「……なあ初春、もう少しペースを上げられないか?」
「…はぁ……はぁ…す、すみません……はぁ……これでもペースを上げてるんですが……」
オレと初春は非常階段の踊り場で立ち止まっていた。
最初は急いで駆け上がっていた。だが息を切らしている初春は運動神経がいい方ではないのかトコトコ登っているようにしか見えない。
別に物凄く時間が掛かっているわけではないが、あまり時間がなさそうだ。
幻想猛獣の方を見ると、警備員が幻想猛獣へと絶え間なく銃弾を撃ち込み続けている。
弾幕は幻想猛獣を正確に捉え、その体に次々と風穴を空けていたが、その風穴は数秒で再生、より肥大化していっている。体表も半透明ではなく、灰色がかかった薄汚い紫に変わっていた。頭上にあるオレンジ色のリングも、先ほどより光量が増しているのが目に見えて分かる。
幻想猛獣は変化を続けながら少しずつ移動していく。向かっている方向を目で追うと建物があった。
その建物は高い壁で囲まれており、その壁には大きな黄色と黒の放射線記号がイラスト化された鉄板が打ち付けてあった。おそらくあそこは原子力実験炉なのだろう。
これは非常にマズい。もし御坂の足止めが失敗し、ワクチンプログラムのインストールが間に合わなければこの学園都市、そして近くにいるオレたちはおしまいだ。
御坂が幻想猛獣の前にたどり着くと電撃を放つ。触手が飛び散るが、すぐに再生してしまう。再生しきると同時に幻想猛獣が御坂をターゲットに捉えた。そして、黄色い光線を何発も御坂へと撃ち出した。
御坂は跳躍して避ける。
幻想猛獣は当たらないのに痺れを切らしたかのように、今度はリングの上に青白い物体を生み出した。それは直径3メートルほどの球体に形を整え、そして爆散する。
「って、マズい」
放射状に吹き飛んだ光線の一発が初春の方へと向かっていた。
「初春、しゃがめ」
「え?…きゃぁっ!?」
今からでは避けられないと判断し、オレは初春に飛び付き、力任せに押し倒す。
その次の瞬間にはオレの視界は光に包まれた。
――――右上腕部に問題発生。一部の筋肉組織、血管共に損傷。出血多量を予測。
――――自然治癒による回復は不可能と判断。
――――自己修復/オートスタート。
――――変更履歴から損傷前の状態をリード。
――――リードした構造情報をもとに修復箇所を転写。
――――修復開始。
――――完了。
危なかった。普通の人間だったら今のは確実に死んでいた。
光線が右腕に直撃したが、無事怪我をしなかった状態へと復元されており、元に戻った右腕もちゃんと動く。
「大丈夫か初春?」
覆いかぶさった時、手で視界を遮ったために初春にはさっきのは見えていない。
「あっはい。へ、平気です」
少し顔が赤いが無事のようだ。
「あ、あの…さっきの光線は……」
「ああ、危なかった。もう少し下だったら確実に二人共無事じゃなかった……それより急いだほうがいいぞ」
さすがにもうあれを喰らうのは御免だ。
「うぇぁ!?あ、え、清原さん!?」
「何だ?」
「何じゃなくて!!えっとその!」
呆気にとられている初春を無視し、オレは強引にその体を持ち上げた。俗に言うお姫様抱っこだ。別にこれをやって悦に浸る趣味は無い。急いで初春を上につかせるにはこっちの方が早いと判断したからだ。
「あっ、ああああのっ、私強引なのは嫌いじゃないですけど私まだあなたのこと何も知らなくて……!」
「口を閉じていろ。舌を噛むぞ」
「え?」
若干の抵抗を見せる初春を無視し、階段を駆け上がる。踏面を何段か飛ばし、踊り場にある手摺を踏み台にして勢い良く跳躍する。一分も経たないうちに高速道路に辿り着いた。
「下ろすぞ初春」
「あ、あの…」
「呆けるのは後だ」
