全然余裕がなかった菜々さんのお話。
ここは夢の頂だ。
ある日ふと、気が付いた。ここに辿り着いてる私に。
あれだけ必死になって、何十年かかっても諦めきれなかった、この場所に。私は立っていた。
じゃあ、これから私はどこに行けばいいのだろう?
────────
ナナにとって、『アイドル』は特別なものでした。
きっかけは多分テレビ。ステージで歌って踊る華やかな姿。その様に、すぐ心を奪われたんです。
キラキラしていて、お姫様みたいで……いつか、自分もあんな存在になりたいと思うようになっていました。
ナナは目指し続けました。中々上手くいかなくて折れそうになっても、諦めた方がいいと周りに諭され続けたりバカにされ続けられても、ナナは諦めませんでした。
全てはアイドルになるために。この夢を叶えるために。
ただ、退くに退けないところまで来ていた、ということもあるかもしれません。もし途中でやめてしまえば、それまでの私の人生は全て無駄になってしまうから。
だとしても、『アイドルになりたい』という思いに嘘はありませんでした。この想いだけには、誰にも負けない自信があったんです。
だけど、この日々は唐突に終わりを迎えます。スカウトされたんです。しかも、超大手の芸能事務所から。
最初は訳が分かりませんでした。どうしてこの事務所から? どうして今? と。
現実はナナの理解よりも早く動いていきます。いつの間にか勤め先を辞め、アイドル候補生の一人としてその事務所に所属することになっていました。
大きい事務所ということもあって、今までしてきたものとは比べ物にならないくらいに高いレベルのレッスン、知っているものよりも規模が大きい握手会やイベントなどのお仕事などがナナを出迎えてきました。
劇的に変わってしまった日常。これについていくことがやっとで、とにかく目の前のことに必死で、考える余裕すらなくなってしまいました。
大きく変わった環境、日々積み重なる覚えるべき事柄達。精一杯、やり続けました。これも絶対、この夢に結び付くんだと信じて。
スカウトしてくれた方がプロデューサーさんとして方針を決めてくださり、それにナナが付いていく──そんな日々がしばらく続きました。
数日、数週間──いや、もう数ヶ月経っていたのかもしれません。この日の朝、唐突にナナは理解してしまいました。
私は『アイドル』であると。
そう、もう私は『アイドル』だったんです。
気が付けば候補生ではなくなり、知名度も増えてきて、念願だったステージにも立たせてもらう機会も出てきていました。
夢が、叶ってしまったんです。
あれだけ熱望して、あれだけなりたいと思って、あれだけ諦めかけたこの夢が、叶ったんです。
それは、この夢の終わりを意味していました。
「──あれ?」
途端、目の前が真っ白になりました。
今まではっきりしていた道が、これまで何十年と歩んできた道が、途絶えてしまったんです。
先が見えない。まるで霧がかかってしまったかのように。
ナナはアイドルになるためだけに生きてきたようなものです。そのために実家を出て関東に住んで、バイトをしながら生活をしつつ、個人でレッスンをしてきたのですから。
キラキラした衣装を着て、大きいステージに立って、ファンの人たちに囲まれて──まだまだ遠いと思っていたこれらを、叶えるために。
しかし、気付いてしまったんです。私の夢は終わっていたのだと。
「……」
じゃあ、次は何をすればいいんだろう?
