「私達、いったい何処にいるのかしら……」
思わず不安が口から溢れた。自分しか居ない部屋に声が虚しく響く。
グラディス艦長から自室で待機するよう頼まれてから随分と時間が経った。私達の身柄はプラントに引き渡されるだろうという事は予測できた。この船は今いったい何処にいるのだろう。後どれだけ待てばこの航海は終わるのだろう。何も情報が入って来ない故にもどかしい気分に陥ってしまう。
思えばオーブを出てからずっと自分の意思では止めようのない旅を続けてきたようなものだった。船の行先を決めていたのはラクスさんだ。彼女がこの船の羅針盤を握っていたようなものだった。本来なら艦長である私がアークエンジェルの針路を決めなければならなかったのに。
沈み込んだままでいるとノックの音が耳を打った。アークエンジェルの乗組員達との接触は禁止されている。来るとしたらザフトの人のはずだ。事情聴取でもされるのだろうか。強張る身体を叱咤して鍵を開ける。次の瞬間、目を見開いた。
「あー、初めまして……になるのか? ネオ・ロアノークだ。美人な艦長さん、急で悪いけどアンタの話を聞かせてもらいたい」
顔に傷を作ったムウが、知らない人の名前を名乗って目の前に立っていた。
「なるほど……自由であるからこそ人は生きていると言える、ねぇ……羨ましい限りだ。そんなことは当たり前に無事で毎日を過ごせる人間の言葉だ。前提条件が俺達とは違うのか?」
この船で何があったかを教えてくれた美女を見る。こんな事になったからか下を向いたままだ。力ない様子に心の何処かが痛むのを感じながら思考をまわす。彼女から聞いた歌姫の言葉は随分と贅沢に感じられた。
アスランとシンが手を差し伸べてくれる前の日々が頭をよぎる。
あの頃の俺達には今日しかなかった。その日その日を生きるのに精一杯で、あの子達の誰かが居なくならないように必死だった。明日の事を考える余裕なんて一秒だって無かった気がする。子供達の将来や明るい未来に思考を割けるようになったのは救い出されて安全が確保されてからだった。俺達は彼等に明日をもらったようなものだ。本当に感謝してもしきれない。
可愛い子供達の今に思いを馳せる。ここに来る前に様子を見に行ったが、これからどうするかを楽しそうに話し合っていた。
スティングはあの頃の自分達と同じ奴を助けられるようになりたいと医療技術を教わっている。アウルは折角の運動神経を活かしてスポーツをやりたいと興味津々だ。ステラはずっと好きなダンスと興味のある料理、どちらをやろうか可愛らしく悩んでいた。明るい未来にこちらの頬も緩んだものだ。戦争が終わった事で、あの子達はやっと次の段階に進めたんだろう。
幼い頃に学校で習った懐かしい知識を思い出す。人間の欲は五つの段階に分けられるという説だ。
生きていくのに欠かせない本能的な欲求、安全な日々への欲求、集団に属したい欲求、他者に認められ尊敬されたいという欲求、自分の望む自分になりたい欲求。確か、こんな感じだったはずだ。
これらは挙げた順番に満たされていく。前段階の欲求が満たされていないと次のステージには進めない。
戦争なんてやっている世の中だと誰も彼も安全な暮らしが欲しい。いつ理不尽な攻撃に遭うかなんて考える事もなく、ただ今日を過ごして当たり前に明日が来る。そんな世界が欲しくてたまらない。そのためなら少しの我慢も厭わない。世界がデスティニープランを受け入れようとしている背景には人々のそんな願いもあるのだろう。
だいたい、本当に全員が好き勝手に生きようものなら社会は崩壊するかもしれない。自由は確かに大切だが、限度がある。まず何もかもを自分で決めろといきなり言われても戸惑ってしまうだろう。それよりも先ず身の安全が欲しいのは痛いほど分かる。俺達だってそうなのだから。
そんな人々とあの歌姫は言葉を交わした事はあるのだろうか。疑問が胸の内に湧いてくる。問いかけようと息を吸った瞬間、向こうが震える声を発した。
「ム……貴方、此処には一人で来たの?」
出鼻を挫かれてしまった。後で必ず聞こうと胸に留めながら質問に答える。
「あぁ。整備士が案内してくれようとしたんだが、それより先に足が勝手に動いてね。何でか知らんがアンタはここに居るっていう変な確信があった」
先ほど感じた胸の痛みといい、この身体に残ったムウの記憶によるものだろう。俺の答えを聞いた彼女の目が大きく見開かれた。少しだけ安堵したように息を吐き出してから何か言葉にしようと大きく吸い込んでいる。気づかない振りをして話を続けた。
「ちなみに、俺に元々この身体に居た奴の記憶が戻るかどうかは分からんらしい。ウチの医師が言うことにはムウ・ラ・フラガにも何か辛い記憶があったんじゃないかって話だ。思い出したくないものがあって、だから中々起きてこないんじゃないかって」