初春を下ろして通信車両を探すが、いくつもの車両が横転していて、どれがそれだか判別しにくい。
「清原!無事か!?」
「……黄泉川先生」
さっきまで幻想猛獣の相手をしていた黄泉川先生と鉄装先生がボロボロな状態で声を掛けてこっちの方へ駆ける。
「事情は御坂美琴から聞いた!こっちに来るじゃん!」
「助かります」
黄泉川先生に通信車両を案内される。
幸い万が一に備え特別頑丈に作られているのか車両は横転すらしておらず、中の通信機器も健在だった。
「いけそうか?」
「はい。この機器のスペックなら、十分ここからアンインストールワクチンを流せます」
「……そうか」
初春は、一度目を瞑り、大きく深呼吸する。
そしてカッと目を開き、キーボードに指を走らせる。
オレはその様子をしっかりと記憶に焼き付けるのに徹した。
♢♦♢
「何だ……この曲は? まるで、五感全てに働きかけているかのような……」
「先生!」
その医師は先程まで馬車馬のごとく働いていたが、突然院内アナウンスから曲が流れた途端ピタリと動きを止めた。
その曲によるフリーズが解ける前に、病室に別室を担当していた看護婦が息を切らして駆け込んでくる。
「突然っ……患者さんの発作が、止まりました!」
♢♦♢
「……この音、治療プログラム!初春さんやったんだ!」
幻想猛獣にも異変が起こっていた。
御坂の放った電撃が幻想猛獣の触手の一本を破壊した。ここまでは、幾度となく繰り返された光景だったが、辺りにあるスピーカーから不思議なメロディが流れ始めてからその触手は再生されなかった。
「だったら今がチャンスってことね!」
これでゲームオーバーだと言わんばかりに、御坂は幻想猛獣へと向かって雷撃の槍を放った。体表面が真っ赤に焼け焦げて、幻想猛獣は形を保てずにもがき苦しみながら倒れた。
「はぁ~間一髪ってやつ……」
「気を抜くな!!」
「え!?」
御坂が振り向くと、そこには足を引きずっている木山春生がいた。
「ちょ、アンタなんで――」
「まだ終わっていない!」
御坂が驚きの声を上げる前で、木山は幻想猛獣を見上げた。
御坂も幻想猛獣を見つめると、焼け焦げて倒れていた幻想猛獣がゆっくりと体を起こした。
「そんな!」
「ネットワークの破壊に成功しても、あれはAIM拡散力場が生み出した思念の塊。普通の生物の常識は通用しない!」
「話が違うじゃない!だったらどうしろって言うの!?」
「核だ。力場を固定させている核のようなものがどこかにあるはずだ。それを破壊できれば」
立ち上がった幻想猛獣から突然声が漏れた。
『ntsk欲gdt』
『d羨kn苦jpj』
『wd遭dnhだけbp』
ノイズのようなそれは、徐々に言葉として、しっかりとした形を成して御坂の耳へと届く。
『努力は積み重ねてきた……。けど、幾千幾万の努力が、たった一つの能力に打ち砕かれる! ……これがこの学園都市の現実だッ…!!』
『どれだけ慕ってくれてても……自分が相手の能力を超えたら、もう用無し。もう格下。……この学園都市では、人の優劣がはっきりと数値化して現れる。……上に上がったら、下には用無し。もう、おしまい』
『本物の超能力。それは馬鹿馬鹿しいまでに無茶苦茶で、悪い冗談としか思えない出鱈目な力。そこに行くには突破の足掛かりすら掴めない高くて厚い壁がある。……それを目撃した、あの瞬間。それを実感した、あの日から。上を見上げず、前を見据えず、下を見続けた。……それしか、出来なかったッ』
それは、ネットワークから漏れ出た思念。被害者たちの嘆き、慟哭、この学園都市の現実に打ちのめされ、虐げられ、幻想御手に手を出した者たちの怨嗟の声──。
『毎日が、どれだけ無気力か』
『あんたたちには分からないでしょうね』
『その期待が、重い時もあるんですよ』