真っ先に出てきた疑問でした。
私には、あの夢しかなかったんです。人生をかけて成し遂げるつもりだった、アイドルになるという夢しか。
それが終わってしまい、夢は現実になった。その次なんて考えてなかった。そんな余裕なんてなかった。
「……わからない」
これが、今の答えでした。
何もないんです。今のナナには。何になりたいのか、どうしていきたいのかなんて。だってナナは、『アイドルになること』しか考えてきてなかったから。
これから何のために生きればいいんだろう。どうしていけばいいんだろう。私は──。
「っ!」
そんなナナの思考をシャットアウトするように、メールの通知が届きます。
相手はプロデューサーさん。本日の予定が記載されたメールでした。
今日はお仕事はなく、レッスンのみとのこと。だけど定例ライブが近いから決して手を抜かないように、ともたりました。
ただ、ナナが手を抜くとは思ってないのか、本当に念のために書いている感じです。
「……」
いつも現実は、ナナを待ってくれません。
ここで今日ナナが休んでしまえば、プロデューサーさんやトレーナーさんに迷惑をかけてしまいます。それは嫌だと回らない頭を放置して、とりあえず準備を開始しました。
荷物をカバンに詰め込み、メイクなどで容姿を整えて、少し変装を入れつつ諸々を完了させ、家を出て事務所を目指します。
いつもの道、いつもの電車、いつもの風景。昨日と全く変わっていません。なのにどこか、足が重たい。
どこかが痛むというようなものではありません。怪我なんてしていませんし、怪我をするような生活もしていないのですから。
そうなればやっぱり、思い当たるのは今日抱いたあの考え。何故それが身体に影響が出るのかは分かりません。でもこれしか考えられない。
思考を上書きしようと、自分に語りかけます。
そんなこと思い続けてても仕方がないよと。考え続けるようなことではないよと。
「……よし」
これを続けると、少しだけ落ち着いた気がしました。
さあ、これからレッスンです。張り切っていかないと。
自分を鼓舞するため、いつもの掛け声。
「よぉし! ウサミン、張り切っていきますよ~っ!」
心の一部がちょっとだけ冷めた様子で、これを見ていました。
─────
「ワン・トゥー・スリー・フォー───」
「ハァ、ハァ、ハァ──」
ダンスレッスン。ナナがちょっとだけ苦手なレッスンの一つで、同時に凄く鍛えられるレッスンです。
運動が凄く苦手……というわけではありませんが、歳のせいか体力が少ないナナにとって、得意とは決して言えないものになっています。
だけど最初の頃に比べると大分着いていけるようにはなりましたし、動けるようにはなってきたと思います。
今やっているのは、定例ライブで踊るダンス。初めて踊る曲ではないのですが、完成度を高めるために今こうしてレッスンをしていただいてるんです。
でも、どこか今日は上手くいきません。
上手く身体が動かせないんです。昨日までは踊れた箇所が、何故か踊れなくなっています。
「はい、一旦休憩にしましょう」
「はい……っ!」
乱れた息を正しながら、感じます。
やっぱり、動けない。おかしい。今のナナなら決して踊れないことはないはずなのに……。
「……安部さん。大丈夫ですか?」
「……へ? あ、ええはい! 大丈夫です!」
「……でしたら、いいのですが」
少しして、再びレッスン再開。休憩中に同じ失敗はしないように何度も何度もイメージトレーニングを行ったのに、どうしてもいつもみたいにレッスンに身が入りません。
また。また。また。さっきまで成功していたところでさえ、出来なくなっていってる。
スランプ? でもどうしていきなり? 昨日までは普通だったのに?
「安部さん、今日はここまでにしておきましょうか」
「──え?」
まだレッスン終了には早いです。早すぎます。
まさか、ナナが全然踊れなかったからじゃ……。
「あぁ、心配しないでくださいね。今日は元々身体を動かすレッスンはここまでにするつもりだったんですよ」
「え、そうなんですか……? それじゃあ何で……」
なんでいつもと同じ予定時間なのかと聞こうするナナに、トレーナーさんは微笑んで私に向かいます。
「少し、お話しませんか?」
「へ?」
今日何度目の驚きでしょう。ここまで驚いてきたのは中々ないと思います。
「そうですねぇ……じゃあ、私のことから話させていただきますね」
その前にと、トレーナーさんはここでの話は私達だけの秘密ですよ、と告げてきました。
お話は、トレーナーさんが何故トレーナーになったのか。これまでの人生についてでした。中々に興味深く、これまで聞いたことの無かったトレーナーさんのお話で、聞き入ってしまいました。
中でも印象に残ったのは、トレーナーさんがトレーナーを目指すようになったきっかけ。その軸がぶれることなく、今の職に就けているのは素直にすごいと尊敬するほどでした。
「──そういえば、安部さんがアイドルを目指すきっかけって何ですか?」
「ナナですか? ナナはですね──」
口が止まりました。
今話そうとしていたのは、昔テレビでアイドルをみていたこと。そこで憧れて、今に至ること。これまで、私の原点であると感じていたもの。
──ほんとうに?
間違ってはいません。これは自信を持って言えます。だけど、何かが足りない感じます。
そう、これじゃ足りない。これじゃ弱いんです。私を構成する根本的なモノとして。
「……あれ」
じゃあ、なんだっけ。私がアイドルになりたいって思った理由。アイドルになって、何をしたかったんだっけ……?
「……あ、残念。もう時間みたいです」
時計を見ると、確かに時間だ。一瞬だった。
「すみません、次もありますので失礼しますね。次回、その答えを聞かせて頂けると嬉しいです。お疲れ様でした」
「あ、えっと……ありがとうございました」
トレーナーさんが去っていき、一人になってしまいます。
結局、その場で答えを出すことはできませんでした。
─────
本日の予定が全て終了。意外と時間が余ってしまったので、少し事務所を散策することにしました。
いつ見ても、事務所は綺麗。芸能事務所であるなんて誰が思うだろうというほどに。来た頃と殆ど変わっていないんです。
周りは本当に変わりません。変わってしまったのは、私。
いつしか、私はこうなってました。
おかしいな、もっと前は生きることを楽しんでいた気がするのに。
何で昔の私は、楽しめていたんだっけ?
