長いようで短かった今回のGIレース、ホープフルステークスは、遂に決着がついた。
一着はサクラチヨノオー。
そして2分の1バ身差で二着がオグリキャップとなった。
観客席にはサクラチヨノオーの勝利を喜ぶ者と、オグリキャップの敗北に心を沈ませる者がいた。
誰かが勝てば誰かが負ける。
それがレースの世界の常であり、勝負の世界の必定だ。
そんな悲喜交々の観客席の中で、夜神月と七篠は再び相対していた。
「『いやぁ、負けてしまいましたね。完売です。まずはおめでとうございます。悔しいですが、今回は僕の実力不足だったようです。』」
七篠から賞賛を送られる。
言葉とは裏腹なその乾いた拍手から、本心が伺い知れる。
「『と、まぁ建前はここまでで。』」
スっと拍手する手を下ろし、雰囲気が変わる。
「『どうやったんですか?』」
「…それは、どういう意味で?」
質問の意図が分からず、聞き返す。
ただ、なんとなく感じの良いの質問でないことは察していた。
「『少なくとも、僕が今日見たサクラチヨノオーの能力値では、オグリキャップに勝つことは出来なかったはずなんです。ほんの少しですが、ステータス面で、オグリキャップが勝っていた。しかし、彼女は勝った。それがどういう理由なのかが、どうしても気になるんです。』」
なるほど。
やはり、今のサクラチヨノオーの純粋な実力では、オグリキャップには多少届かなかったか。
実際最後の直線で横並びになった時のスピード勝負では若干劣っていたし、本番前のリュークの反応からある程度の予想はしていたが。
「…なぜ今日のレースでチヨノオーが勝てたのか、と聞かれても。
レースというのは様々な要素が影響して成り立っているもので、100%の要因は存在しないものですし。
ただ、僕なりに何か一つ勝因を挙げるとするなら、レースで勝負をするウマ娘本人の熱意だと思います。実力や戦略、技能を過信せず、ただひたすらに努力が出来るサクラチヨノオーだからこそ、勝てたんじゃないかと僕は思いますよ。」
僕が思うに、オグリキャップが勝てなかった要因は、オグリキャップと七篠の気持ちの同じ方向を向いていなかったことではないかと思っている。
ただの意見になってしまうのだが、個人的にはオグリキャップからこのレースに勝ちたい、という熱量をあまり感じられなかった。
あまり根性論的な話はしたくないのだが、今回のオグリキャップはまるで、トレーナーに言われるがままに出走しているかのような印象を受けた。
恐らく、今回のホープフルステークスへの出走はオグリキャップの意思ではなく、七篠の意思だったのではないだろうか。
だからオグリキャップ自身に「勝ちたい」という熱がなく、最後の競り合いでチヨノオーに敗北したのではないか、と考えている。
「『なるほど。…確かに僕は、オグリキャップの実力を過信していたかもしれません。そのせいで勝利のための努力を怠った、というところですかね。見えない力が勝敗を決するなんて、そんな言い尽くされた根性論、今更敢えて言いたくもないですが、今回の件で思い知らされましたよ。』」
どうやら七篠なりに納得のいく答えだったらしい。
ウマ娘に対して感情を表に出さずに接している印象を受けていたので、この手の話には否定的だとばかり思っていたが。
まぁ本人がそれでいいならこちらから何か言うこともないが。
「質問ということなら僕の方からも一ついいですか。」
七篠の言葉が途切れたのを見計らってこちらから話題を切り出す。
こうして話をするタイミングがあるなら聞いておきたかったことがある。
「七篠トレーナーが初めて僕に会った時、オグリキャップが初めての担当ウマ娘だと言っていましたが、経歴を調べた結果、それが嘘である事が分かりました。どうしてあの時嘘をついたんですか?」
これがずっと引っかかっていた。
初めて会った時、七篠は間違いなくオグリキャップを「初めて担当するウマ娘」と呼んでいた。
しかし、経歴では彼はこれまで既に何人ものウマ娘の担当トレーナーとして在籍していたということになっている。
嘘にしてはあまりにも意図が読めないので、なぜこの発言をしたのかが気になっていた。
「『あぁ、その事。…特に隠すつもりもなかったんですけどね。』」
そう言うと、七篠は続けて語り始めた。
「『うーん、なんと言ったらいいのか…まぁ簡単に言うと、七篠 仁は僕ではないんです。』」
…突然何を言い出すんだ、こいつは。
「『僕自身よく分かっていないんですけど、多分僕は1年前にこの七篠 仁という男の肉体に転生したんです。』」
「『僕は元々、ウマ娘の育成ができるシミュレーションゲームのある世界で生活していた、普通の人間でした。でもある日、かけたはずのない目覚ましの音が聞こえたんです。その音を止めようと思って体を起こしたら、その時既に僕は七篠になっていたんです。』」
転生…か。
本来なら転生するなんてありえない、と突っ込む所なんだろうが、僕自身一度死んだはずの身で、こうしてトレーナーをしているんだ。
頭ごなしに否定することができない。
しかし、ウマ娘を育成するシミュレーションゲームがある世界か…僕のいた世界とも違う世界だ。
「つまり、最適なトレーニングを選ぶことが出来たりするのは、自分がウマ娘を育成するシミュレーションを何度もしていたから…という事ですか?」
「『それもありますが、七篠として転生してから、僕の目にははっきりとウマ娘のステータスやスキルが見えるようになったんです。サクラチヨノオーさんの成長ぶりからして、夜神さんにもステータス画見えているんだと思ってましたよ。』」
中々鋭いな。
