CHiYO NOTE   作:苺ジャム

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第六十話 憧憬

突如としてトレーナー室の扉を叩いたのは、サクラチヨノオーが羨望の眼差しを向けているウマ娘、マルゼンスキーだった。

 

彼女の「サクラチヨノオーのトレーナーはあなた?」という質問に対し、あぁそうだと言うと、僕がそれ以上何かを言う前に彼女はトレーナー室へと上がり込んで来た。

 

「やっぱりそうなのね。」

 

自分の予想が当たっていたからなのか、真意は定かではないが彼女はどこか嬉しそうだった。

一方、僕は少し面食らっていた。

誰の了解を得るでもなく不躾に、無遠慮に上がり込んできた彼女に。

 

「…君がここに来たのは、何か話があるからだろう?」

 

「ええ、そうよ。」

 

彼女は爛々とした調子のまま返事をする。

元より癖の強いウマ娘だとは聞いていたが、これは中々手強そうだ。

ここで追い返してもいいが、彼女については僕も興味がある。

彼女はこれまでのトレセン史上最強格と名高いウマ娘の1人だ。

三冠を取っていないにも関わらず最強の候補に名を連ねるウマ娘。

話をする中で何かしらサクラチヨノオーとのトレーニングに生かせるアイデアが得られるかもしれない。

…随分とトレーナー業が板に付いてきたな、僕も。

 

夜神月は自身の心境の変化に多少驚きつつも、それを表情に出すことはなく至って静穏な調子でマルゼンスキーに対応する。

 

「話をしたいところ悪いが、ちょうど日も暮れてきたところだ。あまり長引かせることは出来ない。手短に終わらせよう、マルゼンスキー。」

 

そう言って僕が椅子を彼女の方へ椅子を引くと、彼女も了承したようでそうね、と一言だけ呟いてその椅子へと腰掛けた。

 

「それで、わざわざこんな時間に来た理由は?」

 

時間としては既に下校が完了し始める夕方の暮れだ。

あまりゆっくり話をしていると門限までにマルゼンスキーを寮に帰さなかったという罪状でたづなさん辺りに後日詰められそうなので、まどろっこしい駆け引きは省く。

元よりあちらも長引かせるつもりはないらしく、特に勿体ぶる素振りもなく話し出した。

 

「私ね、デビュー前からチヨちゃんを気にかけてたの。ほら、彼女ってすっごく真面目ちゃんじゃない?だから、時々がんばりすぎるところがあるっていうか…とにかく、心配だったのよ。直接関わったことはあんまりないんだけどね。」

 

なるほど、彼女が前々からサクラチヨノオーを気にかけていたのは分かった。だがそれなら…

 

「なぜ今なんだ?」

 

サクラチヨノオーのデビュー時、初の重賞レースでの勝利、GIレースでの勝利…僕の元に来る節目のタイミングなんていくらでもあったはずだ。

なぜ彼女はデビューから1年も経った今、僕の所へ来たんだろうか。

 

「そうね…ホントは口なんて出すつもりじゃなかったの。彼女には彼女の物語があるもの。私が関わっていくのはお門違いだと思ってた。でもダメね、この時期になるとどうしても思い出しちゃう。」

 

歯切れの悪い言い方だった。

先程までの陽気さはなりを潜め、今の彼女はほんの少しの悲壮感を漂わせていた。

この時期と言っていたな。

今のシーズンにあるウマ娘に関するなにかとなると、1つしかない。

 

「クラシックレース、だな。」

 

マルゼンスキーはその言葉に表情を変えることなく頷く。

 

マルゼンスキーはクラシック級だった時、三冠を争うクラシックレースに出走する事が叶わなかった。

理由は中央トレセンの規則が厳しかったからだと言われている。

クラシック登録をしていないウマ娘は「絶対に」クラシックレースに出ることが出来なかった時代。

この厳しすぎるルールには様々な意見が飛び交い、現在その規則は改定されているものの、マルゼンスキーがクラシック級だった頃には規則の改定は間に合わなかった。

その後、マルゼンスキーはレースの第一線から退き、名言こそしていないものの今はほとんど引退同然の状態となっている。

 

「後悔のないように走ってきた。それでもふとした瞬間に思い返してしまうの。もしダービーに出られていたら、って。そんな時に、チヨちゃんがダービーに向けてがんばってるって聞いたの。なんだか過去の私と重なっちゃって。何故か放っておけないのよね、あの子。」

