「サイ、サイよね! 久しぶり! 元気にしてた?」
記憶より大人びた声が耳を打つ。少し髪が伸びたミリアリアがカメラを下ろして目を丸くしていた。懐かしい友達に笑い返す。
「久しぶり、ミリィ。見ての通り俺は元気だよ。そっちはどうなんだ? 今日は仕事? それとも里帰り?」
カメラマンとしての彼女は結構な有名人だ。ギルバート・デュランダル氏の演説で使われた一枚が名刺代わりになってる。セイランの横暴に耐えかねて声をあげた人々を収めた写真。それが彼とプラントの歌姫の目に止まった事がジブリールを匿ったオーブに対する酷いバッシングが止むきっかけになった。つまり、あの写真に俺達は救われた。それに感謝した民衆が撮った人を探して、ミリアリア・ハウの名前は一気に広まった。今では戦争の悲惨さを切に訴えてくる写真から何気ない暖かな日常を切り取った一枚まで世界の様々な場面を届けてくれている。
そんなオーブにとっての恩人の予定が気になってつい聞いてしまった。不躾だったかと頭を軽く下げれば苦笑して肩をすくめられる。
「両方かな。久々にお母さん達と会うついでに今のオーブの風景を撮っておきたくて。でも、なんか寂しくなってるわね。この道ってこんなにシャッターだらけだったっけ?」
二人しか居ない大通りに冷たい風が吹いた。少し前までこの道は多種多様な店が軒を連ねていた。昔フレイの買い物に付き合った時は人でごった返していた程だったのに。ヘリオポリスに行く前の懐かしい記憶を思い返しながら不思議そうな彼女に答える。
「避難した人達があんまり帰ってきてないんだよ。皆、まだ不安みたいでさ。俺も気持ちは分かるから責める気ないけど」
返した先の彼女が言葉に詰まってしまった。気温が一段と下がった気がする。このままじゃ冷えるからと薄ら灯りが見える遠くの店を指差せば曖昧な表情で頷いてくれた。力の抜けた小さな肩に安堵しながら歩みを進める。お互い何も言葉に出来ないまま自国の現状に思索を巡らせた。
帰って来ていないのは海を渡って他の国に行った人も宇宙に上がっていった人も両方だ。時期は違えど、二度の大戦でオーブは連合とザフトの両方から標的にされてしまった。
どちらかに付いた他の国ならこうはならなかっただろう。必ず味方をしてもらえる。ガルナハンやベルリンは味方だった筈の地球軍から攻撃されてたけど、その時にはザフトが守ってくれていた。
両方から攻撃されたのはオーブだけだ。中立国の危うい面が表に出た形になる。その事に今の上司であるかつての仲間は胸を痛めていた。
もちろん、アスハ家の責任は微々たるものだ。一度目は地球軍の強引さが原因で、先の戦争中にセイランが暴走した事なんて皆知ってる。ただ、戦争が終わった今になっても関係性を懸念して留まっている人達が多いらしい。あの時の失敗を盾に無理な要求をされてしまうんじゃないかと不安なんだろう。
二回目の時はザフトに怯えたナチュラルだけじゃなく、これ幸いと耐えかねたようにコーディネーター達もオーブから逃げ出していた。モルゲンレーテに勤めていた頃、仲が良かった人達から悔しそうにさよならを告げられたのは苦い思い出だ。こんな国には居られないと涙をためて言っていた。
俺は宇宙に居たから実際は知らないけど、地球軍の占領下に居た間は僅かとはいえ酷いものだったらしい。詳しくは知らないけど分かる。父さんも母さんも、周りの友達や仕事仲間も全員顔色を悪くして何も話してくれないから。俺も段々と聞かないようになった。本当に嫌な事は思い出す事さえ辛いから。
俺だって半歩間違えれば死ぬような体験をして取り返しのつかないものをいくつも失った。けど、だからって比べられる物じゃないだろう。どっちも地獄で辛いのは変わらないし優劣をつけるべきじゃないとも思う。
