「ジブラルタルにはそろそろ着くのよね? あー、やっと一息つけるわ……」
並んで歩いていたお姉ちゃんが肩を回してハーッと大きな息をつく。ようやく緊張が解けたみたい。あれ以降は連合の船に見つからなかったとはいえ、大きな戦いの後だ。行き交う人も心なしか少なくなってしまった気がする。それに加えて気がかりな事もある。
あの日、警戒が解けて直ぐに迎えに行ったお姉ちゃんの顔は真っ青どころか真っ白だった。思わず具合を聞いてしまうと叫ぶように大丈夫だからって言われた。驚いて立ち尽くしていたら、オーブ軍の玉砕を目の当たりにしたのだとレイが淡々と拳を震わせながら教えてくれた。
そのせいか、あれから何か大きな物が落ちる音がするとほんの一瞬だけビクッとしている。本人はまだ気づいてないみたいだけど、時間を見て何が何でもフィルさんの所に引っ張っていかなきゃ。
他の医療スタッフの人達も総出で励んでくれていたから、自室待機の人も居ない。アスランさんの容態も落ち着いたそうだ。行くなら今日がチャンスかなぁ。
今は平気そうな姉を見つめながら考えていると、肩に軽い衝撃が伝わった。いけない、ボーッとしてた。こちらが謝ろうとするより先によく通る綺麗な声が鼓膜を震わせた。
「ごめんなさい! 大丈夫? 怪我は無い? ちょっとよろめいてしまって……貴女たしかメイリンさん……よね?」
真っ直ぐな髪が目線の先で揺れる。ここに来てからずっとアスランさんの側にいた歌姫が目の前に立っていた。
誰か分かった瞬間、咄嗟に謝ろうとした口が上手く動かなくなる。まるで誰かから喉元に栓をされて言葉がつかえてるみたい。こんな事になる理由は分かってる。本当の事を知ってしまってから初めて顔を合わせるから。
本物じゃないからラクス様と呼ぶのは違う気がする。だけど、彼女の本当の事は何一つ、名前も年齢も何も知らない。どう呼んでも嘘になってしまう気がする。ふと、事実を知らされた報告会でのレイの言葉が脳内で再生された。
──本物ならば為すこと全てが正しくて許されるのか。どんなに善い事をしても存在が偽りというだけで悪と言われてしまうのか。
ずっと引っかかっていた問いかけに心の中で首を振ってやっと答えを出せた。この歌姫がどれだけプラントの人を励ましてくれているかは知っている。あそこまで頑張ってくれている人に偽者だってだけで悪い感情を抱ける訳がない。意を決して笑顔を作った。
「大丈夫です! こちらこそ考え事してて、すいません。怪我は無いですか? あれ? 私の事、知ってるんですか?」
「良かったぁ、安心したわ。ありがとう、私の事は気にしないで。アスランが誉めてたの。ミネルバの人達はみんな優秀で凄いんだ、って!」
「えっ、本当ですか?! どんな風に?」
あのねあのね、と友達みたいに楽しそうに話し続ける二人に呆気に取られてしまう。メイリンは敬語だけど、“ラクス様”に対してと考えれば随分と砕けたものだ。それぐらいの距離感で接しようと決めたんだろう。
私がどう対応しようか迷ってる内に決めてしまった。土壇場になると、この子の方が強いのよね。感慨深くなりながら私も心を決める。
さっきから気になる話題に笑って混ざりに行くついでにアスランさんの様子を聞くと大分元気になったとホッとした顔で教えてもらえた。
折角だからお見舞いに行って良いか聞けば、アスランも喜ぶわ、なんて手を合わせて嬉しそうに言われた。そのまま三人連れ立って歩くとなんだか周りがザワザワ言っている。それよりも意外にも手放しで褒めてくれていたらしい上官の話に夢中になって段々と気にならなくなっていった。
「アスラン、ただいま……ちょっと、何してるの?!」
慣れた手つきでアスランさんの部屋のロックを解除した歌姫が悲鳴をあげた。心配になって後ろから顔を出して覗くと、もうすっかり普段通りの顔色に戻ったアスランさんがこちらを見てパッと嬉しそうになる。
「あぁ、おかえり。ちょうど良かった。何色がいい? 塗装塗って乾かしたら後はパーツ繋げるだけだから」
パーツ? と首を傾げて目線を落とせば綺麗な曲線で縁取られた鈍色が目に反射した。
