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そこには、蒼く澄み渡る空が果てまで美しく広がっていた。
貴方が何度目を擦りそれを見直そうと、その光景に変化はない。
昼の太陽など、この目で見るのは何年ぶりだろうか……。50年?80年?……いや、もしかすると数百年以上前だったかもしれない。
いま己が立つこの場所は何処なのか、何故このような状況になったのか、古きヤーナムの地や狩人の夢に置いてきた人形はどうなったのか…。
貴方が考えるべき事は数多くある筈だが、しかし今はただ、目の前に広がる景色に呆然と見惚れ立ち尽くすことしかできなかった。
◆ ◆ ◆
それはまさしく、永遠に終わらない悪夢であった。
暗澹たる空に浮かぶ巨大な月。街中に蔓延る穢れた獣と漂う腐臭。上位者を崇める狂信者たちの冒涜的な儀式。
そんな血と狂気に塗れた長い長い獣狩りの夜を、あなたは気が遠くなるほど何度も繰り返していた。
獣と堕ちた救われぬ病み人たちを次々と葬り、赤い月の秘匿を破って、赤子の泣き声を止めたその先。介錯に身を任せ夜明けを迎えようと、偉大な先人を討ち遺志を継ごうとも、気付けばまた暗い診療所の寝台で目を覚まし、再び同じ道を辿る。
何度も、何度も、何度でも。
狂気と獣性と啓蒙ばかりが得られるその繰り返しの果てに、ついに貴方は悪夢の元凶たる月の魔物を討ち破ったのだ。
そうして青ざめた血を手に入れ、ヤーナムを真の夜明けへと導いた貴方は、その身を上位者の赤子へと成した。
最後に見た景色は朧げで霞んでいる。たしか狩人の夢の中、のような身体を人形に抱かれて見上げた、明るい月であったか…。
そうして気づいた時には、知らない青空が広がっていたのだ。
◆ ◆ ◆
「おい!何だテメェは。そこで何してやがる! …聞こえてんのか!」
しばらく空を眺めていた貴方であったが、そんな粗暴な怒鳴り声によってはたと我に返った。
見れば、薄汚れた貧そうな男がこちらに向かって怒気を発している。煤けた髪にボロ切れのような衣服の汚い小男だ。
上にばかり目をやっていて気づかなかったが、周りを見るにどうやらここは貧民街のような場所らしい。地肌が見えないほどにゴミに溢れ、空気も澱んでいる。かろうじて家の形を保っているようなボロボロの掘建て小屋がちらほらと乱立し、歩く人は皆いかにも不健康そうだ。
「シカトこいてんじゃねぇぞ!そこは俺の家だ、何しにここへきた…!」
すまないと男に謝罪した貴方は、自分に敵意がないことを伝えた。後ろをチラと見やれば、これまたおんぼろの家屋がすぐそこに建っている。入り口を塞いでしまっていたらしい。
男はこちらの言葉をまるで信じず、貴方が空き巣を狙っていたのだろうと思い込んで語気を荒げて怒鳴っている。周りの住人もどうしたことかと近くに集まり始めた。刃物など武器を持つ者もいる。
これはまずいと思った貴方は、ひとまず男を宥め、かつこの場所の事を聞くために、対価を差し出せばいいかと考えた。碌な物品を所持していない貴方であったが、見るからに貧しい身分の男相手ならば、あまり使い道がなく溜め込むばかりだった『輝く金貨』が有用であると思い至る。
怒る男を宥めつつ近付いた貴方は数枚の金貨を差し出し、情報を買いたいだけと男に伝えれば、彼は目を見開き、遅れて金貨をサッとぶん取った。
男はまだ警戒を全く解かずに貴方を睨み付けてはいるが、どうやら答えてはくれるようだ。
◆
男の知る情報はお世辞にも豊富とは言い難いものだったが、最低限知りたいことは聞くことができた。
どうやらここは流星街という場所で、世界中からゴミや難民が集まってくる所らしい。法や正義など存在しない文字通りの無法地帯であるが、しかし長老をはじめとする権力者達の議会制度によって統治が行われてもいるようだ。
この街は来る者を何者も拒まない、だが同時に敵対者に対しては街ぐるみで容赦のない報復を行う過激な思想が広がる場所らしい。
男は貴方が外からの来訪者であることを確信しているようだ。全身を黒い帽子やコートで覆う貴方の装いは、何処をどう見てもこの街では普通でないし当然だろう。
