オグリキャップが鮮烈な勝利を飾った京都ジュニアステークスから数日、夜神月は苦悩していた。
あの日以降、夜神月はサクラチヨノオーのトレーニングの負荷をこれまでの1.3倍まで上げ、更なる能力の向上を目指していた。
幸い、サクラチヨノオー本人はこの負荷の上昇に問題なくついてこれている。
問題はそこではなく、レースでの作戦にあった。
今は11月下旬。
既にホープフルステークスまで1ヶ月を切っている。
それだけの期間でどれだけのトレーニングを積んでも、流石にオグリキャップと対等になるまでには及ばない。
となると残るはレースの戦略で差をつけるしかないのだが、肝心の戦略がいまひとつ定まっていなかった。
何せオグリキャップはそもそもの潜在能力からして怪物なのだ。
そこに優秀なトレーニングをつけるトレーナーが加わってしまったのだ、並大抵の事では勝てない。
それこそ、相手の虚を衝くような戦略でないと…
しかし、それがまた難しい。
何せ夜神月はつい1年前まで何の知識もないズブの素人だったのだ。
1年そこらでいくら情報を詰め込んだとはいえ、それを応用することは簡単なことではない。
知識の応用や発想の転換というのは長年の経験などに基づいて行われるものが多いからだ。
一旦情報を整理しよう。
オグリキャップは差しを得意とするウマ娘だ。
しかし、必要とあれば先行の走りをすることも出来ると聞いている。
そして、七篠の言っていたことが正しいのなら、彼女はいくつかの『スキル』を所有している。
それらはレース中に発動するものであり、併走のときの情報から考えるに、持久力の回復や任意のタイミングでの加速などが出来るもののはずだ。
そして極めつけは強靭な末脚だ。
レース終盤の大外からの怒涛の追い上げは、この末脚が成せる技だ。
これだけの能力を兼ね備えた怪物を、僕は倒さなければいけないということか。
改めて考えても、まったく恐ろしいウマ娘だ。
しかし、サクラチヨノオーに全く勝機がないということもない。
オグリキャップがレース終盤に末脚を発動する時、大きなタメが存在する。
そこで生じるタイムロスは一秒にも満たないが、問題はタイムロスではない。
生物は自分が狩りをする側に立っている時には、自分が狩られるという考えをえてして忘れがちになるものである。
要するに末脚を発動する時のオグリキャップの意識は『狩る側』であり、そのタイミングで相手の予想外のアクションを起こせば、相手は動揺し、最大限の威力の末脚を発揮できなくなるかもしれないということだ。
問題はそこでどうするかということなのだが…
月はふと走っているチヨノオーが目に付いた。
今彼女がしているトレーニングは『ペースの調節』であり、ゆっくり走ったり、全力で走ったりを繰り返している。
様々なペースの走りに慣れることを目的としたトレーニングだ。
ペース、末脚、大外、スキル…
…!
そうか、これなら…オグリキャップに、勝てるかもしれない…!
「チヨ、ちょっと来てくれ。」
一度チヨを呼ぶ。
思いついたはいいものの、この作戦はチヨノオーのレース中の負担を大きくしてしまう。どれだけ良い作戦だったとしても、実現できなければ意味が無い。
チヨに今考えた作戦の概要を話し、率直な意見を貰う。
「確かにこれなら、オグリちゃん相手に勝てるかもしれない…」
やはりチヨノオーの意見も同じようで、恐らくこれが成功すれば勝機は跳ね上がるだろう。
問題は…
「恐らく気づいていると思うが、これはチヨにかなりの負担を強いる作戦だ。レース中の繊細な動きを得意とするチヨなら出来るかもしれないが、一つ間違えてしまえば大きなリスクにもなりうる。だからこそ、無理にこれを決行してほしいとは言わない。」
「…でも、これが出来るようになれば、私は今よりも強くなれるはずですよね?なら、やります。やらせてください!」
良い覚悟だ。
それならこちらもその熱意に応えなければな。
それが僕の仕事だ。
「分かった、この作戦の為の練習を組んでみるよ。ただし、二週間だ。二週間でこれを実現可能なラインまで持っていけなければ、この作戦は中止だ。」
そう、あくまでもこれは副次的な作戦だ。
こちらに没頭するあまり、基礎練が疎かになってしまっては元も子もない。
「分かりました!よろしくお願いします、トレーナーさん!」
そうして、僕らはこれまで以上に練習に打ち込んだ。
これは僕にとってもチヨノオーにとっても初のGIだ。
このレースを勝つことが出来れば、彼女の夢である日本ダービーへの大きな一歩となる。
それに、勝敗に関係なくGIでの経験は彼女を更に一回り成長させるだろう。
そして、時はやってくる。
ホープフルステークス当日。
決戦が始まる。
次回からはジュニア級の集大成でもあるホープフルステークスです!
乞うご期待~