夜明け前の断章
「どういう事じゃ!! 妾の造ったものが良いようにあしらわれるなどあってはならぬ! どうしてこうなった!?」
手を繋いだままの運命の二人を横に、深々と一礼したデュランダル氏が僅かに口許を緩める。そのまま暗転した画面へグラスが投げつけられた。床へ破片が撒き散らされる。私の背中にいたリデラードが小さく驚いた声を上げた。妹に構わず早口で呟き続けていたお母様がポンと手を打ち合わせる。
「そうじゃ! あの女のせいに決まっておる! あやつめ、自分から頼んでおいて妾から奪うなぞするから! 育て方が悪かったのじゃ! こちらにミスは無かった! 妾の元で育てればオルフェと並ぶ才能が花開いたに決まっておる! 全く、本当に身勝手な女だった……」
甲高い声で叫んだと思えば呆れたように頭を振ってため息をついた。今回の癇癪は早めに落ち着いたようだ。機嫌を取ると伝えてきたオルフェが肩へと手を置いた。
「その通りです。母上の行いに誤ちなどございません。彼女が此処に来た暁には貴女の指導によって必ずや力が目覚めるはずですとも」
オルフェが励ますように笑みを向ける。彼に対してゆっくりと首が傾けられた。本当に不思議そうな声で衝撃の事実が告げられる。
「何を言っておる? 失敗作に手間をかけて何の意味がある。もうアレは此処には呼ばぬ」
え? という声が誰かの口から零れる。愛しい彼の太陽のような笑顔が凍りついた。震える声でオルフェが必死に言葉を重ねる。
「お待ちください、母上! 私との婚約はどうなるのです?! 彼女は私の運命だと、共に皆を、人々を導く姫であると貴女が教えてくださったでしょう!?」
「うるさい!! そんなものは無しじゃ! 妾は今機嫌が悪い! 見て分からぬか、愚か者めが!」
床に散らばっていた破片が愕然とするオルフェに向けて投げつけられる。反射的に行われたその行動は読み取る事が出来ず、彼の頬に赤い線が走った。よろめいたオルフェからは何の思考も届いてこない。思わず名前を呼んで駆け寄ろうとした瞬間、俯いたままのオルフェは部屋を飛び出して行った。アウラ様をシュラ達に任せて後を追う。閉めた扉の向こうから金切り声が聞こえてきた。普段なら不安で足を止めてしまうところだ。それよりもオルフェが心配で堪らなくて身体は前へ進んでいった。
「オルフェ、怪我の具合は?」
昔から彼が好きな庭園に一人佇むオルフェを見つけた。急いで部屋から取ってきた救急セットを手にして尋ねればゆるゆると首を振られる。彼の動きに合わせて小さな赤い雫があごから落ちた。慌てて膝をつき、ガーゼで消毒してから絆創膏を手に取る。腕を伸ばした瞬間、か細い声が耳を打った。
「彼女と一緒になれないと言うなら、私はこれまでいったい何のために……」
これでもかと悔しさが詰め込まれた声に胸が張り裂けそうになる。
だって、私は知っている。
いつか会える姫君に相応しい人間になろうと勉学に打ち込んだ彼を知っている。その上で相手を護れる強さを手にしようと剣を手に取り、シミュレーターで遅くまで特訓していた彼を知っている。より良い道へ人々を導こうと身に付けた力と知恵を生かし、太陽みたいに皆を照らして勇気付けてくれるオルフェを誰よりも知っている。
そんな彼に今のような顔はしてほしくない。どんな想いを伝えれば良いのか必死に頭を動かしていると、シュラから呼ばれた。オルフェに断りを入れてから繋げる。どうしたのか問えば呆れの感情と共に言葉が脳内に響いた。
【オルフェ共々、しばらく帰ってくるな。今は顔も見たくないそうだ。悪い。放送前に俺がロゴス討伐の出撃を請うた事も機嫌を損ねてしまった】
そう言えばと思い出す。始まった放送を見に部屋へ集まった時、私より先にシュラが居た。珍しかったので驚いたのを覚えている。思い返せばシュラが小さく自嘲するように笑ってきた。抑えきれなかったのだろう。強い渇望と悔しさに加えてもどかしさと苛立ちが伝わってくる。
