料理研究ということで、辛いもの料理のレパートリーを増やしたいつぐみは羽沢珈琲店の手伝いが終わってからうちにやってきた。ましろやパレオと違って、そして特につぐみは俺んちから一番近いからこうして気軽に足を運ぶことができるからいいよね。
──まぁレパートリーを増やすと言っても俺としては最初から辛いものは避けるようにしてる。なにせつぐみ本人も辛いものは苦手だし、なによりとんでもなくお子様舌のお嬢様がいらっしゃるので。
「つぐみさんが来てくれたのに……辛いものって、しゅ、シュウさんもお兄ちゃんも絶対味覚がおかしい」
「ましろには辛くないもの作るでしょう?」
「そ、そういう問題じゃないし、というか一緒に食べてて横で匂いがもう辛いんだもん」
彼女、倉田ましろと兄ちゃんを同時に満足させる必要がある。これは十月末もしくはその来月の頭にある予定の誕生日会でもこの条件を満たさなきゃいけないからね。
幸い、辛味は後から幾らでも付け足せるものだと俺は考えてる。最初から辛くなくてもちゃんと山のようにスパイスかければなんとかなるってね。
「それは暴論じゃないかな……?」
「兄ちゃんはそれでいいんだよ、残念ながら」
「お兄ちゃん、実は味覚バグってるよね」
「それは、否定しないね」
「あはは……」
兄ちゃんの舌は基本的に辛いか辛くないかの二択で構成されてるから。甘いのも酸っぱいのも苦いのも全部「辛くない」で済ませちゃうところあるんだよな。だから逆にそれはいい、問題は甘口カレーを辛い辛い言いながら水をガブ飲みする子が同時に食卓に座ることなんだよ。
「か、辛かったんだもん……あれ」
「拗ねないでよ、ましろ」
「後から辛くできる料理かぁ……ましろちゃんも挑戦する?」
「ましろに包丁を持たせる気? 」
「わ、私だって……切るくらいできるもん、たぶん、きっと」
今日はとりあえず辛いもの料理の中でも兄ちゃんと俺の二人の時に作るやつを教えていく。ましろは絶望した顔してたけど同時並行で辛くないものを作るから安心してほしい。俺の好物は兄ちゃんの得意な料理……というか兄ちゃんはあんまり凝ったものが作れないんだけど、でも作ってくれたペペロンチーノと、俺が兄ちゃんのために最初に覚えたアラビアータだ。
「あらびあーた……」
「イタリア語だっけ」
「うん、まぁパスタの名前基本的にイタリア語だけど」
アラビアータはトマトベースで唐辛子とにんにくという酸味、辛味、そして強い風味を一つにしたトマトと唐辛子が特産として扱われるイタリアならではのパスタソースと言えるだろう。そこに今回はアレンジとしてナスとベーコンを加えていく。ましろはナス嫌いだけど、直接食べなきゃ平気なのでセーフだ。
「それに俺はこのナスなら大丈夫だって思うんだけどね」
「オリーブ漬けだね!」
「オリーブも……ちょっと苦手」
「ましろちゃん……」
軽く炒めてからオリーブオイルとにんにくに漬けたナスはそのまま食べても普通においしいし冷蔵庫に入れて瓶詰めしておけば日持ちもする。他の料理やサラダに雑に乗せても美味しい一品だと言えるだろう。ましろはそれでもダメらしいけど、本当にこの子は好き嫌いが難儀なやつだ。
「唐辛子はそんなに多くしなくて大丈夫」
「そうなの?」
「兄ちゃんは足らなきゃ後からデスソース掛けるし」
「……あ、そうなんだね」
「それにトマトの酸味とのバランスの方が大事だから」
「うん」
羽沢珈琲店もペペロンチーノとかトマトソースとかの基本的なパスタのランチメニューはあるからね。つぐみも手慣れた様子でオリーブににんにくの風味を移してからベーコンを炒めている。トマトソースはアラビアータとは別にましろ用に普通のトマトソースも作っておく。ワインと塩、胡椒で味付けをしたトマトソースはましろでも食べられるということはわかっていた。
「私も、やっぱり手伝う」
