【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話   作:WhatSoon

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#94 レスト・イン・ピース part1

雨が降っていた。

 

傘もささず、ただ立ち尽くす。

真っ黒なスーツ……喪服が濡れる事すら、気にする余裕はない。

 

雨か涙か、混ざり合った水滴が頬を伝う。

 

曇天は僕の心と同じ。

薄暗く、先も見えない。

 

 

真っ黒なリムジンから、棺が運び出される。

あの中に……彼女はいる。

死体は凄惨な様子で……体の一部も紛失していたらしい。

 

あの後、彼女とは顔を合わせる事もなく……棺へと詰められて……。

 

 

「ぅ、う……」

 

 

僕はまた、悲しくなって……自身の不甲斐なさに苛立って、苦しくて……。

 

 

辺りにいる人だってそうだ。

グウェンも信じられないと言った顔で立ち尽くしている。

フラッシュは声を上げて泣いている。

ハリーも俯いていて……ネッドは……まだ入院しているけど、きっとここにいれば……同じく。

 

集まっているのは学内の友人と、教師。

……彼女の家族は居なかった。

そもそも、居ないのかも知れない……彼女は、家族の事を語った事は一度も無かったから。

 

 

運び出された棺が、プレートの前に掘られた穴へ降ろされる。

 

土を、かける。

埋められていく。

 

 

僕は……この葬式をやめて欲しいと思った。

 

 

埋葬してしまったら……本当に、彼女は死んでしまったのだと……自覚しなければならない。

信じたくない。

だけど……目を閉じたら、網膜に焼き付いていたのはバラバラになってしまった彼女の姿だ。

 

目を開いて、現実を見る。

こちらの方が幾分かマシだ。

 

プレートには、『ミシェル・ジェーン』という名前が刻まれていた。

もう、その名で呼べる人は居ない。

 

目を閉じれば……彼女の笑顔が浮かぶ。

拳を握れば……触れた感触を思い出した。

声も、笑顔も、温かさも……時が薄れさせていく。

 

話したい事があった。

知りたい事があった。

知って欲しかった事があった。

行きたい場所も、やりたい事も。

 

 

だけど、もう二度と叶わない。

 

 

損失感が、心を乱す。

……僕が、僕がもっと……。

 

ミシェルが秘密を持っていたのは、知っていた。

なのに、傷付けたくなくて……いや、違う。

僕は『嫌われる事を恐れて』……見なかったフリをしたんだ。

無理にでも聞き出すべきだった。

 

彼女が死んだのは……殺されたのは……きっと、僕が彼女の正体を暴いたからだ。

ミシェル……レッドキャップが、何かの組織に参加しているのは何となく分かっている。

そして、その組織のせいで望まぬ殺しをしているのだろうと、推測している。

 

そして、それはきっと正解だ。

 

彼女の罪悪感は本物だった。

涙も苦しみも……僕の知らない彼女の一面。

だけど、やらざるを得ない……それはきっと、逆らえば『何か』を失うからだろう。

 

……例えば、命、とか。

 

僕が彼女の正体を暴いた所為で、組織に殺されたのだとしたら。

 

 

 

それは──

 

 

 

僕の責任だ。

 

 

 

雨が降り続けている。

……雨は嫌いだ。

 

 

大いなる力には、大いなる責任が伴う。

 

力を持つ者は……責任を果たさなければならない。

僕なら、彼女を救えた筈だ。

 

なのに、間違えた。

遅かった。

逃げていたんだ。

彼女の事を知ったふりをして、知らずにいた。

 

ベン叔父さんが死んだ時に、僕は……もう、二度と……この手が届く中で誰も殺させないと、誓ったのに。

 

土を、かけられる。

 

土を、土を。

 

やがて、棺は見えなくなって……埋葬は完了した。

 

愛しい記憶と共に。

土の下へ、深く、眠る。

 

 

膝に力が入らなくなって、崩れ落ちる。

 

 

「く……ぅ、あぁ……」

 

 

土がスーツにつく……指で地面を抉る。

水を含んで泥になっている……爪の間を汚す。

 

 

「あ……あぁ……あぁあ……」

 

 

言葉にならない慟哭が、口から漏れる。

声は雨音にかき消され、涙は雨と共に流れ落ちる。

 

喉が苦しくなっても、声を振り絞る。

 

この心にある悲しみも、自分への怒りも、全て……全て、吐き出すように。

 

僕は無力だ。

好きな女の子、一人すら守れない。

 

親愛なる隣人?

