【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話 作:WhatSoon
彼女が僕に微笑んで、少し動悸がした。
彼女が涙を流して、僕は守りたいと思った。
彼女が喜んで、また笑って欲しいと僕は願った。
笑って、泣いて、喜んで、悲しんで。
沢山の感情が繰り返されて、最後は。
血を流して、泣きながら……僕を見上げていた。
……僕は、目を開いた。
見慣れた天井があった。
ここは……僕の部屋だ。
昨日から着替えもせず、ベッドで横になっていた。
窓の外を見れば……朝になっていた。
急いで学校に行く支度をしないと……。
ミシェルを待たせないように……。
違う。
息が少し、荒くなる。
違う。
昨日見た景色は脳に焼き付いて、離れない。
「違う……」
ゆっくりと立ち上がり、壁に手をついた。
そのまま洗面台へ向かい、水を流す。
手で掬い顔を洗う。
鏡を見る。
酷い顔をしている。
深く、深く息を吐いて。
蹲る。
ミシェルは……レッドキャップだった。
僕や皆をずっと騙していて……人を殺していた。
好きだった。
いや、今も……好きだ。
だから、信じられずにいた。
アレは嘘だったのだと……嘘であって欲しいと願っている。
……それでも、昨日、ミシェルの部屋に入り、僕は見た。
パニッシャーも言っていた……レッドキャップが作っていたスクラップブックと同じ物。
状況は彼女がレッドキャップだと、そう言っている。
パズルにピースが集まって絵を形作るように、真実が目に映される。
見たくも、ないのに。
洗面所から離れつつ、上の服を脱ぐ。
腹に残っている切り傷……もう、1年近く経つと言うのに小さく残っている。
これはレッドキャップと初めて会った時に付けられた傷。
……ミシェルが、手当てしてくれた傷だ。
彼女はとても優しいのだと知って、好きになるキッカケになった理由の一つ……だった。
だけど、傷を付けたのは彼女自身で……なんで、治療したんだ?
僕の気を惹く為か?
取り入る為に……?
どうして、あんな心配する顔が出来るんだ……?
分からない。
チャイムが鳴った。
……今は、一人になりたい気分だけど……出るしかない。
僕は新しくシャツを着て、ドアを開けて──
「ピーター、はやく学校に行こ」
ミシェルが、そこに立っていた。
思わず、心臓が破裂するかと思うほど、動悸がして……何故、ここにいるのか問い質したい気持ちに駆られた。
だけど、それを飲み込んで黙る。
口が乾く。
「ミシェル……?」
「今日はプロムなのに、寝坊?」
そうだ、今日はプロムだ。
この高校生活最後のイベントだ。
彼女は黒いカジュアルなドレスを着ていた。
何度か見た事のある、彼女がお洒落をする時に着るドレスだ。
これから、僕とプロムに行くために……お洒落して来たのだろうか?