「……じゃあ沸騰したらパスタ茹でてくれると嬉しい」
「わかった」
「ふふ」
「なに?」
「ううん、なんだかすっかり兄妹みたいだなぁって」
「そうかな……」
つぐみの言葉に俺はちょっとだけ唇を尖らせた。あいつはあいつで兄ちゃんの誕生日のために何かしようって思ってるんだと思う。それはいいことなんだけどさ、空回りしそうで心配なんだよ。そのくせ空回りして失敗するとすぐ凹むんだから。そして一度凹むと後が大変だってこともね。それはつぐみにも思い当たることのようで苦笑いをされた。
「わたしは、ましろちゃんが羨ましい」
「……ましろが?」
「やっぱりちょっと、修斗くんに気を遣われちゃってるなぁって感じるから」
「それは……まぁそうかも」
「ね、この前だって……花音さんが来てくれなかったら、きっと一緒にお買い物もできなかったから」
そのことを引き合いに出されて俺は言葉に詰まってしまった。俺があの時考えたのはもしかしたらつぐみが今井さんに俺のことで色々言われたらどうしようってことだった。つぐみみたいな子が初対面の年上に向かって投げやりな態度を取ったやつ、しかも異性と友達だって言ってたら俺だってきっと何なのって訊ねたくなると思う。それが、俺にとっては嫌だった。
──でもつぐみにとってはきっとそんなことよりもっと、訊ねたいことがあるんだろうってことはすぐにわかった。
「……本当は、浩介さんと何があったの?」
「つぐみ」
「お兄ちゃんとシュウさん?」
「ましろまで」
「あんなに浩介さんのことが好きな修斗くんが、あそこまで話題に出されたくない理由って、なに?」
話題を聞きつけたましろも興味がありそうに俺を見てくる。兄ちゃんと何があったかって言われると誤魔化し方は一つしかない。俺と兄ちゃんとの間に何も起きなかった、実際に俺が兄ちゃんを嫌うようなことは何もないし、逆もないはずだ。だからこれは誰にも言わないことでもある。兄ちゃんの話題を異性の口からされることへの嫌悪感の正体を知っているのは、花音さんだけだから。
「そんな、難しい話じゃないよ。兄ちゃんのことを好きな人を俺が好きになっちゃっただけ」
「お兄ちゃんのことを好きな人」
「もう随分前の話だよ、なにせ俺が中一の頃の話なんだから」
「それ、ひまりちゃんが言ってた」
「……ひまりのやつ」
相変わらず口が軽めなんだからひまりは。まぁでもひまりに教えたのは真実の八割と二割の嘘だからなぁ。実際のところは先輩の好きな人が兄ちゃんで、兄ちゃんは兄ちゃんでめちゃくちゃにモテ期だったってだけだ。
──そして、兄ちゃんがここにやって来た後に少し話が続くだけで。
「どういうこと?」
「つぐみはさ、好きな人が遠くに行ったら、知らない場所に行ったらどう思う?」
「ううんと、寂しいとか……会いたい、とか?」
「そうだよね、そう思うのが普通だと思う。じゃあ、その行き先を知ってる人が居たら、どうする?」
「……それは」
そう、教えてほしいって頼みに来るだろう。俺がその教えてと訊ねられた人物だったというだけ。その中には俺の好きだった先輩もいて、それ以外にも仲のいい女子が数人いた。結局俺が友達だとか趣味仲間だって思っていた全員が全員、兄ちゃん目当てだったって単純な結末だ。兄ちゃんがいなくなった途端に、俺まであの人たちの中からいなくなってしまったというだけだ。
「だから兄ちゃんが悪いわけじゃないんだよ……ただ俺が、変なところで変なことを思い出すだけで」
「……シュウさん、えっと……じゃあ私は?」
「ましろはそんな策略めいたことで俺に近づいてるわけじゃないでしょう」
「そうだよ、ましろちゃんは浩介さんにフラれても、修斗くんと一緒にいるって信じてるからねっ」
「ま、まぁそれは……だってシュウさんだってお兄ちゃんだし」
「うん、だから大丈夫」
「よ、よかった」
