九月に入ってからの花音さんは、まるで八月の埋め合わせをするように積極的に会いに来ることが増えた。しかも以前はなかったけど、羽沢珈琲店だけでなく俺んちに上がるようになっていた。
花音さんはドラムの指導もしてくれるためすごく助かってるけど、そこにさらにご飯を作ってくれて、夜までいて送っていってという──なんといえばいいんだろうか。
「花音さんとお付き合いしてるの?」
「してないしてない」
「私は、お兄ちゃんと仲が良い女の子をシュウさんがブロックしてくれてて助かるけど」
「腹黒い言い方だなぁ」
練習終わりのましろにそんなことを言われて俺は苦い顔をする。相変わらず兄ちゃんのことになるとキャラ変するんだから。普段はこれでもかっていうくらいに小動物なのにさ。
更に言うと俺がブロックしてる事実も自覚もないからなぁ。
「え、だってひまりさんも花音さんも、つぐみさんもパレオさんもみんな、シュウさん目当てでしょ?」
「そういう言い方よくないよ。恋愛に発展してるわけでもないのに」
「恋愛ごとに発展してないの?」
してないよ、と苦笑いをしながら言うとましろはふぅんとちょっと不思議そうな顔で頷いてから、ふと今日の予定を訊いてくる。
今日は、というか今日も夜ごはん食べに花音さんがやってくるくらいしか予定はないけどと応えると今度は興味なさそうにふぅんと返事をしてきた。自分で訊いといてなんだよと言いたいが、まぁそれがましろだからな、とすぐに自分で納得した。
「じゃあ今日は泊まるからね」
「え、親御さんには?」
「もう言ってあるよ、今日はシュウさんと練習の予定が遅かったし」
「そ、そうなんだ」
「パレオさん来るよね」
「金曜だし、多分RASで練習してると思う」
「わかった」
何がわかったんだろうか、と首を捻るがそのまま二人が来るまで練習を続けていた。何やらましろには俺に伝えたいことがあるのかな? よくわからないけど特殊な組み合わせとも言うべき四人の食卓が始まった。なんでこういう時ばっかり兄ちゃんは知り合いとメシに行ってくるなんてことを言い出すんだろう。いいや、友達か同じ事務所の同僚か、わからないけど一緒にご飯行ける相手できて嬉しく思う部分もあるけどさ。
「ねぇねぇ、シュウさん、これ見て見て」
「え、ええっと?」
「モニカの新しい衣装、自撮りするのはちょっと恥ずかしかったけど……えへへ」
「桐ヶ谷さんと広町さんが作ってるんだよね……こういうのは尊敬する」
「だよね」
「えっと、あのぉ〜、ましろさん?」
それからご飯を食べてる最中、その後とましろが取った行動は花音さんとパレオどころか俺も驚く行動に出ていた。いつもよりもボディタッチ大目で甘えたがりの本性全開だと思ったら今度は俺の足の間にやってきて、スマホをいじって話し掛けてくる。その甘えっぷりにはましろの本性を余すことなく知っているパレオも戸惑う程だった。
「ま、ましろちゃん?」
「どうかしたんですか花音さん?」
「え、っとね、なんでそんなにくっついてるのかなって?」
「シュウさんはもうひとりのお兄ちゃんだから、いつも二人だとこのくらいくっついてたよね?」
「え、えっと……?」
「ほら、シュウくんだって困ってるのに」
「困ってる?」
「困っては、ない……のかな?」
別にましろが時折甘えたくなるものの、兄ちゃんがいないとか、なんだかんだで兄ちゃんのことは兄というより好きな人という意識が強いせいか純粋に甘えたくなる時があるようで、そういう時は俺にくっついてくる。その時のましろのかわいさとあざとさは普段の数倍を誇るという統計が俺によってなされている。
「ひ、独り占めは……よくないと思う」
「そうですよましろさんっ、ぱ、パレオだって……偶には」
「いやパレオもこのくらい甘えてくる時あるでしょ」
「う……確かに、そうですが」
「……パレオちゃんも?」
「シュウさんって甘えやすいっていうか、こう……全然嫌がられないから」
「ですね〜」
「お兄ちゃんは割と嫌がるんだよね」
それはキミに原因があるのではとツッコミを入れたくなるが、そうか、俺って嫌がらないから甘えていいタイプだと思われてるのか。だからって今日のましろはいつもの二割増しくらいで甘えてきてるのはなんなんだって思うけど。そんなことを考えていると花音さんがすごく、すごく不機嫌そうな顔で俺を見てくる。