ナタルから話を聞いてしばらく後に言われた事だ。仮にムウが戻ったとしても、この俺、ネオ・ロアノークは消えやしないだろうとも言われた。ステラがシンを思い出せたのと同じ理屈らしい。もしかしたら楽しい記憶を残すようゆりかごの安全装置が残っていたのかもしれないという話だった。一瞬寂しそうに見えた白衣の歳下を思い浮かべる。親友だったという連合のスパイに想いを馳せていたのだろう。
俺達も一度ラーナスから尋ねられたが、生憎と顔も名前も知らない相手だった。ファントムペインと似たような立場だったのかもしれないが秘密裏に動かされていた俺達に横の繋がりは無いに等しい。最期まで表舞台に立とうとしなかったジブリールを苦々しく思う。結局は行方知れずと話していたが戦場の何処かで奴に使い潰されて捨てられた可能性の方が高い。彼女も理解していたからか、泣くのを堪えているような雰囲気だった。
そんないつかに思いを馳せていると、上がりかけた口の端が凍り付いていた美女がようやっと言葉を返してきた。
「そうなのね……やっぱり私は貴方達なんか嫌いです。モビルアーマー乗りも、モビルスーツのパイロットも。帰って来るなんて言いながら手の届かない何処かに行ってしまうんだから。そんな人達、願い下げだわ」
気丈に振る舞う彼女の目には水が張っていた。指摘するのは野暮だろう。肩をすくめてから話題を探す。先程聞きそびれた事があった事を思い出した。とはいえ今の彼女にいきなり問うのは気が引ける。前置きしてから尋ねてみた。
「その、話は変わるんだが。俺達はさ、何かあったら会議を開くんだ。会議って言ってもそんなに堅苦しいやつじゃなくって、ただの話し合い。こういう事があったっていう話を聞いて、それについて気になる事を皆が好き勝手に喋ったり質問したりする。大人も子供も関係なくな。この船では、そこら辺どうなんだ? アンタ、自分の考えや想いをハッキリと言葉に出来たのか?」
問いかけた先の艦長が眼を大きく見開いた。今にも泣き出しそうな声で苦しそうに言葉が紡がれる。
「それは……でも、ラクスさん達と異なる意見を言ってしまったら傷つけてしまうわ。それは、頑張っているあの子達にあんまりじゃない」
「別に、反対意見を言ったからって相手の考えを全部否定する訳じゃないだろ? そっちとは違う考えを持つ人間も存在するって教える事すらここじゃあ悪い事なのか?」
不思議に思って問いかけた先の女性が俯いたままで口ごもる。先程聞いた話から彼女は普通に生きる民間人に目線が近しいと感じた。デスティニープランを望む人の気持ちも恐らく理解出来ていたはずだ。しかし、ラクス・クラインの言動はそれを踏まえたものだとは思えなかった。アスランだってこの船の大人達が彼女に意見を述べている様は見たことがないと言っていた。
教えなかったのは何故なのか。先程の発言からして、この女艦長の優しさ故だろうか。それもあるだろうが、もう一つある気がした。あくまでも可能性の話だ。
もしかしたら、怖かったのかもしれない。ここの旗印であるラクス・クラインに異を唱えるのは勇気がいる事だ。不興を買えば彼女を中心とする輪から弾き出されてしまう可能性は否定できない。そんな不安を乗り越えてまで進言するのは真に相手の今後を思う気持ちと覚悟が必要とされる。身内でもない相手にそれを要求してしまうのは随分と酷な気がした。
とは言え、年長者としての責務として考えれば擁護する訳にはいかない。難儀なもんだとため息をつく。叱られるのを怯えたように顔を上げた目の前の相手が道に迷った小さな子供のように見えた。その顔を見た瞬間、思わず口から言葉がこぼれ落ちていた。
「理不尽だよな、大人ってのは。勝手に身体が年を重ねていっただけなのに、やらなきゃいけない事がどんどん増えていく。心はちっとも追いついていないのに、勝手に期待されて出来なきゃ失望される。人間はきっと、立派な大人になんて永遠になれやしないんだ。そう見える奴はただ、そんな振りが上手くなっただけなんだろうよ」
古い記憶を思い出す。幼年学校に入学した足し算も知らないガキの頃は歳さえ大きくなれば立派な人間になれるんだと何の根拠も無く信じていた。高学年になりさえすればありとあらゆる事が簡単にこなせるようになると疑わずに思っていた。昔は自分の誕生日を迎えるのが楽しみで仕方なかったもんだ。
ところが歳をとると現実を思い知る。上には上なりの苦労があって、ちっとも楽じゃなかった。むしろあの頃の辛さも忘れてチビ助達は楽で良いなんて羨ましがっていた。人生はそれの繰り返しだと分かると自分の誕生日なんかちっとも楽しみじゃなくなった。むしろ憂鬱なぐらいだ。
結局のところ、昔夢見ていた立派な大人なんて幻想なのかもしれない。永遠に俺達はそうなれないのかもしれない。そもそも歳をとれば立派になれるって言うなら、ジブリールみたいな奴は居ないはずだ。俺だって胸を張る事は出来ない。手を差し伸べてもらえるまではステラ達を戦わせるしかないと諦め切っていたのだから。物思いに耽っていると穏やかな声が空気を震わせた。