スーパーヒーロー?

 

違う、僕はただの……惨めな、一人の……子供(ガキ)に過ぎない。

 

蹲る。

 

 

「……うぅ……ぐぅ、う……」

 

 

冷たい雨水が首元に染みる。

 

このまま、僕は……静かに、冷たくなって……動けなくなっても良いと、そう思った。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

私は手元のスマホを開く。

彼女と共に撮った写真が、カメラロールに並んでいる。

 

目を閉じれば……私を呼ぶ声が聞こえるような気がした。

 

『グウェン、これ……美味しそう』

 

『ここ、また一緒に行きたい』

 

『この服は似合わない、かも……』

 

『グウェン……!』

 

『グウェン』

 

……目を開いて、スマホを閉じる。

今はまだ、この写真達を直視できない。

失った物は大きく、辛過ぎる。

 

私は雨に濡れた地面に、靴を擦った。

キュッと音が鳴った。

 

ここは教会……埋葬の後、こちらに戻って来た。

机の上に並べられたケータリングは誰も手を付けていなかった。

 

白い生クリームの乗ったスポンジケーキを見て……皿へ、無意識に乗せてしまった。

食べさせてあげる相手が居ない事を思い出して、虚しくなった。

 

食欲は湧かなかった。

だけど、戻すのも悪いと思って口に入れる。

ただただ甘かった。

 

あまり、好きな味ではない。

だけど、今……私の心の中は苦く、酸っぱい。

丁度良いと、感じた。

 

広い部屋には他にも何人か居て……ミシェルの事を想っている。

誰も彼も、受け止められていないように見えた。

 

 

そして。

 

特に。

 

彼は。

 

 

私は部屋の隅で壁に背を任せて、放心しているピーターを見た。

彼は、重症だ。

 

 

……ミシェルは通り魔に殺されたのだと、私は聞いている。

そして、この中で現場を見たのはピーターだけだ。

 

遺体がどんな様子だったかは知らない。

教えてくれなかったからだ。

 

だから、逆に……教えたくないと思えるほど……酷い様子だったのだろう。

 

私は同情していた。

 

 

横に擦り寄り、並ぶ。

 

声は掛けない。

ただ、横に並ぶだけだ。

 

何も言わない。

この辛さを分かち合い、理解し合う。

それだけだ。

 

 

ピーターが私の顔を一瞥し……涙を零した。

 

 

身近な人を失う悲しみに、きっと慣れる事はないだろう。

母が死んだ時も、父が殺された時も……そして、今も。

 

平然としている事は出来ない。

 

 

……殺されてしまった彼女を想う。

苦しかったのだろうか、辛かったのだろうか。

 

心の奥底が熱くなる。

拳を握りしめる。

 

 

失った物を数えて、残った物を感じて、私達は生きて行かなければならない。

 

それが生きている人間に任された、義務だから。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

僕は自分の住んでいるアパートへと戻っていた。

入口を抜けて、廊下を歩く。

 

濡れたスーツのまま、ただ歩いている。

 

ここ数日の記憶は曖昧だ。

彼女が死んでから、僕の心は色褪せている。

 

あんなにも彩られていた日常は、今、もう……モノクロにしか感じられない。

毎朝の営みも、彼女と歩んだ道も、会話も、全て。

 

これ以上、増える事はない。

いずれ忘れていき、色褪せていくだけだ。

 

 

「ちょっと、アンタ」

 

 

誰か……アパートの管理人だ。

僕が振り返ると、管理人は少しギョッとした顔をした。

……それだけ酷い顔をしているのだろうか。

 

 

「そこの部屋の片付けは、いつ終わるんだい?アンタ、そこの娘と仲が良かっただろう?」

 

「あ、えっと……」

 

「部屋が片付かないと、新しい住人を入れる事だって出来ないんだから」

 

 

彼女に家族は居ない。

葬式の費用だって……僕らで折半したぐらいだ。

 

だから、部屋を片付ける人だって居ない。

 

 

