いつもの水族館ではなくて、俺に電車の乗り継ぎ案内を頼んでまで少し離れた水族館へと足を運んだ目的の一つの前で花音さんは顔を輝かせた。水族館が大好きな彼女は特にクラゲとペンギンが好きらしい。特にクラゲはずっと見入ってしまうくらいなんだそうだ。そんな花音さんの心を掴んで離さないのは、やはり大きなクラゲの水槽だろう。
「わぁ……キレイ」
「本当にキレイですね」
「ミズクラゲって、やっぱりかわいいよね……ふふ」
「ミズクラゲって言うんですね、こいつ」
「うん」
ふよふよと浮いてるのは触腕が短く傘が大きくて中央に四葉のクローバーみたいな模様がついてる白色透明なクラゲ、ミズクラゲだった。この水族館は数年前にリニューアルしたらしく、その際に普通にある壁に水槽があるんじゃなくて、床からせり出したような水槽でクラゲを上から覗けるようになっていた。顔を下に向けてクラゲを観察する、という中々ない体験とライトアップされた幻想的な姿に、花音さんは目をキラキラさせていた。
「こういうの、なんだかいいね」
「確かに、クラゲが上から見れるってないですね」
「ううん、そうじゃなくて……ロマンチックだなぁって」
「まだ序盤ですよ」
「そうだね」
揺らめくクラゲを観察していると、ふと模様って四葉だけじゃないんだなぁということに気づいた。花音さんも同じものを見ていたようで更に数の違う、花柄みたいになっている五つ葉とか、逆に一つ少ない三つ葉模様を見つけては指を差して教えてくれる。個体差があるんだという発見をしていると花音さんは嬉しそうに教えてくれる。これも、上から俯瞰しているとすごくわかりやすい。
「あれって、胃なんだよ」
「胃、ですか?」
「普通は四つなんだけどね、成長する時に多く持ってる子とか、逆に少なくなっちゃう子もいるんだって」
「そうなんですね、でも少ないとなんか……かわいそうな気もしますね」
「でも大きくなるのに問題はないみたいだよ」
流石は花音さん、というかお茶やスイーツの話とかバンドの話はよくしてきたけど、こうして水族館にまつわる話を聞いたのはもしかすると初めてかもしれない。そこには他にも色んな種類のクラゲを見ることができて、触腕がレースみたいになってるものや長くて紐みたいな触腕を持ってる種類まで様々だ。
「クラゲって何食べてるんですか?」
「小さい子は植物性プランクトンとかだけど、ミズクラゲは小魚とかも食べるよ」
「……え、肉食なんですか、意外だ」
「そうだよね、でもあの笠の内側におっきな口があるんだよ」
「へ、へぇ……なんか、見た目も相まって宇宙生物感がすごい」
「触手に毒があるのも、触れたものを痺れさせて食べちゃうためだし」
「そっか、毒ありますよねクラゲ」
どうやら刺胞っていう毒針があるらしい。それで捉えて食べるのか、とふよふよと水に流される無害そうな見た目で、なんならちょっとかわいいとすら思い始めてきたクラゲの割と衝撃的な事実を教えてもらいまた印象が変わった。そういえばエチゼンクラゲだっけ、あれは漁師たちの困りものだってニュースで見た記憶があるということを伝えるとあの子はおっきいからねと微笑まれた。ノータイムでわかるのすごいな。
「危ないのっていうとカツオノエボシじゃないかなぁ?」
「……それクラゲの名前ですか?」
「厳密にはクラゲじゃないんだけどね、電気クラゲって呼ばれてる子でね見た目はすごくキレイなんだけど、すごく毒が強いんだ」
電気クラゲ……なんか聞いたことあるような、海水浴場で打ち上げられてる青くて透明な餃子みたいな見た目してるやつだった気がする。花音さんによると猛毒で人間が触れるとアナフィラキシーショックを起こして死亡する事例まであるという話を聞かされて、ぞっとした。それが海水浴場に結構な数が流れ着くっていう事実が怖い。
「それに比べたらミズクラゲは毒は弱い方だよ、敏感じゃなきゃ刺されても腫れないし……敏感じゃなきゃ」
「……触ったんですね」
「海に打ち上げられてる子がいて……つい」
「そして腫れたんですね」
「……うん、でも、どうしても触れ合いたくて……普通の動物みたいに……」
クラゲ愛に溢れるあまり触れ合いを求めるのはどうかと思います。しかもさっき散々刺胞毒がどうのって説明してた口で。まさかの花音さんが毒性が弱いし敏感じゃなきゃ大丈夫って言って不用心に触れたっていう過去があることに驚いています。そういうのもっとちゃんとした人だと思ってたけど、こういう一面もあるんだ。
「えへへ……いっぱい眺めれたし、次行こっか」
「はい、次は……でっかい水槽ですね」
「ね、色んな子が泳いでるよ……!」
クラゲの世界を堪能した後は実際の海の環境を再現した、というのがコンセプトの大きな水槽だった。下の階にも伸びているもので、花音さんもハイテンション気味に見上げたり下を見ていたりと忙しい。
実際の海の世界、なんて俺や花音さんには知り得ない世界だから、言葉通りまるで海の中にいるような水族館はお手軽な非日常なんだなと感じる。
「こんな景色が私たちの住んでるところからそんなに離れてないなんて……信じられないよね」
「そうですね、本物も見てみたいですね」
「それ、いいね……いつかのデートは、シュウくんと」
「デートってよりもう旅行の範囲ですよ、それ」
本物のこの景色を見ようと思ったら旅行になってしまう。同じ都内なんだけど離島だからね。
