【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話 作:WhatSoon
ニューヨークの地下迷路を走る。
ティンカラーが遺してくれた情報を頼りに……ミシェルを追う。
「はぁっ……ぜぇ、はぁ……」
息を切らした声が聞こえる。
でも、僕の声じゃない。
息を切らして疲労困憊なのは──
「ハーマン!遅いよ!」
「う、はぁっ、ぜぇっぜっ……お、オレは『ショッカー』だっつ、う、ゲホッ!」
思わず咳き込んで、ハーマンが足を止めた。
膝に手を突いて、呼吸を荒くしてる。
「オレがひ弱なんじゃねぇ……ゲホッ、てめぇ、てめぇがおかしいんだよ……はっ、はぁっ……やべぇ吐きそう」
僕は首を傾げる。
「そんなに長い距離を走ってないと思うけど……」
「十分、走ってるだろうが……アーマー着込んでて重いし、通気性悪ぃから暑ぃんだよ、クソが……」
……失念していた。
僕はスーパーパワーがあるから疲れないけど、ハーマンは……その、普通の人間だ。
この速度で走るのは無理だ。
……でも、だけど、ゆっくり歩くなんてのは無理だ。
急がないと……。
「…………」
少し悩んで、僕はハーマンの前に立った。
「あぁ?……クソ、先に行ってろ。間に合わせてや──
最後まで言う前に僕は膝を突いて、ハーマンに背を向けた。
「……あ?」
「ほら、ハーマン、早く」
僕が手招きすると気付いたようで……唸るような声が聞こえた。
嫌そうな素振りを見せながら……僕の手に足をかけて、背中から手を回した。
そう、ハーマンを背負った。
おんぶって奴だ。
「……なんでオレが」
「僕だって……好き好んでオッサンを背負いたくないよ」
そう言いながら立ち上がり、僕は走りだす。
「オッサン、だと!?まだ24だっつーの!」
「え!?全然そんなふうに見えないんだけど……」
薄暗いトンネルを、GPSの情報だけを頼りに突き進む。
「マ、マジでブッ殺してやる……!」
「う、わ!?悪かったって!」
ハーマンが後ろで喚くけど、僕は足を止めない。
僕も彼もミシェルを救いたい気持ちは同じだ。
互いに分かってるから、時間を無駄にするつもりはない。
だけど──
「てめぇとは絶対に仲良くなれねぇ……!」
僕も別に、仲良くしたいとは思わないけど。
「僕だって……別に仲良くするつもりはないよ」
グウェンを人質にとった事も……まだ謝って貰ってないし。
まぁ、でも……今だけは仲間だ。
走って、走って……地図に映る位置情報、ミシェルを示す赤いポイントが急激に離れていく事に気付いた。
速い……車か、何かに乗ったみたいだ。
追いつけない事はないけど、時間が掛かる。
赤いポイントは……ブルックリンと外へと繋がる大きな橋へと向かっている。
……ニューヨークから出るつもりだ。
僕は急ブレーキをかけて、足を止める。
「オ、オイ、どうした?」
「地下を走ってるだけじゃ間に合わない」
「じゃあ、どうすんだよ?」
僕に出来る……一番速い移動方法は──
「……一旦、地上に出よう」
「あ?あぁ……?」
よく分かってなさそうなハーマンを無視して、近くにあった出口と繋がってる梯子の下に付く。
ハーマンが一旦、僕の背中から降りようとしたのを止めて……ウェブシューターのカートリッジを切り替える。
カートリッジ2、ゴム
僕は全力で地面を蹴って飛び上がり、左右に
そのまま
「絶対に手を離さないでよ」
「あ?なんっ──
反動で飛び上がる。
それはスリングショットの要領で僕達を弾き飛ばし……一気に上昇する。
「づっ!?」
ハーマンが舌を噛んだようで変な声を出した。
無視してそのまま上昇し……地上の入り口を隠している蓋を破壊した。
それは……タイルだ。
薄緑色のタイルが砕ける音がした。
……ここは?