「でも、なんで……」
「どうしたの?」
心底、分からないという顔で僕を見つめ返してくる。
その目は透き通ったコバルトブルー……いつもの、ミシェルだ。
幾つも話したい言葉が脳に浮かんで……最後に浮かんだのは疑念。
昨日見た景色が幻覚だったのかも知れないという疑念。
レッドキャップの正体が偶々、彼女と似ていたのかも知れないという疑念。
ただ、口にしてしまえば、彼女は居なくなってしまうような気がして……僕は首を振った。
「何でもないよ……すぐに、準備をするから」
「……ん、待ってる」
ドアを閉じて僕は部屋に戻る。
息を深く吐く。
分からない事は沢山ある。
分からない事の方が多い。
それでも、今は……この状況に身を任せる事にした。
服を脱ぎ捨てて、用意しておいたカジュアルなスーツを着る。
鏡の前で整髪料を手に塗り……無理矢理、髪を整える。
眉間を揉む……まだ、凝り固まってる。
ドアノブに手を乗せる。
「…………」
少し迷って。
……ドアを開けた。
ミシェルはそこで待っていた。
良かった、さっきのは現実だった。
僕の見た幻覚ではなかった。
僕を見て、ミシェルが薄く笑った。
「そんなに急がなくても良いのに」
胸の奥が痛い。
「いや、僕の都合で待たせてるから……申し訳なくて」
僕も無理して笑うと、ミシェルが頷いた。
そして……僕の手に、触れた。
緩く、解けてしまいそうな強さで……僕の手を握った。
「行こ、ピーター」
その手を僕は握り返した。
振り解けば、二度と会えなくなるような気がした。
今はもう何が真実で、何が嘘かは分からない。
だけど、この手から伝わる温かさだけは真実だと、信じたかった。
◇◆◇
僕とミシェル、二人で料理を食べる。
今日の予定……プランは、何度も何度も練り直してきたプランだ。
ただ、目の前の彼女に喜んで欲しくて。
グウェンと相談して、ネッドとも……。
……病衣を着ていたネッドを思い出した。
彼も、僕とミシェルのプロムを応援してくれていた。
なのに、ミシェルは……ネッドを。
ミシェルが仄かに微笑み、僕の顔を見た。
「ピーター?食べないの?」
「あぁ、いや……食べるよ、ありがとう」
本心から楽しめる筈だった。
こんな心の中心に棘が刺さったような……それも抜けない棘が……。
ミシェルがチキンライスをスプーンで掬う。
「……ねぇ、ミシェル?」
僕が声を掛けると、顔を向けた。
何も分かってなさそうな、純粋な青い瞳……それが僕の胸を締め付ける。
「どうしたの?」
少し、黙っているとミシェルが首を傾げた。
……これが、知らないフリだと言うのなら……本当に彼女は役者だ。
「何か、さ……僕に黙ってる事ってない?」
……聞いてしまった。
どんな反応をするのかと不安になる。
取り乱すのだろうか、それとも……。
「あるよ」
だけど、僕の不安とは裏腹に……何気ない様子で頷いた。
「それって──
「誰にでも秘密はあると思う……ピーターも。違う?」
そう言われて……僕は黙って頷いた。
僕だって友達にだって黙っている秘密はある。
僕がスパイダーマンだということ、それは──
待てよ?
ミシェルは……僕をスパイダーマンだと知らないのか?
だから、ここに来ているのか?
そうでなければ、昨日の今日で……僕に会うなんて事はしない筈だ。
……答えは誰も教えてはくれない。
考えても仕方ない。
「ごめん、変な話をして」
勇気が出なかった。
問い質してしまって、この時間が終わってしまう事を恐れてしまった。
自己嫌悪で頭の中が埋め尽くされる。
僕の様子を見て、ミシェルは口を拭いて……眉を下げた。
「本当に、変な話……」
そんな言葉を口にして、スプーンを皿の縁に置いた。
彼女は目を薄くして、微笑んだ。
そして、口を開いた。
「……悩み事?」
「あ、あぁ……少し、気になる事があって」
気になっているのは君の事だと、口には出せない。
「……ピーター、もし何か悩みがあっても──
ミシェルが僕の目を見た。
「今日……今だけは、忘れて欲しい」
その瞳は揺らいでいて。