仲違いしたまま二度と逢えない場所に行ってしまった彼女との記憶を思い出したからだろうか。柄になくそんな事を考えてしまう。心に空いた空洞は此の先どんなに素敵な恋をしても埋まらないという変な確信がある。あの日彼女の手を振り払ったのは自分の癖に、この穴を埋めたくもないと思うのはおかしな話だ。自嘲しながら今の職場でもある行政府の方角へ視線をやった。
首都のオロファトがあるオーブ本島にはまだまだ人が居る。ただ、周りの都市はこんな風にちらほらと寂しい様子を呈していた。誰が悪い訳じゃない。代表のカガリだって自分に出来る精一杯をこなしている。自分が若くしていきなり後を継いで苦労したのも原因だからと、再発防止策として後継と決めた少年を側に置いて育てている。弟のように可愛がっている彼と一緒に本人も仕事の合間を縫って政治を一から学び直し中だ。そんな彼女の真剣さが伝わったのか、オーブに留まってくれてる人はまだいる。他所に行った人にもいつかは伝わると信じたい。
祈りにも似た想いを抱いていると、ミリィに名前を呼ばれた。考え事に夢中で目的地を通り過ぎる所だった。軽く手を合わせて謝ってから暖かな橙色の光に包まれたドアを開ける。カラコロと喫茶店特有の鐘の音が小さく鳴った。こういう店は結構好きだ。店内の調度品を眺めていると応対に来た若い店員さんの声が聞こえた。
「いらっしゃいませ、何名様で…………サイ!? ミリィまで!? 二人揃ってどうしたんだ?!」
驚いて視線を正面に戻す。あの頃と変わらない下がり眉でカズイが目を丸くしていた。
「ここ、カズイのバイト先だったのか。良い店だな」
数年ぶりに会った友達にぎこちなく口の端をあげる。変な顔になってないだろうか。運んだケーキセットをカメラに収めていたミリアリアが気遣わしげに眉を寄せた気がする。気になって見つめていると不思議そうに首を傾げられた。慌てて首を振ってからサイの前にコーヒーを置く。そのままお盆を返しに行けば店長が他にお客さんも居ないからゆっくり話しておいでと笑ってくれた。奥で制服のエプロンを外してから席に向かう。耳にした事もない何かの専門用語が沢山聞こえてくる話で盛り上がっていた。すっかり社会人って感じの二人に気後れして尻込みしてしまう。手招きしてくれたサイの隣に座ればにこやかに話しかけられた。
「お前もオーブに残ってくれてたんだな。嬉しいよ。きっとカガリも喜ぶ。やってる事は無駄じゃないって」
本当に喜んでいるらしい顔に何を返せば良いか分からなくなる。曖昧に口ごもりながら相槌を打てば嬉しそうにあれこれと話してくれた。上の空で返事をしながら、言葉にせず飲み込んだ本当の思いを反芻する。
俺がこの国に残ってるのはカガリを信じているからだけじゃない。他の何処にも行けないからだ。だって、他の国に行くのは怖い。また戦争に巻き込まれるのは御免だ。かと言って、ようやく帰って来られた慣れ親しんだ場所から離れるのも不安で堪らなかった。そうこうしている内に時計はどんどん進んでいって何処にも行けずに此処に居る。
別にオーブが嫌いになった訳じゃない。ただ、俺達が連合の奴等から酷い扱いをしていた時に側に居てくれなかったカガリに思う所が少しあるのは確かだ。けど、あの女の子が悪い奴じゃない事も良く知ってる。だからこそ苦しい。彼女の人柄を知らない他の人達が好き勝手非難するのには乗っかりきれない。でも反対にアスハ家を信奉する奴等にも同意出来ない所がある。宙ぶらりんの俺には居場所なんか無いみたいで最近はいろんな事に疲れてしまった。