「て、めぇ……やるならやるって──
ハーマンも気付いたようで、押し黙った。
ここ……トイレだ。
大きなショッピングモールのトイレ。
時間が時間だから……非常灯だけが点いていて暗いけど……分かってしまった。
「……なぁんで、こんな所に繋がってんだ?」
「さぁ……?」
……何となく、気まずい。
僕はハーマンを降ろして、トイレの外……窓ガラスを開けた。
……外には大きなビルが立ち並んでいる。
それは、僕……スパイダーマンにとっては庭みたいなものだ。
窓ガラスの淵に足をかけて、外へと出る。
続いてハーマンも外に出る。
僕と一緒に、商業施設の駐車場を歩く。
「……オイ、何のつもりだ?」
「何って……走ってたら追いつくか分かんないから」
その言葉に、ハーマンの動きが一瞬止まった。
何かに気付いたようだ。
「……オレはそんな事できねぇぞ?」
「また僕の背中に乗ってれば良いよ」
「そういう問題じゃねぇよ……」
ハーマンは僕がやろうとしている事に気付いているようだ。
高層ビルが並ぶなら、僕の最も得意な移動方法が使える。
パシュン。
隣のビル壁に付いて……僕はハーマンへ振り返った。
腕を組んで、唸っていた。
「……いつも命綱もなしで飛んでんのか」
「いや、ほら……
僕が手元とビルを繋いでいる
そして、恐る恐るといった様子で近付いてくる。
「……アイツを助けるためだ、クソ、クソクソクソ」
小声で悪態を吐きながら、僕の背中に乗った。
「絶対に手を離さないでよ」
「……離したら、どうなるんだ?」
「そりゃあ──
僕は高さ数十メートルから落下するハーマンを想像した。
ハーマンも同じく想像したようで……背中越しに身震いしたのを感じた。
「い、いや、いい……言わなくていい……」
「OK……じゃあ、行くよ」
「い、いつでも来いや!」
恐怖を振り払おうとしてるハーマンを少し面白く感じながら、足で地面を蹴り……
一気に加速して、数メートル飛び上がる。
「いくよっ!」
僕はもう片方の腕で前方のビルに
宙へ飛び上がりながら、振り子のように勢いをつけて加速する。
「う、うわっ高ぇ……!」
ハーマンが離れて行く地面を見て、何か言っている。
「もう、大袈裟だなぁ……」
後ろで固まっているハーマンに声を掛ける。
「いざという時は地面に
シニスター・シックス、だったかを結成している時……ビルから着地するのに使ってた事を思い出した。
「自分で飛ぶのと、他人に飛ばされんのは別なんだよ!地面に腕を向けてねぇと、そもそも出来ねぇ!背中から落ちたらマジで死ぐぶっ!?」
……また舌を噛んだみたいだ。
苦笑いしつつ、僕は
壁を蹴り、
風を切って、すっかり暗くなってしまい灯りも少なくなったニューヨークを……僕は翔ける。
……時間が惜しい。
ショートカットをしつつ、滑るように飛ぶ。
……ハーマンが僕を掴む力が強まった。
あ、そんなに怖いんだ。
数分間、ニューヨークの空を舞って……僕は赤いポイントが進む先に先回りした。
橋に向かうなら……ここを絶対通る筈だ。
僕は少し小さめの雑居ビルの屋上に着地した。
そのままハーマンを降ろして──
「う、うぷ」
気持ち悪そうにしていた。
ウェブスイングはお気に召さなかったらしい。
「え?そんなに?」
「てめぇ、何でオレが悪いみたいな雰囲気にしてんだ……マジで乗り心地、最悪だったんだぞ」
苛立ったように僕へ文句を言う。
自覚がないので首を傾げる。
「うーん、夜風を切るのって気持ちいいと思うんだけど」
「……イカれてやがる」
ハーマンが引いたような様子を見せて、僕から一歩離れた。
……僕は屋上の縁から遠くを見る。
