「私、ダメな人間よね……」
自分の中にある感情を思ってついため息がこぼれる。傍らの夫がどうしたのか優しく聞いてきてくれた。まだ日が昇らない夜闇を眺めながら口を動かす。
「キラは今回、世界中に迷惑をかけてしまったでしょう? 大勢の人を傷つけて、泣かせて。アスランくんにも酷い事をした。きっとあの子がした事を許さない人は大勢いるわ」
終戦してから少しして後、我が家に老紳士が訪ねてきた。アスランくんの後見人のようなものだと自己紹介してくれた彼はキラが何をしたのか静かに話してくれた。こちらは頭を下げっぱなしだった事を思い出す。
アスラン様の事は実の孫と思って可愛がらせていただいてますと笑って話した彼が何も責めてこなかったのが却って苦しかった。それどころか下を向いたままの私達へ穏やかな声で息子さんは無事ですと教えてくれた。それから今後の流れを説明されて有り難く頷いた。そして今ここに居る。
夜明け前が一番暗い。そんな言葉を遺した人は誰だっただろう。光の見えない道を眺めながら考える。あの道には桜並木が植えられていたはずだ。懐かしい光景を思い返しているとハルマが続きを促してきた。深呼吸を一つして想いを言葉にする。
「それなのにね、私、嬉しいの。あの子が約束どおりにちゃんと帰って来てくれることが。ダメよね、こんなの」
ただ生きていてほしい。私があの子に望んでいるのはそれだけだ。姉さんからこの子を託された時を思い出す。
キラの待つ才能については教えられていた。この子は何にでもなれる子だとキラの頬を複雑そうに撫でていたのが忘れられない。ふぇふぇと声を上げる双子の額にキスを落としていたのが最後に見た家族の光景だ。
可愛い子達を託されて帰って来た家でニュースを見た。姉夫婦の居たコロニーがブルーコスモスのテロで壊滅させられたと報じていた。その瞬間、この子の才能が世間にバレたらいけないと感じた。何としてでも二人には生きて欲しかった。
カガリの髪は義兄譲りの金髪だった。私もハルマもその髪色じゃない。彼女が両親の血が出やすいナチュラルだからこそ不貞だなんだと邪推してくる人は出てくるだろう。それに、問題はもう一つあった。
きょうだいならともかく、双子でナチュラルとコーディネーターが違うのは聞いた事がない話だった。二人一緒に育てれば確実に目立つ。そこからブルーコスモスに嗅ぎつけられたらお終いだ。それに、どうして同じじゃないのかと二人の仲に溝が出来るかもしれない。何も知らせず離れて育てた方が良いと考えた。
本当は一緒に大きくなるところを見たい気持ちを押し殺して、姉の旧知であるウズミ様に連絡を取った。ちょうど後継者として育てる養子を探していたそうで、二つ返事で了承してくれた。こちらの気持ちも汲んでくれたあの方に対しては頭が上がらない。
キラを育てる時にも気をつけた。この子は何にでもなれる才能の塊だ。やらせたらやらせた分だけ花開いていく。だから、無理にやらせなかった。本人の好きな事だけやれば良いと厳しく育てなかったのはある。その結果、思った以上の面倒くさがりになってアスランくんに叱られていたのも懐かしい思い出だ。
私はあの子に特別な誰かになんてなってほしくなかった。英雄にも偉人にもならなくて良かった。ただ、毎日を元気に生きてくれたらそれだけで幸せだった。だから、今はキラが無事に帰って来る喜びが何よりも大きい。あの子のした事で傷ついた人や溢れんばかりの可能性を息子に与えた義兄にはなんて事だと思われてしまうかもしれないけれど。思わず視界が下がりそうになってしまう。励ますように肩が叩かれた。
「申し訳なく思うのは良いが、そればかりに囚われる必要はないさ。母親としては当然の感情だ。私は君のそういう所好きだよ。誇りにすら思っている」
私の願いを聞いてくれてキラを守ってくれた彼の言葉で下がっていた目線を上げる。感謝を込めて手を握れば力強く握り返される。
戦場でいろいろと見て心が疲れているという話だった。あの子が生きて帰って来る事、それだけを褒めてあげたい。空の端が輝き始めるのを二人揃って見つめながらキラの帰りを待ち続けた。
「アスラン、この車ってライトの強いやつ出来ないの? せっかくのコペルニクスなのに」
「出来るけど駄目だ。あまり人目に付かない方がいい。何の為にこんな時間から動いたと思ってるんだ。お前は朝になれば好きなだけ見られるんだから我慢しろ」
まだ重いまぶたを擦りながらのお願いは一蹴された。ボタンを押そうと伸ばした手も控えめな力ではたかれる。久しぶりの大切な場所だ。夜明け前は眠いけど今は目が冴えてしまった。