「……僕が、片付けますよ」

 

「あぁ、そうかい。鍵を渡しておくから……週末までには片付けてくれよ」

 

「……はい、ありがとうございます」

 

 

僕の手に、彼女の部屋の鍵が渡された。

僕は握りしめて、管理人へ頭を下げた。

 

降り続ける雨音を聞きながら、僕は部屋へ入った。

 

喪服を脱ぎ捨てて、シャワーを浴びる。

このまま全て、悲しみも流してしまいたい。

 

……コインランドリーに最後に行ったのは一週間以上前だ。

普段は使わないタオルで顔を拭き、普段は着ない服を着る。

 

更衣室から出て、喪服をビニール袋に入れた。

……明日にはクリーニングに出そう。

 

荷物を机に置いて──

 

机に置かれていた腕時計……スパイダーマンのスーツが転がり落ちた。

 

 

「あ──

 

 

ゴミ箱の中に入り、からからと音を立てた。

それは静かな部屋に響いて、酷く虚しく感じた。

 

……何故か今は。

手を伸ばして、腕時計型のスーツを手に取る事が出来なかった。

 

 

僕は自惚れていた。

この授けられた力さえあれば、誰だって助けられると思っていた。

 

だけど、それは誤りだ。

 

本当に僕は……人助けがしたくてスパイダーマンをしていたのか?

 

 

脳裏に焼き付いているのは、怒りに身を任せて……彼女を打ちのめした時の光景だ。

 

 

勝利の喜び、悪を打ちのめす快感。

誰かに認められたいという承認欲求。

 

それを求めていただけじゃないのか?

 

人助けをする事で、自分を慰めているのだろう?

 

 

責任を、履き違えていた。

僕は無責任な未熟者だ。

 

スーツを拾えない。

 

スーツを着る資格がない。

 

 

この力は呪いだ。

僕がどれだけ必死に戦おうとも、代償を払うのはいつだって……僕の周りにいる愛する人達だ。

 

 

……目を閉じる。

息を深く吐いて、踵を返す。

 

 

 

部屋を出て、隣室の鍵を開ける。

 

 

 

数日前に見た部屋と同じだ。

僕は自室から持ってきた段ボールを組み立てる。

 

本棚に並べられた本を見る。

よく見ると埃をかぶっている。

 

古臭い伝記や、お伽噺が書かれた本を段ボールに詰め込んでいく。

……一つ、埃のついていない本を見つけた。

 

 

「……ネッドから借りた本じゃないか」

 

 

少し前、ネッドがミシェルに貸したコミックだ。

僕は手を伸ばして、それを手に取る。

 

……これは、ネッドに返さないとな。

 

ベッドの上に本を置く。

丁寧にベッドメイキングされている。

 

二度と帰ってこない部屋の主を待っているかのようだ。

 

……考えていると、何でもネガティブに考えてしまう。

やめよう。

 

本棚の本を詰め終わり、机の上にあるスクラップブックを見た。

手に取り……捲る。

 

スーツを着た僕の写真だ。

スパイダーマンの写真。

 

……どうして、彼女はこんな物を作っていたのだろう?

僕を殺すつもりではないのだとしたら、どうして僕を調べていたんだ?

 

 

『だって、私……スパイダーマンのファン、だから』

 

 

……あぁ、そっか。

あれが本心だったんだ。

 

彼女は僕の……スパイダーマンの事が好きだったんだ。

 

 

『もっと、身近な……小さい所で……見返りもなく……言葉にし難いけど、そういう所が好き』

 

 

そんな、好かれるような……人間じゃないのに。

 

スクラップブックを捲る。

詳しく書かれていた情報も、貼り付けられた新聞の記事も……好意からだと分かれば。

 

暗殺者の作っていた物騒な資料なんかには、もう見えない。

思春期の少女が作った……好きの詰まった手製の本だ。

 

 

スクラップブックをベッドに置く。

捨てたくない、そう思った。

 

勝手に読んで、彼女には申し訳ないけど。

きっと、この事が知られたら赤面して……怒られると思うけど。

彼女は優しいから、何だかんだ怒っても許してくれると思うけど。

 

だけど。

 

 

もう、居ない。

 

 

