Hololive SEED DESTINY─止まらない運命─ 作:疲れた斬月
チケット抽選に応募しない判断を下したのが正解なのか間違いなのかわからなくなって来ました。
それはさておき、今回はメルちゃんのレーサーになる為の特訓の日々を覗いて見ましょう。
GTアカデミーに入校したメル。
シミュレーター、座学でのレース戦術、身体強化訓練などの修練の数々を経て、徐々に技術を身に付けて行く。
今回はその中の1つ…実車を用いた訓練について見て行くとしよう。
「本日の訓練指導官を務める事になった、バレット・ハドソンだ。今日はお前達に、時速300キロの世界を経験して貰う」
富士スピードウェイのピットロード上。
レーシングスーツに着替えた生徒が、教官からのレクチャーを受けていた。
彼の傍らには、ペイントが施されていない黒いGT3レーシングカー…【メルセデス・ベンツ AMG GT3 Evo】が停まっている。
実車訓練では、本物の元プロレーサーによる指導の下で時速300キロの世界を体験し、実際に走る技術を身に付けて行くのだ。
「このマシンを運転するドライバーにのしかかるGは、ロケットの打ち上げの時に宇宙飛行士が感じるGの2倍と言われている。くれぐれも覚悟して訓練に挑む様に」
「「「「「はい!」」」」」
「よし。じゃあ、誰から行く?」
教官の問いに、真っ先に名乗り出たのは…
「私からお願いします」
「…夜空メル、だな。心の準備は良いか?」
「はい、何時でも行けます」
(おいおい…何て眼ぇしてやがる…)
彼女の金色の瞳に宿る気迫と執念に、教官は末恐ろしいものを感じ取る。
他の者達は「レーシングカーに乗ってみたい」という、言ってしまえば新幹線や飛行機に初めて乗る子供の様な興味を抱いている。
だが、彼女は違う。
本気でプロの世界に挑もうという強い意思が見て取れる。
…その中に、どこか強迫観念の様なものもある。
「わかった。じゃあサブシートに座って、ベルトを締めてくれ」
教官に指示されるまま、サブシートに座ってベルトで身体を固定するメル。
本来であれば運転席以外に座席は用意されていないのだが、イベント等での同乗体験の為、ベース車両となる車の助手席が置かれていたペースにサブシートを増設する事も可能なのだ。
「行くぞ?」
「…お願いします」
ドアを閉めると同時に、マシンのエンジンが唸りを上げる。
そして、ゆっくりと動き出し、ピットからコースへと出て行った。
「まずは最終コーナーまでゆっくり回るぞ。コースのレイアウトを覚えてくれ」
「わかりました」
ピットを出て、各コーナーリングをゆっくりと回り、コースのレイアウトを確実に頭に刻み込んで行く。
そして…
「行くぞ…3、2、1、スタート!」
「っ!!」
最終コーナーを立ち上がり、一気にマシンを加速させる。
メルの身体がシートに抑えつけられ、周囲の風景が矢の様に通り過ぎて行く。
1.5kmもの長いストレートをあっという間に通過し、急速にブレーキング。
TGRコーナーを曲がると、凄まじい遠心力がメルの肉体を襲う。
続けてコカ・コーラコーナー、100R、
「うっ!ぐぅぅ…っっ!!」
圧倒的なGに顔が歪み、全身から絶叫を発しそうになる衝動が駆け巡るが、これに耐えられなければ、プロなど夢のまた夢だと自分に必死に言い聞かせて歯を食い縛り、耐え続ける。
ダンロップコーナー、13コーナー、GR supraコーナー、パナソニックコーナーを回り、メインストレートのコントロールラインを通過し、訓練は終了した。
ゆっくりとコースを巡り、ピットへ戻るマシン。
「…凄いな、普通なら初めて乗った時は皆絶叫するもんだが…よく耐えたな」
「はぁ…はぁ…これぐらい、耐えなきゃ…プロになんか、なれませんから…っ、ゲホッ、ゲホッ…!ぜぇ…ぜぇ…っ、ありがとうございました」
全身から汗が吹き出し、胃の中がぐるぐると掻き混ぜられているかの様な不快感に襲われながらも2本の足でしっかりと立ちながらマシンを降りるメル。
(…元アイドルってだけあって、基礎体力や反射神経はかなりのもんだな。何より…凄い執念だ)
メルを冷静に分析し、内心で冷や汗を書く教官。
