正直な話、これ以上誰かを担当する気はなかった。
何故なら僕にはもうオグリキャップがいる。
僕は彼女を1番にすると決めた、そんな状態で更にウマ娘を担当するというのは、オグリキャップにもそのウマ娘にも失礼だ。
だから、今日はほんの少し見ていくだけにしようと思っていた。
しかし、僕の目は彼を捉えてしまった。
僕を唯一負かした男、夜神月。
彼はもう1人ウマ娘を担当するつもりなのか、その時はその程度にしか思わなかった。
しかし、彼がスカウトしに行ったのは1着や2着のウマ娘ではなく、8着のアグネスデジタルや7着のエイシンフラッシュだった。
何故だ?その理由は僕には分からなかった。
彼と僕とでは違う景色が見えているとでも言うのだろうか。
それが、僕と彼との差だとでも言うのだろうか。
ならば、僕にも覗かせてくれよ。
君が見ている景色を。
◆◆◆
◆◆◆
「『僕もトレーナー希望です。それとも、もう遅かったかな。』」
その喋り方や表情からは、人柄が良く人当たりの良いトレーナー、といった印象を受ける。
しかし、一度レースで対峙した僕だからこそ分かる。
彼は全く『自分』を見せていない。
つまり、何かを企んでいるはずだ。
それに、僕には七篠とエイシンフラッシュを関わらせたくない理由がもう1つある。
それは、彼女が何らかの秘密を抱えているからだ。
そしてそれは十中八九リュークやチヨノートと関連しているはずだ。
この秘密を他の人間に知られる訳にはいかない。
一方、エイシンフラッシュやその場に居合わせたトレーナー達は突如現れた七篠に驚きを隠せなかった。
何故なら彼は今年度の最優秀ウマ娘「オグリキャップ」の担当で、ニュースや雑誌にも何度か出演を果たしており、優秀な人材が集まる中央のトレーナーの中でも頭1つ抜きん出た存在となりつつあるからだ。
そんな彼が何故今回の模擬レースで7着だったエイシンフラッシュをスカウトしに来たのか。
その場にいた誰もが不思議に思っている。
当然、エイシンフラッシュの担当に名乗りを上げた他のトレーナー達の表情は曇る。
それもそのはず、彼らの多くは現在担当がおらず、何としても担当のウマ娘を確保したいという者たちである。
彼らは競争率の高い1着や2着のウマ娘の担当を諦め、聞こえは悪いが、言ってしまえば『妥協』でエイシンフラッシュのスカウトに集まったという者たちなのだ。
そこに現れた強力な競合相手、七篠の出現。
これを快く受け入れられる程、今の彼らに余裕は無かった。
そしてそれは夜神月も例外では無い。
お互いに新人トレーナーという枠組みで括られている以上、夜神月と七篠というトレーナーが比べられてしまえば『最優秀ウマ娘を輩出したトレーナー』という箔が乗っている七篠が選ばれる可能性は高い。
更に言うなら夜神月のアピールタイムは既に終了しているので、これ以上自分からアクションを起こす事が出来ないというこの状況。
まるでこのタイミングを狙っていたかのような用意周到さに、かの夜神月ですら彼を訝しむ他ないという状態になっていた。
夜神月は今、ただ七篠の発言を聞くしかないのである。
エイシンフラッシュが彼に自己紹介に促すよりも前に彼は口を開いた。
「『突然遅れてきた奴がトレーナーになりたいなんて言っても無茶かな。まぁともかく一度名乗っておこうかな。と言っても、名前くらいは聞いた事あるかもですね。僕は七篠。今年度の最優秀ウマ娘に選ばれたオグリキャップのトレーナーです。どうぞお見知り置きを。」
突如現れた図々しいトレーナーに対して露骨に警戒していたエイシンフラッシュだったが、その名前を聞いた瞬間に表情が変わる。
「!…えぇ、存じ上げています、七篠さん。名前も、その実績も。」
エイシンフラッシュがそう言うと、七篠はまた更に話を続ける。
「じゃあ僕の事はこれくらいでいいかな。となると、次は君に関する話をした方が良さそうだ。とはいえ、僕は本当にさっき来たばかりでね。レースの内容に関する話はあまり出来そうにない。だから別の観点から話をしてみようかな?」
既に『面接』が終わったトレーナー達は彼の発言に聞き耳を立てる。
「今年度の
そして、七篠が目を凝らしてエイシンフラッシュを見る。
しかしその目が実際に何を見ているのか理解しているのは、夜神月だけだった。
