「…へ?」
僕の言葉を聞いた途端、彼女は硬直してしまった。
どうやら自分に対して言われた事が理解出来ていないらしく、混乱しているようだ。
アグネスデジタル、去年から度々僕の耳にも名前が入ってきたウマ娘だ。
トレーナーがついていないにも関わらず、毎日芝とダートの2つのコースで異常な量の自主トレーニングをこなすウマ娘として、トレーナーの間では有名な存在だった。
しかし、それだけのトレーニングを日々こなしているにも関わらず、何故か模擬レースへの出走は頑なに断り続けており、今回が初めての模擬レース出走という事で僕が密かに注視していたウマ娘の1人だった。
「あぁ、結論から入ってしまって申し訳ない。君の走りを見て、少し違和感を覚えたんだ。」
「い、違和感…ですか?」
アグネスデジタルは何の事か分かっていない様子で聞き返してくる。
「そう、違和感。さっきの走りを見た感じ、君が本気を出していないように見えてしまったから。」
「えぇ?!い、いやいや、そんな手を抜くなんて、他のウマ娘ちゃん達に失礼な事しませんって!何かの間違いじゃないですか?」
…なるほど、彼女は自分以外のウマ娘の事を「ちゃん」付けで呼称するのか。
それも気になるが、それはそれとして、話を続ける。
「それじゃあ聞き方を変える。さっきの走りの最中、君は何を考えていた?」
「…っ。」
やはり思った通りだ。
彼女はレースの最中に何か別の事に気を取られている。
レース中もしきりに他のウマ娘を見ていた。
そして、意図的に他のウマ娘と一定の距離を取っているようだった。
これだけならまだ戦略として分かるのだが、彼女は他のウマ娘を追い抜くという行動に移らずにゴール板を通り抜けたのだ。その結果、8着という結果に落ち着いてしまった。
通してみれば明らかに疑問の残る走り方だ。
これが僕の感じた違和感の正体だった。
そして、これらの行動から僕が導き出した結論が…
「君は何故かレース中終始他のウマ娘の観察に徹して、追い抜くことなくレースを終えた。もしかして過去、レース中に事故があったんじゃないか?」
というものだった。
レース中に集団での転倒事故などに遭ったウマ娘は、事故の心的外傷で無意識に他のウマ娘との接触を嫌煙するポジションの取り方をしてしまうという事例がある。
僕はアグネスデジタルがまさにそうなのではないかと考えた。
実力自体はあるものの、事故のトラウマで前に出る事に対して恐れを抱いているのではないかと。
「もしそうなら、僕がその障壁を乗り越える為の力になりたい。君と僕が出会えたのは運命だ。簡単な事ではないかもしれないけど、君には才能がある。この壁を乗り越えれば君は必ず大物になることが出来ると、僕は信じている。」
俯くアグネスデジタルに手を差し伸べる。
アグネスデジタルはしばらく俯いたままだったが、そのうち顔をあげて早口で喋り始めた。
「あ、ああああの〜…実はですね、夜神さんが仰ったようなその…事故…とか、障壁?みたいなものはですね、特に無かったりして…。」
「あの〜…私が、レース中ずっとウマ娘ちゃん達の観察に徹してたのは…私以外のウマ娘ちゃんを間近で見るためであって、それ以上の理由もそれ以下の理由もないんですよね…。」
「そもそも今回の模擬レースに参加したのも、担任に言われて半ば無理やりですし、私は特に出る気がなかったと言いますか…。スカウトの申し出はひっじょーーーにありがたいんですが、今の時点では私、デビューする気とか全くもってないんですよね…。」
つまり、アグネスデジタルの言う事が正しいのだとしたら…
先刻の僕の推測は的外れだったと言う事か…?!
くっ、深読みし過ぎたか…。
…しかし、ここで引き下がる訳にはいかない。
僕には彼女をスカウトしたい理由がある。
それは、彼女の『ウマ娘に対する知識』だ。
アグネスデジタルは学園内では熱心に鍛錬を積んでいるウマ娘として有名だが、彼女にはもうひとつの顔がある。
それは、他のウマ娘に対する調査をいつも入念に行っているという点。
自主トレーニングが終わった途端、彼女はいつもメモ帳を片手に他のウマ娘を尾行し始める。
そして、そのウマ娘が何かをする度に逐一全てをそのメモ帳に書き記しているのだ。
そうして書き連ねられた大量のメモ帳はトレーナー間で『デジタル全書』と呼ばれており、その中身を知ったものはどんなウマ娘が相手でも勝てる程の知識を持つことが出来ると言われている。
よって、今後のレースで勝つ為にも、トレセン学園のウマ娘に対する知見を深める為にも、是非アグネスデジタルを僕のチームに迎えておきたいという訳だ。
だから、ここで彼女に逃げられてしまっては都合が悪い。
夜神月は申し訳なさそうにその場から去ろうとするアグネスデジタルを引き止める。
「待ってくれ、君の素質は本当に類稀なるものだ。僕なら君を勝たせる事が出来る。」
その多少胡散臭さのある物言いに、アグネスデジタルは怪訝な顔をこちらに向ける。
そしてしばらくの沈黙の後、月の熱意に押されたのか、彼女はこう返した。
「……夜神さんが私をどうしてもスカウトしたいのは分かりました。それでは、私からひとつ質問をします。この質問で、夜神さんが私の満足のいく答えを出せる方なのでしたら、謹んでそのスカウト、お受け致しましょう。」
「質問…?」
「質問は簡単です。『攻めの反対は?』です。」
攻めの反対…攻めを単純に『攻撃』の意と捉えるならば答えは『防御』、もしくは『守り』だ。
しかし、それが果たして本当にそれがこの場における答えなのだろうか?
この質問の趣旨は『アグネスデジタルを満足させる事』だ。
である以上、一般的な答えが正解という訳ではないように思う。
もう少し多角的な視点から考察してみる。
『積極性』という意味をはらんでいるのなら、答えは『逃げ』、『回避』『受け』あたりだろうか。
『自発的な攻撃』として捉えるならば、その反対語は『反撃』、『迎撃』となる。
そして彼女がウマ娘である事を考慮すると、答えはウマ娘に関連のあるワードの可能性が高い。
これらの中でウマ娘に関連する語はひとつ。
確証は少ないが、これで勝負するしかない。
「…『逃げ』、かな。」
そう答えた途端、アグネスデジタルの瞳からスッと興味の光が消える。
どうやら僕は答えを間違えたようだ。
「そうですか…残念です、夜神さん。申し訳ないですが、今回のスカウトは謹んでお断りさせて頂きます。いつかこの問題の答えが分かったら、またいつでも私の所に来てください。」
これ以上引き止めるのも不自然か。
そう言って彼女は自身の寮の方へと走って行ってしまった。
まぁ彼女の持つ膨大な情報は欲しかったが、必須という事もない。
これまで通り情報収集をすればさして問題はないだろう。
気持ちを切り替え、もう1人のウマ娘のもとに向かう。
そう、エイシンフラッシュの所だ。