「ネオ? こんな所でボーッとして、どうしちゃったんだよ。ベルリンのデカいのと戦ってから変だ。
ステラならもうすっかり大丈夫だって。燃えてる街見てパニクったけど、フィー先生が来てくれてすぐに落ち着いたじゃんか。そういや、フリーダムの中のヤツと話したらしいけどなんかあったの?」
休憩室で思索に耽っていると、やって来たアウルに声をかけられた。
心配してくれた子にお礼を言いつつ、見事な手腕でステラを落ち着かせてくれた女医を思い出す。
惨劇の元凶である巨大なモビルスーツを憎々し気に一瞬睨みつけてから、そのままステラ達を医務室に呼んでこれ以上嫌なものを見ないようにしてくれていた。
戦闘後、子供達だけでなくこちらのメンタルまで気遣ってくれる彼女には頭が下がる。アウルの言う通り、燃え盛る街を見て怯えていたステラはすっかり大丈夫そうだ。付き添いの度に言われている言葉に甘えて一度相談に行ってみてもいいかもしれない。
そんな事を考えてため息をついてしまう。アウルを追ってか、パタパタと走ってきたステラに続けて本を片手にやってきたスティングにまで不安そうにさせてしまった。
大切な三人の子供達がネオ? と名前を呼んでくれる。初めて会ったあの日みたいだ。小さく息を吸ってから縋るように彼等の名前を呼び返してしまう。
「スティング、アウル、ステラ。これは、もしも、もしもの話なんだけどな? 俺がネオって名前じゃない、別のヤツだったらどうする?」
最近の自分は本来なら教え導くべきの年下に問いかけてばかりだ。自嘲してしまいながらベルリンでの任務終了後、直ぐにナタルと話した記憶を思い返す。
あの時シンにはああ返したが、声も顔も同じで赤の他人と言うのは流石に無理がある。
今まで目を逸らしていたが、もう逃げ続けられない。部屋に行って覚悟を決めて訊いた。本当は俺がムウなんじゃないのか?
そう問いかけた後の彼女の反応は鮮明に思い出せる。
俺の言葉を耳にした瞬間、零れ落ちるんじゃ無いかってぐらい紫苑の眼が見開かれた。色を失った唇が何かを言おうと動くけど、空気が吐き出されるだけだった。耳鳴りがしてくる程に痛い静寂の後、申し訳ありませんと謝罪が一つこぼされた。
それだけで、答えには充分だった。
俺がムウだと実感は全く湧かない。しかし、そうだとすれば以前から時折脳裏に浮かぶアークエンジェルの風景には納得がいく。俺がこうなっている理由は何となく推察できた。
アラスカの作戦で何があったのかは不明だが、それ以降あの船が連合を抜けたのは誰だって知っている。裏切った船のクルーの記憶が戻るのはブルーコスモスの連中にとって不都合だったんだろう。だから本当に生きていたかも分からない、ネオ・ロアノークとしての記憶が植え付けられた。実際この二年間以降の過去はしっかり憶えているが、何処か違和感があるのも確かだ。
だからといって、そう簡単に捨て去ることはもう出来ない。しかし知った以上はどう向き合うかを迷ってしまう。
そんな事を考えながら愛しい子供達を見ていると、考え込んでいたスティングが呼びかけて来た。
「なぁ、ネオ。そのネオじゃないアンタは俺達やナタルのこと、忘れてるのか?」
唐突な問いに瞬きして考える。もしムウとしての記憶が戻ったら俺の、ネオとしての記憶がその奔流に押し流されてしまうのだろうか。
しっかり者だけど微笑ましいとこもあるスティング、やんちゃで手がかかるからこそ可愛いアウル、ホワホワしてて天使みたいに純粋だから目が離せないステラ。そして、俺とともに子供達を見守ってきた不器用で愛おしいナタルと過ごして来た記憶が全て無かったことになる?
