【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話 作:WhatSoon
ある雨の日のこと。
ざぁざぁと雨が降る。
雨はニューヨークの街を濡らしていた。
そんな中、僕……ピーター・パーカーは途方に暮れていた。
ここはミッドタウン高校、その出入り口。
レインコートを着たり、傘をさしたり、ただ慌てて走る人がいたり。
そんな忙しない中で、僕は曇った空を見た。
雨の勢いは強い。
当分、晴れそうにない。
今、僕の背負っているリュックの中には、本が何冊か入っている。
ネッドが今日、学校で貸してくれたコミックだ。
リュックが防水とは言え、万が一濡れたら……。
「はぁ……」
ため息を一つ。
雨の日は嫌いだ。
僕の……父と母が居なくなった日を思い出すから。
ある雨の日に二人は車で出掛けて行って……二度と帰らぬ人となった。
幼心にその景色と雨音は焼き付いている。
忘れる事は出来ない。
雨の音が鳴り響いている。
ざぁざぁという雨音が、その景色を思い出させる。
だから、雨は嫌いだ。
売店にレインコートを買いに行くか……それとも、ビニール袋で鞄を覆い、家まで走るか。
どうしようかと悩んでいると、背中を突かれた。
「ピーター?」
振り返ると、ミシェルが居た。
「あぁ、ミシェル、どうしたの?」
「……どうって、帰るつもりだけど。ピーターこそ、どうしたの?」
僕と彼女は一緒に帰る事は少ない。
行きは一緒だけどね……僕にはバイトがあって、彼女にも予定があるから。
そんな彼女の手元には、黒い傘があった。
……これなら、彼女は濡れずに帰れるだろうな、なんて思った。
「僕はもう少し、雨の勢いが弱まってから帰るよ」
「……朝の天気予報では、雨は夕方から強くなるって言ってた」
「え、そうなの?」
思わず、頬が攣りそうになった。
じゃあ、今すぐ決断して……どうにか帰らなきゃならない。
やっぱり、売店でレインコートでも買ってこようかな?
……雨の日はよく売れるから、残っていれば良いんだけど。
「ピーター、良かったら……入る?」
そう悩んでいると、ミシェルが手元の傘を突き出した。
「でも、悪いよ」
傘は普通の大きさに見えた。
二人で入るには少し小さい。
だから、申し訳ないな、と思ったけれど。
「ううん、良いから。一緒に帰ろう?」
「……ごめん、ありがとう。助かるよ、ミシェル」
「別に良いのに……ピーターは大袈裟」
ミシェルが傘のボタンを外して、広げた。
……うん、でもやっぱり二人で入るには小さい。
「僕が持つよ」
「ん」
僕の方がミシェルより背が高い。
だから、僕が傘を持つ方が良い。
彼女から傘を手渡されて、僕らは雨の中に出る。
……出来るだけ、傘は彼女の方に寄せる。
少し、肩が冷たいけれど……リュックには雨が当たってないから、これで良い。
僕が満足げにしていると、ミシェルが僕のほうに寄ってきた。
「ピーター、肩が濡れてる」
「良いんだよ。元々、全身がびしょ濡れになる覚悟だったから」
「……それなら」
ぴと。
「……あの、ミシェル?」
ピッタリとミシェルに密着されてしまった。
「これで良い」
確かに、この距離なら雨は当たらない。
だけど、ミシェルの肩が僕にぶつかっている。
華奢な肩だ。
彼女の白い吐息が、僕の手にかかる。
頬が熱くなる。
僕の心臓の音が、彼女に聞こえないか心配だ。
「……大丈夫?」
「え?あ?うん、大丈夫」
「……変なの」
二人、ニューヨークの街を歩く。
デイリービューグルのビルも雨が強く降っているからか、大きな液晶は真っ暗だ。
見る人も少ないから、電気代の無駄だ!ってジェイムソンが言ってるんだろうな。
いつも、僕達がサンドイッチを買ってる……デルマーさんのサンドイッチ屋も灯を落としている。