僕は彼女の机に手を乗せる。

そして、引き出しを引き……その軽さに驚いた。

 

中に入っていたのは一枚の封筒だけだ。

他には何も入っていない。

 

僕はそれを手に取る。

表には何も書かれていない。

 

裏返すと──

 

 

『ピーター・パーカーへ』

 

 

綺麗な彼女の文字が見えた。

目を見開く。

 

僕は引き出しをしめて、椅子に座る。

 

意を決して、机の上のペーパーナイフで封筒を開ける。

 

中に入っていたのは折り畳まれた一枚の紙だ。

 

 

それを開けば……文字が書いてあった。

僕宛の手紙だ。

 

 

目を、向ける。

 

 

──────────

ピーターへ

 

貴方に沢山の迷惑を掛けました。

嘘も沢山吐きました。

 

どれだけ謝罪を重ねても、許される事だとは思っていません。

──────────

 

 

「……許すよ、僕は」

 

 

手紙からは、後めたさ……罪悪感が感じ取られた。

 

 

──────────

私は貴方が憎むべき悪人です。

好かれるような善人ではありません。

 

貴方の好意を踏み躙っていました。

──────────

 

 

思わず、息を深く吐いた。

 

違う。

 

君にどんな一面があったとしても、僕は彼女の事が好きだった。

今も変わらない。

 

 

──────────

優しい貴方なので、私の死に悲しんでくれていると思います。

落ち込んでいると思います。

 

ですが、どうか嘆かないで下さい。

──────────

 

 

思わず、唇を噛んだ。

痛みで、この悲しみを上書きしたかった。

 

 

──────────

私の存在は、貴方の人生における躓きでしかありません。

 

これからの人生における小さな障害です。

──────────

 

 

眉を顰めた。

 

ミシェルは……分かっているように見えて、何も分かっていない。

僕にとって彼女がどれだけ大きな存在であったかを。

 

 

──────────

どうか、忘れて下さい。

私の事を忘れて、良き人を見つけて下さい。

──────────

 

 

だから、こんな事が書けるんだ。

書けてしまえるんだ。

 

 

──────────

どうか、私を踏み越えて下さい。

私の事を踏み越えて、置き去りにして下さい。

──────────

 

 

……僕は、彼女に自分自身を好きになって欲しかった。

だけど、彼女は……。

 

 

──────────

どうか、輝き続けて下さい。

貴方は私にとって、希望の光です。

──────────

 

 

僕は泣いていた。

……彼女が自分の事を好きになれなかった事実に。

 

悲しくて、悲しくて、悲しくて。

 

自分の不甲斐なさが許せなくて。

 

 

──────────

本当に今まで、ありがとうございました。

 

そして、

私は貴方のことが、好きでした。

さようなら。

 

ミシェル・ジェーンより

──────────

 

 

息を殺して、泣いた。

手紙を握り締めて、僕は泣いた。

 

 

「……ミシェル、僕は」

 

 

涙が止まらない。

僕は彼女に、報いる事が出来なかった。

 

嗚咽が漏れる。

 

 

「僕は……ただ、君に……幸せになって欲しかった、だけなのに……」

 

 

もう、立ち上がれない。

心が折れた。

 

支えるべき足を失って、へたり込む。

 

 

僕は、僕と──

 

 

ただ、君と──

 

 

一緒に──

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ブルックリン。

時計の修理屋……『フィックス・イット』。

 

そのドアには今日、『CLOSED』の看板がぶら下がっていた。

 

一見すると小さく古臭い時計屋でしかない。

だが、小さな部屋に見せかけたエレベーターがあり……地下には大きな工房がある。

 

近未来的な……いや、事実、近未来の技術で作られた工房。

 

そこで、僕は机に座っていた。

いつものマスクを被り……ティンカラーとして。

 

 

僕は肘を背もたれに乗せて、足で地面を蹴る。

くるりと椅子が回った。

視界の先には薄暗い部屋の隅。

 

 

『これで、本当に良かったのかい?』

 

 

僕はそう、問いかける。

何も返っては来ない。

 

 

『正直に言うとね、僕は今でも納得してないよ』

 

 

僕はそう言い切る。

 

 

『葬式に行ってきたよ。参加はしていない……だけどね、泣いていたよ』

 

 