その上で、彼は貴方が国や社会から追い出された訳ありの貴族か何かだと考えている。立場をなくし行き場を失ったものがここへ流れ着くのは、耳が腐るほどよく聞く話らしい。
他の住人の縄張りを犯さなければ自分で家を建てて暮らす分には構われないそうだ。多くのものは捨てられたゴミを再利用し、売り払うなどして生計を立てているという。
ヤーナムをはじめとする貴方の知る場所の名前は、ひとつも聞いたことがないと男は答えた。血の医療やビルゲンワースなどの単語もやはり知らない。これについてはこの男よりも情報を得られる立場の人間に改めて聞き込む必要があるだろう。
貴方があらゆるものを犠牲にして手に入れた、ヤーナムの夜明けの行く末。それが気にならない訳がないのだ。
最も驚いたのは、今が1997年であるということだった。もはや遠い記憶で霞んでいるが、貴方がヤーナムの地にやってきたのはたしか19世紀中頃だった筈で、少なく見積もってもあれから100年以上は経過していることになる。
もしや本当に悪夢に囚われているうちに100年経ったのか、あるいは上位者の赤子となりここで目覚めるまでに間に100年経ったのか、事の次第はまるでわからない。
わかっているのは、今のこの世界は貴方にとって、もはや全く未知のものであるということだけだ。
男の話に満足した貴方は、追加の報酬を渡して立ち去る事にした。
何をするにもまずは拠点が必要だ。街のはずれで比較的静かな場所を見つけ、簡易的な小屋を建てるとしよう。
◆
貴方にはあまり建築の才能はないようだ……。
かろうじて雨風は防げるだろう歪な小屋で腰を下ろした貴方は、置かれた状況とこれからのことを考える。
ここに来る前の最後の記憶は狩人の夢であった。その時貴方は上位者の赤子であり、自ら身動きもままならない蛞蝓だったが、いまは外見上ただの人間に見える。知らぬ間に成長して再び人間の形を取り戻したのだろうか……。
ひとつ確実なのは、それはあくまで見てくれに過ぎず、貴方の中身は立派な上位者の一柱であり、只人とは生きる次元を異にする化物であるということだ。
貴方は感覚的に理解している。常人では認識し得ない高次元の世界にまで自身の存在が及ぶ事を。
ヤーナムでは道具や精霊を媒介にし、血を混ぜた水銀弾を消費することで実現できた数々の秘儀も、神秘そのものである上位者となった今は触媒も代償もなく使えるだろう。心強い戦力であると同時に、もはや人ではなくなったことの証左でもある。
そこで貴方ははたと気づいた。己の血はどうなっているのか。
試しに指を軽く切って血を出してみれば、その血は、赤く、真っ青に、青ざめていた。
……これは猛毒だ。只人であれば触れるだけでも少なからず啓蒙を得るし、体内に入ればたちまちのうちに地面をのたうちまわって息絶えるだろう。
迂闊に負傷もできないなと貴方は肩をすくめた。
貴方の身は睡眠を必要としないが、狩人の夢はまだ見られるのだろうか。いや、おそらく見る事はできる。狩人の夢の上位者こそが月の魔物であったのだ。その血を取り込んだ今、むしろ以前よりも自在に行けるし、最も快適な場所もそこだろう。
ただ、夢を見ている間の貴方の身体や時間の経過がどうなるかが未知数だ。
夢を見るのは一通り安全を確保して落ち着いてからにしよう。この場合の「安全」とは、流星街の住民にとってのだが…。寝込みを突かれれば逆に貴方の血一滴で殺してしまいかねない。無益な面倒事は不本意だ。
貴方の今の目的は何だろうか………。
そもそも何の為に青ざめた血を求めヤーナムへ訪れたのか、もはや靄のように霞んで消えかけた記憶を辿る。
………そう。貴方は最初から、「狩りを全うするために」あの呪われた地へ赴いたのだ。狩人としての使命を全うする、そのために青ざめた血を求めやってきた。
それを思い起こせば簡単な事だ。
上位者となろうと貴方は「狩人」。生きる為に狩り、狩る為に生きる。幾度死のうと蘇り、目覚めればまた狩りへ赴く。
