春の暖かな風に揺れる桜の木々。天へと伸ばす枝の先には、桃色の花弁が咲き誇っていた。衝動的に制服のポケットから携帯電話を取り出した私は、鮮やかな青色に染め上げられた空と一緒に、期間限定の桃色を写真に収める。
「いい感じ」
カメラの知識はないけど、我ながら綺麗に撮れた気がする。
「今のうちに撮っておこう」
この機を逃せば、もう撮れないかもしれない。明日物凄い大嵐がやってきて、花弁が全て散ってしまうかもしれない。そんなことなんてあるはずもないのに、変な想定をして、今だけ味わえる特別感を楽しむ。
携帯のフォルダにたっぷりと春を詰め込んでいると、後ろから誰かの足音がした。背後を一瞥すると、私以外に誰もいない校舎裏へと歩いてくる男子生徒の姿。どこか気負った様子で、革靴で土を踏みしめる足音は少しぎこちなかった。
もう、そんな時間。携帯の時計を見れば、約束の時間だった。
「ぁ、浅倉。ごめん、待たせて……」
携帯をしまって振り返った私の前で、男子生徒は立ち止まって言った。
男子生徒の名前は後藤。一年生の頃から同じクラスの人。少し逆立たせた短い黒髪の、さっぱりとした人畜無害そうな雰囲気。クラスの男子と話して笑っている姿をよく見掛ける。社交的な性格で、私ともよく喋る。仲のいい男友達の一人だと思う。
後藤の顔は普段からは考えられないほどに強張っていて、ほんのりと赤みを宿していた。直立不動で、頭一つ分上の視点から私のことを見ている。その視線が右往左往して、ややあって私をじっと見つめても、また横に逸れる。
「えっと、あの……」
「うん」
「今日、ぉ、お呼びしたのはっ、他でもなく」
「え、なんで敬語?」
「え……?」
「同級生だし、ため口でオッケー」
「あ、うん、そう、だな……」
「うん、そう。で、何の用だっけ?」
話しているうちに後藤の緊張が少し解けたみたいだけど、私が尋ねると後藤はごくりと息を呑んだ。でも、さっきよりかは大丈夫みたい。胸に手を当てて深く呼吸をし、息を整えている。
同級生と、誰もいない校舎裏で二人きり。深呼吸をする彼を、正面に立ってじっと見つめている私の構図は客観的に見ると少し不思議だ。でも、この状況は偶然じゃない。後藤から手紙を貰ったから。「放課後、校舎裏に来て下さい」。手紙には書かれていた内容に従って、私は自分の意思でここにいる。
いったい何の用事なのか。私には、それが何かわかっていた。
後藤が今から言う言葉を、私はある程度予測できる。それは別に、凄いことじゃない。だって、似たような出来事を高校に入学して一年でたくさん経験してきたから。場所と、景色が違うだけで、私を前にした相手の男子生徒は、似たような反応をしていた。
しばらく息を整えていた後藤が、勢いよく頭を下げた。
「俺と、付き合ってください」
その言葉はやっぱり、私が思っていたものと殆ど同じだった。ため口か、敬語であるかの違いだけ。ため口で良いって言ったんだけど。
頭を下げたまま、後藤は私へと右手を伸ばしてくる。この手を握るということの意味は、さすがの私でもわかった。人生で初めて告白されてきたときに、反射的に手を握り返してしまうようなことはもうしない。
返事を待たせてしまって、変に期待させることもしない。それで辛い想いをするのは、私ではなく相手なのだから。少し酷いとは思うけど、はっきりと、正確に、この場で相手へと返答するのが二人にとって一番いいのだと、私は理解していた。
「ごめん」
相手の熱量には到底見合わない、短く、そして素っ気ない言葉。胸の奥がチクリと痛む。
後藤がゆっくりと、頭を上げた。私に見せた顔に浮かぶのは、納得と、悲哀。結果はわかっていたけど、やっぱり悲しい。そんな心情が、言葉にしなくても伝わってくるようで、私は言葉を詰まらせて視線を横に移した。
「ごめん」
一回目は告白に対する拒絶で、二回目は拒絶に対する謝罪。
私には、これしか言えなかった。
「そっか……。そうだよな……」
後藤が背筋を真っ直ぐ伸ばして、また吐息をつく。何かをやり遂げた後のような、深い息。呼吸の後には、後藤は口元を持ち上げて柔らかく微笑んでいた。
「あー、ごめん。本当、わざわざ呼び出しちゃって」
「別にいいよ。用事とか、なかったし」
用事がないのは本当。でも、仮に用事があっても、私はどうにか都合をつけてこの場所に立っていたと思う。
それくらい、告白というものを尊重している。まだ私がしたことがない、これからすることになるのかもわからない、尊い儀式。自分の中で大切に温めていた想いを言葉にして、想いの源となった相手に送る。それに必要とされる胆力と、伴う緊張や不安の感情は、経験のない私では想像もつかないほどに大きいものだと思う。
