フェスが近くなるとひまりとつぐみは一日に練習する量が増え始めていた。増え始めていたものの、いや増え始めていたこそなのかな。全体の練習が終わってからもひまりはうちに来て自主練習することが増えていた。
原因としてはフェスの前評判で同じ時間帯の他のステージに比べて「格落ち」だと言われていたかららしい。よっぽど悔しかったみたいで、ひまりはRoseliaの今井リサやその他色んな人にイチからベースを教わっているらしい。
「私って、こう考えるとやってる年数は長いけど、我流過ぎたんだなって」
「我流って、そんなもんじゃない?」
「そうだけど……私にはそんな才能みたいなの、ないから」
ちょっと焦りすぎじゃないと思うけど、俺にそれを止める方法はわかってない。ちょっと根詰めすぎてるんじゃないと思うんだけど、ひまりの気持ちもわかる。持たざるものだなんて、他人に言うのはすごく失礼な気がするけど、誰かの才能に惹かれて、自分を比べて悔しくてどうにかしたいって思う気持ちはわかるから。
「ごめんね、スタジオ毎日借りちゃって」
「それはいいんだけど」
「……絶対に、格落ちだなんて言わせないから」
鬼気迫る、というのはこういうことなんだろう。汗を流しながら、いつもの明るい表情と違う鋭い視線をぶつけられ、俺は何も言えなくなってしまった。ため息を吐いていると後ろからポン、と肩を叩かれた。振り返ると柔らかな笑顔をしたお姉さんが、夏とは思えない爽やかな風と共に立っていた。
「こんにちは」
「……か、花音さん」
「おじゃましてもいいかな?」
そんな花音さんに頷いて俺は部屋に招く。いつものように冷蔵庫で冷やしてある紅茶をコップに注ぎ、兄ちゃんがお土産と言って別の水族館で買ってきてくれたコースターの上に置いた。
なんというか花音さんとふたりきりというのは緊張してしまう。なんか意識しちゃうんだよな、普段は来ないからというのも理由にありそうだけど。
「隣で演奏してるの、ひまりちゃん?」
「え、ああはいそうですね」
「もうすぐフェスだもんね」
「……ですね」
俺のリアクションを花音さんは察知してたようで、あくまでいつもの笑顔で微笑みつつ今日このタイミングでうちに来た用事についてゆっくりと切り出していく。
「つぐみちゃんがね、ひまりちゃんがすごく練習のしすぎなんじゃないかって」
「それで、俺んちに?」
「うん、シュウくんはどう思ってるのかなって」
「……どうって」
「素直な言葉でいいよ、シュウくんの方が詳しいだろうし」
「いや、鬼気迫ってるっていうか……もう俺がなんとかできるレベルじゃないっていうか」
詳しいって言われても、俺にはひまりが無理しすぎてるくらいしかわかんない。つぐみとなんの理解度も変わらないんじゃないだろうか。花音さんは俺の泣き言に近いような愚痴に近いような、女々しい言葉に対しても笑顔を絶やすことなく、首を横に振って優しい声を掛けてくれる。
「そっか、ううんそれが知れただけで十分だよ」
「十分ですか……?」
「うん、だってシュウくんがどうにかできないってことがわかるんだもん」
「わかったから、どうなるんですか?」
「──シュウくんはひまりちゃんに優しくしてあげてね」
ええっと、意味がわからないんだけど。花音さんは立ち上がって今日は私がご飯作るよと言い出した。いやいや、お客さんにそんなことさせられませんけど? 慌てて止めようとするけど、大丈夫とテキパキと準備をし始めてしまう。