 

それは、まるで過去の自分にサクラチヨノオーを重ねているような物言いであった。

 

「なるほどな、それで皐月賞を目前に控えた今、チヨのトレーナーである僕に対して発破をかけに来た訳だ。」

 

「ヤな言い方するわね、私はただチヨちゃんのトレーナーさんがどんな人なのか確かめに来ただけよ。もし変な人だったら一言ガツンと言ってやろう、ってさっきまでは思ってた。…でも、安心したわ。あなたとならきっと、チヨちゃんも後悔なく走れそうだもの。」

 

まるで姑のようなお節介だな、とは言わなかった。

きっと彼女は純粋にサクラチヨノオーの事を応援しているのだ。

その気持ちにこれ以上水を差すのは無粋だろう。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

その後、彼女がクラシック級のウマ娘だった頃にしていたトレーニングを参考までに聞いた。

走り込み多めの調整プランで、その日の本人の調子によってかなり融通が効くメニューになっていた。

 

「こんな時間にオジャマしちゃって悪かったわね。それじゃあ、私帰るわね。」

 

用も済んだマルゼンスキーが席を立つ。

なんだかんだ遅くなってしまったため、寮まで送っていこうと思ったのだが─────

 

気づくとつい先程席を立った彼女は既に椅子の周りにはおらず、ドアの扉を開けているところだった。

あまりにも早い動きだった。

颯爽と帰ろうとするマルゼンスキーに、最後の質問を投げかける。

 

「マルゼンスキー、最後に1つ教えて欲しい。君がレースをしている最中、勝ちたいという感情を強く意識したことはあるか?」

 

これは僕からの個人的な質問で、彼女のレース映像を見ていて思ったことだ。

僕は彼女のレース映像を見て、鮮烈な走りだと思った。

だが、僕は映像の中の彼女から、勝ちたいという感情を、他を蹴落としてでも負けたくないという執念を感じ取る事が出来なかった。

一体何故なのか。

映像を見た時からそれだけがずっと僕の心の端に引っかかっていた。

 

「う〜ん……ないかもしれないわね。私は、ただレースを楽しんでいただけだもの。走ることが楽しくて、その為に走っていたから。もちろん1着を取りたくないかって聞かれたら、そりゃあ取りたいって答えるんだけど。」

 

そう言って彼女は部屋に入ってきた時と同じような笑顔を見せた。

正に1点の曇りもない笑顔だった。

 

レースを楽しむために走る…誰にでもできることではない。

いや、誰もが初めはそうだったはずだ。

しかし、これを貫き通せるウマ娘はほとんどいない。

どんなウマ娘でも原点はそこにあるはずなのに、経験を積んでいくうちにいつの間にか忘れてしまっているもの。

それを今感じたような気がした。

 

質問に答えたマルゼンスキーは、チャオ☆と言いながら足早に走っていき、日の落ち始めた夕焼けに溶けていった。

 

誰もいなくなったトレーナー室で黙々と事務作業をこなす。

その日はこれ以上誰かがこの部屋に入ってくることはなかった。

日が落ちて外も暗くなり、部屋の中にはパソコンのタイピングの音だけが響く。

そして、ひとつを残して全ての仕事が片付き、最後の仕事を終わらせる為にゆっくりとカーソルを画面の1点へと移動させていく。

そこにあるのは「皐月賞 出走登録」の文字。

日本ダービーの前哨戦、クラシック戦線の第一の冠。

この皐月賞で5着以内に入ればダービーへの優先出走権が手に入る。

そして、僕がトレーナーとなってから初の三冠レースでもある。

絶対的な勝算があるわけではない。

だが、サクラチヨノオーなら───

そう思っている自分がいる。

柄にもなく人を信じてみるのもたまにはいいだろう。

僕は力強くマウスを押した。

 

そして荷物を片付け、部屋を出る。

窓から見える外の景色はすっかり暗くなっていて、いつもより星が多く見えた。

こうなるとリュークの姿は暗闇に紛れてかなり見づらくなる。

普段の行動で忘れていたが、こういうところを見ると死神らしいと思う。

そのままの足取りで寮へと帰る。

僕の中に引っかかっていたものは、もう無くなっていた。




後で気づいたんですがリュークずっと部屋にいるのに全く喋ってないですね。
まぁリュークだしずっと漫画とか読んでるんだろうなぁ()
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