デスティニープランにだってそうだ。最初は良い案だと思っていたけど、なんか違う。なりたかった職業には俺より才能がある人達がたくさん居た。他の全部を捨てて勉強しないと採用してもらえない。そこまで頑張ってまでなりたい訳じゃなかった。向いている職業でも皆条件は同じだから、才能に胡座をかいてなんか居られない事に気づいた。才能が無い方に進んでも、ある方に行っても頑張らなきゃいけない事に変わりはない。そんなのはプランが出来る前からそうだけど、戦争が終わった上に楽して生きられると思っていたのに。努力するのがしんどいなんて甘えと言われてしまうんだろうか。
すっかり落ち着いた雰囲気を纏って悩みなんか無さそうな二人を見る。やっぱり俺はそんな風に頑張れない。何処にでも居ると思ってたかつての友達は皆俺よりも全然強くて、眩しすぎる。だけど、それを二人にぶつけたって何にもならない。せっかく久し振りに会えた事は嬉しいのに、鬱々とした鉛みたいに重い気持ちが澱む心へ溜まっていく。もう離れてしまおうかと考えてしまった瞬間、紅茶を飲み終わったミリィがカメラを手に立ち上がった。
「私、そろそろ行かないと。来る途中の花屋さんはまだやってたから一人で買いに行きたいの。せっかく会えたのにごめんね。記念に二人の写真撮らせてもらいたいんだけど、嫌じゃない?」
腰を落ち着け直して頷く。花はご両親にだろうか。それともトールに? 気になったのも束の間、安心したように笑ったミリィが小さなカメラを構える。直ぐに出てきた写真の中では俺とサイが肩を組んで笑っていた。
「アスラン、ちょっと良いですか?」
あの人の部屋の扉をノックする。すぐに開けてくれた。どうしたのか嬉しそうに聞いてくる人に悩み事を打ち明ける。
「実は、ステラがファウンデーションの事を知っちゃって……ほら、最初の数日は観光みたいな感じでしょう? その間だけでも一緒に行きたいって」
アスランさんが小さな声をあげて固まった。この前、ジュール隊長に話してまでステラを行かなくて良いようにしてくれたのに。申し訳なく思いながらこうなった経緯を思い返す。
ファウンデーションの代表や情報部のジュール隊長、現場で動く俺達の代表としてアスランさんとネオさん、オズ艦長に加えて理事国代表のアスハ代表と連合の大統領、議長達の間で会議が行われた。
最初の数日はミケールへのカモフラージュも兼ねた観光、後半の決行日に強襲をかける。ただ、他国を刺激しないように戦闘区域が予め厳密に決められているのが普段と違う点だ。自分達から独立して頭角を表しているファウンデーションの事をユーラシアはかなり警戒しているみたいだ。
会議から帰ってきたアスランさんから何があっても絶対に境界線を超えないようしつこいぐらいに言われた。いつもアスランさんの前では聞き分けの良い風にしているアグネスでさえウンザリしていた程だった。
そんな作戦の詳細を受け取った日、家で読み込んでそのままお風呂に入ってたら晩御飯の準備をしてくれてたステラにうっかり見られてしまった。ミーアさんからアスランと一緒に何処かに行ける事自体は聞いてたらしく、自分も行きたいと泣いてお願いされてしまった。好きな子のお願いを無下には出来ない。冷たく断る事も出来なくてこうして相談に来てしまった。途方に暮れて見つめた先のアスランさんが困ったように笑って口を開く。
「民間人の協力者としてミーアが行くぐらいだからな……ステラが行くのは問題ないだろう。オルフェ代表も来られる人数が増える分には構わないと言っていた。むしろ有り難いだろうな……ミケールの目を欺くついでに自国の観光産業も潤う。良く考えているよ」
ちょっとだけムッとする。思わず反論が口を突いて出ていた。
「お金がどうとか関係なく、自分の過ごしてる国の良い所を知って好きになってもらいたいだけじゃないですか? その気持ちは誰にだってあるでしょ。前も思ったけど、アンタ損得がどうとか難しく考え過ぎですって」