貴方は自分がどこか壊れていることも自覚していた。だがそれでもよかった。
これが貴方の使命なのだ。
貴方のやるべき事は分かった。
目的は2つ。狩人としての本懐を成す事。そしてヤーナムの結末を知る事だ。
前者に関してはさほど難しくはないだろう。先程の男から、未だ世界には害獣が腐るほど蔓延っている事は確認済みだ。
それはヤーナムのような人が理性を失って獣と化したようなものとは根本的に違うであろうが、人に仇なす醜い獣には違いない。
例えその形が、人であろうと、なかろうと。
後者に関しては先行きは未だ不明だ。ヤーナムが何処にあるのか、そもそもまだ存在しているのかすら定かではない。
ひとつ可能性としては、狩人の夢からヤーナムへ目覚めるという方法だが、貴方はこれにはあまり期待していない。
幾千幾万と繰り返したあの悪夢の日々において、狩人の夢は月の魔物の領域であった。
しかし今は違う。月の魔物は貴方が屠り、その身に青ざめた血を取り込んだ。例えその領域を継承していたとしても、月の魔物が支配していた時とは主が違う。
しかも貴方が最後に狩人の夢を見た時から、100年以上経っているかもしれないのだ。昔のままヤーナムへ繋がっていると考えるのは甘い考えであろう。
まずは狩人として功績を残し、ヤーナムの結末を探求するために十分な資材と力を手に入れるのが良いだろう。
そうと決まれば、早速狩りの仕事だ!
貴方は今の自分が持つ狩人の業を確かめる為、男から先程聞き出した、凶暴な獣達が縄張りとしている湖へ狩りに向かう事にした。
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結果だけ言うなれば、貴方の狩人の業は些かも衰えておらず、むしろ身体能力が大幅に上昇していたためあまりに容易く狩る事ができた。
相手は巨大な腕を持つ猿の獣であったが、その強靭な剛腕もノコギリ鉈で力ずくに斬り裂き、隙を狙ってパリィしては内臓を引き摺り出し、群れで襲われようとちぎっては投げちぎっては投げ、多分に余裕のある狩りであった。
試しに『エーブリエタースの先触れ』を召喚した時は、あまりの威力に大惨事だったが。というか実物のエーブリエタースの触手よりずっと大きかったような……。
貴方は攻撃型の秘儀はしばらく封印する事にしようと決めた。威力のコントロールが出来るようになるまでは、周辺被害が酷くて使えたものではない。
問題はその群れのもとに人が囚われていた事である。この獣は捕らえた獲物を保存食として生捕りにすると聞いたので、ここに気絶している数人もそのために捕まっていたのだろう。
貴方はとりあえず、蔦や草でがんじがらめにされた彼らの拘束を解き、気を起こさせた。
「君には本当に感謝している! つ、次に食われるのは私の番だったのだ……!」
彼らを起こした貴方は、介抱しつつ話を聞いていた。
獣には小柄な獲物から先に喰う習性があったらしい。助けた内の1人の青年は顔を真っ青にしながら何度も貴方に感謝を捧げている。
曰く、彼はあるマフィアの次期頭領候補であり、他の候補に有利に立つため、非常に高価なこの獣の皮を獲りに来て返り討ちにあったらしい。
他の捕まっていた男達も彼の部下であり、連れて来た半数は死んだと言う。
貴方はこれがきっかけで彼の所属するマフィアから狩りの仕事を斡旋して貰うようになる。実績を残す内に、マフィアに限らずあらゆる依頼人から仕事を頼まれるようにもなった。
◆
そんな暮らしを1年と少しほど重ね、貴方が害獣専門の狩人として順調に名を挙げていた時のことである。
「…はぁ? 知らない? 念能力を? …冗談としては0点だな。いつも使っているだろうが。」
もはや顔馴染みとなったマフィア幹部との会話の中で、貴方はどうやら「ネン」という神秘や魔術と似て非なる現象が実在するらしいと知った。しかも既に貴方はその力をいつも使っているときている。
「………まさか、本当に知らないのか。こりゃ珍しい、天然物だったんだな…。」