あれは店主が雨に託けて休みにしてるのだと思う。
ざぁざぁと雨が降る。
物音は雨音に掻き消され、水の落ちる音だけが耳に響く。
僕の心音と、彼女の吐息も掻き消して。
「ピーター」
「え!?何、かな?」
だから、急にミシェルに話しかけられて、驚いた声を出してしまった。
僕の挙動が不審なのに気付いてしまったのだろうか。
「話しづらい事かも知れないけど……大学、決まった?」
「そ、それは……うん」
「……良かったね。どこ?」
「エンパイア・ステート大学だよ」
「第一志望だった所?」
「そうだよ」
「……うん、良かった」
他愛のない話をしながら、歩き続ける。
靴が水溜りを踏んで、小さく水が跳ねた。
ミシェルと話して、僕は笑って、彼女が微笑んで。
特別な事はない、ただの雨の日。
それでも……いいや、それが幸せだった。
ずっと、こんな日が続けば良いと願ってしまう程に。
だけど、時間は有限だ。
彼女は高校を卒業したら就職する。
どこか、遠い場所に行ってしまいそうな気がして……僕は不安になっていた。
この冬が終わって。
春が始まって。
夏が来る頃には……隣に彼女は居ない。
せめて、彼女が好きなのだと、僕は言いたい。
彼女が僕の事をどう思っているのか、知りたい。
だけど、言えない。
言ってしまったら、この日常が終わってしまうような気がして……僕は言えない。
情けない。
どんなスーパーパワーを持っていたとしても、僕はただのナードだ。
グウェンの言う通り、ね。
「……着いた」
気付けば僕達の住む、アパートに着いていた。
ミシェルが傘を軽く折り畳み、雨水を払った。
その様子を、僕は見ていた。
ミシェルが気付いて、僕へ顔を向けた。
「……先に行ってれば良いのに」
「僕が待ちたかったから」
彼女と一緒に、エレベーターに乗る。
経年劣化して音がうるさく、昇るのも遅い。
少し、時間がかかる。
やがて僕達の住んでいる部屋がある階まで昇ってきて……部屋の前に立った。
僕は鞄から鍵を出して──
「……あれ?」
ミシェルが驚いたような声を出した。
思わず、僕はミシェルの後ろに立つと……張り紙が貼ってあった。
僕はそれを読み上げる。
「排水管の故障?」
「え……」
このアパートは縦に排水管を配置している。
隣の僕の部屋は大丈夫だけど……恐らく、ミシェルの住んでいる部屋の上下階の人も、排水管が故障しているだろう。
そして、排水管が壊れれば……。
「水が、使えない」
ミシェルが呆然とした声を出した。
張り紙には明日の午後までに直ると書いてあるけれど……それでも、今日は水道が使えない事になる。
顔も洗えない。
シャワーも浴びれない。
トイレにも行けない。
それは年頃の少女であるミシェルには辛い事だと……僕には分かった。
不安そうな彼女が口を開いた。
「ど、どうし──
「ミシェル、明日の朝まで僕の部屋に来ない?」
思わず、声を掛けて……少し後悔した。
あまりにも無遠慮な言葉だったからだ。
友人とは言え、男の部屋に女の子を連れ込むのは……少し、拙い。
それも朝まで……多分、凄く気持ち悪い事を言ってる。
嫌われるかも。
なんて少し思ったけど……ミシェルは笑顔で僕の顔を見た。
「……良いの?」
「ミシェルさえ良ければ、だけど」
僕が自信なく言うと、ミシェルは笑った。
「ありがとう、ピーター……取り敢えず、シャワー借りても良い?」
そう、傘を差してたとは言え、ミシェルの服は少し濡れていた。
シャワーを浴びて、着替えたい気持ちがあるのだろう。
それは分かる。
分かるけど。
「わ、わかったよ。大丈夫、良いよ、うん」
「……?」
思わず挙動が不審になったのは、僕には刺激が強過ぎたからだ。
僕の部屋で彼女がシャワーを……?