「『…なるほどね。だいたい分かったよ。エイシンフラッシュ、君に足りていないのは相手を差し切る瞬発力…言うなればパワーだ。』」
やはり間違いない。七篠は彼女…エイシンフラッシュのステータスを見た。
こうなってしまうと少しまずいかもしれない。
彼に見えているステータスは寸分の狂いもなく当人の能力値を数値化している。
つまり今から七篠が話すこれを基にした発言は全て的を射ているということ。
そしてそれは彼が優秀なトレーナーである事の裏付けになってしまう。
七篠はその後も様々なアドバイスをエイシンフラッシュに与えた。
エイシンフラッシュの反応を見るに、彼女も思い当たるフシがあるようだ。
「『着順から見るに、レースプラン自体は悪くなかったと思うよ。ただ差し切る事が出来なかっただけだ。そしてそれは文字通り君の力不足によるものだ。前にいる相手との競り合いで勝つことが出来ていれば、このレースの結果はまた違ったものになっていたと思うよ。』」
エイシンフラッシュは下を向いて項垂れていた。
期待の若手トレーナーと評される人物にここまで自分の力不足を指摘されたのだ。無理もない。
それに加えて七篠の棘のある言い方も刺さったのだろう。
ホープフルSの1件でその高慢な性格が少しでも改善されているかと思ったのだが、どうやらそう期待通りにはいかないらしい。
「『…とまぁ、僕に言えることはこれくらいかな。』」
自身の批評の終わりを告げる七篠の言葉に、小さくありがとうございますと呟き、一礼をするエイシンフラッシュ。
そして、突発的な乱入もあったものの、これで一通りトレーナー側のアプローチは終了した。
エイシンフラッシュは自身の持つ手帳に熱心に目を向け、何かを書き込み始めた。
そんな状況が数分続いた後、彼女は手帳をぱたりと閉じ、トレーナーが並んでいる方に目線を向ける。
「これで選考は終了致します。そして、このような私の独断で行った形式での選考に最後までご参加頂きましたことに、心より感謝を申し上げます。」
一息置いて、エイシンフラッシュは言葉を続ける。
「どのトレーナーさんも非常に的を射たアドバイスをくださりました。この中から1人を選ぶのは心苦しいのですが、発表させていただきます。」
その言葉に、緊張が走る。
担当するウマ娘の戦績に応じて給与が支払われるトレセンにおいて、素質のあるウマ娘のトレーナーになりたいというのは誰もが願う事だからだ。
「各々トレーナーとして積み上げた実績や、会話から読み取れた人柄なども考慮に入れたのですが、最終的な決め手となったのは誰が最も今回の模擬レースに対して真剣に向き合ってくれていたか、という点です。」
そして、彼女は僕、夜神月の前に立つ。
そして先程のレースからは想像もつかない華奢な腕を僕の前に差し出す。
「夜神月さん。どうか私のトレーナーになってくれませんか?」
もとよりそのつもりで来たのだ。
もちろん、断る理由などない。
「もちろん、僕で良ければ喜んで。」
そう返すと、エイシンフラッシュの顔色がパッと明るくなる。
その表情は、嬉しさのような安堵のような、優しい表情だった。
「Auf gute Zusammenarbeit…! ありがとうございます、トレーナーさん。」
喜ぶエイシンフラッシュをよそに、選ばれなかったトレーナー一同はバツが悪そうにぞろぞろとその場を後にする。
しかし、七篠だけは帰る訳ではなく、僕の方へと近づいてきた。
そして一言だけ言葉を交わした。
「『…僕に足りないものはなんだと思いますか?』」
これは恐らくウマ娘のトレーナーとして、という事だろう。
「…君に足りていないものは恐らくほとんどないと思う。僕から言えるのは、君は捨てた方がいい物も持ち合わせているという事かな。」
僕がそう言うと、彼は何か腑に落ちたような表情で、その後特に何かを言うわけでもなくその場を後にした。
思い返してみれば、僕のこの行為は敵に塩を送るような行為だったかもしれない。
しかし、不思議と焦りはなかった。
そうして七篠が歩いて行った方向をしばらく見つめていると、痺れを切らしたようにエイシンフラッシュが話し始めた。
「…あの。」
とても短い言葉。
しかし、どこか重々しさを感じる一言だった。
まるで花瓶を割ってしまったことを親に白状する子供のような。
「夜神さん…いえ、トレーナーさん。担当契約を結ぶにあたってお話しておかなければいけない事があるんです。」