご苦労。後は海にでも沈んで、頭を冷やしてくれ」

 

 

そう言ってドアから降りれば、タクシーは走り出した。

 

私の痕跡を知る者は、生かしてはおけない。

私は用心深い。

 

翌日か、更に翌日か……新聞にニューヨーク湾に沈んだタクシーの話が載るだろう。

 

車から降りた私は、家の前に立つ。

ホテルなんかじゃあない。

ただの民家だ。

だけど、今日から当分、ここが仮住まいだ。

 

私はインターホンに指を乗せた。

 

少しして、声が聞こえる。

 

 

『はい、どなたでしょうか……?』

 

 

警戒心の強そうな、若い女の声だ。

 

 

「ドアを開けてくれないか?」

 

『…………分かりました』

 

 

鍵が開いて、ドアが開く。

 

少しぐらいの浮気なら、君も許してくれるだろう?

 

なぁ、ジェシカ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「……ジャービス、そのコンバーターとマイクロチップを取ってくれ」

 

『畏まりました、スターク様』

 

 

執事ロボット、ジャービスが持ってきた機材を手に取り……スパイダーブレスレット(仮)に接続する。

 

先日、『一時的に動かなくなった』と言って送られてきた。

そうそう故障するような作りではない筈だが……一時的に故障するような事はあるのか?

 

ピーターがメンテナンスをしたレベルでは異常は無かったらしい。

 

つまり、機械的な故障ではない。

通電も問題なし、内部の基盤に故障はなし。

 

僕はケーブルを基盤の端子に突き刺し、内部情報を抜き出す。

ログを確認していると……確かに、二時間程、電源が停止している部分がある。

 

停止実行者は……このブレスレット自身。

 

 

「……む?」

 

 

停止コマンドは外部によるハッキングの結果だ。

スーツを構成する都合上、ブレスレットをハッキングされた場合……スーツ自体が肉体へ牙を剥く。

過剰な電力供給を発生させれば中の人間を丸焦げにする事だって出来る。

 

その為のセーフティだ。

それが起動していた。

 

ログを空中のモニターに投射し、指でなぞる。

 

 

「……ここだ」

 

 

複数行に書き込まれたアラート、エラー。

それらから、異常動作を検知している事を確認する。

 

 

「しかし、どうやって……」

 

 

ブレスレット自体はネットワークと接続している訳ではない。

スーツ展開後はナノマシンの制御に通信を飛ばしているが、起動前ならば確実にローカル環境の筈だ。

 

……異常データを抜き出して、精査する。

 

 

「ジャービス、異常動作を抜き出して表示しろ」

 

『了解しました』

 

 

数万行あったデータが百行ほどに減る。

 

腕を組み、それを眺める。

 

 

「……サイキック波によるハッキング?」

 

 

ミュータントが持つ特殊なサイキックパワーを波状にし、機械を誤認させていた。

 

それは電磁波シールドを貫通している。

想定していなかったからだ。

 

波状をグラフにして、別のモニターへ表示する。

波形は一定……?

 

ミュータントも人間だ。

完全な一定間隔で、こんな事は出来ない筈だ。

 

 

「……機械による、ミュータント・ハッカーの再現だって?」

 

 

そんな事、出来る筈がない。

 

いや、出来る筈がない……と言うのは早計だ。

だが少なくとも再現するのに1000年は掛かる。

 

そして、この技術は完成され過ぎている。

 

まるで、途中の発生する技術の発展を無視して、最善のみを知る者が作ったような……。

 

そう、未来から技術を手に入れたかのような。

 

 

「タイムトラベラーだと?馬鹿馬鹿しい……映画の見過ぎだ」

 

 

僕は手を額に当てて、椅子に深く座る。

 

……疲れているのかも知れない。

最近もよく分からないアンドロイドの解析をフューリーに依頼されたばかりだ。

 

技術で負けているとは思わないが……それでも、あまりにも特異なテクノロジーだ。

前提としている根底の技術に、我々人類は未だに立てていない。

 

 

「……ジャービス、何か飲み物を」

 

 

ジャービスに指示を出して、立ち上がる。

ブレスレットを手に乗せて、ピーターの顔を思い出す。

 

 

「君は誰と……いや、何と戦っているんだ?」

 

 

人の良い、優しい少年。

幾らスーパーパワーを持っていたとしても、これは彼の……『親愛なる隣人』の範疇を超えているだろう。

 

 

「……全く、手が掛かる」

 

 

ブレスレットを机に戻して、機材を取り出す。

 

新しい技術を作るのは難しい。

だが、一度見た技術を解析し……それを超えるのは僕にとって容易い事だ。

 

 

『スターク様、お持ちしました』

 

 

ジャービスが持ってきたコーラを一気に飲み干しす。

 

 

「ジャービス、後は音楽も頼む」

 

『畏まりました』

 

 

工房内でロックが流れる。

僕の好きな曲だ。

 

 

「良いね、そうこなくては」

 

 

僕は指を鳴らして、手をほぐす。

 

このブレスレットをハッキングして……調子に乗ってる奴がいる筈だ。

絶対に吠え面をかかせてやる。

 

僕は負けず嫌いだから、ね。


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