結局、何も言えないまま俺と兄ちゃん、パレオ、そしてひまりの分のご飯を作り始めてしまった。
「そうだったのですね」
「ごめんね、お仕事奪っちゃって」
「いいえ、パレオもRASで遅くなることが多いので、むしろ感謝しかありません」
「私の分まで……ありがとうございます」
「ううん、ひまりちゃんは頑張ってるからね、このくらいしてあげないとね? シュウくん?」
「まぁ、そうですね」
なんで俺に話を振るんですかと思いながら頷いた。ひまりは俺をじっと見て、それからまたありがとうと小さく言った。俺にお礼なんて言う必要なんてないんだけどな。パレオが何かを察知したように微笑みを向けてきて、花音さんはひまりに言葉を続けていく。内容としてはオブラートに包むこともせず、俺やつぐみが心配していたというものだった。
「……心配なんて、別に」
「うん、でもさ、ひまりちゃんは独りになってるんだもん、心配だよ」
花音さんニコニコしながらもひまりを黙らせていた。あれ、これもしかして花音さん実は怒ってる疑惑ある? 俺はパレオにこそっと確認するために目線を合わせるがパレオは気まずそうな顔で頷いていた。やっぱり怒ってるんだ。兄ちゃん帰ってきて! 遅くなるから先にご飯食べててくれ! じゃないんだよこんな時に! でもこれで俺も言いたいことが言えるというテンションで口にした。
「フェスのことでムキになる気持ちはよくわかるんだけどさ、ひまりはもっとのんびりというか明るいのがいいと思うよ」
「そんなこと言ってる場合じゃ」
「焦って上達するなら、俺だってもっともっと引きこもってスタジオに泊まり込んででも練習するよ」
でも、そんなことしない。そんなことしたって疲れるだけで効率が悪いのなんて目に見えてるからだ。音楽なんて自分にストレス与えまくってもいい音にならない。寝不足とか、お腹減ったとか、怒りとか嫉妬とか、雑念が渦巻いた音楽は、純粋じゃないだけの濁りを生み出すと思うよ。
「一旦クールダウンしようよ」
「で、でも……私」
「リーダーはなんでも背負うことがリーダーじゃないよ」
確かに美竹さんの歌はまっすぐで美しさがあるのかもしれない。青葉さんには周囲の声を黙らせるほどの能力があるのかもしれない。つぐみや巴には長く続けてきた経験があるのかもしれない。それなのになんで自分がリーダーなんだろうって考えることも当然あるんだと思う。ひまりの知るリーダーは、もっと迷いがなくてまっすぐなのかもしれない。
「でもさ、リーダーっていうなら二葉さんもリーダーだよ?」
「……え」
引き合いに出して非常に申し訳ないけど、二葉さんはたしかに実直だけど要領がいいわけじゃない。それにリーダーシップって言うんだったら桐ケ谷さんか八潮さんの方がよっぽど他人を引っ張る力を持ってる。ひまりの知り合いのリーダーっていうと、湊友希那さんとか丸山彩さんとか、弦巻こころさんや戸山香澄さん、彼女たちもメンバーを引っ張って走っていける力を持ってると思う。
「でも、ひまりはそういうリーダーとは違うと思う。二葉さんもそうなんだけど、メンバーの中で一番目立って、上手で、そうやって演奏で引っ張るだけがリーダーじゃないと思うんだ」
「それは」
二人の共通点は奇しくもリズム隊なことだ。楽器の役目としても引っ張るよりは支える、寄り添う方が得意なタイプだ。ドラムはわがままな人も一定数いるけどね──でも、ひまりが目標にしていくのは同じ楽器でいくと今井リサさんとか、他には花音さんとか。縁の下の力持ちみたいな感じでいいんじゃないかな?