手元にあるスパナを撫でる。

 

 

『特に……スパイダーマン、彼は辛そうにしていた』

 

「何が言いたい?」

 

 

返ってきた言葉に、僕は頬を緩める。

挑発紛いな事をしても、言葉を引き出したかった。

 

 

『あれは折れてしまった者の顔だった……彼の事は大切だったんだろう?あぁなってしまっては、再起不能だ』

 

 

網膜の下には嗚咽を漏らす……ティーンエイジャーのまだ子供の顔が思い出せた。

 

……あの顔は見た事がある。

そう、鏡に映った僕の顔だ。

立ち上がれない……下へ下へ、降っていくだけの顔だ。

 

暗闇へ、光から離れて、薄暗い地の底へと落ちていく顔だ。

折れた心はそう簡単に治りはしない。

歪に歪んだままだ。

 

 

「そんな事はない。彼は必ず立ち上がる」

 

 

だけど、返ってきた言葉は否定の言葉だ。

 

 

『……言い切るのかい?』

 

「あぁ」

 

『随分と信頼しているね……君の事を助けられなかったのに』

 

「……あぁ、そうだとしても」

 

 

薄暗い部屋の隅から、立ち上がり……僕の前へ近付いてくる。

 

 

「彼は私の憧れ(スパイダーマン)だ。どんな逆境からでも、どんなに苦しんでも……必ず立ち上がる」

 

『……そうかな?』

 

「そうだ。だから、私は憧れた。だから、私は彼を……」

 

 

顔を下げて、話すのをやめた。

僕は息を深く吐いた。

 

そんな様子の僕を見て、彼女が口を開いた。

 

 

「感謝はしている、ティンカラー」

 

『……もう二度と、あんな事はしたくないけどね』

 

 

彼女の……姿を模した有機体『LMD(ライフ・モデル・デコイ)』を切り刻んだのは僕だ。

LMDを死体として偽装しようと考えた時、右腕を彼女へと移植した事が障害(ネック)になった。

 

右腕のない死体……彼女の右腕は『S.H.I.E.L.D.』に回収されている。

真相に気付くには遅れるだろうが、勘繰られても面倒だ。

 

だから、切り刻んだ。

損失しているのが右腕だけではないなら、不可解に思えても結び付き難いだろう。

発想の転換だ。

 

しかし……そう、その工程は僕の精神に深くダメージを与えていた。

表には出さないけれど……作業中に嘔吐しそうになった程に。

 

彼女の腕を繋ぐ医療目的とは違う……ただ亡骸を辱めるだけの行いだ。

例え、その亡骸が本物ではなかったとしても……気分が悪い。

 

 

「……これから、私はどうなる?」

 

『そりゃあ、組織の本部に戻ってお説教だろうね』

 

「そうか」

 

 

お説教……なんて軽い言葉を使っているが、実際はもっと──

 

頭を振る。

脳裏に浮かんだ光景は振り払う。

 

 

『……どうにか回避する方法は探したかったけれど』

 

「いや、良いんだ。そこまでして貰う義理はない」

 

 

……あるんだ。

僕には君を助けなきゃならない、理由が。

 

 

「だから──

 

 

だから、僕に──

 

 

「ありがとう、ティンカラー」

 

 

感謝なんて、しないで欲しい。

君がやっと手に入れた幸福すら奪ってしまう僕なんかに。

 

 

『……ごめん、少し席を外すよ。何か食べたい物はあるかい?』

 

「いや、構わない」

 

 

あれから、彼女は生きるのに必要な栄養素しか取得していない。

栄養のあるゼリーや、水しか飲んでいない。

 

死ぬつもりはないらしいが、それでも食事を楽しめる気分ではないのだろう。

いや、『楽しんではならない』と自戒しているのか。

 

僕は撫でていたスパナを机に戻し、部屋を出る。

 

 

静かな廊下に足音が鳴る。

小部屋から離れて、息を吐く。

 

 

……僕は手元にある小さなメモを開く。

そこに書いてあるのは電話番号だ。

 

僕は背を壁に任せて、仕事用ではない携帯端末を手に取る。

マスクを脱ぎ、地面へと捨てる。

 

そして、電話を掛けた。

 

 

「もしもし?」

 

 