無意識のうちに奥歯を噛み締めていた。それは絶対に嫌だ。神がいたならふざけるな。
名前と過去が偽りだったからといって、ナタルやステラ達と出会って一緒に歩いて来た俺まで無かった事になってたまるものか。他の全ての記憶が嘘っぱちで存在していなかったとしても、あの苦しくも必死だった日々と、この安らかで賑やかな今は確かなものだ。
不安気に揺れる瞳で見てくる子供達を安心させたい一心で笑いかける。
「いいや。憶えてるよ。お前達の事も、もちろん、ナタルもな」
そっか、と頷かれる。次の瞬間、満面の笑みで質問への答えが返ってきた。
「じゃあ、別になんも変わらないじゃん。たかが名前が変わったぐらいで、ネオのオヤバカとグータラが治るとは思えないし! そんなので悩むなんて変なの、バカなネオ!」
「だな。そんなもしも話より、この本買ってくれ。シンがオススメだって貸してくれたんだけど面白くって。借りっぱなしも悪いから。せっかくだから続きも欲しいんだけど、駄目か?」
可笑しそうに笑ったアウルを肯定したスティングが珍しく甘えてきた。快諾して取り出した小遣いを受け取ろうとする腕を末っ子が拗ねたように引っ張る。
「スティング、ずるい。シン、ステラが好きなのに。さいきん、そのご本の話ばっかりしてる……ステラにもちょうだい。
あのね、ネオ。だいじょうぶだよ。ネオがもし忘れても、ステラ達がまもるから。ちゃんと憶えてる、忘れない。それじゃダメ?」
無垢な瞳が真っ直ぐに見てくる。不安を見透かされたみたいだ。俺もまだまだだなぁと内心で苦笑してしまう。
込み上げる愛しさに任せて可愛い子供達を抱きしめる。驚いた声を出しながらも、まだ成長途中の手が背中に三対まわされた。
「ダメじゃないよ、ありがとうな。俺も約束する。他の何を無くしても、お前達はずっと憶えてる。こんな可愛い子達と魅力的な女房を忘れられるもんか」
愛しい子供達がホッとしたように息をつく。ギュウギュウと四人で一塊になりながら、やっと気持ちの整理がついた。
「ナタル、俺だ。入ってもいいか?」
ノックの音に全身が強張った。先日、真剣な顔で真実を尋ねてきた人が扉一枚隔てて向こう側にいる。
あの時は事実を伝える勇気が持てず、かといって嘘をつく卑怯さも無かった。その結果、謝る以外出来なかった。この人にはアレで全て伝わってしまったらしい。意を決して開けば、穏やかな顔をした彼が立っていた。優しい声が静かな室内に響く。
「なぁ、教えてくれるか? ムウがどんな男だったか。
おいおい、勘違いするなよ。なにも記憶を取り戻したい訳じゃあない。本当の事を知って、しっかりと前に進むために知りたいんだ」
予想外の申し出に思わず言葉を失う。どうにか口を動かして私も彼の全てを知っている訳ではないと断れば、それでも良いと返された。
迷ってしまって何も言葉を発せなくなった口から大きく息を吐く。この人が向き合おうとしているのに、私が目を背けているのは不誠実だ。
空調に不具合は無いのに震えそうになる身体を叱咤しながら、どう足掻いても覆せない私の罪を伝えた。
「分かりました。お話します。長くなるのでお掛けください。
貴方の本当の名は、ムウ・ラ・フラガ。アークエンジェルの元戦闘員で……先の大戦の戦いの中で、私が殺した男です」
目を見開いた彼から逸らしてしまいそうになる視線をどうにか留まらせながら、長い話が始まった。
「なるほどな……どっちの俺も一番よく知るお前から聞いても、やっぱりこれっぽっちも実感が無い。赤の他人の伝記でも読み聞かせされてる気分だ。だが、最初の話は訂正できる。お前に撃たれた訳じゃないだろ。そのジブリールの前任……アズラエルだったか? その男が悪い。どこまでソイツの筋書き通りかは知らんが、アラスカでの作戦といい、随分と横暴だ。ナタルが気にやむことじゃない」
「ですが! 彼の狂気に気付けず止められなかった私にも責は有ります。もしアレさえ阻止できていたら、貴方は子供達にあんな真似を強いることも無く、今もムウのままで彼女と……」
ずっと心にあった悔悟の念を口に出してしまった瞬間、視界が滲む。
撃った私が泣く訳にはいかないと思っても意志とは無関係に涙が止められなかった。彼が真摯な顔で近づいてきたため、罵倒される覚悟を決める。それだけの事をした自覚はあった。
きっと真実を知った彼はラミアス艦長の下に走っていくだろう。一つだけ後悔する。子供達にはどう説明させても泣かせてしまうだろうから。
彼が腕を持ち上げたため、張り手でもされるかと目を閉じる。頬に衝撃は来ず、全身が暖かく包まれる。何故だか抱きしめられていた。あの人と違って長くもない髪を慈しむように梳く手ともに優しい声が降ってくる。
「そしたら、ステラ達と出会えていない。ナタルが生きているとも知らないままだったさ。ムウには悪いけど、俺はネオになれて良かったと思うよ。
あと、ソイツの好みは知らないが、俺のタイプは生真面目なクール系美人。照れたときのギャップが可愛くて、子供達とも仲が良いと最高だ。黒髪ショートで眼の色が紫ならどストライクだな。
……あー、つまり、だな。その……
お前が好きだよ、ナタル。仮に俺の中にムウが甦ったって、この気持ちも消させやしない。約束する。だから泣かないでくれ。な?