不安そうな感情を隠していた。
……そうだよ、ミシェルが……そんな、悪意を持って……誰かを……僕を傷付けようとするなんて、そんな筈がないんだ。
今までずっと、そうだった。
だから、これからも。
僕は泣きそうな心を堪えて、頷いた。
「うん、悪かったよ……折角、楽しい時間だからね」
「……ん、本当に……大切な時間だから」
僕は手元にある料理に、スプーンを入れた。
スープの味は、少し塩が濃かった。
◇◆◇
二人でタクシーに乗って、そのまま学校へ向かう。
……フラッシュとかなら、リムジンのレンタルとか出来るんだろうけど。
僕はコレで精一杯だ。
レストランだって……。
プロムの話をメイ叔母さんにしたら、お小遣いをくれたんだ。
僕と仲の良い女の子が居ると知って、叔母さんは喜んでいた。
……情けない話だ。
だけど、ミシェルは少しも気にしていないようだ。
走るタクシーの窓から、街の光景を眺めていた。
……いつもと変わらない景色なのに、大切そうに見ていた。
デルマーさんのサンドイッチ屋、一緒に行ったレストラン、よく新聞を買っている小売店、デートで行った科学館、デイリービューグルのビル。
幾つもの景色が通り過ぎて……後ろに流れていく。
やがて、タクシーが止まった。
料金は先払いしていたから、僕はドアを開けて……外から回って、ミシェルの方のドアに手を掛けた。
開いたのは同時だった。
外側から僕が、内側からミシェルが。
思わず少し後ろに押されて──
「……ふふ」
ミシェルが少し笑った。
「何も笑わなくたって良いじゃないか……」
そう抗議しても彼女の口角は上がったままだ。
……初めて会った時は表情に乏しい
だけど……今は、そんな事はない。
様々な表情を僕に見せてくれている。
それだけ心を許してくれたのだろうか?
僕が手を伸ばすと、ミシェルが手を乗せた。
「エスコート、してくれる?」
「うん……勿論だよ」
柔らかな指が、僕の手に絡まる。
力を込めれば折れてしまいそうな、華奢な指だ。
こんな手で人の命を……奪えるのだろうか?
やっぱり、昨日の記憶は間違いで──
僕の見た幻覚で──
「ピーター?」
逃避していた現実に、引き戻された。
「ごめん、その……綺麗で」
「……何が?」
「君の、指が……」
……口にして、後悔した。
これじゃあ、まるで変態みたいだ。
だけど、ミシェルの見せた表情は軽蔑じゃなくて、不思議そうな顔だった。
「毎日、見てるのに……」
そう言いつつも、僕の手を振り解かず、そのままタクシーから降りた。
運転手の人にお礼を言うと、走り去った。
その様子を見たミシェルが、微笑んだ。
僕は首を傾げる。
「えっと……何か、おかしかったかな?」
「ううん、何でもない」
僕は困惑しつつ、彼女の手を引く。
受付で参加者リストにチェックを入れる。
……受付の人は別学年の生徒会役員だ。
僕とミシェルに面識がないからか、ミシェルを見て驚いて……隣にいる僕を見て少し眉を顰めた。
きっと、「何でこんな奴が」なんて思われてるんだろうな。
受付から離れて、ミシェルと一緒に廊下を歩く。
いつもの校舎だけど、今日は凄く飾られていた。
ミシェルの方を見ると……少し、口を尖らせていた。
何か、僕は間違えたのだろうか?
「あの、ミシェル?どうかした?」
思わず、彼女に訊いてしまった。
ミシェルは僕の言葉を聞いて、慌てて手で口を隠した。
「さっきの人、ちょっと態度が悪かったから」
「……そうかな?」
あんな表情をされるのは、初めてじゃない。
仕方のない話だと思っていた。
「……うん」
「でも何と言うか……僕だから仕方ないって言うか、えっと──
「そんな事ない」
僕が言い訳染みた事を言っていると、ミシェルが首を振った。
ミシェルが口を開いた。
「ピーターが馬鹿にされたら、私は悲しい」
「……そう、なんだ」
「うん」
彼女が絡めていた手に、少し力が込められた。
僕は顔が上気する。
彼女は僕を肯定してくれる。
僕を心の底から、褒めてくれる。
……でも、だけど。
これが演技なのだとしたら?
