自由と責任
「大丈夫ですか!? アスラン、はやく行ってあげてください! 後の事は俺達が!」
「すまない、任せた! 医務室に連れて行ったら直ぐに戻る!」
息を整えた翠の瞳がやるべき事を見定めたように真剣な光を灯す。エルピスがフリーダムを抱えたまま全速力でミネルバに飛んでいった。呼びかけたシンが安堵の息をつく。
先程までのアスランは血の気が引いていた。ショックで彼まで気を失ってしまうのではないかとこちらが不安に駆られたほどだ。あの調子では戦場に戻ろうとしても彼の家族がドクターストップをかけるだろう。戻ってこられる可能性は低いと見ていい。
突然倒れたキラ・ヤマトは張り詰めた糸が切れたようだった。おそらくは過労だろうと見当をつける。考えてみれば無理もない。
アークエンジェルとの戦闘を振り返れば、フリーダムが前線の全てを担っていた。アスハの姫はモビルスーツに乗りながらも言葉を紡ぐばかり。ダーダルネスで少し出てきていた機体も脅威と呼べるほどの戦力にはなっていなかった。 彼より長く戦ってきたパイロット達を置き去りにしてしまう技量を身につけさせた潜在能力が原因だろうと予想する。
最高の技術を使って完璧な人間を産み出す。そんな夢に彼の実父は取り憑かれていたらしい。そんな奴の手によって与えられてしまった才能が為し遂げさせた業の一つだ。キラ・ヤマト本人はそんなモノ望んでいなかっただろうというのに。
それにしても自由に行動できる艦載機がフリーダムだけというのは無茶が過ぎる。
オーブを守るという題目を失ったエンジェルダウンが良い例だ。フリーダムと分断されたアークエンジェルからは一機のモビルスーツも出てこなかった。ベルリンで見たムラサメ達はオーブ所属だ。アスハが中立を謳った以上、こちらに敵対するような真似をする訳にはいかない。
そして、あの船にはフリーダム以外の所属不明機が居ない。だから彼を戦力的に助けることが誰も出来なかった。あの時のようにフリーダムが落ちれば船も道連れだと分かっていたのだろうか。あまりにもハイリスクだと呆れ返ってしまう。
無論、それは彼等も痛感したはずだ。だからこそオーブでは新たな機体を投入してきた。しかし、先程の戦闘であの三機はエターナルの周囲にいた。アークエンジェルには人員の補充をしなかったのは何故だろう。あの船の行く先を決める者達の浅はかさに苛立ちながら考えを巡らせる。思い浮かんだ可能性に息をのんだ。
まさか彼等はアスランが自分達のところに戻って来てくれると考えていたのではないだろうか。何を考えているのかと心底不思議に思う。自分達が彼にどんな仕打ちをしてきたか忘れてしまったんだろうか。
フリーダムの修復を無断で行い彼を蔑ろにした。クレタ沖では結果的に身体は無事だったが、心に深い傷を負わせた。
いくら心が疲弊していたからと言っても許される事には限度がある。相手が自分達を理解しないなら切り捨てる。しかし欲しい時にだけ彼を必要とするなんて都合が良すぎる振る舞いだ。自分達の為に動くおあつらえの人形か何かとアスランを見ていないだろうか。人にはそれぞれ心がある。自分を大事にしてくれない相手への信頼が減っていくのは当然の摂理だろう。下唇を噛み締めながら思考を切り替えた。
彼等の問題は人員不足だけではない。むしろ不足していたなら尚更こちらが重要になってくる。
パイロットであるキラ・ヤマトが貴重な戦力だと理解していたはずだ。それなのに、誰も体調面やメンタルを気遣わなかったのか。やろうと思えば出来たはずだ。実際、非戦闘時で助けになってくれる人々は大勢いる。
整備兵として機体を万全に整えてくれるヨウランやヴィーノ。心身ともに健康を気遣ってくれるフィル医師を始めとした医療スタッフ。そして、戦場から遠く離れていても俺達を思いやり、時には駆けつけて来てくれるミーア。
積極的に助けようとしてくれる人物はキラ・ヤマトの周囲にいなかったのだろうか。居ても彼が気づかなかったのだろうか。あの船の内情は欠片も分からない。しかし、お互いが相手を慮ろうとしなかったからこそ彼は今回倒れてしまったように考えられた。思わず憐れんでしまいそうになる。クレタでの戦いを終えた後に感じた事が浮かび上がってきた。近くにいるかけがえのない友人達に問いかけてみる。
「なぁ、シン。ルナマリア。完璧な人間とは、いったいどういう人物だと思う?」
速度を落とさずに進んでいくレジェンドから質問が投げかけられた。ガイアのブースターを吹かせて追い抜きながら答えを返す。