きっと、僕は後悔しない。

 

 

「……誰だ?」

 

「嫌だなぁ、貴方がこの電話番号を渡したんじゃないですか」

 

 

例え、この身がどうなっても。

 

 

「君は──

 

「ニック・フューリー、貴方に話があるんだ」

 

 

報いる為ならば。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ひとしきり泣いて。

折れた心のまま、ゆっくりと立ち上がる。

 

電気も点けず、薄暗い部屋の中で僕は……立ち上がった。

 

ミシェル。

彼女のいた痕跡が残る、この部屋で。

 

片付けたくなんてない。

戻ってくる事はなくても、戻ってきても良いんだと、そう思っていたかった。

 

僕は壁に手をついて、咽せる。

……少し、休憩しよう。

 

部屋から出ようとして、段ボールを一瞥し──

 

 

何か、見過ごしている気がしていた。

ほんの少しの違和感、それが脳を過ぎる。

 

何か、忘れている気がする。

何かに、気付いていない気がする。

 

これは超感覚(スパイダーセンス)じゃない。

超能力(スパイダー)じゃなくて、人間(マン)としての部分が違和感を訴えている。

 

部屋を見渡す。

 

普段ならば見過ごしてしまうような、まぁ良いやと思えるような感覚。

ほんの少しのズレ、それを手繰り寄せる。

 

何だ?

何が『違う』?

 

部屋の中にある本棚。

ネッドから借りた本。

スクラップブック。

机に置かれたままの遺書。

 

……スクラップブック?

 

これは先日、彼女の正体を知った日に見た物と一緒だった。

 

じゃあ、何が気になる?

 

 

……机の上を見る。

 

 

無い。

 

 

あれが無い。

 

 

「僕達の、写真……」

 

 

誕生日会で撮った、僕と彼女、グウェンとネッドの写真。

それを飾る写真立てがない。

 

何故、ないんだ?

……誰が持っていったんだ?

 

持っていけたのは、僕が彼女の正体を知って、彼女が死ぬまでの間。

もしくは、葬式をしている間か。

 

 

誰が、何のために?

 

 

涙は引っ込んだ。

僕の脳裏にあるのは一筋の希望。

いや、願望だ。

 

 

「カーネイジとの戦いで、彼女は右腕を失っていた……だけど、数日後には治っていた」

 

 

理由は分からない。

ただ、分からなくても、こじ付けでも良い。

 

ミシェルが殺された凄惨な光景を思い出す。

その死体のカケラの中に、右腕はなかった。

 

 

「……アレが本物じゃないとしたら」

 

 

彼女の所属している組織は、大きく……凄い科学力を持っていた。

死体を偽装する事だって出来るのだとしたら。

 

 

「……生きてる」

 

 

そう、結論付けた。

 

 

「そう思いたいだけだとしても……」

 

 

その可能性があるのならば、僕は。

 

彼女の部屋から出て、自室へ戻る。

上着を脱ぎ捨てて、机の横のゴミ箱に手を伸ばす。

 

 

「……スタークさんには悪い事したな」

 

 

折角、僕のために作ってくれたのに。

 

腕時計型のスーツを手に取る。

そして、腕に巻く。

 

 

どんなに辛くても、悲しくても。

犠牲を払っても、大切な物を失ったとしても。

 

僕が何もしなかったせいで、誰かが傷付く事なんて……二度と、あってはならない。

 

 

大いなる力には、大いなる責任が伴う。

 

 

それはベン叔父さんから受け継いだ、僕の誓いだ。

 

立ち上がる。

迷いはあっても、何度挫けても。

 

僕は負けない。

最後に立ち上がって、必ず勝つんだ。

 

 

『貴方は私にとって、希望の光です』

 

 

だったら、助けなくちゃ。

 

終わってない。

僕の戦いも、彼女の苦しみも。

 

隣人が苦しんでいるのなら、この力を使って責任を全うする。

 

それが僕に課せられた運命。

例え、その力が僕を呪うとしても。

僕の人生をメチャクチャにするような物だったとしても。

 

 

僕は戦う。

戦わなければならない。

 

 

 

だから、それなら、なぜなら。

 

 

 

僕は──

 

 

 

親愛なる隣人、スパイダーマンだからだ。


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