自分の腕を、強くつねる。
痛い。
でもこれは戒めで……気付け薬だ。
これで少し、冷静になれる。
「部屋から着替え、取ってくる」
「分かったよ、いつでも来て良いよ」
そう言って、僕は自分の部屋のドアを開けて……。
「あー……ミシェル、やっぱり時間かけて来て欲しいかも」
「……どうして?」
「ちょっと、片付けたいから」
机の上にはスーツ保全用のナノマシンメーカーが鎮座していた。
◇◆◇
「ふぅ、これでよし」
スタークさん製のナノマシンメーカーとか、古い手作りスーツとか、そういう人に見せられない物をダンボールに詰めて……ベッドの下、奥の方へ押し込んだ。
大丈夫、これでバレない……筈。
思わず引き出して、上をガムテープでぐるぐる巻きにしてしまった。
もう一度、ベッドの奥へ押し込んだ。
そんな事をしていると、部屋のチャイムが鳴った。
慌ててドアへ駆け寄って、開いた。
……タオルと、薄着の服を持ったミシェルが立っていた。
「もう大丈夫?」
「うん、良いよ。待たせてごめんね」
「私は、借りる側だから……文句はない」
ミシェルが部屋に入ってくる。
部屋に招き入れてたのは2回目だ。
最初は……スパイダーマンとして彼女を助けた日。
杏仁豆腐を持ってきた日だ。
彼女はキョロキョロと周りを見渡して……そのあと、僕を見た。
「ピーターはもうシャワー浴び──
そして、少し濡れている僕の服を見た。
「……浴びてないよね?」
「うん、僕はまだ」
部屋の片付けに勤しんでいたから、まだシャワーは浴びれていない。
靴の中は水浸しになっていたから、靴棚で乾かしている。
だから、履いているのは室内用のスリッパだ。
「シャワー、ピーターが先に浴びる?」
「いやいや、ミシェルが先で良いよ」
「……でも、家主なのに」
シャワールームのドアを開ける。
そんなに広くないけれど……それは隣の部屋、つまりミシェルの部屋でも一緒だ。
勝手も分かる筈だろう。
……ミシェルがシャワーの下にある、石鹸に目を落とした。
「あ、シャンプー……」
「使って良いよ」
「じゃなくて……持ってくるの、忘れた」
あぁ、そっか。
女の子はシャンプーだったり、石鹸だったり、そういうのに拘りがあるんだった。
さっきのは失言だった。
「……でも、ピーターが良いのなら借りる……良い?」
「うん、勿論」
「ありがと」
ミシェルがタオルを壁に掛けて、薄手の服を脱衣所に置いた。
そして……僕の方をチラリと見た。
あ。
「ご、ごめん。すぐに出るから」
「……ふふ」
ミシェルに笑われたけど、慌ててシャワールームを出た。
そのまま椅子に座って……口元を押さえた。
心臓が飛び出たかと思った。
でも大丈夫みたい。
少しして、シャワールームから音が聞こえた。
水の流れる音だ。
雨の音と似た、水が落ちる音。
……僕は目を閉じて──
「うわっ、これじゃ変態みたいじゃないか……」
慌てて椅子から立ち上がり、部屋の隅に置いていた自分のリュックを開ける。
今はただ気を紛らわせたかった。
数冊のコミックを取り出して……一旦、机の上に置く。
そして、一冊、やけに厚みがあるものがあった。
「……何だろう?」
それを手に持って……表紙は、綺麗な女性が水着で扇情的なポーズを取っていて──
思わず、上にコミックを乗せた。
そのまま、首を回して、シャワールームの入り口を見た。
水の音は続いている。
ミシェルはまだ、シャワーを浴びている。
「ふぅ……」
安堵の息を吐いて、改めて雑誌の表紙を見る。
ネッドの奴……何で、こんな……全く、もう。
所謂、要らぬお世話という奴だ。
……まずい。
ミシェルがシャワーから出てくるまでに隠さないと。
別に持っている事を咎められるようなポルノ雑誌ではない。
普通の書店にも売っているようなピンナップの雑誌だ。
ただ……まぁ、これを見られると──
『……最低』
と、幻滅した目で睨みつけてくるミシェルを幻視した。
二度と口を利いて貰えないかも知れない。
僕は壁の本棚に……ダメだ。
結構分厚い、背表紙で目立ってしまう。
壁に手を突き、そのまま登って……本棚の上に乗せた。