「おや、菜々さん」
「! プロデューサーさん! お疲れ様です!」
「えぇ、お疲れ様です」
気が付けば、プロデューサーさんが目の前にいました。
珍しい。プロデューサーさんがお仕事が無い日に顔を見せにくるなんて。もしやこれからミーティングかな?
「これからミーティングですか?」
「いえ、まだ内容がはっきりしてないので、今はまだですね」
「そうですか……?」
それなら本当に珍しい。プロデューサーさんはナナ以外の子も担当されているみたいで、必然的に一人辺りに割ける時間も限られます。
お仕事のときは必ず着いてきてくださるのですが、普段のレッスンだけの日などはあまり会うことが出来ないことが普通でした。
「今日のお仕事は?」
「あぁ、私の分は終わっています。なので今日は後はフリーですね。菜々さんは?」
「ナナもレッスンが終わって、今は散歩していたところです」
「この後何か用事でも?」
「いえ、特には」
「でしたら……」
言うと同時にプロデューサーさんは鍵を取り出しました。あれは、社用のもの?
「菜々さん。少し、ドライブでもしませんか?」
────
「ドライブなんて初めてかもしれません」
「あはは、確かにアイドルになってから、あまりそのような時間はありませんでしたからね」
社用車に乗ること自体は初めてではありません。ライブ会場に行くときや、遠い場所へお仕事をするときなど、乗ったことはあります。
ただし目的はあくまで、アイドルのお仕事です。こうして目的もなくドライブをするというのは、初めてのことでした。
「でもいいんですか? 社用の車でドライブだなんて」
「許可は取ってますし、大丈夫ですよ。気にする必要はありません」
走り出します。後ろに過ぎていく見慣れた景色。だけどいつもはゆっくりなので、どこか新鮮味があります。
「どこへ向かうんですか?」
「そうですね……あ、そうだ。行きたい場所があるんです。付き合っていただけませんか?」
「はい、ナナは大丈夫です」
特に行きたい場所もありませんでしたので、プロデューサーさんにお任せすることに。
ボーッと窓の外の景色を眺めつつ、たまにプロデューサーさんと雑談をしていきます。
何分、何時間、どれだけ経ったのでしょう。ふと、気が付きました。
──あれ、ここ、知ってる。
懐かしさすら覚えるこの辺りの場所。進むにつれその感情は強くなっていきます。
「プロデューサーさん、ここって……」
「あぁ、まぁ気が付きますよね。菜々さんのご実家付近です。以前お話としては聞いていたので、行ってみたくなりまして」
ここは私の地元。『安部菜々』が生まれ、ウサミン星に住まうまで住んできた、私の故郷。
……あんまり、変わってないんだ。
「……」
暫く、景色を見ながら思い出していました。
小さい頃から、ここを出るまでの期間。年数だけで言えば、ウサミン星に住んでいる時間のほうが長いかもしれません。だけど、決して薄い思い出ではありませんでした。
そう、例えばあの日アイドルを目指し始めた時とか──。
──いや、違う。確かに『アイドル』を目指したのはあの時のはず。だけど、違う。
なんで忘れていたんだろう。私がアイドルになって、やりたかったことは──。
「!」
一人で泣いている女の子が見えました。途端に駆られます。声をかけなきゃという思いに。
「プロデューサーさん、ちょっと停めてくれます?」
「え? あ、はい」
車が停まり、すぐに私はドアを開けて外に出て、女の子のほうへ駆け寄りました。
変装を取った、ナナの姿で。
「どうしたんですか?」
「!」
「よかったら、ナナがお話聞きますよ?」
怖がらせないように、笑顔で声をかけます。
女の子はナナを見て驚いたのか、泣きやんでしまいました。
「え……え?! ウサミン?!」
「あ、ナナのこと知ってくれてるんですか? ありがとうございます! ですけど今日はお忍びで来てるんです。内緒、ですよ?」
「う、うん……わぁほんものだぁ」
まさかファンだったなんて。嬉しい。だけど今はそんな場合ではありません。この子は、さっき泣いていたんですから。
「それで、どうしたんですか?」
「……じつはね、おかーさんとケンカしちゃったの。あたしがわるいのに、おかーさんにヒドイこといっちゃった。おかーさん、おこってるかな……」
……本当に辛そうです。何とかしてあげたい。
でも、直接介入するのは違います。この子とそのお母さんだけの問題であるから。