ここで七篠に対してこちらもウマ娘の能力が見えることを開示するというのも1つの選択肢だが、七篠がこちらに協力的なのかどうかがまだはっきりしていない以上、あまり無闇にこちらの手の内を見せるべきではないな。
なのでここはシラを切り通す。
「いや、僕にはそんな特殊な能力はないですよ。今回の結果は、チヨノオーの努力の結果です。」
「『そうですか…。』」
七篠はそう呟いて大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐いた。
その七篠の様子は、レースの前の自信に満ち溢れていた面影はなく、憑き物が落ちたように感じた。
今回のレースを通して、彼も何か思うところがあったのだろうか。
「『じゃあ、僕はこれで。負けたとは言っても2着です。頑張ってくれたうちの担当を存分に労ってきますよ。』」
そう言って、七篠は観客席の後ろの方へと去っていった。
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◆◆◆
レースが終わり、観客席からもだんだんと人がいなくなっていく頃、夜神月はまだターフを見つめながらリュークと共に観客席にいた。
先程まで七篠が言っていたことに嘘がないとするなら、彼はノートに関連する人物ではなかった…ということになる。
結局、現状に至るまでにノートについて分かったことはほとんどない。
一体あのノートが何なのか、どんな力を持っているのかも未だ未知数だ。
いずれ分かる時が来るのだろうか…。
「月、いつまでここにいるんだ?早くチヨの所に行こうぜ。」
痺れを切らしたリュークが、不機嫌そうに言う。
「あぁ、分かったよ。行こう。」
こうして、サクラチヨノオーにとっても、僕らにとっても初めてのGIレースはサクラチヨノオーの勝利という形で終結した。
◆◆◆
◆◆◆
ホープフルステークスが終わって少しして、七篠はオグリキャップと別れ、1人で雑貨店へと足を運んでいた。
「『あぁーー…どういうのが良いんだろうか。』」
彼の前には今、色とりどりのミサンガが並んでいた。
それを一つ一つ見比べて、あれでもないこれでもない、と頭を悩ませているのである。
「『どれが似合うんだろうな…。』」
彼はこれまでの自分のオグリキャップへの向き合い方を省みて、改めて反省していた。
思い返せば、自分の言う最適なトレーニングをただこなしてもらっていただけの日々だったようにも感じる。
彼女に夢があると知ったのも、今日のレースの帰りが初めてだった。
彼女は…オグリキャップは、誰よりも速くなりたいのだと言っていた。
見ている人に希望を与えられるような、そんな存在になりたいのだと言っていた。
自分は、その気持ちに寄り添えていただろうか。
そんな事を考えて、彼はオグリキャップに何かプレゼントを渡そうとしていた。
これで償いになるとは思っていないが、せめて関係を改善するきっかけになれば良いと願って。
しかし、七篠はこれまで誰かに贈り物をするという経験がほとんどなかったため、プレゼント選びに難航していた。
七篠はこれまでの自分を思い返していた。
なんの前触れも説明もなくウマ娘のいる世界に飛ばされ、なんとなくいつか元の世界に戻れるんだろうなと思いながら、この世界の全てを俯瞰的に見ていた。
どうせこれも全部夢なんだ、と思っていた。
しかし、何ヶ月経ってもその夢が覚めることはなかった。
月日が経つにつれて、もう元の世界には帰れないんじゃないかという不安が心に巣食うようになった。
そう思うと急に孤独感と虚しさが込み上げてきて、やりきれないような気持ちになった。
そして、最初こそ楽しんでいたトレーナー業が、作業のようになっていったのだ。
最適なトレーニングをただ選ぶ。
勝つために。
レースで、勝つために。
この頃の俺はレースで勝ち続ければ帰れるかもしれないと、何の根拠もない推論に縋るようになっていた。
そして、ただひたすらにオグリキャップをレースに出走させた。
その結果が、
あれだけの大見得を切って、負けた。
元の世界に帰るための最後の望みすら潰えたのだ。
しかし、初めこそ本気で悔しかったものの、夜神トレーナーと話してからは、何故か気持ちがすっきりしていた。
この感情をどう形容していいのかが分からないが、多分…負けたことで、覚悟が決まったんだと思う。
この世界で、地に足をつけて生きていく覚悟が。
真の意味で『七篠』として生きていく覚悟が。
結局何を買うわけでもなく、手持ち無沙汰で店を出た。
12月後半ともなれば季節はすっかり冬で、もう辺りもすっかり暗くなっている。
しかしもうすぐ年明けというのもあり、既に夜の11時だというのに、まだまだ人通りは活発だ。
それを見て、七篠は自分もその人通りを構成しているうちの1人になっている事に気づいた。
そうか…俺もこの中の1人なのか。
しかしそれは、不思議と嫌な気持ちではなかった。
そして、少し歩いて人混みから抜け出したあたりで、七篠は一件のケーキ店を見つけた。
時間も時間だからなのか、2割引されたケーキが店先で売られている。
自分が食に対して頓着がないからなのか、実際に質が良いのかは分からないが、どのケーキも美味そうに見える。
こういうケーキは、あいつも好きなんだろうな。
そこまで考えて、ふと気づく。
「そうだ、あいつは…オグリは、こういうやつの方が好きじゃないか?」
結局プレゼントは何も買えていなかったし、ちょうどいいじゃないか。
そう思い、店先のケーキをなんの計画性もなく5種類購入し、大量の紙袋を抱えて店を出た。
そして大量のケーキを抱えて寮へと帰るのだった。
そこにはもう、勝ちへの執着に取り憑かれた男の姿はどこにもなかった。