「チッ、クソが……それで、アイツはどこなんだ?」
「あの車だよ」
真っ黒な……大きな車だ。
何も広告すら書いていない無地のトラックが左右を固めている。
……アレも、きっと組織の車だ。
「……アレってどれだ?」
「アレだよ、ほら」
僕は指差す。
ハーマンは手を額に当てて、目を凝らすように乗り出した。
「……あの豆粒みたいな奴か?」
「何色の?」
「緑色だろ?」
「いや、それじゃなくて……その後ろだって。黒い車と……トラックの──
「見えねぇよ、バカが!」
ハーマンが声を荒らげて、僕を罵倒した。
肩を小突かれそうになったので、身を捩って避ける。
「え?でも……」
「これでも視力は20/20あるんだよ……見える訳ねぇよ、普通の人間には!」
まぁ、確かに……言われてみれば、1000メートル先の車なんて分からないか。
暗いし、車は黒いし。
まぁ、良いや。
「車が来たら……僕は飛び降りるから」
「……お、おう?それでどうすんだ」
「どうって?」
僕が首を傾げると、ハーマンが苛立った様子で自分の二の腕を叩いた。
金属が擦れる音がした。
「だぁから、作戦だよ」
「ないよ……兎に角、会って、話をして……連れて帰る」
「……あー、クソ。オレはいつも、こんな出たとこ勝負みたいな奴に負けてんのか?」
ハーマンが悪態を吐いて……僕は近付いてくる車に視線を戻した。
「アレか」
ハーマンも気付いたようだ。
……僕はビルの縁に足を乗せて……待つ。
車が近づく。
そして、僕は……飛び降りた。
ハーマンはタイミングを掴み損ねたみたいで、僕について来ていない。
車の前面、道路へと着地する。
車の窓ガラスは……マジックミラーになっているみたいで中は見えない。
だけど、座標はこの車にある。
……目の前に僕が飛び降りたってのに、全く減速する気がない。
撥ね飛ばすつもりだ。
僕は
大きな蜘蛛の巣みたいなものを作る。
車は僕へ向かってくる。
「ぐっ!?」
この車、絶対に普通の市販車両じゃない。
ぶつかったのに、全く減速しないし……凄い、馬力だ。
車体のボディも硬い……多分、特殊な合金。
見た目は普通の車に偽装してるけど……実際は小さな装甲車だ!
足を道路に突き刺すように踏み締めて、押さえつけた。
コンクリート製の道路が砕けて、小さな破片が散る。
少しずつ、少しずつ減速して──
咄嗟に僕は地面を蹴り上げ、車のボンネットに乗る。
僕の背後に、火球が通った。
「今のっ……!?」
火球はそのままビルの壁に衝突し、窓ガラスを溶かした。
かなりの熱量だ。
車の左右に付いてきていたトラック。
それは僕が足止めしていた車を追い越して……前方で荷台の天井を開いていた。
そこから……積まれていた人型のロボットが上半身を出していた。
体長は2メートル以上……かなり大きい。
寝転がるように荷台に積んであって、上半身を起こしたんだ。
サイズ的に人が着れるほど小さくないし、人が乗れるほど大きくない……多分、無人だ。
体色は紫色。
鎧を纏った人型……だけど、頭は人間の頭部にそっくりだ。
一言で言えば、不気味なデザインのロボット。
そして、その左右の手のひらは赤く輝いていた。
炎を纏っている……物理現象を無視してるって一目で分かるレベルだ。
再度、
……ダメだ!
車の上を維持できない。
僕は道路に飛び降りて、再度発射された火球を避ける。
1発、2発と連射される。
くっ……エネルギーは無尽蔵なのか!?
明らかに科学っぽくない攻撃だ……原理が想像できないし。
そもそも炎が質量を持って飛んでくるなんて──
顔を上げた。
……ミシェルを乗せた車が離れて行く。
まずい、こんな奴と戦ってる場合じゃない!