そう言えばこの人の趣味って機械工作だったなぁと思い出していると、慌てた足音が耳を震わせた。
「ちょうど良かった、じゃないわよ、もう! 昨日やっと治ったところなのよ? 今日はお部屋でゆっくり休んでねって言われたじゃない!」
「念のため、だっただろ。もう治ったから大丈夫。心配しないでくれ。ジブラルタルに着いたら宇宙から迎えが来るんだろう? それまでには渡しておきたい。何かしてないと落ち着かなくて嫌なんだ。充分休ませてもらった。これ以上動かなかったら身体が鈍る。それより、ルナマリアとメイリンが何故ここに?」
「アスランが心配でお見舞いに来てくれたの。途中でたまたま一緒になったのよ。そんなわけで、お客さん来たんだからもうダメ。そんなに急がなくって良いって私言ったでしょ? これで疲れちゃったアスランが怪我でもしたら悲しいわ」
想像しただけで嫌なのか、後ろから見ても分かるほどに肩を落とした彼女に上官が慌てた顔で工具を手放す。やっと目線が合った憧れの人がいらっしゃいと綺麗に微笑んでくれた。お邪魔しますの挨拶をして暖かい室内に入る。
急だったためお見舞いなのに手ぶらで来てしまった事に慌てると、向かいの二人が気にしないで良いと言ってくれる。折角だからと淹れてもらった紅茶を飲みながら、最近出回りだした気になる噂を話す。
「そう言えば、ステラ達がサジタリウスに入ったそうなんです。今は機体がまだだからってネオさん以外は前線には出ないらしいんですけど……」
裏を返せば機体ができ次第出撃するって事だ。結局そうなっちゃうんだろうか。あんな可愛い子なのに、随分と酷な運命だ。
少し前からシンがいつにも増して真剣な顔で訓練規定をこなしていた理由が噂を聞いてようやく納得できた。アスランさんの記録を抜けたのを明日見たらビックリするだろうな。
大喜びしていた弟みたいな同期を思い出しながら返事を待っていると、きれいな眉間に皺がより始める。小さなため息をこぼしてから言葉が紡がれた。
「知ってるよ。ラーナスから聞いた。経緯が経緯だからな。今後はミネルバの随伴艦として動くそうだ。心配しなくても前線に彼等を出させる気は無いよ。安心しろ。まぁアイツ、そのために相当無理を通したらしいが……
こうなった事は歯痒いが、本人達の選択だと言うなら他人である俺達からは何も言えない。だって、自分で決められた事自体は良い事だろう?」
名前が出た黒髪の人を思い浮かべる。あの人は最近あっちの船で忙しそうにしていて話せる機会が少なくなっている。アスランさんなら詳しい情報を知っているんじゃないかと期待して話題に出してみて正解だった。
そんな事を考えていると、こちらを真剣に見つめたまま問いかけられた。確かに、今まで戦うしか生きる道が無かっただろうステラ達には選択肢が出来ただけ良い事だ。納得して頷くと少しだけ表情が柔らかくなった。
このまま空気が重苦しくなってもしんどい。話題を変えようと、さっき聞いた話を揶揄い混じりに出してみた。
「ところで、ついさっきカノジョさんから聞いたんですけど、私達のこと凄く褒めてくれてたみたいじゃないですか。なんで直接言ってくれないんです?」
照れたように顔が少しだけ赤くなった隊長が傍らの歌姫に困ったような視線を投げる。悪戯っぽい顔で謝っている明るい人が移動中に詳しく教えてくれたのだ。
シンは一回決めたらやり遂げられるから凄い。レイは誰に言われても揺るがない自分の意見を持っている。ルナマリアは格闘センスが抜群で訓練中たまにヒヤリとさせられる。メイリンの情報収集・処理能力は流石に俺も勝てるか怪しいかもしれない……等々。
話を聞きながらニヤけてしまわないようにずっと噛んでいた頬の裏が少し痛い。せっかくだから本人から直に聞きたいなぁと思って問いかけた先、困ったような声が返ってきた。
「なんでって言われてもな……過信し過ぎたらいけないだろう? 過度な自信で身の丈に合わない事をしようとしてダメだったヤツはよく見てきたから、そうなってほしくないんだ。
それよりもすまない、今回は俺の不注意で君にも色々と迷惑をかけてしまったな。何か出来る事があったら言ってくれ。全力を尽くすから」