彼女はただ、僕の好感度を稼ぐためだけに──
「また、考え事してる」
そう、彼女が口にした。
「あ、えっと──
「今日は何も考えないで……何も考えなくて良いから……」
「……うん」
「私の事だけを、見て」
それは初めて彼女が口にした我儘だった。
独占欲のようなものが滲み出ていて……だけど、忌避するような感情じゃない。
僕には少し心地良くて、嬉しかった。
「うん、ミシェル……分かったよ」
「……ありがとう」
そう言って微笑む姿は、どこか儚い。
手を繋いだまま、廊下を歩く。
いつも使っているロッカーの前を通る。
僕達が授業でよく使っている教室の前を通る。
◇◆◇
大きな体育館の床には絨毯が敷き詰められていて、小さな机が手前に並べられていた。
机の上には軽食があって……ミシェルがチョコチップの入ったクッキーに手を伸ばしていた。
奥の方では卒業年次の生徒が集まって、思い思いに踊っている。
僕はよく分からないけど、最近流行っているポップな歌が流れていた。
「……ミシェルも踊りたい?」
正直、僕は行きたくない。
何だか恥ずかしい気がしていたからだ。
「……私も良いかな。見てるだけで楽しいから」
二人で壁の隅で、立っていた。
軽食を紙の皿に乗せて、二人で踊っている生徒達を見ていた。
「……食べる?」
ミシェルがクッキーを手に持ち、僕へ向けた。
……お腹は減ってないけれど、確かに何か口に含みたい気分だった。
「あぁ、じゃあ貰うよ」
そう言って手を伸ばそうとして……ミシェルはクッキーをそのまま僕へ近づけた。
そして、僕の唇にクッキーが触れた。
「あ、あの、ミシェル?」
「口を開けないと、食べられない」
観念して口を開けると、クッキーを放り込まれた。
……彼女の指が、僕の唇に触れた。
「美味しい?」
そう聞かれても、味が分からない。
心拍数はきっと凄まじい事になっている。
だけど、平静を取り繕って頷いた。
「うん、美味しいよ」
「良かった」
ミシェルも頷いて、手元のクッキーに手を伸ばした。
そのまま掴んで、口に含んで……指についた砂糖を舐めた。
平常心を保つために、深く息を吐いた。
そんな様子の僕を見て、ミシェルはバツの悪そうな顔をした。
「……意地汚かったかも」
そう言って、ウェットティッシュで自分の手を拭った。
そんな事はない、とは流石に言えなくて……僕は苦笑いしつつ、話題を変える事にした。
「ミシェルは甘いもの、好きだよね」
「うん……中毒かも知れない」
いつもケーキや焼き菓子を食べている。
……だけど、腰回りを見ると凄く細い。
何故か彼女は太らない。
グウェンがぐちぐち言っていたのを思い出した。
この話題は女性にとって
口を噤む。
気の利いた話が出来なくて、少し恥ずかしくなる。
だけどミシェルは気にせず、時折、僕に話しかけてくれる。
……そうして二人で穏やかな時間を過ごしていると、誰かが僕らに近付いて来た。
フラッシュだ。
無言で僕に近付いて来て──
「え、えっと……何か用かな?」
思わず、ミシェルを庇うように立った。
……まぁ、フラッシュが彼女を傷付けるような事はしないと思うけど。
少しの間、フラッシュに睨まれて……突如、彼は涙を流した。
「「……え?」」
僕とミシェルは互いに顔を向け合って、首を傾げる。
手を、握られた。
ゴツゴツとした男らしい手だ。
うえっ。
「……絶対に幸せにしろよ……」
フラッシュが感極まった声で、震わせながらそう言った。
「い、言われなくても」
ミシェルの事を言っているのは分かっていた。
だから、頷く。
そんな僕の様子に強く頷き、フラッシュはまた離れていった。