でも旅行か、家の事情であんまりしたことがないんだよな遠出って。あって近くの遊園地とかその程度だったから。でもそれこそ、もっともっと動画配信を頑張るか、バイトでもしないとなぁ。
「ふふ、シュウくんなら大丈夫だよ」
「……無根拠ですかそれ?」
「根拠はね、私がキミの演奏を知ってるから」
「それは……責任重大ですよ」
「気負わずに、ましろちゃんと仲良く、ね?」
「はい」
俺なんかがそう伸びてたまるか、って気持ちもあるけど、少なくともドラムをイチから鍛え直してくれてるのは花音さんだ。そんな花音さんに向かって全然ダメですよって言う方が失礼だから。
そこから少し音楽の話をしつつ俺たちはもう一つの大きな目的であるペンギンの水槽に向かった。
「かわいい……!」
「すご……水ん中を飛んでるみたいだ」
「だね、すごい早いよね」
「花音さん、このペンギンは……?」
「これはね、マゼランペンギンだよ」
「マゼラン……へぇ」
本当に花音さんは詳しいな。俺は全部同じに見えてしまって、どうしても区別が付かないんだよな。どういう見分け方なんだと訊ねると花音さんは身振り手振りで教えてくれる。その姿はとっても微笑ましくて、思わず笑ってしまうと自分が夢中で説明していたことに気づいたのかちょっとだけ顔を赤らめた。
「もう……笑うのはひどい」
「はは……すみません、なんか、花音さんってこういう一面もあるんだな〜って思って」
「……引いた?」
「いやいや、魅力だと思いますよ」
「そ、そっか……えへへ」
正直、こんなかわいい一面なんてあったのかと思ってしまう。デートしなかったらそんなこと知りもしなかったし、気づきもしなかったと思う。俺にとって花音さんはやっぱり年上のお姉さんで、おっとりしていつつ優しくて、いつでも微笑みを浮かべているイメージだったけど、今日一日ですごく印象が変わっていた。
「やっぱりさ、水族館が好きだから、詳しくなった方がもっと楽しめるでしょ?」
「そうですね」
「私、ちょっとハマっちゃうと夢中になっちゃうクセがあるのかも……」
「ああ、バンドとかもってことですか?」
「うん」
「いいことだと思いますよ」
悪いとは全然思わない。むしろ花音さんが好きなものの前だとキラキラと輝いて見える原因なんだろうと思ったし、なんなら俺にしてみれば羨ましいの一言だった。もうちょっとこう、狭くてもいいから深く物事を極めたりすることに憧れがあるんだよな。そうすればきっと楽器も何かの特化になっていたかもしれないのに。
「シュウくんは、シュウくんで良さがあると思うんだけどね」
「そうですかね」
「みんな言ってると思うけど、私からしたら色んな楽器弾けるの憧れちゃうよ」
「器用貧乏なんですよ」
「でも、バンドのこと大好きなシュウくんだから、できることなんだよね」
「褒めすぎですよ、それは」
でも最近の褒めすぎ代表は実のところはましろで、しきりに楽器弾けるの羨ましい、いいなって言ってくるから試しに色々と弾かせてみたら全然ダメそうで、しかも自分は楽器ができないからボーカルしかないんだとかいじけ始めて、それ以来やたらと褒めてくるようになってきた。
「ましろもちゃんと学べばなんとかなりそうな気がするんですけどね」
「そうなの?」
「音感はぶっちゃけすごいんで、なんか世界観が独特なんですけど」
ペンギンを見ながら、ふとましろの歌を想像してしまった。普段はおどおどしていて地上のペンギンのように覚束ないように見えるけど、歌う時の彼女は本当に、まるで水中を飛ぶように泳ぐかのように生き生きとしているからね。だから楽器を弾くことも
「私は、いつかシュウくんと一回きりでいいからバンドしてみたいなぁ」
「それは……人集まりますかね?」
「ましろちゃんと、ひまりちゃんと、私と……パレオちゃんかつぐみちゃん?」
「パレオは多分、チュチュさんがうるさそうですね」
「じゃあつぐみちゃんかな?」
すると、ボーカル、ベース、ドラム、キーボードだから俺がギター? このメンツの中でギターとか死ぬほど練習しなきゃだ。俺としてはそこにギターが兄ちゃんというバンドを見てみたい気もするね、実力的にも尊敬に値するメンツしかいないどころか、俺の練習見てくれるメンバーだからね。
「そこはキミがいなきゃ意味がないでしょ?」
「ま、まぁそうですけどね」
「わかってるならいいけど、ほら行こ」
「はい、あ、引っ張らないでくださいよ」
引っ張られると花音さんの胸が、こういうこと考えるのはダメなのはわかってるけど、こう腕にある自分にはない柔らかなものが押し当てられてるという事実に頭がいっぱいになる。こういうムッツリっぽいところがダメな気がする。花音さんでこんなに煩悩まみれになるのはひとえに、もっと見るからに凶悪なものを持っているひまりはあんまり腕を組まないところだろうか。俺にとっても始めての経験なのだから。
──何がやばいって、ふよふよと柔らかいってのはもちろんそうなんだけど、谷間の下の方に硬い感触があるとか、下のワイヤーの硬さを感じてしまって頭がショートしそうになる。なんのワイヤーか、なんて訊かないでほしい。とりあえず、花音さんは割とこう無防備な部分があるということは嫌というほど理解したところで、俺たちは次の目的地へと足を進めていくことになった。