変な雰囲気になったけど、ちょっとだけスッキリした。前は心のどこかでみんなのことを信用できてなかったから言えなかったんだと思う。勝手に失望して、勝手に疑心暗鬼に陥って、バカみたいだよなぁって今なら言える。だってつぐみもましろも、それから他のみんなも、兄ちゃんがいようがいなかろうが彼女たちが俺を見る目は変わんない。むしろ態度を変えていた先輩に気づけなかったことを悔やんでしまう程だよ。
「でも、修斗くんも大変だよね」
「ん、なにが?」
「ひまりちゃんが、今年は誕プレだけじゃ足りないからどこかデートするって言ってたもん」
「……なにそれ」
「聞いてないの?」
「全くなにも」
ひまりの誕生日は兄ちゃんのちょうど一週間前なんだけど。俺はそれ予定すらも聞かされてないんだけどなぁ。するって断言していたみたいだけど俺が知らないと、もはやそれは妄想の領域なんじゃなかろうか。デート相手の友達からデートの予定聞かされるってそれはどういう状況だよ。
「しかも誕プレじゃ足りないってなに……呼び出すか」
「多目に作っててよかったね」
「それは本当にそうだね」
幸いアラビアータとは別にトマトソース作ってる以上どうしても量は多くなるからひまりが来てもソースは問題ない。後は追加で麺を茹でる必要があるという程度の手間だ。
俺は素早く、なるべくなら家に来てほしいと連絡をして数分後にOKマークのついたスタンプを確認した。
「ことの次第によっては、俺が食べるためのアラビアータを食わせてやる」
「そ、それは……かわいそうだよ。あれって人の食べるものじゃないから」
「……俺が食べてるんだけど」
さらりとましろに人外扱いをされつつ、俺たちはひまりがにっこにこの笑顔でやってくるのを待っていた。いや本当に玄関開けたらにっこにこだった。なんだかすごくご機嫌な様子で、しかもなぜか泊まり用具バッチリで家に上がった時は疑問符が大量に浮かんだものだけど、どうやら俺が言葉が足らなかったせいで独りが寂しくて頼られたと思ったらしい。そんなわけないでしょ。
「もう泊まってくってママに言ってきたから」
「……つぐみ、アラビアータで」
「はぁい」
「つぐみさん……目が怖いよ?」
「ふふ、そうかな?」
「あらびあーたって、イタリア語だっけ? 意味なんだっけ?」
「今の俺の感情かな」
「……私に会えて嬉しい、喜び!」
そのとてつもなくIQの低い発言と無駄にあざとかわいい笑顔はものの数分後、泣き顔に変わることになる。水を求めて七転八倒するひまりに対してましろだけが優しく接してあげていた。水はむしろ辛いものを広げるから牛乳の方がいいとか何故かちょっとした豆知識まで披露していた。
──ちなみにアラビアータは直訳すると「怒りんぼ風」という意味になるんだよひまり。
「水って逆効果なんだっけ?」
「そうそう、唐辛子の辛いのって油に溶けるから水だと反発しちゃって中和できないんだよね」
「そうなんだ」
「ほらむしろ、辛い時に水飲むと口の中全体にじわって広がらない?」
「うん、あるあるっ、だね!」
「その点さっきましろが牛乳に辛味成分の働きがブロックされてマイルドになるって、あとは果糖とかでもいいはずだから」
「果物系のジュースとか!」
「南国の辛味系にトロピカルジュースがつきものなのはそのためなんだろうね」
「勉強になるなぁ」
「──っは、ふ、ふたりとも和やかに会話しないでもらえるかなっ!」
隣のつぐみとの会話最中、ずっとひまりのうめき声とかましろのわたわたする姿が目の前に広がっていた。ひまり、それを人は自業自得って言うんだよ。何したっけ私みたいな表情するから俺と同じもの食べさせられることになるんだよ。まぁ反省して残しても俺が食べるからいいとして。デートの話はまず俺に打診するかわがままで強引なひまりらしくゴリ押ししてもらえますでしょうか、もう決まってたはまた別種の強引さだと俺は思ってるよそれ。