【世界の命運を揺るがす戦いに身を投じる。戦士として産まれたからには誰もが見る夢だ。折角の機会が訪れたのに許されない。それならば俺達はいったい何故生み出された? 万が一などある訳がないのに】
シュラに頼み込むダニエル達が見えたと思えば何かに怯えるように肩を震わせる母の姿が送られてきた。濁流のような感情は止まることを知らない。
強めに呼んで要件はそれだけなのか確認を取る。我に帰ったように肯定された。共有を切って痛む頭を小さく振る。シュラが思念を制御出来なくなるのは久々だ。それだけ怒りが強いのだろう。こちらに伝播してきたそれを追い出そうと息を整えていると、私の名前を呼ぶ声が響いた。
いつの間にかオルフェが立ち上がっていた。何があったと聞いてくる。広域での思念共有が出来るのは私だけだ。シュラから流れ込んできた悪い感情を伏せてもう数時間は家に帰れない事を伝える。ため息を着いた彼が椅子に座り直した。近くに座るように言われ、感情を押さえながら腰を下ろす。オルフェの声が心地良く響いた。
「イングリット、大丈夫か? 巻き込んでしまったな。母上のあそこまでのお怒りは久々だ」
こちらを気遣う声に湧き上がる喜びを抑えながら首を振る。頭の痛みも何処かに飛んで行った。オルフェが帰ってこない家にいても空しいだけだ。今日の業務と明日の準備も終えている。問題ない事を口にすれば安心したと微笑まれる。そのまま言葉が続けられた。
「悪い事ばかりじゃない。彼女の介入によってデスティニープランという希望が世界に提示された。デュランダル議長なら必ずやこの世界を平和へと導いてくれる。恐らく近いうちに改めて正式な発表があるはずだ。参加を我が国が真っ先に表明しよう。未知の事に対しては誰もが二の足を踏む。しかし、最初の一人が踏み出せば後は早いものさ。今出来ることはそれぐらいしかないが」
気を落としたオルフェにそんな事はないと伝える。未だいつもより弱々しいものの、彼の顔に光が戻ってきた。
「僕等はこの世界をより良くするため、必要とされて母上に命を与えられた。その使命は果たさねばならない。母上の仰る通りだ。ラクス・クラインは駄目だ。故郷を癒すという望まれた役目を放棄していた。人々の望みを果たせない者に価値などある訳が無い。まだ代役をしていたあの少女の方が資格があるぐらいだ」
産まれてきた意味が彼の口から改めて紡がれる。物心ついた時から教えられてきた言葉に頷きながら先程の会見を思い出した。
あの歌姫とアスラン・ザラは仲睦まじい様子だった。そして対の遺伝子だと明かされた時はお互いが誰よりも驚いていた。それはつまり、相手が運命だと知らないまま選んだという事だ。婚姻統制があるプラントでは引き離される可能性だってある。それなのに恥じらいもなく抱きしめあっていた。
愛する資格があるか分かる前からそう出来る自由が彼らにはある。憧れに似た感情を気取られないよう押し込めていると、オルフェに呼ばれた。久しぶりに咲き誇った花を見てまわりたいと願いが伝わってくる。了承して後ろをついて歩く。彼の心が穏やかになっていた事にただただ安堵した。
その後。すっかり冷えた夜明け前に迎え入れてくれたお母様は先程の事がなかったかのように常と変わらぬ振る舞いだった。暖かいスープを口にしながらある事に気づく。家にあったラクス・クラインの写真や肖像画が全て無くなっていた。
暖炉の近くに来たダニエルが愚痴混じりに何があったか見せてくる。命令で全て燃やしたそうだ。空の額縁を寂しげに撫でたオルフェが自室へ静かに戻って行った。その背中を見送る事しか出来ないまま、私も部屋に戻る。彼の心からあの人が消え去る事を一刻も早く願いながら、そんな自分に嫌気がさした。
それから私達の出撃は許されぬまま戦争が終わり、少しの月日が流れた今。世界には未だ戦火の残り火が僅かながらに燻っている。
フリーダム編開始となります。
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