悪かった。逃げずにもっと早く聞いてたら、そんなに思い詰めさせやしなかったのに」
突拍子も無い話に戸惑っていると照れくさそうに鼻をかいたネオが真剣な顔で好きだと告げてきた。信じられなくて固まってしまう。こんな夢のような幸せが訪れて良いんだろうか。
都合の良い現実に茫然としていると、苦しそうに眉が寄せられ謝罪の言葉が耳を打った。慌てて彼に何の責任も無い事をもう一度伝える。
「いいえ。非は全て私にあります。貴方が謝る事ではありません。
今まで黙っていた私が言うべきでは無いのですが、きっと今だからこそ良かったのです。地球軍を抜けて幸せな記憶が積み重なった今でなければ貴方は辛い事ばかりの私達から去っていたでしょう」
「そんな事しないさ。まぁ、確かにこれも今だから言えるのかもしれんがね」
おどけたように肩をすくめたネオが小さく笑う。気づけば涙はすっかり止まっていた。安心したように表情を緩めた彼が心配そうに言葉を続ける。
「しかし、次の作戦はやり辛くないか? アークエンジェルの撃破任務だろ。俺はともかく、ナタルは平気か?」
かつての仲間達に思いを馳せる。真っ先に思い浮かぶのはやはりラミアス艦長だ。あんな人だっただろうか。
初めて会った時から情の強い甘い人ではあった。優しい人だった。しかしながら、強い自分の信念を持っていた。選ぶべき時には決断できる人だった。何度も対立した自分だからこそ、それを知っていた。あの日、彼女なら出来ると信じて撃てと叫んだのだから。
今のアークエンジェルの行動からは彼女の意思が見えない。アスハ代表の思うがままに動いているように思える。
大人として巻き込んでしまった少年少女を護ろうと上官に意見していた強い貴女は、非道な行いを許さずに今まで根を張っていた組織から飛び立つ事ができたあの人は、何処に行ってしまったんだろうか。
不意に襲ってきた寂寥感に囚われていると、不安そうに名前を呼ばれる。我に返って返事を伝えた。
「大丈夫です。アスラン・ザラの話にあったとおり、あの船は悪ではありません。ですが、その真意が行動から読み取れません。
オーブのために全てを敵にまわす覚悟があるかと思えば、先日のベルリンでは連絡も無く此方を援護する。何を護りたいのか分からない。エネミー認定を受けるのは時間の問題でした。荒療治となりますが、一度お灸を据えるべきです。幸いにも、あちらのクルーの生存は非公式ながら許可されているようですから」
グラディス艦長から知らされた国防委員長の真意を思い返す。
苦汁を飲まされたザフトの判断としては意外だが、今の議長は被害の拡大を望んでいないようだった。その意思を尊重したのだろうか。本心は読めないが、有り難い事だ。
問題ないと頷けば、目の前の彼が安心したように肩の力を抜いた。
そろそろ気恥ずかしいので離れたいと思ったのも束の間、抱きしめる力が強められる。側にいるから安心しろ、と見慣れた笑顔が真上にあった。彼が本当の事を知っても何処にも行かないことに安堵して、そのまま身を委ねた。
「シン。特訓中ごめん。ちょっと良い?」
訓練規定が終わってるはずなのにシミュレーターにこもりっぱなしのシンを呼ぶ。ここ数日は毎日こうだ。今日は徹夜するのかな? 元気になってくれたお姉ちゃんが手のかかる弟みたいよねってため息つきながら心配してた。考え事しながら返事を待っていると、付きっきりで外部モニターから動きを見ていたレイが振り向いてくれた。
「今は駄目だ。集中していて、さっきから俺の声も聞こえていない。これならシンの努力は本番までには必ず実る。データ解析は助かった。流石はメイリンだ。伝言なら預かるが?」
仕事の成果を褒められて嬉しくなる。お礼を言いながらも手元にある紙ともう片方の手にあるヨウランとヴィーノから預かった小さな通信機を後ろ手に悩んでしまう。どうせならシンに直接渡したい。迷っていると、シミュレーターから小さなファンファーレが鳴り響いた。呼吸すら忘れていたのか、シンが激しく肩で息をする。落ち着いてから子犬みたいにキラキラした目で此方が向かれた。
「やった! 遂に出来た……でも未だ駄目だ。もっと確実に出来るようにならないと……これが本番で成功したら、あの人だって……!