「そりゃ一人で何でもこなせたら完璧だと思うけど……そんな人いるわけないじゃない。この前の話し合いでも言われたでしょ。誰にだって良いところも悪いところもある。人間はそんなものだって。むしろ一人でミスなく全部されたら怖いわよ」
小さい頃は何が正解で間違いかなんて分からない。誰だってそのはずだ。もし生まれてから一回もミスしていないなんて誰かに言われたら、機械じみた不気味さがある。少し遠巻きにしてしまうかもしれない。
手のかかる子ほど可愛いなんて言葉もあるぐらいだ。欠点が程々にあるぐらいが愛嬌になる。 いつか読んだ雑誌に書いてあった言葉を思い出していると、シンが私と交代するように言葉を紡いだ。
「怖いっていうか、俺はちょっと悔しいな。その人が何でも出来るなら誰も頼りにしてもらえないじゃん。一人で何もかもやろうとしたら全部勉強しなきゃいけない。その分の時間や苦労をちょっとは肩代わりさせてほしいよ。だから、ちゃんと誰かを頼ることも出来ないと完璧って言えないと思う。でもルナの言ってたのも正しいよな。一人で全部涼しい顔してこなせないと完璧って言えないのか?」
シンの言うことも間違いじゃない気がする。完璧な人だったら自分の限界を把握して誰かを頼る事も出来るはず。その反対に、普通なら無理な量の仕事を平気でこなす事も出来るだろう。矛盾する人物像に二人揃って首を傾げる。
訊いてきたレイが可笑しそうに笑い声をあげた。目尻に浮かんだ涙を拭おうともせずにお礼を言われる。
「いや、助かった。現実的に完璧な人物なんて存在しないだろうと分かっただけで充分だ。やはり彼は幸せな成功作ではない。ああなるまで誰かに助けを求められなかった事がその証左だ。俺やラウと同じ人間。とある科学者によって人生を弄ばれた被害者に他ならない」
憑き物が落ちたようにスッキリした顔だった。レイの過去は話してもらっている。もしかして今の話って……アスランさんに連れられて行った人を振り返ろうとした瞬間、凛とした声が響く。
「すまない。手間を取らせたな。急ぐぞ。万が一だがアスランが戻って来る事はありうる。その前に全て終わらせてしまおう」
吹っ切れたようにレジェンドが加速した。シンと一緒に慌てて横並びになる。私達に与えられたもう一つの任務を頭の中でもう一度確認した。
アークエンジェルとエターナル乗組員達の逮捕。
罪状はザフト戦艦であるエターナルの強奪と、ドムや量産型フリーダムを始めとする軍事機密情報の流出。そして、それらの情報を利用した兵器の密造と所持、無断利用。
あんな風にまとめられたらとんでもない事だと改めて思う。思わずラクス様の顔を思い浮かべた。かつては英雄として憧れていたのに。これ以上進む道を間違ってほしくない。三人揃って機体を進めていく。白い戦艦が見えてきた瞬間、通信機にノイズが入る。CDで散々聞いていた声が高らかに歌った。
「ザフトの皆様、お願いがございます。一度立ち止まって考えてくださいませ。誰かに命じられるまま動くことは本当に正しい事でしょうか? 何のため、誰のために軍服をその身に纏われたのか、もう一度思い出してみてください。貴方達はその心までデュランダル議長の私兵に成り果ててしまったわけではないでしょう? 誰しもが個人それぞれの考えで動く事が出来るはずですわ。このままではその自由が存在しない世界となってしまいます。その胸に誇りがあるのならば、どうかフリーダムのパイロットを返して、このまま行かせてくださいませ」
デュランダル議長の命令に従っているこちらに非があると言外に告げてきた声に思わず言葉を失った。
「合流してきたザフトの奴等、確かジュール隊だったか? 大したもんだ。俺なら今の言葉であのピンクの船を落としにかかってる」
ネオが協力するザフトの部隊を褒めた。あっちの隊長だと言う通達を行おうとしていた銀色のパイロットが呆然としている。国際救難チャンネルを使って聞こえてきた言葉にアウルが何言ってんのと馬鹿にする時の口調で騒ぎはじめた。ステラもムッとしたように眉をよせている。俺もため息をついてしまう。これだけの事をしておいて自分達は悪くないって開き直ったみたいなもんだ。
昔ピンクのオヒメサマに会ったことがあるっていうナタルにどんな人か三人で聞いてみた。警戒心も無く身分を明かす、世間知らずの箱入りお姫様って感じだったらしい。昔と今とで中身はそんなに変わってなさそうだ。