屋根が近くて、下から見上げるだけでは見えない。
何度目かのため息を吐いて、僕は地面に着地する。
しかし……。
「ネッドの奴、頼んでもないのに……」
僕もそういうのに興味がない……と言えば嘘になる。
だけど、その……本当に、時と場合を考えて欲しい。
サプライズは好きじゃない。
疲れて椅子にもたれ掛かっていると、シャワーの音が止まった。
僕は机の上に散らかったコミック雑誌を整えて、気にしてない素振りをする。
少しして、ドアの開く音が聞こえた。
「ピーター、シャワーありがと」
ミシェルの声が聞こえて、反射的に振り返ると──
タオルで髪を拭いている短いシャツ姿のミシェルがいた。
下は短パンで……蠱惑的な太ももが伸びている。
化粧も落とした筈なのに、全く魅力が落ちていない整った顔に視線が吸い寄せられる。
温まったのか仄かに頬が赤くなっていて……潤った唇が……。
そして、ミシェルが僕を見た。
パチパチと、長いまつ毛が上下した。
「……どうしたの?」
「い、いや……何でも」
見惚れていたなんて、言えない。
「……?」
首を傾げながら、そのままベッドの上に腰掛けた。
……普段、僕が寝ているベッドにミシェルが座っている。
凄く、不思議な気分だ。
そのまま、ミシェルはタオルを首元にかけた。
胸元のボタンは全て外れており、綺麗な白い肌が──
目を逸らす。
今なら。
火に突っ込んで焼け死ぬ、蛾の気持ち。
分かる気がする。
僕はそそくさと立ち上がり、冷蔵庫を開ける。
中にはペットボトルの飲み物が入っている。
「ミシェル、何か飲む?」
「ん……ありがと。何がある?」
ミシェルが僕の側に寄って、横から顔を覗き込ませ──
濡れた髪が、僕の肩にあたった。
僕と同じ石鹸を使った筈なのに、明らかに違う匂いが僕の鼻を通り過ぎた。
決して不快ではないけれど、どうしても気になってしまう……そんな匂い。
……腕を抓る。
このままだと腕が鶏に突かれたみたいに、赤い痕塗れになってしまう。
「……ミルク」
ミシェルがボトルに入った牛乳へ、視線を向けた。
「なら、コップを出すよ」
僕が棚からコップを出している間に、ミシェルがボトルを冷蔵庫から取り出した。
そのまま蓋を開けて、注ぎ込む。
そして、彼女が牛乳を口にした。
こくり、こくりと喉がなる。
コップが机に置かれて、小さく音が鳴った。
「ふぅ」
ミシェルが息を吐いて……口元が少し、白くなっていた。
そんな僕の視線に気づいたのか、彼女は指で自分の口元を撫でた。
彼女は指に少し、牛乳が付いていたのを見て……僕を見た。
頬は少し、赤かった。
「……何?」
それは、恥ずかしさからか。
それとも、身体があったまっているからか。
思わずおかしくなって、口角が上がってしまう。
「な、何でもないよ?」
口ではそう言うが、笑いを堪えてるのがバレてしまったようで、ミシェルが複雑そうな顔をしていた。
そして、ふと大切な事に気付いた。
「あぁ、そういえば。晩御飯ってどうする?良ければ僕が買ってこようか?」
彼女はもうシャワーを浴びていて、外は雨が降っている。
だから、僕はそう提案したんだけど──
「でも、ピーターに悪いし……」
「じゃあ、デリバリーでもする?」
結局、アプリで出前を取ることにした。
同じ店の料理を選び、配達の依頼をする。
調子に乗って少し多めに注文してしまった。
「じゃあ、今のうちに僕、シャワー浴びるから」
「うん、また後で」
そう言われて……少し、思案した。
彼女はスマホを持っているけれど、暇潰しに弄っている印象はなかった。
いつも、本を読んでるイメージがあった。
だから。
「机の上にあるコミック、読んでて良いよ。ネッドから借りた奴だから」
「わかった、ありがと」
ミシェルは机の上に立って……興味深そうな目で物色していた。
彼女もコミックが好きだからね……どうやら、この選択は当たりだったみたいだ。
楽しそうな彼女の横顔に満足して、僕はシャワールームのドアを開けた。
ミシェルは綺麗に使ってくれたみたいで、トイレ側に水滴は落ちていない。
上の服を脱いで、カゴに入れ……あれ?
