漫画的世界の"悪役"になろうと思う。 作:十期
工藤新一にとって高遠ジゼルの出現は思いもしていなかった幸運であった。
「あのね、新一。ジゼルのことどう思ってる?」
「どうって、変な奴じゃねぇの?」
心配そうに新一を見つめる蘭の気持ちなんて知らない新一はただただ思っていた言葉を吐き出す。その言葉に蘭はホッとしたように息をもらしたが、まだ幼い新一にはその意味がわからなかった。
物心ついた頃から新一は、父親の影響か同世代の子供よりも知識量が多かった。幼馴染の蘭や園子なら兎も角、その他のクラスメイトの会話についていくのが辛く思える出来事も何度かある。サッカーや体の動かす事柄ならば兎も角、今更そんなことやらなきゃならないのか?と感じてしまう授業にはある意味ついていけない。
昔から本の虫になりシャーロックホームズを読み漁っていた新一からすれば言葉の意味回しがわからなくてもある程度の漢字は読めたし、謎を解くために必要な単純な計算や英単語もそこそこ理解できていた。
別に周りが馬鹿なわけではない。一般的な子供の中にうっかり入り込んでしまったのは新一の方で、ほんの少し多めに知識が蓄積された新一だけが場違いだったのである。
周りが平仮名ばかりの本を嫌々読んでいる最中、新一はあえて上級生向けの文字が小さ目な小説を揚々と読み新たな知識を脳に埋め込んでいく。新しく読んだ本が面白く同級生に勧めようなものならば、そんな分厚い本は読めないと嫌な顔をされた事は何度もあった。
だから新一は一人で黙々と読むようになったし、他の誰かにそれを勧めることもやめた。
別にそんな日々に飽きていたわけではないし、諦めていたわけでもない。
ただほんの少し、話がわかるやつがいればなと常々新一は考えていた。蘭や園子のように気兼ねなく話せる相手もいるがそれよりもっと己の意見を言い合えるような、それこそ父親のように意見交換ができるような存在が欲しかったのである。
そしてその願いは唐突に叶えられた。
「工藤くんって、謎解き得意なんだよね?」
黒檀の髪に鼈甲色の瞳。凛とした声は優しく新一の鼓膜を揺らす。
幼馴染の毛利蘭とは他違い可愛さよりも美しさをもって育ったのであろう少女が、高遠ジゼルであった。
「あーと、高遠だっけ? まぁ謎解きってか推理が好きなんだよ」
「謎解きも推理も似たようなもんだよ! って事で少しお時間よろしい?」
彼女はにっこりと笑い、新一の返事など聞く前から淡々と声をかけた訳を告げていく。新一は最初こそ面倒ごとに巻き込まれそうだと思っていたが、差し出されたノートをめにした瞬間その考えが吹っ飛んだ。
他のクラスメイトと同い年なはずなのに並べられた文字は読みやすく、まだ習っていない難しい漢字も交えて書かれた文章。ざっと読んでみると、言葉の綴り方に違和感なんて感じない。彼女が書いたと聞いていても、上級生や大人が書いたと言われてしまえば思わず納得してしまえるほどのものであったのだ。
「……コレ、本当におめぇが書いたのか?」
「そだけど?」
「ふぅん──。ちょっと読んでやるよ」
「ありがとう! 謎解きがんばってね!」
言いたいことをいうとジゼルはあっさりと引き下がり、蘭達の元へと戻っていく。その後どんな会話しているかなんて興味のない新一は、ただその手の中にあるノートに既に夢中になっていたのである。
流石に授業中に読むと言う選択肢を持ち得ていなかった新一は学校が終わるや否や即座に帰宅し、お菓子よ、なんて笑いかけた母を無視して自室に篭った。ぺらりと捲られたページを読んでいくと、思っていた通りに子供が描いたとは思えないストーリーがするりと脳内に入り込んでくる。
内容は密室に閉じ込められた二人組の脱出話であったが、トリックをいくつか解かなければ出られないストーリー。それにただの小説かと思いきや、この物語内では脱出に失敗しており、最後にどうすれば二人は出られたかと読者に問いかけて終わっていた。
「──はっ、面白れぇじゃねぇか!」
もう一度最初から読み始め、メモ紙に使えそうな道具や家具を書いていく。挿絵の間取りも書き写し、小説にさらに読み解きながら進めていった。それこそ夕食に呼ぶ母親の声すら聞こえないほど集中しており、一度無視するなとキツく叱られたがそれどころではなかったのだ。
「ッ──解けた!」
全ての謎が解けた頃には時計の針は十二時を越していた。新一はジゼルに簡単に解けたぞと伝えればどんな顔をするだろうかと考えながら布団に入るも、興奮がおそまりきれずすぐには寝付けなかった。
謎を解いた興奮感もあるが、何より同世代の高遠ジゼルがこれを作ったのだと知っていたから故に更に血がたぎってしまっていたのだ。