真剣に向き合ってくれたから、こっちも真剣に答えないといけない。
だから、私は断った。
私には、好きな人がいるから。
後藤と見つめ合うだけの、沈黙の時間が流れる。
それを打ち破ったのは、後藤からだった。
「今日はありがとう。俺、そろそろ行くから」
「うん」
「その、こんな変な空気にしておいてなんだけど、明日からも、友達でいてくれると嬉しい」
「うん、友達。大丈夫」
「ははっ、なんだよ、大丈夫って……」
快活に笑う後藤の顔が、一瞬だけ悲しそうに歪んだ、ように見えた。
また、後藤が黙ったまま、私の顔をじっと見つめた。
「また、告白すると思う」
後藤に言われて、私は少しだけ驚いて目を見開いた。
「友達もいいけど、やっぱり俺は、浅倉と……」
その言葉の続きは、後藤の口から語られることはなかった。うっかりと言葉を滑らせた口を慌てて手で塞ぎ、顔を真っ赤にして、目線を外す。そのまま私へと背を向けた後藤は、「そ、それじゃあ」とだけ言い残して、走り出した。
全速力で遠ざかる背中を、私はただ見守ることしかできなかった。私の視界から完全に消えてしまうまで、後藤の後ろ姿を映す。
あれはもしかして、未来の私になるかもしれない。そもそも告白にまで至れるほどの勇気は私にはないとは思うけど、後藤の背中は、私の後ろ姿と重なって見えた。そう考えると、さっきよりも胸が苦しくなった。
「用事、終わった?」
鞄を置いてきた教室に戻ると、樋口が席に座って待っていた。先に帰っていていいと言ったはずなのに。私の姿を見てすぐに立ち上がってリュックを背負う。
「うん」
「それじゃあ、帰ろう」
樋口に言われ、私は席に置いていた鞄を肩に掛ける。先に歩き始めた樋口の後を追って、横に追いつく。
いつも通りに肩を並べて、ひと気のない廊下を歩く。窓から注がれる穏やかな陽射しを浴びて、遠くから響いてくる部活動に励む生徒たちの活力に満ちた声を聞いて、私たちは黙って足を動かした。
樋口は何も言わない。普段から私たちの間に流れる言葉は多いほうではないけど、今日はいつにも増して無音が続いた。それが樋口の意図的なものであることは私にもわかっているから、特に何か言うことはない。
でも、純粋な優しさで作られたその空気が、今日は何だか冷たく私の心に吹きつけてきた。
だから、私は自分から唇を開いてしまった。
「樋口はさ」
「ん……」
誰かを好きになったことってある?
続くはずだったその言葉は、私の心に閉じこもったまま、口から出てくれなかった。
些細なことで、この関係が壊れることを恐れている。樋口なら、ただの世間話と捉えてくれるとわかっているはずなのに、私の心の奥まで探られてしまうのではないかと不安になって、無言が続く。
樋口は横目で私を見ながらも、催促することはなかった。
その優しさに、甘えることにした。
「明日、入学式に出席する?」
会話を方向転換させ、明日の話題へと持っていく。
明日は入学式。今日、二年生になったばかりの私たちの下に、ピカピカの一年生たちが入学してくる。その中には私たちの幼馴染二人もいる。
「在校生は、明日休みでしょ」
「いや、関係者として」
「……どの立場で出席するの?」
「姉とか、妹?」
「そこはせめて姉でしょ」
「ああ、確かに。じゃあ、姉で」
「その選択肢に乗っかったけど、姉もおかしいから。普通に幼馴染でいい」
「幼馴染で、通してもらえるかな?」
「本気で出席しようとしてる……?」
樋口と歩きながら、何でもない話に花を咲かせる。これが私たちの日常。それでいいと思う。もうじき、この日常に二人が加わる。きっと、それは楽しいものになると思う。
私は余計な想いは隠して、幼馴染としての四人の日常に想いを寄せた。
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翌日。入学式に出席しようとした私は、
「到着。おはようございます」
「おはよ――。いや、待て。なぜ来た、
「え?」
「お前、在校生だろう。今日は入学式だ」
「はい」
「はい、じゃなくて。出席できるのは新入生とその関係者だ。お前の席ねぇから」
「幼馴染は?」
「は? 無理」
「姉として」
「誰の姉だ。フルネームで言ってみろ」
「
「苗字が違う」
「複雑な家庭の事情で」
「適当言うな」
「せめて片足だけでも出席を」
「どんな状況だ。いいから早く帰れ。車には気をつけろ」
担任になった先生に追い返された。