そこには先に服が入っていた。
「……あ、ミシェルのかな?」
先程まで着ていた黒いシャツ、青いズボンだ。
僕は別のカゴを取り出して、そこに自分のシャツを入れた。
そして、ふと視線をカゴに向けると……薄い、紫色の何かが見えた。
あれ?
ミシェル……今日こんな色の服、着てたっけ?
なんて思ってしまって、僕はそれを注視して。
レースで飾られた、少し丸みを帯びた、その布切れが。
「うわぁ!?」
こ、これ、下着だ!
思わず声を出してしまって──
「だ、大丈夫!?ピ──
ドアが開いた。
「ピーター……?」
ミシェルが、中を覗き込んだ。
僕は上半身裸で、ミシェルの下着が入ったカゴのすぐ側に立っていた。
「「あっ……」」
声が重なる。
頭の中で幾つもの言い訳が浮かび、沈む。
とにかく嫌われたくなくて、幻滅されたくなくて。
僕は素直に現状を話そうと思い──
「ミシェル、これは──
「ご、ごめんなさい」
バタン、とドアを閉められた。
弁解したい。
でも、気まずい。
頭が混乱する。
顔が熱い。
冷やさないと。
頭が混乱している。
ズボンを脱いで、カゴに入れる。
ふらふらと浅い浴槽に立ち、蛇口を捻った。
シャワーはかなり、熱かった。
◇◆◇
ざぁざぁと雨が降る。
窓の外は……コンクリートの壁に遮られて景色は良くないけれど、水滴が滴り落ちている。
それとは別に、水が流れる音。
ピーターがシャワーを浴びている音だ。
私は身を縮こませて、部屋の隅……ベッドの上に座る。
見た。
見てしまった。
ピーターの、は、裸。
今、鏡を見たら顔が赤くなってるかも知れない。
男の裸を見るのは初めてじゃない。
殺した相手の服を剥いだ事もある。
それに、もう姿形は覚えてないが……前世は男だった筈だ。
恥じらう事はない。
何も、何も感じない筈だ。
ピーターと出会ってすぐ、手当てした時だって何も感じなかった。
夏休みに水着のピーターを見ても、こんな事にはならなかった。
なのに、何故?