離れた先には女の子がいて……アレは、リズっていう名前の同級生だ。
二人は寄り添いながら、喧騒の中に入っていった。
「ピーター、変なことされなかった?」
ミシェルがそう心配して、声を掛けてくれる。
「はは……変は変だけど……フラッシュは悪い人じゃないよ」
そう言うと、ミシェルが眉を顰めた。
「……許せるの?」
きっと彼女は……僕の事を虐めていた彼を許せないだろう。
だから、今……フラッシュが善人のような振る舞いをしているとしても、嫌いなのだろう。
「許せるよ」
「……どうして?」
分からなさそうな顔をするミシェルに、僕は頷いた。
「僕にとって……昔がどうだったとしても……今が一番、大切なんだ。フラッシュは改心した、だからもう嫌う理由なんてないんだ」
そう言うと……ミシェルの目が揺れた。
視線が横に逸れた。
「そっか……凄い」
「凄い?」
「……人の事を許せるのは、凄く優しいから。普通はそうじゃないから」
そう褒められて、僕は頬を掻きつつ……壁にもたれ掛かった。
ミシェルも僕のすぐ側にもたれ掛かって……二人で踊っている人達を見た。
別に凄い事じゃない……そう思ったけれど、彼女の価値観を否定したくはなかった。
騒がしい喧騒の外で、僕達は穏やかな時間を過ごしていた。
ゆっくりと日は沈み、夜へと足を進めていく。
◇◆◇
そうして、プロムは終了した。
体育館から追い出されて、生徒たちは校門へと向かう。
各々、車を呼んで……男は女の子を家までエスコートする。
免許を持っている生徒は、自分の車で送って行くのだろう。
「あ……」
僕はスマホで予約していたタクシーの時間を、大幅に遅れている事に気付いた。
時間が過ぎてキャンセルされてしまっている。
だから、タクシーは来ない。
僕の失態だ。
「……あの、ミシェル?」
眉を下げて、ミシェルを見る。
最後の最後でヘマをしてしまった。
……本当に情けない。
ミシェルは少し不思議そうな顔をして……何かに納得して、頷いた。
「……ピーター、歩いて帰ろう?」
「ごめん、ミシェル」
「ふふ、丁度……涼しい風に当たりたかったから」
ミシェルが僕の手を引いて、校門を出た。
夜のニューヨークは、いつも彼女と見ている景色と少し違う。
電飾が街を照らしているけど、人混みは少なくなって行く。
何度も何度も通った道を、歩く。
毎朝、僕と彼女……二人で歩いて来た道だ。
空を見れば、月が見えていた。
排気ガスで空が汚れているニューヨークでも、月は綺麗に見える。
メインストリートを離れれば、人の気配はなくなった。
「……ピーター」
ミシェルが、手を握ったまま……僕へ顔を向けた。
その顔は……少し、恥ずかしそうにしていた。
「今日はありがとう。楽しかった」
「……僕も楽しかったよ」
彼女の顔を月が照らしていた。
目を逸らす事なく、僕の目を見つめていた。
……気恥ずかしくても、僕も目を逸らさない。
「……私、ピーターに良くして貰ってばかり」
「そんな事ないよ……ミシェルだって」
僕がそう言うと、ミシェルが目を閉じた。
息を吐いて……目を開いた。
「ピーター、私、お返ししたい」
「お返し?」
何をしてくれるのかと、僕は頬を緩めて──
「ピーターのして欲しい事、何でもしてあげる」
そう、口にした。
思わず僕の口から息が漏れた。
何を言ってるのか分からなくて、僕は黙ってしまった。
そんな僕の様子を無視して、ミシェルは言葉を繋げる。
「何でも良い……ピーターが望むなら……私のこと、好きにして良い」
心臓が跳ねて、彼女の事を直視出来なくなる。
何でも?