「……いいな」
「へ、え?」
「ましろちゃんやパレオちゃんは普段からそうやってシュウくんといちゃいちゃしてるんだ」
「普段からってわけじゃ、しかもいちゃいちゃって」
「──パレオは、修斗様の優しい笑顔を見てると、わがままになってしまって」
「パレオは、ほら……色々あったし」
「私だって、色々……あるもん」
花音さんがなんだかどんどんと子どもっぽくなっている。いや元々普段はすごくお姉さんという雰囲気があるけど趣味や好きなものになるとなんだか思わず微笑ましい表情をしたくなるくらいになる時があるんだよな。それがおしゃべりにじゃない時に表に出てきた、そんな表現が適切な気がする。
「モテモテになっちゃったね、シュウさん」
「いやいや、モテてるわけじゃ……」
「シュウくん」
「は、はい……いや、でも花音さん?」
なんでこんなに困ったことになってしまっているんだろうか。ましろのせいといえばそうなんだろうけど、花音さんがこんなに劇的な反応をするだなんて思ってもいなくて、俺はパニック状態だ。
──俺にとって仲が良いって言える異性はつぐみ、ひまり、花音さん、パレオ、ましろの五人だけど、そのそれぞれに適切な距離感的なものがあるように感じる。その中で一番近いって思うのがひまりだ。直接的でいくとパレオだけど、そして一番離れてるのが丁度いい感じなのが花音さんだって、そう思っていた。
「ましろちゃんはよくて、私じゃ……嫌なの?」
「え、ええっ?」
「修斗様は混乱しておられるだけかと」
「シュウさんにとって花音さんはお兄ちゃんの知り合い、だもんね」
「……そっか、そういうことなんだ?」
「あ、いや……まぁ、だって事実じゃないんですかそれ」
花音さんと兄ちゃんは水族館で出逢って、ファストフード店で再会した、まるでドラマか物語のような二人で。しかも並んでも年齢的には大学生の兄ちゃんと、高校生の花音さんの間に年の差を感じさせないくらいにお似合いで、オフの時には二人で水族館に行くくらいに仲が良くて。俺にとってもごく自然に「姉」という立ち位置に収まるんじゃないかって思ったほどの人なんだから。
「前に言わなかったっけ?」
「……な、なにをですか?」
「浩介さんとの結婚の予定はないかなぁ……って」
「すみません覚えてません」
前っていつですか、と訊ねると去年の話だと言うから余計に覚えてないよ。何気ない会話の流れで冗談交じりの意味で花音さんは雰囲気的にもバッチリ義姉にピッタリですねくらいは言ってる気がする。特に去年はつぐみが兄ちゃんのことを好きだって勘違いしてたから個人的にはつぐみより花音さんの方が姉ちゃんって呼ぶのに抵抗ないなとかクソみたいなこと考えてただけなので。
「……もし私がお兄ちゃんと結婚したら、シュウさんが弟になる?」
「確かなるはずですよ〜、兄嫁は義姉というのが基本です」
「……義弟、かぁ」
「万が一そうなっても弟呼ばわりしたら何かにつけて今の状態のことを言いふらすからね」
「最悪でございますね」
「お姉ちゃんって呼んでいいよ?」
「ましろ?」
「……ごめんなさい」
ましろは絶対に姉ちゃんって呼ばないし、お前は多分無理だってことはよくわかる。幾ら兄ちゃんがおおらかだって言っても童顔のましろと恋人になって一緒に歩くのに抵抗あると思うよ。
──って話がそれたけど、きっとこういう何気ない話の時に花音さんはきっぱりと否定してたんだね。そしてその気持ちが時間で変わってるってわけでもないと。
「うん、浩介さんのことは確かに好き……って言うとまた誤解されちゃうかな……えっとね、お友達だと思ってるけど」
「そうだったんですね」
「それで、シュウくんって仲良くしたいなぁって思っても離れられちゃってたんだ」
「俺はそんなつもり……いや、無意識にしてたかもしれません」
無意識に兄ちゃんと仲の良い女の子と距離を置いてたのかもしれない。その前例をぶち壊してきたのはようやく俺の足の間から隣に移動した兄ちゃんの妹系幼馴染だけどさ。花音さんやつぐみのことはどこかで避けてきたような気もする。そんなことを説明すると花音さんは微笑みつつため息を吐いた。ニュアンス的にはしょうがないなぁってダメな年下に注意する感じだ。
「私はシュウくんと仲良くしたいな、浩介さん関係なく磯村修斗くんと、仲良くしたい」
