そして、翌日のこと。俺は支度を終えて部屋でギターを弾いていた兄ちゃんに声を掛けるべくドアをノックした。ヘッドホン使ってるだろうけど、ちょっとだけ強めに叩けば反応してくれるだろう。そんな予想通りすぐに兄ちゃんは明るい顔でドアを開けた。
「おう、シュウどうした?」
「俺、今日出かけるからさ」
「ああ、もうそんな時間か、夕飯は?」
「夕方には帰ってくると思う」
「おっけ、今日はオフだからな! オレが作っとくよ」
そんな軽いやりとりをして部屋の前から去ろうとすると、なにやら兄ちゃんが俺の服装を見ながらニヤニヤし始めた。なにか変なところあったかな? 基本的にマネキン買いか、他人に頼った買い物しかしてないからダサいとかはないとは思うけど、いやどうだろうか。不安になってきた。
「な、なに?」
「女だな、なんだなんだ、シュウにもついに女ができたか?」
「ちょ──そんなんじゃないって!」
「恥ずかしがるなって、相手は? おさげの子? 花音? ああそれともつぐみか?」
「だから、違うって」
本当にそんなんじゃない──いや、俺は意識しちゃってたのかもしれないけど、相手はそんなデートとかいうつもりじゃない。でも、兄ちゃんは俺にとって都合の悪い部分の真実ばっかりを読み取ってくる。きっと俺のリアクションかなんかで判別したんだろう、俺が出かける相手をきっちり特定してきた。
「ほーん、つぐみとデートかぁ」
「違う」
「じゃあつぐみと何しにどこに行くんだよ」
「そういうのいいから」
「やっぱデートなんだろ」
「だから! ただの買い物……それだけ」
思わず語気が強くなってしまう。兄ちゃんは俺が男子校だったことを気にしてるのか、女性の影があるとこうやって根掘り葉掘り訊ねてくる。それともやっぱり兄ちゃんもまた、他人の恋愛事に首を突っ込みたくなってしまうんだろうか。むしろこれに関しては俺の方が少数派だとちゃんと理解していた。
俺の多少の怒りにも兄ちゃんはどこ吹く風といった様子で、ため息を吐いて、歯を見せた。
「……異性とふたりきりで買い物は、もうデートなんだよ」
「でも」
「つーかそのつもりでいいんだよ。恋人とか望んでなくても、つまんねー顔だけはすんなよ」
「わ、わかった」
「よしっ、なんならつぐみ連れて帰ってきて飯でもいいって伝えといてくれよ」
「うん……行ってきます」
怒りは、丸め込まれた気がしなくもないが、たしかに兄ちゃんの言葉には一つの真実が込められていた。例え、つぐみがどれだけ兄ちゃんのことが好きで、俺をそんな兄ちゃんの心を射止めるための踏み台にしているとしても今日一緒に買い物に行くのは俺であって兄ちゃんじゃない。
──だというのに楽しくないって表情してたら、つぐみの笑顔まで曇ってしまう。それは嫌だった。応援する相手に気遣われるなんて、最低だからね。
「おはよ、つぐみ」
「おはよう修斗くんっ」
「おまたせ、ちょっと遅れちゃった」
「ううん、時間ぴったりだよ」
店の前で待っていたつぐみは俺の言葉にチラリと左手首を見てからそう微笑んだ。その格好や雰囲気はほんの少し、いつもの小柄なかわいい雰囲気に女性としての魅惑を足したような雰囲気だった。チェックのロングスカートに、白シャツの上には黄色のカーディガン。横顔を観察するとほんのりと化粧もしているのか、大人っぽく見えた。
「どうしたの?」
「なんでもない」
「さっきわたしのことじっと見てなかった?」
「……なんでもない」
「本当?」
「ほ、本当……」
少し見惚れちゃった、なんてことは誤魔化して──いや誤魔化しきれてもない気がするけど、とりあえず誤魔化して駅まで歩いていく。斜め下からつぐみの視線が刺さってるけど、知らんぷりをしよう。他のところに意識を向けようとした瞬間、俺ははっとした。やばい、昨日考えてたこと忘れてた。
「ごめん、つぐみ」
「どうしたの?」
「兄ちゃんに欲しいものあるかって訊くの忘れてた」
「そっか、ううん大丈夫」
「え?」
「それよりも、電車もうすぐ来ちゃうから、ちょっと急ごう?」
「ああ、え……あ、うん」
それよりも、とつぐみは今回の主目的である買い物に対してあっさりとそう言い切った。ここで何を贈るかで兄ちゃんがつぐみのことをどう感じるかが変わるだろうから、重要なことだと思うんだけど。それとも、プレゼントとは別に作戦があるのかな。あくまで足がかりでしかない、みたいな。