明日はそれも踏まえ話してやろうと思いつつ就寝したところ、母親の怒号ともに目覚める羽目になったのは言うまでもないだろう。
そして頭がきちんと働くようになったのはその日の昼食後であった。蘭達と話し込んでいるジゼルにノートを差し出し、それと共に脱出するため解かなくてはならないトリックの考察をまとめたメモも渡す。ジゼルはそれに目を通すとワナワナと震え、早すぎではないかと問いかけた。
新一は流石に解くのに夜中まで掛かったと正直に答えるのはプライドが許さず言えず、あたかもすぐ解けたようににやけた顔で答えた。その最中彼女の兄を馬鹿にするような発言をしてしまったが、本心で思っているわけではない。
それからと言うもの、新一とジゼルの謎解きゲームは一定のペースで行われている。いつからか新一はジゼルと呼び捨てするようになっていたし、それ以外の話もするようになっていた。
仲良くなるにつれて新一がまず初めに驚いたのは、ジゼルがミステリー小説をあまり読まないと言うこと。謎を作っておきながらホームズは読んでいないし、好き好んで読んでいるのはファンタジーか純文学。漫画やアニメも嗜むようだが、そこにミステリーの影はない。
「なんで、読まないんだ?」
「趣味じゃない」
「じゃあなんで謎解きつくるんだ?」
「趣味」
「趣味、かぁ」
全くもって、新一には理解できなかった。
そんなこんなで始まってしまった二人の関係だったが、思わぬところで新たな人物が乱入する事となる。
それは新一の父である工藤優作だ。彼としてはある時期から息子が自宅の書庫からミステリー小説以外の専門書を選び取り、尚且つ自室に篭るようになった息子を気にかけただけだったのだが、その原因がわかると息子にバレぬように例のノートを隠れ読んだのである。
優作としては息子が友人とやりとりしている内容が知りたかった読んでおいて新一へひっそりとヒントを与えたかっただけだったのだが、トリック以前に彼女の書く小説の異質性が目についてしまった。
小学二年生が描いたとは思えない細やかな人のやり取り、うっかり見逃してもおかしくないトリックのヒント。ノート一冊分程の分量しかないというのに、読み応えもある。
「……これと同等なものを週一で書いてるというのか? 新一と同じ小学生が?」
控えめにいって、頭がおかしい。
勿論いい意味である。
優作は新一にバレぬように読んだというのにわざわざその悪行を告白し、その後は共に謎の解析に挑むようになった。新一は優作に解っても答えてくれるなと言い聞かせ、それを破るようならば二度と読ませないとまで宣言した。
そうした結果訪れてしまったのが、ジゼルのお呼び出しである。
あの好奇心旺盛な優作が、ただ読んでいるだけで満足できるはずがなかったのだ。
彼の妻である有希子もその頃には息子と夫が何にハマっているのかに気づいていたし、特にその行動を咎めることはない。
初めて工藤家にお呼び出しを食らったジゼルを見た優作は本当に子供であったことにまず驚き、更に彼女が小説家を目指していないと知るや否や頭を抱え唖然するしかなかった。
「──、趣味?」
「ハイ、趣味です。なりたいものは、なるべきものは、ならなければならいものはもう遠い昔に決まっているので」
アレを趣味で書ける小学生とはと優作は遠い目をすることしかできない。
そして小説家になれる才能を差し置いてまで、ならなければならない職業とやらも教えて欲しいものである。
その間に子供達の会話は続き、本格的な殺人ミステリーを書きたいのだと打診されれば息子の時間と頭脳、自宅の書庫をすぐさま差し出したが後悔など一欠片もない。
こうした物事が重なりあったこともあり、最初の謎解きから半年経った今では工藤の書庫に訪れる高遠ジゼルの姿がよく見られるようになった。その際家の主である工藤優作とその息子・新一が次はどんな話かと探りを入れ彼女にイライラされるまでがデフォである。
「なぁ、ジゼル君。本当は小説家になりたいんじゃないのかい? その"なるべきもの"になる必要性はあるのかな?」
「ハハ、面白いことをおっしゃいますね! ならなきゃならないんですよ、私は! 何せ世界に望まれてますから!」
「そうかい。でも忘れないでおいてくれ。もしも君が小説家になりたいのなら、私はいくらでも力を貸そう」
「──今でも十分お力をいただいてますよ、本当に」
そう、必要以上に。
工藤親子がその言葉の意味を知ってしまったとき、彼らはどんな表情を見せるのだろうか。
今はまだ、彼女の異常性を知ることはない。