何でもって……そんなの。
「よ、よくないよ。ミシェル……そんな事を言ったら!僕だって男だし──
「良い。ピーターなら、良いから」
細く、白い指が絡まる。
僕を見る目が、熱っぽくなる。
吐息を感じる。
「何でも、してあげる」
幾つも、彼女にしたい事が……違う。
僕は、僕は──
「僕に──
「うん」
「僕に、君を助けさせて欲しい」
手を強く、握り返した。
「ピーター?」
「僕は頼りないかも知れない……だけど、絶対に君を助けるから」
「……ピーター」
「君を取り巻く全てを、僕が……僕が取り除くから……!」
「…………」
「ミシェル、僕は……僕は君を、助けたいんだ……!」
ミシェルはレッドキャップだ。
僕達に嘘を吐いて、人殺しをしている。
だけど……ミシェル・ジェーンは嘘なんかじゃない。
ここに居る。
握った手の温かさは、ここにある。
彼女が何故、あんな事をしているかは分からない。
だけど、望んでやっている訳ではない事は分かる。
彼女を縛り付ける鎖が、彼女を苦しめているのだとしたら。
僕は。
僕は……!
「君を、助けさせて……お願い、だから……」
「…………」
ミシェルは顔を下に逸らした。
……どんな顔をしているのか、分からない。
月明かりも、街灯も、彼女の顔を見せてはくれない。
少しして、彼女が口を開いた。
「どうして、そこまでしてくれるの……?」
不安そうで、困惑した声だった。
「……僕が君を好きだからだよ」
「まだ、好きでいてくれるの?」
握った手が震えた。
「例え、どんな事があっても……僕は君の事が好きだ。大切なんだ……それは変わらない。絶対に」
「……そう」
顔が上がった。
……眉は顰めていた。
怒っているような表情だった。
だけど、泣いていた。
口角は上がっていた。
チグハグだった。
切り刻まれて、無理やりつなげられたかのような表情。
「……ミシェル──
「その気持ちは嬉しい。だけど──
ミシェルが首を振った。
涙が頬を伝った。
「その気持ちには応えられない」
足元が崩れるような、幻覚を見た。
「……あ、あぁ」
胸が締め付けられる。
どうすればいい?
どうすれば、彼女を救える?
僕は、どうしたらいい?
「ピーター……今日は、ありがとう」
「ミシェル、僕はっ──
「今日の思い出は、絶対に忘れないから」
手を離されて──
正面から、抱きしめられた。
「……あ」
「ピーター、ありがとう」
柔らかな感触。
甘い匂い。
綺麗な顔が、僕に近付いた。
コバルトブルーの瞳は、僕を映していた。
柔らかな感触が唇に重なった。
少しの間、重なったままで。
離れ際に吐息が、僕にかかった。
緊張と驚きで息が出来なくて……それで、そして。
「いっ……」
背中に、何かが刺さった。
痛みがあった。
「あ……え……?」
意識が朦朧とする。
……背中に刺さったのは針のような細い金属。
尻餅をつく。
僕はボヤける視界でミシェルを見上げた。
その手には何かが握られていた。
多分、きっと……注射器か何かだ。
毒……?
目が霞む。
苦しくはない……だけど、気を張っていなければ意識を失いそうだ。
そして僕を見下ろしたまま、口を開いた。
「さようなら、ピーター」
それは別れの言葉だった。
初めて聞く言葉だ。
だって、いつも「またね」とか、そう言って……明日も会えるから、と、彼女は。
なんで、なんでっ。
僕を……殺す、つもりなのだろうか?
彼女の事を大切だと思っていた。
だけど、彼女は僕の事を……好きでも何でも無かった……のだろうか?