「この間教えてくれたバンド、Afterglowでライブ行ったんだけど、すっごくよかったよ」
「ホント? あそこは迫力あるよね」
「うんうん、ベースの人がね、ボーカルとギターを引っ張ってて、それをドラムとキーボードが支えてる、みたいな」
「安定してる。あれでまだ高校生でアマチュアだって言うんだからすごいよね」
「ね、Roseliaの時に感じた音楽への情熱みたいなのを感じたなぁ」
電車の席の隅っこにつぐみを置き、その隣に座って出発し始めれば話題はすぐにバンドの話になる。数年前からガールズバンドが流行し始めていて、その影響か男女問わずこの近辺はまるで「バンドの街」とでも言うような活気も感じる。伝説的なガールズバンドの聖地だった「SPACE」が今年の夏頃に閉じてしまったのにも関わらず、むしろ勢いは増しているように感じられた。今回話題にしてるのは男性のみのバンドだけど、どうやらつぐみもハマってくれたみたいだ。
「そういえば修斗くんはパスパレのライブ行ったんだよね?」
「うん、ゴリ押しされて」
「あはは」
羽沢珈琲店の常連である俺は、同じ常連とはよく顔を合わせて、その中には同年代の異性も幾人か存在する。そのうちの一人の友達がなんとそのアイドルなのだ。俺としてはアイドルはあんまり敬遠する存在だったんだけど、それを察知された上にどうやら逆鱗に触れてしまったようでほぼ無理やりチケットを握らされた。さすがにボッチは嫌だったため知り合い、つぐみの幼馴染でライブをよく一緒に行く子を誘って、付いてきてもらったのが一週間前のことだった。
「ひまりちゃんは楽しかったって言ってたけど」
「いや楽しかったよ、うん」
「そっか」
「けど道中延々と恋バナされるし、ライブの雰囲気というかこう一体感ありすぎてなんか怖かったし、演奏はよかったけど気疲れもしたよ」
「恋バナ……どんな?」
ええ、そこに食いつくのつぐみまで。だがその内容の大半がつぐみと兄ちゃんの話とはとても言えない。
一緒にライブ観に行った知り合い、上原ひまりは俺が東京に越してくる前からつぐみの恋を応援していて、弟の俺が来たことをチャンスと捉えてるみたいだ。あ、誕生日だからどうのって連絡返してないや。
「学校の友達とかの恋バナだよ。めちゃくちゃ詳しいよね」
「本当に、ひまりちゃんはどこからそういうの仕入れてくるんだろうって思う」
「自分は芸能人かバンドマンの話ばっかりなのにね」
「ふふ、確かに」
当の本人は色気より食い気というか、スイーツの話か、イケメンバンドマンとイケメン俳優の話しかしない。恋とかじゃなくてミーハー的なやつ。強いて言うならハロハピのギタリストの瀬田薫さんにはガチ恋気味なことくらいだろうか。お相手は女性だけど、まぁそういう人も世の中には割といるわけだし。
するとつぐみがポツリと言葉をこぼした。
「修斗くんとひまりちゃんがこんなに仲良しになるなんて、意外だった」
「俺もああいう子、割と苦手なタイプだと思ってたよ。いや今でも得意なわけじゃないけど」
でも相手はつぐみの幼馴染で、俺は兄ちゃんの弟だし、バンドの話は通じるからね。ああいう正しくあざとさのある小悪魔的な女の子と普通にしゃべれるようになるとはちょっと前まで考えられなかったよ。
というか初対面はつぐみに横恋慕する邪魔者だと思われてて、怒り気味だったけどね。
「そういえば」
「どうしたの?」
「兄ちゃんがつぐみ連れてきて一緒にご飯でもいいよって言ってたよ」
「浩介さんが?」
「うん、どうする?」
「三人で?」
「そうなる……ああ」
言われたままに誘ったのはそうだけど、この状態だと俺が邪魔者じゃないか。気付いてちょっと反省した。兄ちゃんはもちろん三人でって意味だろうけど、つぐみにとっては兄ちゃんと二人きりになれるチャンスだ。そこに俺がいても迷惑なだけだろう。
「俺はよそで食べようかな」
「じゃあわたしも」
「……え?」
「え、なに? どうしたの?」
「いや、え、なんで?」
「なにが?」