「そうかもしれないわね。それでも、先に生まれた以上伝えられるものはあった。何かできる事はあったはず……その責務を怠った私の責任よ。それより、さっきの話、間違いないのよね? ナタルの意思であの日の一撃が撃たれたわけじゃないって話」
切り替えられた話題に頷く。俺個人的には事情聴取よりもこの話を伝える方が本命だった。ナタルからは伝えなくていいと言われたが、この機を逃せば一生すれ違ったままだ。記憶が無くたって、かつての俺のせいでわだかまりを残して欲しくなかった。肩を下した彼女が眼を覆う。何度か擦られた後、礼を伝えられた。俺のワガママだからと返せば可笑しそうに笑われる。話は終わった事だし、そろそろ帰るかと席を立つ。律儀に見送ってくれる彼女を前にしてナタルを通じて聞いたメッセージを思い出した。あれの礼を言おうと息を吸う。何を言おうか考えるより先に唇が独りでに動いていた。
「俺の方こそ、生きていてくれてありがとう、マリュー。無事でいて本当に良かった」
彼女の眼から涙が溢れる。こちらに手を伸ばしたラミアス艦長が何か言おうとした瞬間、自動ドアが閉められた。一枚隔てた向こうから嗚咽が聞こえてくる。俺の意志に反して留まろうとする足の向きを強引に変えた。子供達とナタルが俺の帰りを待っている。これ以上は心配させてしまうだろう。ほんの少しだけ苦い想いを振り払うように歩みを進めた。
「どうしたものだろうな……」
思わぬ再会を果たした相手を思い返す。ヤマト少尉は随分と痩せ細っていた。少し眠りについた彼の見舞いに訪れた際、まるで見計らったかのように目覚めたのだ。身体に残る火傷痕の心配をされた後、良ければフレイ・アルスターの話をしたいと乞われた。彼女の話を出来る人間は限られている。もしかしたらこれが最後になるかもしれない。そう思いながらドミニオンでの彼女の様子を伝えた。彼を含む同級生達に謝りたがっていた事、自分に出来ることをしようと美しく懸命にもがいていた事。そして、私が守れなかった事。
結果論だが、あの乱戦の中で装甲の薄い避難船に乗せるよりはドミニオンに留めておくべきだったのかもしれない。あの日死ぬはずだった私が生き残り、生かしたかった少女は失われてしまった。心の底から謝っても謝りきれない。私のせいで彼の心にも傷を負わせてしまった。頭を下げた私に困ったような微笑みが返された。
「頭、上げてください。あなたのせいじゃありません。フレイを知ってる人と話が出来て良かったです。火傷の痕、消せるなら消してあげてください。フレイが気にしてますから。それじゃあ、お元気で」
相変わらずの優しさだった。あの日についた傷痕に指で触れる。
初めて会った日にフィル医師から打診は受けている。プラントの再生医療技術を駆使すれば治せるそうだ。しかし、自分の罪を忘れない為に断っていた。たとえ細かい動作や素早い動きが出来なくとも自分を許す訳にはいかなかった。
しかし、まるでさも本人からの伝言のように言われると戸惑ってしまう。子供達に私一人で何か教える時に苦労している事も事実だ。消しても良いんだろうか。
どちらにも決心が着かないでいると、ドアの開く軽い音が静かな部屋に響いた。彼を診ていたフィル医師が戻ってきたらしい。顔を上げると頭を下げられた。
「すみません、ありがとうございました。大事にしている女の子のお話が出来たからキラ君大分良くなってきてます。今はもうぐっすり眠ってますね」
快方に向かっている事が分かって安堵する。大きく息をついてからまた先程の悩みに囚われた。彼から話を聞いたのか、控えめな声が耳を震わせる。
「傷が無いからって忘れた事にはなりませんよ。取り戻せるなら取り戻しておいた方がいいです。こんな風になったら、どうしようもなくなっちゃいますから。これはあくまで私個人の考えです。どちらを選ぶかはナタルさんの手に」
硬い音を立てて目の前の鈍色の脚が叩かれる。プラントは以前から再生医療が発達していた。それですら直せない損傷を非戦闘員である彼女が負うとはいったい何があったのだろう。思わず顔を上げると困ったような笑みが浮かべられていた。
あの時はネオの話で頭がいっぱいだったが、こんな顔をさせていたのかもしれない。背を押してもらい、心は決まったが感情の整理がしたい。少し待ってほしいと頼めば快く頷かれた。感謝を込めて敬礼をしてから部屋を出る。誰かに肩を叩かれた。振り向いた先の相手に驚く。
「ネオ! アークエンジェルからいつ戻って来たんですか?」
「ついさっき。ナタルを迎えに来たかったんだよ」
嬉しい言葉に頬の熱が上がる。楽しそうに笑みを深めるネオに連絡を入れるよう注意するため息を吸う。その瞬間、こちらに駆けてくる眩しい姿が見えた。子供達が私達の名前を呼んできている。急ごうぜとネオが手を引いてくれる。礼を言い、同じ方向に並んで足を進めていった。