私は
どうせなら、また男の子に生まれていれば良かったのに。
それなら、今こうして悩むこともなかったと思う。
実は私には、浅倉透に生まれる前の記憶がある。生まれる前と言っても、お母さんのお腹の中にいた頃という意味じゃない。まだ私が男の子で、今とは違う名前で、この世界とは似て異なる世界で日常を送っていた頃の記憶。浅倉透として生きた十七年という歳月を経ても、私の中に積もった昔の常識や価値観はなくなっていない。
そのせいで僕は、私は、まだ女になりきれていなかった。
これまではそれで困ることはなかったけど、最近は少しだけ悩みの種になっている。
気になる子ができたから。その子は女の子で、今の私も女の子。
いったい私はどうすればいいのだろう。
考えても、すぐに答えは出そうになかった。
「ねえ、いいでしょ?」
休日の昼下がり。買い物帰りの街中で、私は男に絡まれた。風貌から察するに大学生くらい。二人組で、私の道を塞ぐように立っている。両方とも見上げるほど高い身長で、片方は頭一つ分も違う。背の高いほうが私の左腕を掴み、逃がすまいとしている。
「なんだっけ?」
考え事をしていた私は、相手の言葉を聞き逃していた。いいでしょ? って、なんのことだっけ? 首を傾げて疑問を目線で訴えると、私の腕を掴んでいないほうの男が、にやついた表情のまま答えた。
「だから、カラオケだよ。俺たち暇でさ」
「ね、奢るからさ、一緒に遊ぼうぜ?」
後に続けて私の腕を掴んでいる男が言った。いい加減、呼称が面倒になってきた。えっと、背の高いほうが男Aで、もう一人が男Bでいいや。なんか、こんな風に表現するとRPGのゲームみたい。スライムAとスライムBみたいな? あ、これちょっと面白い。目の前の大学生二人が可愛く見えてきた。ニヤニヤした口元とか、案外スライムと似ているかも。
「ふふっ……」
自分で考えておきながら、私は笑いを堪えきれなかった。
「ん? なに笑ってんの? っていうか、マジで美人だな……」
「な、なあ、本当にただ遊ぶだけ、何もしないからさぁ」
私が笑顔を見せた後、二人の態度がより積極的になってきた。急にどうしたんだろう。あまりの勢いに道の端に追いやられ、背中にビルの壁が当たる。あ、冷たい。いい感じ。今日は春だけど、ちょっと陽射しが強くて暑かったから気持ちいい。
もう少しだけ、このままでもいいかな。掴まれた腕は熱いけど。
「……浅倉」
そんなことを考えていたとき、横から呼び掛けられた。
「あ、
右に視線を振り向けると、そこには少女が立っていた。
毛先に癖のあるショートヘアは明るみのある茶色。ヘアピンで掻き分けた前髪の片方が少しだけ目元にかかっていて、眠たげというか気だるそうな目元を隠している。クールな雰囲気を漂わせる、どこか斜に構えた雰囲気が格好いい感じがする。たぶん。
彼女の名前は樋口
「こんなところで奇遇。何してるの? 買い物?」
「何してるって、それはこっちの台詞」
樋口はそう言うと、私の右手を掴んできた。男Aよりもソフトな掴み方。でも、そのまま自分のほうへと引き寄せようとする動きには力が掛かっていた。突然の介入に驚いていた大学生二人の手から引き剥がされる形になった。
「おっと」
咄嗟に伸ばされた男Bの手が、またしても私の左腕を掴む。
なんだか綱引きみたい。引いたことはあるけど、引かれたのはこれが初めてで新鮮だった。
「なに? 君。この子の連れ?」
「こっちも可愛いじゃん……」
「俺たち今からカラオケに行くんだけど、君も一緒に来る?」
いつの間にか一緒に行くことになっていた。行っても別にいいけど、何歌おう。アンパンマンのマーチとか? あ、この世界はアンパンマン放送されていないんだった。音源がないのなら、アカペラでいいかな。あと、久しぶりにドラえもんも歌いたい。
「樋口はどう思う?」
「どうも思わない。……あ、警察」
樋口が遠くへ目を向けると、大学生二人の視線もそっちに釣られた。私の腕を掴む手がわずかに緩むのを見逃さず、樋口はここぞとばかりに私を引っ張った。
「あっ……!」
っと、大学生二人が声を上げたときには、樋口は私を連れて走り出していた。
樋口に牽引されるまま、何事かと驚く通行人の間をすり抜けてただひた走る。綱引きの後は追いかけっこ。でも、後ろを見た感じだと、追いかけて来ていない。そのことを樋口に伝えてみても、「ちょっと黙ってて」と言われてしまった。
とりあえず口のチャックを閉じて、私は樋口と共に随分と離れた場所まで駆け抜けた。
風が気持ち良かった。でも、そろそろ終わりみたい。
樋口が走る速度を緩め、やがて足を止めた。私もその場に立ち止まると、ようやく樋口が手を放してくれた。周りを見渡せば、家の近くだった。
ちっとも疲れた様子も見せずに歩き出した樋口を追いかけて、隣を歩く。
「無防備なの、もうちょっとどうにかして」
樋口は少しだけ機嫌が悪そうに眼を細めていた。
「無防備?」
「男に絡まれたら、ちゃんと断れってこと。ああいうの、放っておくと面倒だから」
「そうなんだ」
何気なく相槌を打ったら、樋口に軽く睨まれた。少し怖い。
「ごめん」
こういうときは、謝罪だけじゃなくて軽く笑いかけると効果的なことを私は知っている。
「ん……」
樋口はそっぽを向いてしまった。横から見た頬は、少しだけ赤みが差していた。
そんな彼女が可愛くて、私は好きだった。
でも、最近思うことがある。
私が樋口に感じている好きという感情は、他の幼馴染に向けているものとは少しだけ違う気がする。気のせいと言われればそうなのかもしれないけど、何かが引っ掛かる。この曖昧な感情は何なのか。これがいわゆる、恋愛感情と呼ばれるものなのか、中学生で前世を終えた私には経験が乏しくてわからない。
だけど、もしも、これが恋愛感情だったら。私はどうすればいいのだろう。
今の私は女の子だ。でも、男の子の価値観も持っている。
女の子でも、女の子が好きだという人はいるし、それを受け入れる多様的な風潮があるのも知っている。それでもまだまだ世間では一般的ではなくて、私のこの想いを伝えたとき、樋口がなんて顔をするのかが怖くて、自分に素直になれない。
気持ち悪いなんて言われたら、私はたぶんショックを受ける。
「樋口」
「なに?」
「ありがと」
「……別に」
また少しだけ、樋口の頬が赤くなった。
それを見ているだけでも、今は満足できた。それでいいと思う。これ以上の関係を望むなんて、贅沢だ。判然としないこの気持ちはなるべくしまっておこう。この関係に傷が入らないように。できるだけ、隣でこの人の横顔を見ていられるように。
でも、叶うならば、いつか私は、僕としての想いを伝えてみたい。
「お礼に家まで送っていくよ」
「家隣でしょ」
「それじゃあ、あとでゲームしない?」
「お礼になってないでしょ。いつもと変わらないじゃん」
「やらないの?」
「……やる」
素直になりきれないところが可愛くて、やっぱり私は樋口が好きなんだなと思った。