息が上がってこそいるが、初めてのレーシングカーであそこまで気をしっかり持てるのは最早天才…否、化け物の類だ。
「…よし、次は誰が乗る?」
「じゃあ私が」
次に名乗り出たのは永遠。
「小町永遠か…よし、じゃあ座ってくれ」
サブシートに座り、ベルトを締める永遠。
そして、マシンは唸り声を上げながらピットから出て行った。
「…ありがとうございました」
それから数分が経過し、マシンがピットへと帰還。
恐ろしい事に、降りて来た永遠は汗こそかいているが比較的平然とした様子だ。
メルはその姿に目を見開くと同時に、強い対抗心が燃え上がる。
―――――負けられない。
その後も訓練は続き…まともに立っていられたのはメルと永遠の2人だけだった。
「はぁ…」
今日の訓練が全て終了し、食堂へと足を運ぶメル。
頼んだカレーにスプーンを入れ、口へと運び続ける。
ここの食堂の料理は中々絶品だと評判らしいが…あの日以来、食べ物をこれっぽっちも美味しいと感じた事の無いメルにはよくわからなかった。
甘味、旨味、塩味などが絡み合った複層的な味わいが今の彼女には酷く気持ち悪く感じ、そのくせ痛みである辛さだけは異様に強く感じてしまい、メルはカレーを頼んだ事を後悔しつつ、何とか半分以上を胃袋へ入れて席を立つ。
「…ごめんなさい、残しちゃって」
「大丈夫?顔色悪いけど…」
「大丈夫です、すいません…ご馳走様でした」
返却口で調理師に謝罪して食堂を後にしようとするメル。
すると、背後から1人の男子生徒に声を掛けられる。
「夜空さん、この後皆で親睦会でもやらないか?って話になってるんだけど、どうする?」
彼は離れた席を指差し、複数人の男女が集まって話をしている様子を見せて来る。
「…ごめん、用事あるから遠慮しとくね」
「あ…そっか、わかったよ…」
「…お疲れ様」
そう言って今度こそメルは食堂を後にする。
「…」
その後ろ姿を、永遠がじっと見詰めていた。
「教官を引き受けて下さってありがとうございます」
「気にすんな、あのガキ共には教えなきゃいけないからな…レースの世界の現実ってヤツを」
日が沈み、既に満天の星空が広がるピットで理事長と
「ただシミュレーターが上手いからってだけでやって行ける程、レースは甘くない。幾ら一介のゲーマーからプロのレーサーになった前例があるっつっても、それだって血反吐吐く様な努力を積み重ねたからだ。はっきり言って、このアカデミーの発想の元になる計画の発案者は、頭がイカれてる。俺はそう確信してるぜ」
「では、何故この仕事を引き受けてくれたのですか?」
「…とっくに引退した身だが…俺は、やっぱりレースが好きらしい。だからこそ…嘗ての俺の様な思いをするヤツを増やしたくないし、俺の様な思いをしたヤツがいた時に道を示してやれる存在になりたい。そう思ったのさ」
車の下に潜り込んで整備作業に勤しんでいる為、顔は見えないが、その口調や声音から悲しげな表情を浮かべているのだろうという事は見て取れる。
「では、そんな貴方から見て気になる子はいましたか?」
「…そうだな…やっぱり、小町永遠だな。あいつの親の走りは何度も目にしたが…あの親の英才教育を受けてるだけあって、才能は中々のもんだ。それと…」
延々と作業を続けながら答えるバレット。
永遠に対する評価を述べた所で一旦区切り、一呼吸を挟んで再び言葉を紡ぐ。
「…夜空メル、だな」
「ほう、これはまた意外な…何故です?」
「…シミュレーターの腕はこの中じゃ並より上程度だったが、身体能力や反射神経…肉体面での必要な要素は他のヤツよりもずば抜けてやがる。何より…執念が凄ぇ。苦手にしてる事があっても、努力に努力を重ねて短期間で克服しちまいやがる。間違い無く、本人すら気付いてない才能だな。だが…何か、強迫観念に突き動かされてる節があるから、そこにだけ要注意ってとこか」
「そうですか…」
整備を続けるバレットから視線を外し、遠い眼差しで空を仰ぐ理事長。
こうして、アカデミーの夜は更けて行った。
若干闇堕ち気味のメルちゃんです。
彼女が再び笑えるのは何時の日か…
因みに今回登場した教官のバレットさんは今後メルちゃんのストーリーにも大きく関わって来ます。
詳しい解説は後のお話にて。