気を遣った言葉だったのに、変な返しをされて疑問をぶつけると向こうからも疑問で返ってきた。どういうこと? なにかが食い違っていてコミュニケーションがうまく取れてないように思えた。俺が続けて言葉を重ねようと思ったけど、それは降りる駅のアナウンスに掻き消されてしまった。
「今日は、その……で、デートなんだから、ご飯のお誘いなら……修斗くんと一緒がいい」
「あ、ああ……そ、そうだね」
乗り換えながら、小さな声でつぶやかれたそれを聞き取り、俺は兄ちゃんに言われたことを何も実行できてないことに気付いて反省した。そうだよな、何がどういう事情でもこれはデートなんだ。だったら、外で食べるなら一緒だろうし、お呼ばれなら三人だ。
というか、つぐみもデートって意識があったんだな、なんて失礼なことまで考えていた。
「そういえば、去年はどういうプレゼント贈ったの?」
「去年はね、入浴剤のセットをたくさん」
「たくさん、一年分的な?」
「そんないっぱいじゃないよ!? でもそれ以来良さに目覚めたーって言ってくれて」
「そういえば風呂場に固形のやついっぱいあるけど、そういうこと」
「うん、そうみたい」
ショッピングモールにやってきた俺はつぐみに本題を訊ねると結構喜ばれていたらしい。そうすると今年でも入浴剤は使えそうだけど、インパクトは薄いだろう。安定しそうなギター周りの機材は契約してるところから購入もしくは無料で使い心地を確かめてるので実は贈りにくい。
「それじゃあ本とかどう?」
「本? 専門書みたいな?」
「違う違う、小説」
「小説?」
「作詞とかのインスピレーションになるって、よくリビングで読んでるから」
ただしこれは持ってるかもしれないというリスクはある。俺は兄ちゃんの本棚にある小説を把握してるわけじゃないし。その他、色んなものを見て回るもあんまりピンとこない。スマホケース、パソコン周辺の機材、食品、服、アクセサリー、色んな候補を出している最中、俺は良さそうなものを見つけた。
「コーヒーメーカー?」
「そう、兄ちゃんコーヒー党じゃん?」
「そうだね」
「でもいっつもインスタントかペットボトルなんだよね、だからコーヒーメーカーあったらすごく喜ぶと思う」
「……コーヒーメーカーかぁ」
まぁもちろんこれにも問題点はないわけじゃない。それはコーヒーを手軽に飲めちゃうというのはもしかしたら近所にある羽沢珈琲店に立ち寄る回数が減るかもしれないということだ。つぐみにとってそれは恋を成就させる機会損失になりかねない。喜びそうだが、デメリットもある。どう転ぶかは神のみぞ知るという感じだ。
「あのね、相談なんだけど」
「なに?」
「これさ、わたしだけじゃなくて……二人でプレゼントしよう?」
「俺と?」
「うん、ほら──お値段かかるし」
「まぁ確かに」
「それに、修斗くんも使うわけでしょ?」
これを折半すれば経済的に有利だし、家にあれば俺も使うかもしれないという以上、タダでというのはつぐみ的にも気になってしまうところなのかもしれない。そうすると、その提案は一種の妥協というか、つぐみの作戦だと感じた。
そんな作戦に乗っからせてもらうことにして、俺たちはとりあえず昼ご飯のためにフードコートへと向かった。俺は担々麺を、つぐみはうどんを食べていく。
「付き合ってくれてありがとう」
「いいよ、俺も誕プレどうしようかな〜って漠然と考えたし」
「あ、そうだ!」
「なに?」
「修斗くんって誕生日いつ?」
「俺? 五月十五日だよ」
「覚えやすいね……ってもう過ぎてたんだ」
本格的に知り合った頃にはそうだね、お互いの名前を認知したのは六月だからとっくに誕生日来てたね。そう言うとつぐみはなんだかわかりやすく肩を落としてしまった。
ちなむ必要はないけど、兄ちゃんは十月三十日なのでちょうど数字を半分にすると俺の誕生日になる。ほら覚えやすい。
「来年! 来年には絶対にお祝いするから!」
「お、おう……うん」
「後はひまりちゃんにも何かあげないとね」
「そっか、十月生まれなんだ」
「うん」
その後はまた誕生日直前にコーヒーメーカーを買おうということに決めて、その日はひまりのために色んなものを見て回ってそれから兄ちゃんと三人でご飯を食べてから彼女を送って行った。振り返って本当に楽しかったって笑って手を振る彼女はやっぱり、恋をしているんだなぁと思い、俺は帰路に着いた。