「花音さん……」
「ダメ、かな?」
「ダメだなんて言いませんけど、俺なんですね」
「うん、シュウくんじゃなきゃ意味がないから」
花音さんがそんなことを考えていたなんて、ましろがこうして伝えてくれなかったら知り得なかった。当の本人がすごくやり切ったというか──どう、私が伝えたかったことがこれだよとでも言わんばかりのドヤ顔をしていなかったら好感度が爆上がり間違いなしだっただろう。こういうところがましろが内弁慶妹系であるゆえんなのかもしれない。
「──ごめんね」
「え、何がですか?」
「私……ましろちゃんにヤキモチ妬いちゃってたよ」
「ああ、そのことですか」
帰りは花音さんを送っていくのがルーティンだ。いつも嬉しそうに隣を歩いてくれる花音さんとおしゃべりをしながら、この瞬間のふたりきりでしか見せない花音さんの横顔が、俺は好きだった。優越感とかじゃなくて、松原花音さんは俺とちゃんとおしゃべりをしてくれているんだって気持ちになるから。我ながら暗い理由だけどね。
「いいんです、夏休みくらいはひまりがそういうポジションでしたから」
「ヤキモチ?」
「パレオが色々あって、言った通り甘えてくるようになって、それを見てひまりが拗ねるんですよ。あれは大変だった」
かと言ってましろやパレオみたく甘えるわけじゃない、というか甘えられても困るけど。でも俺としては羞恥心とか冷静になって女の子の身体にベタベタ触ってるのどうなんだっていうテンションになるよりかひまりみたいにジュースとかコロッケとかスイーツとか、そういう物欲に変換してもらった方が健全な気がする。というかあの二人って実は俺の精神衛生上不健全なのではないだろうか。
「ひまりって構ってほしがりじゃないですか」
「うん」
「ああいうわがままにも慣れてるんで、花音さんのはなんというかかわいいもんですよ」
「……かわいい」
「あ、えっとそういう意味じゃなくて……ああいや、花音さんはめちゃくちゃかわいいですけどね?」
「ふふ……そっか、じゃあもうちょっとだけ、困らせてもいいんだ?」
「えっ」
そう言って花音さんはびっくりするほどに艶のあるお姉さんオーラを全開にした上で子どもっぽく笑いながら俺の腕に抱きついてきた。その無防備さと柔らかさといい匂いは、俺の思考回路を完全にショートさせてしまう。この瞬間、花音さんって実はある程度以上の女性経験、それこそ恋愛的な意味での女性経験がないとこうして手玉に取られるほどの魅惑を持っていることを再確認させられた。
「シュウくんって、デートしたことあるんだよね?」
「え、あ、は、はい……そ、そうですね……デート」
「ひまりちゃんと? 他には?」
「あ、えっとパレオとも……あとつぐみも、去年の兄ちゃんの誕生日の時に」
「ましろちゃんは?」
「ましろは、あんまり俺と出掛けたがらないので」
「そっかぁ」
なんだか、優しい尋問をされているようだった。前みたいに嘘吐いたりごまかしたり、あやふやなこと言うともう一度同じこと訊ねられそうな、そんな感じ。多分俺がそれをマジでやって笑顔で嘘吐かないでねと釘を差されたせいでもある気がするけど。だがちゃんと本当のことを言ったことが伝わったのか、花音さんはじゃあと花が咲くような笑顔と共に俺に更に顔を近づけてくる。
「私ともデート、してくれるよね?」
「……あ、はい」
なんというか──圧がすごい。あれだ、この圧は彼女の親友のアイドル、白鷺千聖さんを思い起こされる。あの人の笑顔も圧がすごくて怖いって印象が強かった。でもあの人の笑顔はバトル漫画でいうオーラとかそういうのが質量持って、重たくて頷くしかないみたいなテンションだったけど、花音さんのはゆっくりと首に纏わりついて、変なことを言ったら首筋に針を刺されるみたいな生物的恐怖を感じてしょうがなかった。
「それじゃあ今度予定立てたいから、羽沢珈琲店で」
「わかりました……明日じゃないですよね?」
「うん、明日はバイトと練習あるし、シュウくんもパレオちゃんたちとお出かけするんでしょう?」
「ですね」
「だから月曜日にね」
「わかりました」
そういう約束をして、いやさせられて俺は花音さんを無事に送り届けることに成功した。何かを引き換えにした感覚がすごかったが、安いものだろう。俺はそう思うことにした。