追いかけないと……!
ロボットがトラックの荷台から飛び降りて、こちらへ向かってくる。
足はジェットエンジンを搭載しているみたいで空を飛んでいる。
その手のひらが、僕へ向けられている。
再度、火球が飛んでくる。
さっき、着弾したビルの窓ガラスが溶けていた。
ガラスの溶ける温度って事は……1000℃ぐらいはある筈だ。
ナノマシンスーツで防ぐには限度がある。
当たったら……死ぬ。
スーツを貫通した熱で、僕の身体は沸騰するだろう。
防御は出来ない……避けるしかない!
側転して、回避した瞬間……ロボットが腕を振り回した。
「ぐぁっ!?」
そのままビルにぶつかって、壁にヒビが入る。
スーツを衝撃が貫通した……骨は折れてないけど……くっ、結構ダメージがある。
……ロボットが、僕を見ている。
そいつは言葉を話す事なく目を光らせて──
ロボットが吹っ飛んだ。
自分からじゃない、まるで突き飛ばされたかのようにロボットはビルへとぶつかった。
ガラスが砕けて舞う。
……幸い、ここはビジネス街だ。
被害者は居ないと思う……夜だから人影はないし。
ビルに衝突したロボットから視線を逸らすと……ハーマンが居た。
「遅いよ!」
「てめぇが早過ぎるんだよ!」
直後、ロボットが火球を放った。
僕じゃない、ハーマンにだ。
慌てて助けようとして……彼の
火球自体に硬さは存在しないようで、衝撃波で散らされて消滅した。
「アイツは、あの黒い車に乗ってんだな!?」
ハーマンが僕へ、声を張り上げた。
マスク内部で表示されている地図の、赤いポイントが離れて行く。
慌てて、返答する。
「そうだよ!ミシェルは、アレに乗ってた!」
「なら、早く行け!」
ハーマンが
立ち上がろうとしていたロボットにぶつかり、再度大きな音を立てて倒れた。
……早く行けって、でもっ──
「でも、ロボットが──
「コイツは俺がブッ壊すから先に行けって言ってんだよ!」
ロボットは倒れたまま、火球を放った。
ハーマンは
アレは……空の小型バッテリーだ。
だけど、相手のロボットのエネルギーは未知数だ。
そして、見ていた限り……
……ここで置いては行けない。
「でも──
「うるせぇ!お前は何しにここに来たんだ!目的を間違えるな!バカが!」
ハーマンが僕を怒鳴りつけた。
目的……それは、ミシェルを助ける事だ。
そのために僕は、ここに来ている。
それはハーマンも同じ筈だ。
だから、僕は──
「死んだら、ミシェルが悲しむから……死なないでよ!」
「あぁ、さっさと行きやがれ!スパイダーマン!」
「そっちこそ、本当に死なないでよ!ショッカー!」
僕は
「既に死ぬなって約束はしてんだよ!お前に言われなくても、な!」
ハーマンがロボットへ
……ほんの少し、後ろに引かれるような気持ちを振り払う。
正直に言うと僕はハーマンは嫌いだ。
乱暴だし……自惚れ屋だし、自分勝手だし。
だけど、彼にも良い一面がある。
それはミシェルも見ていて……彼を仲間としていた。
ハーマンだって、ミシェルを守るために戦っている。
だから、僕はハーマンが嫌いだけど……死んだら悲しい。
ミシェルだって悲しむ筈だ。
だから、死んで欲しくない。
今すぐに戻って一緒に戦うべきだ。
だけど、戻る事はハーマンの覚悟を踏み躙る行いだ。
それは、出来ない。
だから、今は信頼して……彼の目的を僕が果たすしかない!
前へ、前へ。
壁を蹴り、走り、加速して飛ぶ。
……本当に、妙に人影がない。
いくら深夜のビジネス街だからって……こんなに人が居ないものだろうか?