本当にありがとな。レイがずっと付き合ってアドバイスしてくれたおかげだよ! あれ、メイリンどうしたんだ?」
レイがおめでとう、と優しく声をかける。シミュレータとはいえ、とうとう成功したらしい。お疲れ様と労ってからシンに持っていたものを渡す。不思議そうにパチパチと瞬きを繰り返された。
「メモの方は廃棄される前のセイバーのログから割り出したフリーダムの回線コード。最新版だから繋がるはずだよ。それで、通信機の方は私のモニター直通にしてもらったの。ラーナスさんも協力してくれて絶対あっちにはバレないし、通信速度も凄く速いから。シルエットやフライヤーの射出指示、それでもらえる? そしたら回線で聞かれるとか気にしなくていいから。言いたい事、うんと言ってやって!」
クレタ沖での戦いの最中に聞こえてしまったアスランさんとフリーダムのパイロットの人の通信を思い出す。
あの人はアスランさんの言葉よりも、彼がザフトにいる事自体に、オーブ軍を傷つけている行動に怒ってるみたいだった。あの口下手で謝りがちな人はなんにも間違ったことしてないのに。生まれ育った場所を護りたいから国を守るための軍に入るのはそんなに悪いことなんだろうか。それならアナタ達がオーブを護ろうと力を手にした事だってダメなことになる。ズルい。ベルリンでは結果的に助けてくれたのもあるし、シンが目標を撃破したら直ぐに飛んで行ったから何も言えなかった。
私達みんな、アスランさんが大切で好きだから、幸せになって笑顔でいて欲しいって願ってる。それなのに、ここ最近はずっと辛そうな顔ばかりだ。作戦が伝えられてから特に酷い。みんなで協力して見かけ次第声をかけるようにしている。目を離したらシャボン玉みたいに消えていくんじゃないかって思う程に今のアスランさんが纏う空気は儚い。シンが特訓初めてすぐの頃は背筋が凍るぐらいに危なかったみたいだ。これでもまだマシになった方なんだろうか。
ヴィーノ達は機械の話振ったのにノリが悪いって寂しそうに言ってた。回線を提供してくれたラーナスさんも、落ち込み度合いを減らす負担が三倍どころじゃなくなったと悔しさを隠そうともせずに話していた。
私も食堂で一緒にご飯食べるけど、量が明らかに少ない。一回スープ一杯すら飲み切れなかった。流石に駄目だと姉妹揃って腕を引っ張って医務室に連れて行けば、心がいっぱいで食事が入らないんでしょうねって悔しそうにフィルさんが言いながら無理矢理寝かせて点滴を打っていた。
作戦が成功してフリーダム達が好き勝手しないようになったら少しは心も休まるだろうか。でも、あれだけあの人をボロボロに弱らせた相手に何か伝えたい。シンは真っ直ぐに気持ちを言葉に出来るから、たぶん言いたい事全部言ってくれるはずだ。
身勝手だと分かってても願ってしまうと、差し出した物がしっかりと受け取られる。
「ありがと。メイリン。実は俺も、あの人に言いたい事があるんだ。これで伝えられる」
すっかり頼もしくなった同い年の男の子が力強く頷いてくれた。