こっちを信頼してない訳じゃなくて、ひとえに心配故だ。実際、出航してすぐの頃に褒められていたらテングになって調子に乗っていただろう。この不器用な人の性格はちゃんと掴んでいる。でもやっぱり偶には褒めてほしい。
今はもう大丈夫ですから言ってくださいねと伝える。今回の事は気にしないように続けて笑って言えば苦笑された。その後は他のみんなの様子とか、何気ない事を話して穏やかな時間を過ごした。
「それじゃあ、失礼します。久しぶりにゆっくり話せて楽しかったです。明日からまたよろしくお願いしますね!」
姉妹揃って一礼してから部屋を出る。こんな時でもないとたくさん話せないから中々に貴重な時間だったな。得した気分になっていると、横のメイリンが口を開く。
「ねぇ、お姉ちゃん。えっと、あの人といる時のアスランさん、なんだか幸せそうだったね」
確かに、いつもより雰囲気が柔らかくて、普段は難しそうに引き締められている口元が随分と弛んでいた。うんとリラックスしてるみたいだったから、幸せそうなんて今の評価には納得する。
もしかして、戦争になる前のアスランさんってあんな風だったのかしら。勤務中のキリッとした感じからは想像もつかない、あのホワホワした姿が素に近いのかも。
なんて考えていたら、可愛い妹がねぇねぇと返事を催促してくる。頷いて二人して笑い合う。笑い声とともに複雑だった今の歌姫への思いが解けていった。
あんなにアスランさんのいろんな表情を引き出せて、本気で心配している人が悪い人なわけがない。
やっとケリをつけれた思いで、先を行っていたメイリンに並んで歩いた。
「よし、出来た! ミーア、色はこれで問題ないか? 良かった、ちょっと待っててくれ。今起動させるから」
ジブラルタルにはもう目前だ。完成させられて本当に良かった。
あの後、俺の髪と同じ色が良いと言われ、普通の藍色とは違うから塗料を作らなくてはいけなかった。何本かサンプルにと髪を切ろうとしたら慌てて止められた。色々と試したけどどこか違い、時間も迫っていたから姉さんを頼ってみたら配合表とともにいつの間にやら出来ていた塗料を渡された。あれが無かったら危なかったな。
これまでの事を思い返しながら電源を入れる。出来はかなり良いはずだ。シンにやったラビィで勘を取り戻しておいたのが功を奏したんだろうか。会心の出来に自分でもワクワクしてしまいながら起動を待つと、彼女の希望通りの目が開き、パチパチと瞬きした。碧い仔犬がワンッと一声鳴いてミーアの方に歩いて行く。膝に乗られた彼女が歓声を上げた。
「わぁっ! すごい、あったかい! 生きてるみたい! アスラン、こんなに可愛い子、本当にもらっちゃっていいの?」
「君のために造ったんだ。もらってくれないと寧ろ困るんだが……色々と防犯機能も付けてある。側に置いてくれたら俺も安心だ」
「えへへ、そっかぁ……本当にありがとう、アスラン! だぁいすきよ!」
最後の言葉に思わず頬が熱くなる。抱きつこうとする彼女を制してペットロボの名前を聞くと、ちょっと考えるわと嬉しそうにニコニコとされた。喜んでもらえたなら何よりだ。
時間の問題があったとはいえ、塗料も含めた一から十まで本当は全部自分でやりたかった。悔しかったが、この顔が直接見られたから良いか。
あんまりのはしゃぎように此方まで楽しくなってくる。思わず口角が上がるのを自覚していると、すっかり聞き慣れたメイリンの声がジブラルタルへの到着を告げた。
ミネルバはこのまま修理ドック行きだ。作業は急ピッチで行われるだろう。そんな事を考えていると、二人そろって船外に出るよう呼ばれる。
姉さんもミーアも何故だか相手が誰かを頑なに教えてくれなかったが、宇宙から来た迎えだろう。どんな奴か分からないから、防犯機能を付けたコレが完成して本当に良かった。
連れ立って外に出ると、予想だにしない相手がいた。驚いて声をあげる。
「イザーク!? ディアッカまで……お前達、メチャクチャ忙しいんじゃなかったのか? まさか、とうとう何かしでかしたのか?」
「ただの迎えだ! 俺が左遷されたみたいに言うな!」
真っ直ぐな蹴りが飛んできた。