巻き込む心配がなくなるから、僕にとっては好都合だ。
安心して戦える。
……見えた!
黒い車と一台のトラック!
僕は
反動で飛び出して、トラックの上に着地する。
……
物音が足下からする。
……そりゃあ、同じ形のトラックなら……ロボットは一体で済む筈がない。
僕だって想定済みだ。
即座にトラックの側面へ飛び降りて、
タイヤが回転し、
トラックが左右に揺れて……僕は荷台の上を全力で蹴り飛ばした。
安定を失ったトラックはそのまま横転して、閉店中のコンビニにぶつかった。
……物を壊し過ぎてるかも。
弁償……出来る気がしないけど……あ、後で考えよう。
僕は地面を走り、
そのまま引っ張られながら、僕は車の上に飛び乗る。
……この中に、ミシェルがいる。
僕は屋根に足を貼り付けて、身を乗り出し……後部座席のドアに触れる。
鍵の掛かっているドアを無理矢理こじあげようと、引っ張り──
足下に穴が空いた。
咄嗟に飛び退いて、僕は車のボンネットに乗った。
空いたのは後部座席の屋根……そこから見覚えのある黒い腕が見えた。
息を呑む。
左右に屋根を引き裂いて、黒いアーマースーツが姿を現した。
古傷がジクリと痛んだ。
「……ミシェル」
『…………』
僕の呼びかけには答えなかった。
マスクは、いつもの赤いマスクじゃない。
僕が殴って……壊してしまったからだ。
だから、カーネイジと戦った時に装着していた黒いマスクを付けている。
だけど……マスクは赤く汚れていた。
血の色だ。
ティンカラーの血だ。
僕は映像で見ていた……だから、知っている。
血を浴びてマスクを赤く染めた、レッドキャップが……目前に姿を現した。
その手にはティンカラーの頭部はない。
視線を少し下げれば……後部座席に、あった。
思わずマスクの中で眉を顰めると──
『何しにここに来た、スパイダーマン』
「君を助けに」
僕がそう答えても……大きくリアクションはしなかった。
それどころか、顔を逸らして──
『……ハァ』
ため息を吐いた。
そして、僕へ視線を戻した。
『スパイダーマン……お前は何か勘違いをしている』
「そんな事ない」
『お前はミシェル・ジェーンを助けに来たんだろう?』
「……そうだよ。僕は、僕達は君を──
『そんな人間は存在しない』
僕は……彼女の顔を見た。
赤く血塗られたマスクの下で、どんな表情をしているかは分からない。
『ミシェル・ジェーンは組織が作り出した設定だ。私がお前を騙すために演技していたに過ぎない……そんな名前の人間は存在しない』
「……でもっ──
『話し方だって違う……性格も、何もかも……私の演技に過ぎない』
「……それなら、君は何者なんだ」
血は乾燥して、流れ落ちる事はない。
きっと、拭っても落ちないだろう。
『レッドキャップだ』
そんな、赤くなったマスクが僕を見た。
『昔から、ずっと……そう呼ばれている』
ミシェルが……レッドキャップが腰からナイフを抜いた。
……ティンカラーの首を切断するのに使った、ボロボロのナイフだ。
「僕は……僕は、君と戦うつもりはない」
もう二度と、君を傷付けたくない。
顔を殴ってしまった事だって、まだ謝れていない。
『なら、一方的に殴られてるんだな』
ナイフを振りかぶり、僕へと叩きつける。
「くっ──
それを握って受け止める。
受け止めた衝撃で、ボンネットが歪む。
こんなナイフでは、ナノマシン製のスーツを貫通しない。
それは前の戦いで分かってる筈だ。
だから……彼女の攻撃に殺意が篭っていないのが分かってしまう。
「僕は君を助けに来たんだ……!」
『誰を?ミシェル・ジェーンなど、存在しないと……言った筈だ』
ナイフの側面に手刀を振り下ろす。