「後は、修斗様みたいなのもおすすめですよ」
「俺? そもそもバンドが……組んでるけどましろと二人だし」
「でも、目立つわけじゃないけどましろちゃんに寄り添えるところがシュウくんのいいところでしょ?」
「そのくせ自己承認は低いわけですが」
「ふふ、そうだね」
「あ、あの二人とも上げてから落とすのやめてもらっていいかな」
俺にその自覚ないんだってば。俺は自分で自分をちゃんと認めてると思い込んでるんだからそんなざっくりと突き刺して突きつけなくていいから。
ゆっくりと顔を伺って、そしてひまりに向かって俺はなるべく笑顔を心がける。いつもひまりがそうしてくれたみたいに。
「独りで焦んなくても、ひまりにはAfterglowって頼れる仲間がいるでしょ?」
「……うん」
「それに、俺でもいいんだからね」
「シュウ、じゃ……ちょっと頼りない」
「ここでそんなこと言う?」
「ふふ、あははっ、愚痴る時の私のメンドくささ知ってるくせにそういうこと言っちゃっていいんだ?」
「い、いいよ? いつもいつもつぐみに頼り切ってるのもよくないしさ」
ひまりはそこでようやく笑顔に変わり、花音さんとパレオも釣られて笑顔になった。まぁね、ひまりは愚痴る時は延々と開店直後の羽沢珈琲店でつぐみ捕まえてるイメージあるけど、あれを俺んちにいきなりきてやるのはやめてよ。多少は、多少だけどひまりがそれでモヤモヤしなくなるんだったらいいけどさ。
「そっか、シュウがいるのか」
「俺だけじゃないよ? 全部俺に向けてこないでね?」
「修斗様、それは男らしくないかと」
「そうだよ、男のコなら、ひまりちゃんの全部を受け止めてあげなきゃ」
「全部って重くないです?」
「シュウのバカ、重くないよっ!」
「体重の話じゃないよ?」
「まだ体重とも言ってないでしょ!」
ニュアンスで伝わりましたけど。そっち系のカロリーがとかダイエットがとかの愚痴は聞き飽きたのでやめていただけると嬉しいな。でもひまり、というかアフグロってみんな結構食べるの好きなメンバー多いよね。ラーメン大好き巴と大食いでパン大好きな青葉さんが代表的で、つぐみも羽沢珈琲店の一人娘だけあってスイーツ好きだし、美竹さんはどうか知らないけど。そしてひまりだってスイーツ大好きでよく買い食いしてるし、他人が食べてるとお腹減ってくるタイプじゃん。
「そ、そこまで受け止めろって言ってないじゃん」
「ダイエットとかまで受け止める気はないから大丈夫だよ」
「えー、ほら一緒に走ってくれたりとか」
「続かないのに?」
「か、花音さ〜ん、シュウがいじめる〜!」
俺に全ての言い訳をラリーで返されて、ついには隣にいた花音さんに抱きついて顔を埋めた。よしよしと慈愛の微笑みでひまりの頭を撫でる花音さんはちょっと呆れ気味なように俺には感じられた。そんな中、パレオはじっと大きな瞳で俺を見つめてきていた。なんなんですかパレオさん。
「……修斗様はやっぱり隠れサドですね」
「パレオ?」
「捗──いえ、失礼しました」
「パレオ?」
妄想が解釈一致した反応はやめて。俺はパレオが思うような女の子に命令して乱暴なことする趣味はないから。普段は優しいけど裏では、なんていうそれ表の正確は最早なんでもよくないかな。花音さんはなんの話かわからず首を傾げていたがひまりがなにやら耳打ちしていた。ちょっと待って、ひまりはパレオの妄想知ってるの?
「女子トークした仲ですので♡」
「とんでもない情報共有をしてるね」
「ふえぇ……しゅ、シュウくんって、そうなの?」
「すみません、事実無根だから怒ってるんですけど」
頬を赤らめながらそんなことを訊ねてくる花音さんに向かって流石の俺も語調を強めに返事をした。というかわざわざ花音さんにまで教える必要はなくない? そんな非難の目をひまりに向けると横からパレオが続けて余計な妄想を付け足していく。
「浩介さんは隠れマゾな気がします」
「えー私はマゾ寄りのどっちもいけるだと思った」
「……しゅ、シュウくん」
「あの、いくら家族だからって兄ちゃんがMかSかとかわかると思います?」
「えっちな本とか見ないの?」
「パレオが確認した限りでは浩介さん
「……は? シュウくんは?」
もうおしまい! それ以上はせめて男の俺がいないところでしてもらえますかね。そんな抗議を口に出したタイミングで兄ちゃんが帰ってきたことで、なんとか傷口が広がることはなくなった。ありがとう兄ちゃん、でも兄ちゃんが勝手に性癖決められてたことは秘密にしておくから、安心してね兄ちゃん。