病院で落ちていた体重や体力を取り戻すのと一緒に規則正しい生活リズムを叩き込まれていた。ちゃんとご飯を食べてお風呂に入ってたっぷり眠る。それだけで袋小路に入っていた思考が驚くぐらい綺麗に道筋を付けられるようになっていった。これならお家に帰っても良いだろうと診断されて早朝から此処に居る。
夢の中で再会してから僕の隣にいてくれるフレイが言ってくれるとおり、悪い何かに操られていたような気分だ。いつかの夢では大人なのにキラを止めてくれなかったラミアス艦長達もダメなのよって唇をとんがらせながら足を抱えていた。楽しい記憶を思いながら薄らとしか見えない景色に目を凝らす。
コペルニクス。アスランと出会った月の中立都市。前住んでた家がそっくりそのままあったからここで母さん達とずっと暮らすことになった。アスランのお姉さんの助手してた歳下の男の子がカウンセラーとして定期的に訪ねてくるらしい。
行き先を教えてくれたアスランが僕より嬉しそうだったのを思い出す。此処は僕らにとって大切な場所だから気持ちは分かる。そんな事を思い出していると前を走るアスランのお兄さんの車が十字路を曲がっていく。長い黒髪の人を紹介された時は凄く驚いたっけ。僕の中でアスランは凄い世話焼きだったから。そんな彼がハンドルを動かすのに合わせて口を開いた。
「アスラン、ごめんね。僕、君に酷いことした」
行動したらどんな結果になるか落ち着いて考えられる今なら分かる。あそこでアスランが生きてたのは運が良かっただけだ。それなのに僕らはアスランなら大丈夫だろうって思った。あの時じゃなくてそれよりもっと前からだ。
お父さんに撃たれても一人ぼっちになってもアスランが平気そうにしてたからずっと甘えていた。本当は大丈夫なわけなかったのに。フリーダムが落とされたあの日、シン君が僕に怒っていたのも当然だ。謝って許されるとは思わないけど頭を下げる。恐る恐る顔を上げた先、アスランの緑の瞳が丸くなっていた。呆気に取られた声が耳を打つ。
「どうしたんだ、いきなり……だいたい、どれに対してだ? フリーダムの修復ならお前が謝る事じゃない。キラだって知らなかったんだろ? 介入の事もそうだ。お前一人で全部動かせるわけないだろ。制止してリスクの説明しなかった周りにも責任はある。セイバーの件は俺のせいだ。まさかお前が俺を本気で撃つ訳ないって思っていたからな。いきなり倒れたのは肝が冷えたが無事で良かったよ」
次々と上げられる事柄がグサグサ突き刺さってくる。縮こまっているとおかしそうに笑われた。責めてる気は本当に無いんだろうなぁと思いながらもう一回だけ頭を下げた。今度は直ぐに上げ直して不思議で堪らない事を聞く。
「君、僕に甘すぎるよ……なんでなのさ」
拗ねたように頬を膨らませてしまった先、アスランが不思議そうに首を傾げる。
「何でって……ここでキラと遊んだのが楽しかったからな。ラーナス達と遊ぶのも楽しかったけど危ないからって家の外には出られなかったし。キラと自由に遊べてどこにでもいる普通の子にやっとなれた気がしたんだ。だからキラ、俺と出会ってくれて本当にありがとう。お前に会えて良かった」
何も知らなかった子供時代に戻ったみたいにアスランが無邪気に笑う。
家の前に着いた車のドアが開いた。真剣な顔に戻ったアスランが肩に手を置いてくる。
「カリダさんとハルマさんの事、大事にしろよ。ほら、家に着いたんだから降りろ。二人が待ってる」
促された先では父さんと母さんが待ってくれてる。これで会えなくなるのは寂しいから離れていく手を掴んで返事を返した。
「僕も! 僕も、君と遊べて楽しかった! だから、また会えたら一緒に遊んでくれる?」
パチパチと瞬きをしたアスランが綺麗に笑ってくれた。先に降りて挨拶していたお姉さん達の手でもう一台の車の後部座席に運ばれた幼馴染が見えなくなるまで手を振った。こぼれそうな涙を堪えていると後ろから暖かく抱きしめられる。
「おかえりなさい、キラ。無事に帰ってきてくれてありがとう」
母さんの腕の中でさっきまでの我慢が無駄になる。あぁ、フレイにまた怒られちゃうかな。袖で目を擦る。少しだけ鼻声になりながら帰りの挨拶を返した。
「ただいま、母さん! 父さん!」
家族揃って家の中に入る。あの日からずっと帰りたかった家へようやく帰れた事に自然と頬が緩んでいた。
「おぉ、すごい……殴られるどころか怒鳴られもしてない……むしろハグしてもらってる。こっちにもちゃんと謝ってくれたし、出来た親御さんだった……普通の親ってあんな風なんだな……」
バックミラー越しに見える仲良さそうな家族の光景にラーナスが感嘆の声をあげる。確かにあの御両親は私もちょっと羨ましい。首を動かして自動操縦のもう一台が着いてきている事を確認する。ガラスの内側にいる弟はキラ君の様子をホッとした顔で眺めた後で健やかな寝息を立て始めた。思わず口元が上がるのを感じながら声をひそめる。