鈍い音がして、折れた破片は地面へ落ちる。
互いに少し、距離を取る。
赤いマスクを見た。
言いたい事が沢山あった。
出会ったら、謝ろうって……あの遺書は酷いよ、なんて……会いたかったって……言いたい言葉が沢山ある。
だけど──
「僕が助けたいのは、君だ」
僕は、今、僕が……言いたい言葉を、心に浮かんで来た言葉を吐き出す。
「君が『ミシェル・ジェーン』じゃなかったとしても……口調が違うとしても……!」
言葉を吐き出す。
「どんな秘密を抱えていようと……僕が好きになったのは『ミシェル』って名前だけじゃない!」
マスク越しに視線が、交わる。
「君なんだ……!僕が好きになったのは……だから、助ける!」
『助けてくれと言った覚えは──
「君が何て言おうとも、もう悩むつもりはない!」
僕は……軋む体に鞭を打って、彼女の前に立ちはだかる。
『……随分と自分勝手だな』
「知らなかった?」
『あぁ……そう、だな』
「観念して助けられてくれないかな」
不意に、彼女が横を向いた。
僕から目を逸らすように……まるで見ていられないかのように。
『無理だ』
「ミシェル……僕は──
『違う。私は……私の──
自身の胸の辺りを指差した。
『私のここに……爆弾がある』
「……え?」
その言葉に、頭が一瞬、真っ白になった。
「爆弾……?」
『裏切れば炸裂し、死に至らしめる」
頭の中が絡まる。
「……そんなの──
『私は死ぬ。だから助ける事は出来ない』
爆弾……?
ミシェルが、死ぬ?
裏切ったら死ぬから……今まで、こんな事を?
そんなのって、そんなのって……酷い。
狡い、そんなの。
だって、それじゃあ……助けられないなんて。
僕はでも、それでも、助けたいのに。
なんで、そんな。
『だが、命を失うのは怖くない……私に、生きている価値はない。もっと、早く気付くべきだった』
「そんな事は……」
『私は人を不幸にする……存在しない方が良い』
首を、掴まれた。
「ぐっ……!?」
掴んだのは……彼女の手だ。
細くて、柔らかい……優しい手。
あの日、握って……思わず動悸してしまった手。
それは今、黒い装甲を身に纏って、僕の首を掴んでいる。
反応が遅れた。
首を絞められている現状ですら、僕は……その事を認識出来ずにいた。
『だが安心しろ……私はもうすぐ死ぬ』
言葉の意味を、理解出来ない。
なんで、死ぬんだ?
どうして……?
分からない、教えてほしい。
『この車は、私達の
投げ飛ばされて……車から投げ落とされた。
僕は地面に転がる。
車はかなりの速度で走っていた……ダメージは大きい。
「ぐっ、あっ……」
スーツの許容量を越えた衝撃が、身を貫く。
ナノマシンの一部が壊れて、スーツが剥げる。
「げほっ、ごほっ……」
穴の空いたマスクから口元が露出する。
「ミ、ミシェル……?」
視界の中で彼女が小さくなっていく。
離れていく。
倒れたまま手を伸ばす。
……でも、届かない。
倒れたまま、地面に拳を突き立てる。
頭の中を……さっき聞いた言葉を整理する。
……ミシェルは、車が組織の
それを何故、言ったんだ……?
もうすぐ死ぬって、何でそんな事を……。
あ。
ミシェル、は……
自分の命を投げ捨てて、それで──
「……う、ぐ」
体はまだ動く。
スーツは多少、壊れてしまったけど。
骨が痛むけど……呼吸だって乱れているけど。
それでも、動く。
動けるんだ。
立ち上がる。
ミシェルは……何も分かっていない。
スパイダーマンのファンだって言ってるのに……僕のことを、分かっていない。
こんな程度で諦める事はない。
今までだって、何度も困難にぶつかって来た。
僕には普通の人の何倍ものパワーがある。
それは何のためだ?