「仲直り、したいんですよね?」
「うん……」
「じゃあ、しっかり『ごめんなさい』すれば、きっとまた仲良くなれますよ。大丈夫、心から謝れば絶対伝わりますから」
「うん、でも……」
やるべきことは分かってる。でも自信がない。こんなところでしょうか。
だったら、ナナのやるべきことは背中を押してあげること。そのために勇気づけることです。
「でしたら、ナナと一緒に元気になるおまじないをましょう! ウサミン星秘伝のおまじない、特別に教えちゃいますよ!」
「え、ほんと!?」
嘘。そんなものはない。
だけど多分、なんでもいいんです。この子が元気になってくれれば。
だから、いつものポーズをちょっとアレンジしたもので。
「うさみみポーズを取って……はい! 『ウーサミン!』」
「『ウーサミン』!」
「もう一度! はい! 『ウーサミン』っ!!」
「『ウーサミン』っ!!」
「完ッ璧です! これで絶対絶対ぜぇーったい、仲直りできますよ!」
「ありがとうウサミン!! なかなおりしてくる!!」
「はい、頑張ってください!!」
元気よく、その子は走り去っていきました。
きっと、もう大丈夫。そんな気がしました。
同時に覚える強い満足感。そう、これが私のアイドルになってからやりたかったことの一つ。
──自分の声で、自分の言葉で、誰かを元気付けたい。
いつしか私が、色んな人にしてもらったように。
「──あぁ」
一つ気がつけば、紐づる式にするすると思い起こされていきます。
アイドルとしての夢。アイドルになって、成し遂げたいなと考えていた多くのことを。
心の霧が晴れていく。晴れた先で見えるのは、今いる頂よりも高い山々。
まだ私の夢は、途中でしかなかったのです。
本当……なんで忘れていたんでしょう。
まだまだこれからやりたいことが沢山あるのに、どうして私は立ち止まってしまっているのか!
「……やっと、歩き出せますね」
帰ろう。全ての夢を、成し遂げるために。
「すみませんプロデューサーさん、急に出ていってしまって……」
「いえいえ……元気になってくれたみたいですね。よかったです」
プロデューサーさんに謝罪をし、車に乗り込みます。その後、発進。
「ご実家のほうへは、いかがなさいますか?」
「……いえ、いいです。今は、まだ」
まだ、私は夢の途中。こんな中途半端な状態で、家族に顔を見せられません。
自信を持って報告したいから、私から行くのは本当の終わりのとき。それまで、待っててね。
「プロデューサーさん、今日はありがとうございました」
「気分転換になったのでしたら何よりです。それより菜々さん……短時間でその、変わりましたね?」
気が付かれた。だけどそりゃそうかと内心苦笑します。
今車にいるナナとさっき車に乗っていたナナ。同じナナではありますが、その思いは違うのですから。
一回呼吸して、返答の言葉を紡ぎます。
「思い出せたんです。『私』のこと」
ゆっくりと、自分の思いを言語化していきます。
「だから、頑張ろうって思えたんです。昔のナナが今のナナを見て、がっかりしないように。『貴女が望んだ夢を、私は叶えたよ』って、胸を張って伝えるために」
言ってて少しだけ恥ずかしくなりましたが、言葉に嘘はありません。だから晴れやかな気持ちでもありました。
「……なるほど、そうでしたか」
少し間を置いて、プロデューサーさんが呟きます。
どこか嬉しそうで、楽しそうな感じです。その調子のまま、続けられます。
「でしたら、私もそんな貴女の思いに応えなくてはいけませんね。いつまでもお供させていただきますよ」
「!」
プロデューサーさんのハンドルを握ってる手に力が入りました。
この人はいつも、私のことを考えてくれてます。私の力を最大限引き出して、それを最大限活かせるお仕事を持ってきてくれます。
──そうか、私は一人じゃないんだ。私の夢も、もう私だけのものじゃない。
この人が手伝ってくれる。道を示してくれる。まるでおとぎ話に出てくるあの魔法使いみたいに。
うん、この人なら大丈夫。今日、改めて理解できた。
私の夢の終わりは、果てしなく遠いですからね? それまで、しっかり着いてきてくださいよ?
私の大切な、相棒さん。
「改めて、これからもよろしくお願いします。菜々さん」
「こちらこそ、よろしくお願いします! プロデューサーさん!」
2023年5月15日は安部菜々生誕祭
17歳の誕生日おめでとう!!!