薄れゆく意識の中で、ミシェルの顔を見る。
泣いていた。
悲しそうに、辛そうに。
……僕は力を振り絞って、息を吸う。
そして、口を開く。
「泣か、ない、で……」
ミシェルが泣いていると、僕も悲しくなる。
だから助けたいと思った。
彼女に降りかかる全ての災厄を跳ね除けたいと思った。
それが僕に与えられた力だと思った。
「ぁ……ぅ……」
ミシェルが何か話した。
だけど、聞き取れなかった。
僕は力なく、地面に倒れて……意識を失った。
◇◆◇
「ミシェルっ──
僕は布団を蹴飛ばした。
……天井。
いつも見ている天井と同じだ。
周りを見る。
僕の部屋だ。
窓の外を見る。
壁に遮られて景色は見えないけれど、太陽が登っているのは分かった。
息を荒らげながら立ち上がる。
机の上にある電子時計を見る。
日付は……プロムの翌日になっていた。
土曜日、今日は学校も休みだ。
自分の体を見下ろす。
……カジュアルなスーツ姿のままだ。
あれは、夢じゃなかった。
現実だった。
僕はスーツを脱ぎ捨てて、身軽な格好をする。
部屋の鍵を手に取り、急いで外に出る。
隣の部屋を叩く。
「……居ない」
やっぱり、居ない。
そもそも一昨日から帰ってきて居ないのだろう。
脳が沈静化されて、頭が回ってくる。
どうして、どうして僕は生きているんだろう?
ミシェルが僕に突き刺した毒は何だったんだ?
……体に不調はない。
睡眠薬、だったのだろうか。
手元のスマホを開き、時間を見る。
まだ、朝だ。
10時間近く眠らされていたようだ。
僕はそのまま階段を降りて、アパートから出る。
足は止まらない。
少し、早足のまま……僕は呼吸を乱していた。
周りの人から、変な目で見られている。
だけど、そんな事を気にしない。
僕は周りを見渡しながら進む。
いつも、いつも通ってきた道を進む。
探す、探す、探す……居ない。
どこにも、居ない。
僕は泣きそうになりながら走って……デルマーさんのサンドイッチ屋の前に付いていた。
僕はここで、初めて彼女と出会ったんだ。
僕の名前に興味を示して……あぁ、あの時から、彼女は僕の事を知っていたのだろう。
知っていて、取り入ろうとしたのだろうか?
いや、違う。
最初はどうだったとしても、彼女は僕の事を思い遣ってくれていた。
グウェンと、ネッドと、ハリーと……打算なく、友人でいた。
……そうだよ。
グウェンがゴブリンに攫われた時に助けたのは、レッドキャップだ。
ハリーが廃ビルから落ちた時に助けたのも、レッドキャップだ。
彼女は何故か、ああせざるを得ない状況にいて……それでも、彼等を助けた。
彼女の優しさは本物なんだ。
友情も、親愛も、恋心だって……全部、全部、本物だ。
どうして疑ってしまっていたんだ!
僕は、馬鹿だ。
僕は荒い呼吸を整えて、サンドイッチ屋のドアを見た。
張り紙……緊急、閉店?
視線をズラす……サンドイッチ屋のある建物と、別の建物の間に人集りが出来ていた。
僕はそちらに向かって、ふらふらと近付く。
暗い路地裏に、何故か人が集まっている。
「何か、あったんですか……?」
僕は周りにいた、一人の男性に声を掛けた。
「ん?何でも事件があったらしいぞ。死人が出たとか」
「あ……」
僕は野次馬を押し退けて、その間に入り込む。
見るな、見ない方が良い、見るな、見るな、見るな。
「ちょ、おい!君!」
警官を押し退けて、振り解き……奥へ進む。
声が聞こえる、僕を咎める警官の声。
だけど、その、光景を見た瞬間。
全てがどうでも良くなった。
顔が、腕が、足が、胴が、全て、バラバラになっていた。
砕けたパズルのピースのように……二度と、繋がる事はない。
ミシェルの顔が、僕を見ていた。
ガラスの玉のような目が、僕を、見て、いっ──
「お、ぐ、おぇ……うぇえ……」
吐いた。
地面に、溢れた。
僕の心が、彼女への愛が、友情が、全部、全部、溢れた。
警官に腕を掴まれて、引っ張られる。
僕は、信じたくない景色を見た。
バラバラになってしまったミシェルが、そこに散らばっていた。