ごく稀にだが、職人などで念を無意識に使う者もいるらしい。しかし貴方ほど強力な念能力を無意識に習得している者など聞いた事がないと言う。貴方が本当に知らないと伝わった時、それはもう大層に驚かれた。
貴方は彼に念能力とやらを教えてほしいと頼むと、彼は自分の代わりに優秀な教師を貴方に紹介した。
そこから半年程、貴方はその師匠のもとで念能力の修行をこなしたが、貴方の期待とは裏腹に、師匠は貴方の念能力の完全な習得を諦めた。
どうやら、既に制約と誓約なるもので貴方の念能力は大幅に制限されており、その能力の内容もとっくに決まっていたようだ。狩人としての力、血の意志による常人離れした身体能力や、神秘のもたらす現象などがそれだ。
基本の練や硬にすら制限があり、代わりに強力無比な発を持っていた貴方は、既に能力者として完成されているというのが師匠の言である。
能力を保存する容量がほとんど残っていなかった貴方は、その僅かな領域で己の神秘性を制御する
念を知る前から元々、神秘を辺りに撒き散らすのは感覚的に抑えられていたものの、貴方の身に流れる青ざめた血だけはどうにもできなかったのだ。
それを念能力によって常人のそれへと限りなく近づけた貴方は、これで己が人間でないことを露呈してしまう可能性を無くした。
僅かな容量では無償の能力にはできず、その血を秘匿する間は常に奥底へと神秘と狂気を蓄積し続ける事になってしまったが、致し方あるまい。
結局、修行で得た純粋な成果としてはオーラが見えるようになった程度だが、それでも念能力について一通り知識を得られた貴方は、師匠に感謝を述べて修行を終えた。
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「………お、お前、プロハンターも知らないのか…? 狩人なんて名乗ってるのに? 信じられねえ…。」
修行を終えた貴方がいつものマフィア幹部に報告と感謝を述べにいった時、返ってきたのは「せっかくだしプロハンターになればいいんじゃないか」という台詞だった。
ハンターとはつまり狩人のことだろう。しかし貴方の知る限り、狩人にプロやアマチュアといった区別は特に存在しなかった。
いやまて、友人の狩人達同士では聖杯に潜るようになって一人前というような風潮もあるし、聖杯デビューすればプロ狩人と呼んで差し支えないのではないか。
それなら問題ない。貴方は気が狂う程に何度も聖杯に潜っては血晶石を厳選していた。あまりに狂気的な執心により地底人と揶揄された人種であったのだ、プロ狩人を名乗るのに不足はないだろう。
次に狩人の夢に戻った時は久しぶりに潜ってみるのも悪くない。それならやはり9kv8xiyiだろうか…。もはや第2の故郷である。
「全然違うし、一体何の話をしてるんだよ。お前さん、時々頭がおかしくなるよな。」
失礼な奴だと貴方は憤慨するが、内心ではあまり否定できないでいた。事実、まともであってはとてもあの悪夢で生き残るなど不可能である。
詳しく話を聞くに、プロハンターというのは貴方の目的を叶えるには非常に有用な資格であるようだ。
プロハンターとなれば、ヤーナムを探すのに採れる手段も滅法増える。
何より、狩りに優れ、無慈悲で、血に酔った良い狩人であると自負する貴方にとって、自分がアマチュアであるなど認められることではなかった。
「念能力の件といいハンター試験の件といい、つくづく順序のおかしな奴だな…。」
次に行われるハンター試験は半年後、1999年の第287期試験らしい。
貴方はこの試験に挑戦しようと決心した。
原作開始まで巻き巻き。
狩人の念能力とかも後からちまちまと出していく予定です。
『古都ヤーナム』
遥か東の人里離れた山間にある呪われた街。
奇病「獣の病」が流行する。
『獣の病』
人としての理性を失い醜い獣となる病。
『狩人』
獣となった人間を狩る者。
死は救いであり、つまり狩りとは医療行為であるのだ。
『上位者』
悍ましい外見と超常的な能力を持つ人ならざる人を超えた存在。
『月の魔物』
ヤーナムに獣の病と終わらぬ悪夢を齎した元凶の上位者。
『血晶石』
武器に捩じ込むことで強化できる。