その中に佐天の声も混ざっていた。
「…………………」
御坂は、前に進む。
一歩、前に。掌に紫電を纏わせながら。
「下がってて。巻き込まれるわよ」
「構うものか! 私にはアレを生み出した責任がある!」
「あんたが良くても、あんたの教え子はどうするの!?目を覚ました時、あの子たちが見たいのはあんたの顔じゃないの!?」
木山は御坂に最もな事を告げられて、口を噤む。
「こんなやり方しないなら、私も協力する。そう簡単に諦めないで」
御坂は木山に、まっすぐ見据えてそう告げた。
その背中に、幻想猛獣は触手を飛ばす。
木山が危険を告げる前に。
触手は御坂に触れることすらできずに、木端微塵に吹き飛んだ。
「あとね……あいつに巻き込まれるんじゃない。私が巻き込んじゃうって、言ってんのよ!」
御坂は振り向きざまに電撃を放った。
誘電力場を発生させ、地面に逃がすことで直撃を避けていた幻想猛獣だったが、御坂はそんな事をモノともせずに出力を上げ続ける。そして誘電力場に守られているはずだった幻想猛獣の体が焼け焦げ始める。
(電撃は直撃していないのになんで……。そうか、……強引にねじ込んだ電気抵抗の熱で体の表面が消し飛ばしているのか!? ……まさか、私と戦った時のアレは全力ではなかったのか!?)
「──ごめんね、気付いてあげられなくて」
木山が驚愕している中、御坂が幻想猛獣に向かって声をかけた。幻想猛獣はそれに応えるように触手を束ねて大きな手にすると、御坂に向かってその手を叩きつける。御坂はその触手を砂鉄によって弾き飛ばした。
『誰だって』
『能力者に』
『なりたかった』
なおも幻想猛獣が御坂に向かって氷柱を繰り出すが、それを砂鉄の壁で難なく打ち破る。
「頑張りたかったんだよね」
『しょうがないよね』
『あたしには何も……』
『なんとかして……』
『力を』
幻想猛獣が鳴き叫び、それと共に学生の叫びが木霊する。
『……なんの力もない自分が嫌で。でも、どうしても憧れは捨てられなくて』
「うん、でもさ。だったらもう一度頑張ってみよう」
御坂はポケットからゲームコーナーで使われるメダルコインを取り出し、親指の上に乗せて、それを天へと高く弾いた。
「こんなところで、くよくよしてないで。自分で自分に、嘘つかないで──もう一度!」
弾いたコインが手元に落ちてくると、御坂は笑顔でそう告げて自分の能力の代名詞である超電磁砲を放った。
凄まじい閃光と共に幻想猛獣の体を貫き、それは少しの狂いもなく幻想猛獣の核である三角柱を体から弾き出して撃ち抜いた。
核のようなものを砕かれた幻想猛獣は、その体からエメラルドの光を漏らしながら崩壊を始め、まるで幽霊だったかのように跡形もなく消えた。
いや、“帰った”というべきか。
♢♦♢
日が傾き始めたころ。
木山春生は手錠をかけられて警備員の護送車へと歩いていた。
「あの!」
そんな木山に御坂が声をかけた。木山が振り向くと、御坂が気まずそうな顔をしていた。
「……どうするの、子供たちのこと」
「もちろん諦めるつもりはない。もう一度やり直すさ。刑務所だろうと世界の果てだろうと。私の頭脳はここにあるのだから」
木山が自信たっぷりに言うと、御坂と初春は安堵して微笑む。
「ただし」
だが次に放たれた木山の一言で、怪訝そうな表情をした。
「今後も手段を選ぶつもりはない。気に入らなければその時はまた邪魔しに来たまえ」
警備員の護送車に乗せられた木山は黄泉川先生と共に去っていく。
「やれやれ、懲りない先生だわ」
さて、ここでの用は済んだことだしオレは退散するか……。
「ねえちょっと」
踵を返そうとしたところで御坂から声をかけられる。
「……なんだ?」
「私……木山の記憶を見た時、あんたと同じ名字が聞こえたのよ」
なに?
