CHiYO NOTE   作:苺ジャム

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第六十五話 原点

「…分かりました。」

 

いつもの明るい笑顔とはまた違う、どこか覚悟の決まったような表情で彼女は言った。

それから、彼女は話し出す…かと思いきや、「付いてきてください」とだけ言って歩き出して行った。

 

そして、歩いて行く彼女の後を追う。

数分歩いて、足を止める。

今僕とサクラチヨノオーは、誰もいない練習用コースにいた。

そして、僕はこの場所を覚えている。

普段練習で使っているから、とかそういう浅い理由ではなく、もっと記憶の奥深くに残っている記憶。

 

「チヨ、ここは…」

 

「はい、そうです。」

 

「ここは、私とトレーナーさんが担当契約を結んだ場所です。」

 

記憶の奥にある引き出しに手がかかる。

まだ真新しいその引き出しを開け、ゆっくりとその日のことを思い出してゆく。

あれは日差しの強い夏の日の模擬レースの日だった。

あの日、僕は彼女と正式に担当契約を結んだ。

純粋に実力のみを買ったスカウトではなかった事も同時に思い出す。

彼女には言えないが、打算で動いたという側面があるのも間違いない事実だろう。

まぁ、そうしたことに対しての後悔もないわけだが。

 

「いつかは話そうと思ってました。」

 

力強い声で彼女はそう言う。

 

「私のことを担当してくれるトレーナーさんにはいつか言わなきゃと思ってたんです。でも、私にとっては嫌な思い出だから…タイミングが分からなかったんです。話をして、もし…見限られたらどうしようって。」

 

サクラチヨノオーは少し震えた声でそう話す。

表情を伺いたいのだが、夕焼けを背にした彼女は強く照らされ影になってしまっていて、その表情を見ることは叶わない。

 

「…大丈夫だ、君の過去がどんなものだったとしても、僕は君のトレーナーだ。」

 

サクラチヨノオーの過去についてはこれまで聞いたことがなかった。

特に知っておく必要も無いと思っていたから。

だが、サクラチヨノオーの持つノートの力の正体がなんなのか分からない以上、彼女の過去に原因が潜んでいる可能性ももちろん有り得る。

今となっては彼女について知らない要素は1つでも潰しておいた方がいいとも思う。

そして、月日を共にするにつれ心情にも変化が訪れていた。

今の僕は純粋に知っておきたいのだ。

どんなものだったとしても、サクラチヨノオーの過去を。

 

「…ありがとうございます。1年過ごしてみて、トレーナーさんなら…この人なら大丈夫って思うことができました。だから話します、トレーナーさんと出会う前のことを。…なんでもなかった頃の、私の話を。」

 

少しの間、静寂が訪れる。

夕焼けがその沈黙を鮮やかな空へと溶かしていく。

話すことに整理をつけたチヨノオーは、自分の飾らない想いを沈んでいく太陽に呟いていった。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

話は彼女の幼少期まで遡る。

サクラチヨノオーは、特別な才能を持って生まれたウマ娘ではなかった。

 

無論才能がないわけではない。

子供の頃からクラブに入り、多くのレースに出た。

その上で人並み以上の努力も重ねた。

そして、何度も一着を取った。

 

しかし彼女は勝利に慢心せず、常に謙虚に生きてきた。

勝っても負けても、彼女は自分の持っているノートに必ず何かを書き留めていた。

次第に彼女はそのノートをチヨノートと呼ぶようになり、第2の自分であるかのように丁重に扱うようになっていく。

 

そんな優秀なウマ娘であるサクラチヨノオーは、当然と言えば当然なのだが周りから期待されていた。

それ故に、本人も信じていた。

自分は最高のウマ娘になれるのだと。

他の誰かに夢を抱かせることの出来る、稀代のウマ娘になれると、

心の底から、信じていた。

 

そんな志を持ったまま、レースに勤しみ、勉学に励んだ。

どちらも両立させたまま彼女は時間を過ごし、トレセン学園の入学試験に挑む時期になった。

受験当日は緊張していた。

これまでの積み重ねがあったが故に、彼女は恐怖していた。

自分自身の努力がこの日この時にかかっている、そう考えると心臓の鼓動はどんどん速くなってゆく。

そんな感情を押し殺し、彼女は受験を終えた。

感触は悪くなかった。

それでも、不安は拭えなかった

そして時は過ぎ、合格発表当日。

掲示板を見るときは手が震えた。

合格の2文字を見た時は足が震えた。

 