つい言ってしまった先、呆気に取られたように瞬きを繰り返したアスランがいきなり柔らかく微笑んだ。お前は凄いなとワシャワシャ頭を撫でてくる。少しは分かるようになった筈のこの人の心の動きが偶にさっぱりな時がある。俺とこの人には似てる所も多いらしいけど、同一人物って訳じゃない。それは別に駄目なんかじゃないと思う。人が何を思ってるかなんてその人にしか分からなくて当然だ。そんな事を思っている内に満足したのか解放された。髪を直していると楽しそうに弾んだ声で問いかけられる。
「それで? 肝心のお前はどうしたいんだ? ステラの同行は別に問題ない。お前の希望次第だ。言っておくが難しく考えるなよ?」
悪戯が成功したみたいな笑顔でさっき言った言葉を返された。自分の気持ちがちゃんと届いた気がして嬉しくなる。自分で言った事かやれなかったら確かに駄目だ。つい笑いながら考えた。
思えばステラと一緒に旅行に行ったのは先日のオーブ旅行が初めてだ。折角の機会だし、行けるならいろんな所に二人揃って行きたい気持ちやミーアさんと一緒に行けるアスランが羨ましく思う事がちっとも無かったと言えば嘘になる。少しだけ不安なところはこの人に頼っても良いかもしれない。政治とかの難しい事は一旦置いてシンプルにやりたい事を言葉にのせた。
「ステラと一緒に行きたいです。初めて行くなら二人で一緒に初めてのものを味わいたい。ただ、念のためラビィに付けてた防犯機能を強化したいんですけど大丈夫ですか? 出来たら誰かを傷つける方向じゃなく、ステラを守るような装備だと嬉しいです」
少し見上げて希望を述べた先、大きく頷いたアスランさんの顔が最後の頼みでより一層輝いた。本当に改修して良いのか? と期待に満ちた声音で聞かれる。先程感じた頼もしさから一転してちょっぴり心配になりつつ頷けば携帯をいそいそと取り出した。目の前でかけられた電話からいつも俺達にはぶっきらぼうな声が聞こえてくる。
『もしもし、アスランどうしました? 何か良いコンペのお誘いでも?』
「いいえ、少しお願いが。例の新作の試験版、小型でしたよね? 実は、アルバートさんさえよろしければペットロボにアレを組み込みたいんです」
『愚問ですね。貴方の頼みを断る理由がありません。その改造、私も一枚噛ませてもらっても? マッドにも声をかけておきましょう。発想は凡夫ですが、あの職人技は目を見張るものがある』
勿論です、とアスランが笑う。ハイライン技術大尉もあんな楽しそうな声するのか。二人とも機械好きで才能が凄まじいって言うのはヨウランとヴィーノから散々聞かされてる。二人で組んで出たコンペはどれもぶっち切りで荒らしまくってそろそろ出禁になりそうって可笑しそうに教えてくれた。いつの間にやらお互い名前呼びだし、短期間で随分打ち解けたみたいだ。この人の人間関係が広がっていく事を喜ばしく思っていると、凄いのが出来るぞと興奮した顔を向けられた。勢いに気押されて分からないまま頷けば機嫌良さそうに新緑色が輝きを増す。新しいおもちゃを手に入れた子供みたいな反応にこっちまで嬉しくなってきた。自然と口元が緩んでしまう。そろそろお礼を言って退出しようかとした瞬間、電話口から意外な声が聞こえた。
『もしもし。ご歓談中すいません。コノエです。先程デュランダル代表から呼び出しです。ファウンデーション国に向かう者は可能な限り集まるように、と。大丈夫ですか?』
スイッチが切り替わったように真剣な声で集合場所を尋ねたアスランが了解の返事を返して電話を切る。二人揃って頷いて駆け出した。議長の呼び出しはきっとファウンデーションに関する事だ。でも何の話か見当がつかない。一体何だろう? 早く知りたい一心で速度を上げていった。