「良いんですか? デスティニープランが施行されたらナチュラルとコーディネーターの境界が今よりもっと曖昧になる。私達の数は緩やかに減っていきますよ」
コーディネーターとナチュラルを直ぐに判別する事は出来ない。ステラちゃんやレイ君みたいに薬剤耐性の数値を見ないと分からないレベルだ。第一パッと見て分かるならあの子達はプラントに来られていないだろう。それに、私達にはどうしようもない欠陥がある。
婚姻統制が敷かれている事からも分かるように子供ができにくい。この問題が公になってから新たな第一世代はほとんど産まれなくなった。次の世代に繋げることが出来ないそのデメリットを受け入れても望み通りの能力を手にできない可能性がある。デスティニープランでナチュラルでも遺伝子の恩恵が受けられるなら誰も作りたがらなくなるはずだ。
そんなコーディネーターが自然と消えていく事に抵抗はない。それでもどうしようもない一抹の寂しさを覚えて問いかけた先、静かな返答が返された。
「コーディネーターが持ってるのは自分が欲しい才能や容姿じゃない。親が欲しかったものだ。実際、俺は別に碧眼なんぞ欲しくなかったよ。眼なんぞ何色でも良かった」
一回言葉を切ったラーナスがアスランの熟睡具合を確認する。一回寝た弟が相変わらず中々起きない事に安堵した子がより一層声をひそめて吐き捨てた。
「目の色が自分の希望と違うからって発狂して息子の眼を抉ろうとする母親が出てきた世界だ。この世界にあの技術は早過ぎた。使われなくなった方が良いんだよ。それで平和になるなら万々歳」
少々過激な意見にため息をつく。この子にはそれを言う権利があるだろう。
家に来た頃の叔母は自信に満ち溢れていた。けど、ラーナスの眼が望み通りじゃなかった事でおかしくなった。育児放棄を咎められて叔父様に離縁をチラつかされてもまるで聞いていないようだった。今考えれば人生初めての失敗を受け入れられなかったんだろう。ちっとも間違いではないと思うが、理想に生きてきたあの人にはそう感じられたはずだ。
とはいえ当時の私は子供心に恐ろしく感じたし、周囲もあまり近づかないようにしていた。レノア様とパトリック様は仕事の忙しさで把握が遅れた。そんな事が重なって限界を迎えたんだろう。
仕事から帰ってきた叔父様の引き金が後一歩遅ければこの綺麗な檸檬色の両目が失われる所だった。その場を震えて逃げ出したこの子が無垢なアスランに出会ってこうなるなんて、あの時はちっとも想像できなかった今だ。
人生万事塞翁が馬、だったろうか。オーブに住んでいた子から習った昔のコトワザを思い出していると、大きく息を吸ったラーナスが重い空気を振り払うように両手を合わせる。小さな柏手が鳴るのに目を瞬かせてしまうと可笑しそうに笑われた。
「ま、デスティニープランで戦争が無くなってもまだ問題はある。ロゴスが居なくなってもブルーコスモスの残党は残ってるからな。さっき姉さんが懸念したみたいにナチュラルが同じ土俵に上がってくるのを嫌がる奴等もこっちに居るかもしれないし。とは言え、勝った側の俺達が全部取り仕切ったら反感待つ奴等が出てくるだろ?」
確かにと頷く。勝てば官軍なんて言葉もあるぐらいだ。勝った方が有利な世界になるのも確かだけど、あんまりやり過ぎると反発が出る。頷いた先の弟が悪戯っ子の笑みを浮かべる。
「新組織作ろうって話が出てるんだ。国籍や人種関係なしにナチュラルもコーディネーターも皆がおんなじ方向を向いたテロが戦争に繋がるのを防ぐための国際的な平和維持組織。オーブからは技術提供してもらえる話を取り付けてある。連合ではロゴス討伐に参加してくれた人達の中からナタルさんが目ぼしい人達に声かけてくれるって。あんまり出動する機会は無いのが一番だけどさ、面白そうじゃん?」
これからの話に首を縦に振る。もし設立されたらそこからナチュラルとコーディネーターの相互理解が進むことになる。医療スタッフとして協力する旨を告げれば嬉しそうに目が細められた。
車が空港に着いたため、アスランを起こそうとする。機嫌良く片手で制したラーナスが末っ子を抱え上げた。少しよろめいて幸せそうに笑う。
「良かった……ちゃんと前より重くなってる。目的地までは寝かせてやろうぜ。なんせこの後は大騒ぎだ。シンに任せっぱなしだから着いたらうんと頑張らないと」
この後の予定を思い返して思わず頬が緩む。私も仕事を張り切らないと。可愛い妹に久しぶりに会える事も楽しみでしかたない。先に進んでいたラーナスが振り返ってくる。笑い返して朝日の中へと足を進めた。
キラ、無事に帰宅。
お読みくださり、ありがとうございました。