何故こうも……私は。
違う、違う、違う。
否定する言葉が脳を埋め尽くす。
私は彼に、彼の。
男の裸に興奮して、膝を抱えて蹲っている。
自分でも信じがたい。
だが、事実だ。
目を閉じれば……先程の景色が瞼の裏に見える。
……凄く、筋肉質だった。
雨に濡れていたから、すこし、しっとりしていた。
腹筋だって、薄く割れて……。
「う、うぅ……これじゃ変態、みたい」
それに、ピーターが着替えているところに勝手に入って……変態だ。
彼も凄く驚いた顔をしていた。
謝ったけれど……恥ずかしくて顔を合わせられなかった。
怒ってるかな……ピーターは優しいから、許してくれるとは思う。
でも、不快に感じてしまったかも知れない。
「……うぅ」
小さく唸る。
手癖で布団に顔を埋めて……うっ。
慌てて、顔を退ける。
「や、やばかった」
鼻腔にピ、ピピ、ピー、ピーターの匂いが充満している。
若い男の子の、匂い。
ワックスとか汗とか、制汗剤の匂いとか……。
いつもピーターの隣で感じている匂い。
それを数十倍に圧縮した匂いが脳に直撃した。
少し、クラクラする。
そうやって意識すると……自分の匂いも、ピーターの部屋にある石鹸を使ったから同じ匂いがしている。
だ、だめだ。
考えないようにしなければ。
私はベッドから降りて、机の上のコミックを取る。
ネッドがピーターに貸したらしい、コミック。
「あ、これ……珍しい」
地獄の使者が悪人を惨殺するダークヒーローのコミックだ。
テーマは『殺し』や『暴力』……ではなく、『愛』。
そんなに大きな出版社じゃないけれど、私は好きな作品だ。
一昔前にはブームにもなってたし。
フィギュアも沢山発売されている。
私は手に取り、ベッドの上に戻る。
パラパラと読みながら、現実逃避をする。
……ピーターが戻って来たら、ちゃんと謝ろう。
勝手に着替え中に入ってしまった事を……。
すると、チャイムが鳴った。
……あ、宅配だ。
ピーターの携帯端末から注文したんだった。
代金は電子決済されている。
後は受け取るだけ……。
ちら、とシャワールームを見る。
ピーターはまだ浴びている。
チャイムも聞こえてないかも知れない。
私が受け取らないと。
急いでスリッパを履いて、ドアの前まで歩く。
チェーンを外して、ドアを開いた。
「どうも、配達で……え?」
配達員が私を見て、絶句した。
私も言葉を失った。
だって、配達員が知ってる顔だったから。
「フラッシュ……」
「あ、あぁ、ミシェル……?」
そう、フラッシュだ。
学校で会う事はあったが、プライベートで会うのは初めてだ。
別に会いたくは無いけど。
「バイト?お金持ってるのに」
フラッシュは昔、家が金持ちだって自慢していた。
ハリー程ではないけれど、アルバイトなんて必要ないぐらい。
「ん?あぁ、そうなんだよ。大学の学費を少しでも自分で稼ごうと思って」
殊勝な心がけだ。
昔とは大違い。
リザード……コナーズ先生から助け出してから、彼は心を入れ替えたのだ。
……嫌うような性格ではなくなった。
とは言え、隠すつもりのない好意とか……ぐいぐい来る感じは未だに苦手だ。
それに以前はピーターを虐めていた最低な奴だ。
「とりあえず、これ。配達だから、さ」
フラッシュからビニールを二つ、受け取る。
山盛りのポテトサラダとか、トマトスープとか、ホットドッグとか。
結構、重いけれど……まぁ、一般人ではない私にとっては苦でもない。
受け取るとフラッシュが首を捻った。
「……メチャクチャ食べるんだな?」
「私一人で食べないし」
「……ん?」
フラッシュがまた首を傾げて……シャワールームに気付いた。
……あ、シャワーの音が止まった。
ピーターが出て来たら、凄く気まずい事になりそうだ。
「……あぁ、お泊まりパーティって奴?」
「そんな所」
別に話していたい訳でもないので、少し塩対応をしてしまう。
仕事中じゃないのか、コイツ。
はやく帰れ。
「配達、ありがとう。じゃ」
「あ、あぁ、どうも?」
「じゃあね」
「また使ってくれよな」
二度と使わない。
私はドアを閉めようとして……フラッシュが一歩下がった。
直後、シャワールームのドアが開いた。
「ミシェル、さっきのは誤解で──
ピーターが慌てた様子で出てきて──
「は?え──
フラッシュが驚いたような声を出して──
バタン!!!
と、ドアを閉めた。
「え?ミシェル、来客?」
「ん、配達……」
急いで鍵を閉めて、チェーンを引っ掛ける。
ドアスコープから外を覗くと、フラッシュが呆然とした様子で項垂れていた。
早く帰って欲しい。
「思ったより早かったんだ……ごめん、受け取りさせちゃって」
ピーターが料理の入ったビニール袋を持ち、机まで運ぶ。
そして……私は顔を逸らした。
ピーターの顔を見るのが少し恥ずかしかったからだ。
そんな私の様子を見て、ピーターが口を開いた。
「えっと、ミシェル?さっきの件なんだけど──
「ごめん、なさい」
ピーターに責められる前に、私は謝った。
「えっ?」
そんな私にピーターは驚いたような声を出した。
……どうやら、謝罪の態度が良くなかったらしい。
私は弁明する。
「その、着替えてた途中なのに……ノックもせず入って、ごめんなさい。反省してる」
顔を伏せて、ピーターに謝る。
少し、無言の時間が続いた。
そ、そんなに怒ってるのだろうか?