大切な人を……誰かを助けるためだろ?
自分には力を持つ資格があるんだと、証明するんだ!
誰に……?
誰だって良い、僕自身に証明するんだ!
震える膝を叩いて、自分を奮い立たせる。
失敗は許されない。
今回だけは……いいや、今回も負けられない!
思い出せ、ピーター・パーカー。
楽な状況で勝利するのは容易い。
本当に重要なのは、どんなに苦しい状況でも……立ち上がり、打ち勝つ事なんだ!
歩き出す。
ウェブシューターを見る。
カートリッジの……液量はもう、少ない。
ウェブスイングも、控えなくちゃならない。
だから、自らの足で進まなきゃいけない。
四肢が痛む。
息も切れてる。
横っ腹が辛い。
それでも……歩いてちゃ、彼女に追いつけない。
走り出す。
腕を振って、激痛に耐えて。
痛い……痛いよ。
でも、骨折していないだけマシだ。
走れるんだから。
目的に向かって行動できるのだから。
走る。
休んでなんていられない!
僕は止まらない。
止まっちゃダメだ。
誰に言われたからじゃない。
僕が、僕自身の意思で……足を動かし続ける。
体は限界だ。
休めって脳が言ってる。
だけど、走るんだ。
コンクリートの地面を蹴って、僕の住む街を走るんだ。
彼女は泣いていた。
マスクの下で泣いていた筈だ。
見えなくっても、僕には分かる。
ずっと、ずっと泣いていたんだ。
今まで出会った時から、ずっと。
もう、二度と泣かせたくない。
だから、今は彼女に追いつく。
まずは僕にできる、最初の行動だ。
僕は、僕が……出来ることを怠って、誰かが悲しむのは……許せないから。
走る。
彼女の胸に爆弾が仕掛けられいる。
なら、どうする?
分からない……分からないけど……今はただ、足を止めない。
時に頭を使うよりも、行動しなきゃならない時がある。
マスクの下の地図を見る。
さっきより赤いシンボルの移動速度は落ちている。
さっきの車上での戦いで、車にダメージが入ったんだ。
屋根が壊れてバランスも取れなくなっている……と思って良いだろう。
まだ、間に合う。
どこに敵の
走る、走る。
直後、
すぐに、横へ避ける。
氷の塊が、僕の横を通り過ぎた。
振り返る。
……さっき、トラックごと転がしたロボットだ。
「炎の次は……氷……か」
ロボットの両手は小さな吹雪のように渦巻いていた。
まったく、どんな理屈かは知らないけど……本当に、嫌になってしまう。
戦ってる暇なんて、ないのに。
今まで感じた事がないほど、大きく。
ロボットが飛ばしてきた氷の塊を避けて、振り返る。
……目の前にいたロボットと同じ形状の……ロボットが、沢山、空を飛んでいた。
一つ、二つなんて数じゃない。
「は、はは……」
思わず笑ってしまった。
滑稽だったからだ……僕が。
そりゃあ、そうだよね。
二つ同じロボットがいるんだから……もっと、沢山いても……おかしくないよ。
……だけど、諦める理由にはならない。
瞬間、また飛んできた氷の塊を避けて……ロボットを蹴り飛ばす。
転がったロボットの首を掴んで……強く引っ張る。
「ふっ、くっ……!」
筋肉繊維が悲鳴を上げてる。
明日は、絶対、筋肉痛だ……!
千切れたロボットの頭部を投げ捨てて、飛んでいるロボット群を見る。
……本当に沢山いるな。
幻覚だったら良かったのに。
飛んでいるロボット達の中から一体、こちらへ急降下してくる。
……息を吸って、吐き出す。
覚悟は……ずっと前から出来ている。
叔父さんが死んで……強盗を捕まえた、あの時から。
誰にも、邪魔はさせない。
拳を強く握って……ウェブシューターを──
直後、光が目の前を横切り……ロボットが、吹き飛んだ。