「それに、初春さんを抱えて走っていたあんたの動きは普通じゃなかった」
よくもまああんな戦いでよそ見する暇があったな。こっちは一度腕が千切れかけたんだぞ。
「あんた……一体、何者なの?本当に無能力者なの?」
「……」
御坂の問いにどう答えようか考えていると、タクシーが一台近付いてきた。降りてきたのは白井だった。
「お~~~~ね~~~~~え~~~~さ~~~~~まぁぅ!!」
「ぐへぇ!?……な、何!?黒子!?」
何が起こったかというと、白井はタクシーから降りるとともに空間移動をして距離を詰めて御坂に真正面から抱き着いたのだ。
御坂はその衝撃で唸り声を発しながら、地面に背中から激突する。
「黒子は心配しましたのよ!心を痛めておりましたのよ! ……ハッ! 御髪に乱れが!お肌に無数の擦り傷が!へっへっへ……どうやら電撃を放つ体力も残っていないご様子。ここは黒子が? 隅々まで見てさすって癒してあげますの!!」
なんだこれ。生真面目そうな感じの時とはまるで別人だ。
「……なあ初春。ひょっとして白井は…」
「ああ、清原さんは知らなかったんでしたね。白井さんは御坂さんLOVEの変態さんなんですよ。風紀委員の仕事をしているときはノーマルなんですけど、御坂さんが絡むともう凄くて」
つまりあの三バカと同類か。マジ引くわ。
まあ、白井の変態のお陰で上手く誤魔化せそうだな。
「じゃあお邪魔虫は退散するからあとはごゆっくり」
「ちょっ、こらっ、逃げんな――――!!」
後ろから御坂がなにか叫んでいるが無視してその場から立ち去る。
それにしても虚数学区の正体があんな怪物だとはな。
AIM拡散力場とは能力者が無自覚に発してしまう微弱な力のフィールド。いわば『自分だけの現実』という能力者が持つ独自の感覚・認識、現実の常識とはズレた世界の一端が現実に僅かながらに干渉している。
能力者一人程度ならなんということないが、数百以上となると相互干渉を起こして現実に大きな影響を与える。塵も積もれば山となるとはまさにこのことだ。
それに生まれたてとはいえ、幻想御手に束ねられた1万人分であれほどの力を振るったのだ。
もしも学園都市満ちる能力者180万人分のAIM拡散力場が相互干渉を重ね束ねられればいったいどうなるのか……。
木山が学園都市上層部は能力開発に関してなにか隠していると言っていたが、ひょっとしたら幻想猛獣のようなのが関係しているのかもしれない。
その一端に触れてしまったとなれば木山に何もしないとは到底思えない。
それに、御坂の話だと木山はキヨハラの名を知っているようだ。いったいどこまで知っているか確認しようにも既に連行された。面会なんかすれば記録が残って上に目をつけられるリスクもある。仮にリスク覚悟で面会したとしても素直に教えてくれそうにない。
釈放の方はまあなんとかなるだろう。
あとは…………。
オレはスマホの画面を操作し、ある人物に電話を掛けた。
幸いにも、その人物はすぐに出てくれた。何かを言われる前に、オレは素早く話を切り出す。
「頼みがあります」
♢♦♢
同時刻。
学園都市第七学区の一角に鎮座する、窓の無い奇妙なビル。
巨大なガラス容器の中で逆さまに浮かぶ長い銀髪に緑眼の『人間』が、笑っていた。
男にも女にも、子供にも老人にも、聖人にも囚人にも見える『人間』が見ているのは、空中に直接表示された四角い画面だ。
その画面には高速道路で起こったある現象がスロー再生されていた。
とある少年の腕に光線が掠り、肉が抉れて中の筋組織が見えてしまっている。
だが、直後に傷口にノイズのようなものが走ったように思えた次の瞬間には、彼の身体には傷一つ残っていなかった。それどころか焦げた服すら元の状態に戻っていた。
「
普通ではありえないような現象に、『人間』の笑みはさらに深くなったのだった。