恐る恐る、顔を上げて……ピーターの顔を見た。
……すごく、困惑していた。
「……あの、ミシェル?」
「……うん」
「その、謝るべきなのは僕の方だと思うんだけど」
「……うん?どうして?」
純粋に疑問だ。
何故、勝手に着替えを覗かれた側が謝らないといけないんだ?
「えっと……僕が驚いた声を出したから、心配して来たんだよね?」
「……そう、だけど」
「だから、全然……気にしてないよ。というか、僕の裸なんて見ても、何も面白くないでしょ」
「それは……」
面白いとは思わないが……その、私はさっき……いや、言わなくていい。
黙っておこう。
「寧ろ僕が……えっと、その……驚いた声を出したよね、僕」
「……結構、大きな声だった」
そう、ほんの少しの声じゃなくて……それこそ、命の危険かと思うほどの声だった。
だから、心配してシャワールームへ慌てて突入したのだ。
慌て過ぎてノックもせずに。
「あれって、その……シャワールームのカゴが」
「カゴ?」
「ミシェルの着替えが……」
「着替え?」
私は首を捻る。
着替え……カゴ……あ、ピーターに黙って置いてあったカゴに脱いだ服を入れたのだった。
そして、回収していない。
忘れている。
「ごめん、ピーター。片付けるから」
「あー、うん、そう、だね」
歯切れ悪く、ピーターが返事をする。
「……?」
そもそも、私の着替えとピーターの声に関連性はない筈だ。
シャワールームのドアを開けて、カゴに入っていた服を手に取る。
シャツとズボン。
あと、下着も。
グウェンに選んでもらったお洒落だけど、普段使いしやすい下着。
下着。
下着?
「あっ……」
下着だ。
そう、下着。
私はピーターの方を見る。
気まずそうに顔を逸らした。
「……み、見た?」
「…………ごめん」
その謝罪は、きっと肯定だ。
顔から火が出そうだ。
ヒューマン・トーチでも、ゴーストライダーでもないのに。
熱い。
下着をシャツとズボンで挟み、腕で抱く。
可哀想なほど、項垂れているピーターに対して口を開く。
「不可抗力だから……その、気にしてない。寧ろ、原因を作ったのは私だから」
声が震えていた。
それに対してピーターも顔を上げた。
どうやら、私の言いたい事の意図は伝わったらしい。
「でも僕も悪かったから……その、ごめん。ミシェルも気にしないで欲しい」
「うん、お互い様……お互い様……」
凄く、凄く気まずい。
服を部屋の隅、棚の上に置いた。
下着はシャツとズボンで挟んで隠れるようにしている。
この気まずい状況をどうにかしたいのか、ピーターが口を開いた。
「と、とにかく、もうこの話は終わりで!ご飯食べようよ、冷めちゃうから、ね?」
「……う、うん」
私は椅子を引いて……本棚に体をぶつけてしまった。
「あっ」
その瞬間、何かが落ちて来て──
「危ないっ」
ピーターがすんでの所で受け止めた。
……多分、
鼓動が少し、早くなる。
「あ、ありがとう」
感謝の言葉を口にする。
やっぱり、ピーターは頼りになる。
「どうしたしまし……あっ」
「あ?」
ピーターが変な声を出した。
私に向かって落下していた物へ、目を向ける。
それは本だ。
少し分厚い……当たりどころが悪ければ、血が出てたかもしれない。
そんな本の表紙が、私の目に入った。
扇情的な格好をした……ビキニを着た女性の写真だった。
ざぁざぁと雨の降る音が、私達の間で響いていた。