これまでの努力が報われた嬉しさ、ここから始まる新たな学園生活への期待…彼女はこの時心の底から未来を明るいものだと信じてやまなかった。

これから、私の物語が始まると──────

 

 

 

そう、思っていた。

 

 

現実は非情だった。

井の中の蛙大海を知らずとはまさにかくの如し、いくら地元で優秀な成績を収めていようとも、サクラチヨノオーはトレセン学園に集うウマ娘の中では平凡であった。

 

そんな状況を変えるため、サクラチヨノオーはこれまで以上に努力した。

学園の時間割にトレーニングがない日も、自主トレを欠かさなかった。

これまで努力を怠ったことはない。

常に全力で己の研鑽に努めてきた。

 

 

それでも、届かない背中があった。

 

 

私と彼女達の何が違うのだろうか。

生まれ持った才能なんて、そんなもの認めたくはなかった。

生まれてきた時から限界が決まっていたなんて、そんなことを認めたくはなかった。

 

しかし、磨きあげれば磨きあげる程に、自分がいかに凡庸かを理解する日々だった。

自分自身の軌跡を書き込んだノートの冊数は、この頃には十冊を超えていた。

自分の自信を体現していたはずのそのノートは、いつしか呪いにも近い物のように見えた。

 

そんな時、授業で教官に言われた言葉がサクラチヨノオーの胸に深く刺さった。

 

『あなたは堅実で、実直で、真面目なウマ娘ね。』

 

教官は彼女を褒めたのだ。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

しかし、その言葉は毒のようにサクラチヨノオーの精神を蝕んでいった。

堅実で、実直で、真面目。

 

それは…『普通』ということじゃないのかな…

時代を作っていくウマ娘は、果たして堅実で、実直で、真面目だったのかな

 

 

 

私は、『なにか』に、なれるのかな

 

 

 

 

 

 

 

そんなことばかり考えるようになってしまった。

日常の全てが退屈に思えてきてしまった。

一体何をしているんだろうか。

一体何をしていたんだろうか。

 

もう自分が何をしたいのかすら、そんなことすら分からなくなりそうで。

心の中にずっしりとした鉛が落ちたように、身体が重い。

何をしていても、この重りがなくなることは無い。

辛い、重い、苦しい。

 

全てが嫌になりそうだった。

もう投げ出してしまいたかった。

 

 

そんなある日、ぼんやりと眺めていた食堂のテレビで映っていたレースの映像を見ていた。

その日、彼女は出会ったのだ。

鮮烈な輝きを放つ赤い閃光、マルゼンスキーと。

 

初めてレースを見た時、衝撃を受けた。

あまりにも規格外のスピード。

正確無比なコース取り。

何より、楽しそうにレースを走るその表情に。

後続をぐんぐん突き放し、圧倒的な勝利をその手に掴んだウマ娘に、サクラチヨノオーは昂った。

 

この人だ!私は、この人みたいになりたい!

 

どれだけの時間がかかるかなんて分からない。

どれだけの努力が必要になるかなんて分からない。

そうなるまで、きっと何度も挫ける。

 

でも、初めてできたなりたいものなんだ。

ここで叶わない夢だと諦めたら、私は私を底なしに嫌いになる!

 

私は、証明するんだ。

堅実で真面目なウマ娘なんかじゃないってことを。

 

急いで自分の部屋にあった書きかけのノートを引きずり出す。

久々に眺めたそのノートの表紙は、いつもより綺麗に見えた。

 

いてもたっても居られずにコースへと走り出す。

あのウマ娘みたいに、マルゼンさんみたいになる為には時間なんていくらあっても足りない!

やらなきゃいけないことも、やりたいこともたくさんある!

立ち止まってる時間なんて1秒だって、ない!

 

 

昼下がりで他のウマ娘も走っている中、スタミナの事など微塵も考えずに心のあるままに激走するウマ娘がひとり。

だがその顔は晴れ晴れとしていた。

 

 

もう、彼女の心にあった鉛は消え去っていた。




この話自体はずっと前から出来てたんですけど、どこで出そうか迷ってたもののひとつです。
クラシック三冠前には出そうと思ってたんですけど、このタイミングで出すことが出来ました。
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