今の発言、周りの大人達も止めやしなかったんだろうか。ネオもナタルも俺達がダメなことをしたら叱ってくれる。最初はともかく、俺達を思ってだと分かってからはそんなに嫌じゃない。あの船にはいったいどんな奴がいるんだろう。少しだけ気になりながらも待機し続けた。
「ラクス、何を言っている!?」
いきなり受話器で周囲のザフト兵達に呼びかけたラクスに驚愕する。
先程の言葉はザフト兵の誇りを軽々しく扱ったと取られる危険性がある。
アカデミーでの日々は想像を遥かに超えて辛く厳しい。それを乗り越えられたからこそ、ザフトである事に僕等はプライドがある。一瞬もあの場に居た事がない人間に半端な気持ちで口出しされたくない。自分も今は裏切り者の身でそんな事を感じてしまうのはおかしいだろうか。天国の彼女に胸の内で問いかけながら目の前の歌姫へ向ける視線を険しくする。焦りを隠さずにラクスが声を張り上げた。
「キラをあのまま連れて行かせる訳にはいきません! 体調も心配です。一刻も早く返してもらわないと……! そうでなければ何をされるか……!」
「落ち着け、状況をよく見ろ! 今ようやく戦争が終わろうとしているんだぞ?! キラを新たな火種にするつもりか? それなら何故あの機体に乗せた? キラと世界、君にはどちらが大事なんだ?」
恋人の事しか見えていない少女を諭す。目を丸くしたラクスに外からの言葉が来た。
「エターナル、聞こえるか。こちらはジュール隊隊長、イザーク・ジュール。貴艦及びアークエンジェルの乗組員を拿捕するよう指示を受け、隊全員が納得の下で動いている。無意味な争いをする気はない。どうか投降願う」
信じられないようにラクスの華奢な肩が震える。かつて一時の間世話を見た銀髪の青年が忸怩たる声音で話し続けた。
「貴女方が悪人ではない事はよく知っている。しかし、行った事は善行と言い難い。貴女の言うとおり、どの道を選ぶかの自由が我々にはある。しかし、選択したならばその責任は負わねばならない。その事をお忘れでないなら責務を果たして欲しい」
再三に渡って投降を促してくる。力なく俯いたラクスに声をかけた。
「ラクス、すまない。もっと早くこう告げるべきだった。もう止めた方が良い。ターミナルの情報が誤りだとあの会見の日に気づいただろう? これ以上は間違うな」
協力者となった女性を一瞬見る。泣きそうになりながらも口元が歪んでいる。彼女はラクスが何も告げなかった事が罪だと言っていた。今となってはもう一つあるように考えられる。
この道を選んだ事。もしも彼女がデュランダル議長との対話を望んでいたならば誤解は解けていただろう。対話よりも先に武器を手にしてしまった事がそもそもの始まりの気がしてしまった。無論、止めなかった俺達も同罪だ。
全てを決める者の椅子に座り込んだ彼女を見ながら受話器を取って返事を返す。この船のトップはあくまでも俺だ。共に裁かれる覚悟を告げ、あちら側の指示に従うよう乗組員達に頼んだ。
「そう、分かりました。ありがとう。エターナルは投降したそうです。フリーダムのパイロットは此方の医務室で治療中です。不眠と軽い栄養失調……日頃の無理が祟ったものかと。今は眠り続けているそうです。起きた彼に貴方達が落ちたと伝えたくはありません。どうか投降願えますか?」
フリーダムのパイロットだという少年を思い出す。真っ白な顔で気を失っていた。今はアスランと共にベッドの住人だ。
彼の容態を伝えると、あちら側の空気が僅かに明るくなった。エンジェルダウンで見た時と比較して少し痩せたように感じられるラミアス艦長が頷いてくれる。
「感謝します。分かりました。本艦はそちらの指示に従います。ですが、これまでの行いに関する全ての責は艦長である私にあります。どうか乗組員達には寛大な処置をお願いいたします」
真剣な眼差しに頷き返す。ギルバートが戦いの前に教えてくれたが、彼等さえ頷いてくれたら後の流れは全て決まっているそうだ。先の大戦での後処理と方針は変わらない。全員生かすつもりだと話してくれた。
詳細が分からない以上、まだ伝える訳にはいかない。無事はお約束しますと確実な情報を伝えれば身体の強張りがとけていった。画面越しのこちらにも分かるほどだ。深々と頭を下げてきた彼女を思わず労ってしまってから通信を終えた。
翼をたたんだ大天使を曳航しながら安堵の息をつく。争いの終焉を祝福するような星々の光が眼に眩しかった。