十月も目前に迫った今日という日に、俺は最近の恒例となっているつぐみの実験台としてパウンドケーキを口に運んでいた。向かいでじっと見られるとなんというかすごく緊張してしまうんだけど。そんなに見つめられてもパウンドケーキ作ったのだって初めてじゃないだろうにと思いつつもそのおいしさに声を漏らした。
「ん……うまいなこれ」
「本当?」
「甘すぎないところがいいよね」
「ふふ、それはよかった! コーヒーとも合うかなってちょっとお砂糖をね」
そんなことを言われてはコーヒーも欲しくなるじゃん。俺は頼もうかと思ってるとつぐみが淹れてくれていたようで、口に含む。
──苦味と甘さと、ちょっとの酸っぱさが口の中で優しく解けていく。放課後の夕暮れの中、彼女と対面するこの時間もあってかすごく安らぎの味がしていたよ。
「優しい、安らぎかぁ」
「なんかそういうの含めて、つぐみの味って感じ」
「褒められてるってことでいいのかな……?」
「褒めてるよ、すごく」
「すごく?」
「すごく」
「じゃあ、ありがとう」
つぐみは変わらない、どころかちょっとだけ距離が縮まった気がした。それが俺から過去のトラウマを打ち明けたからそう感じるだけなのか、それともまた別の理由があるのかは判別しにくいけど。そして今日は閉店してからお店を貸し切らせてくれることになっていた。兄ちゃんがのんびりとオフだからって言ってご飯の話をしたところ、ましろが食いつき、花音さんとひまり、つぐみも来てくれることになって、パレオも週末だからいて。流石にこの人数じゃ無理だからどっかに食べに行こうみたいな話があったのだった。
「それでチュチュさんと桐ヶ谷さんがどうせなら貸し切っちゃえばいいじゃんってことで」
「大きなお話になったよね」
「本当に」
モニカからは桐ヶ谷さんと八潮さんが、RASからはマスキングとチュチュさんがそれぞれ駆けつけることになって、なんだか女の子ばっかりでこっちは肩身が狭いけどここであの二人を呼んだらきっと卒倒するだろうと思って、特にガールズバンドオタクの方はね、きっと後で俺に対して何故か仇を見るような目になるだろうことが予想されるし。
「それにしてもみんなご飯の準備とかすごく手伝ってくれるよね」
「何故かみなさん女子力高いので」
「マスキングさんとかもすごいよね」
「すごい、前に色々相談ついでにチュチュさんのマンション行くって連絡したらケーキ焼いてくれてさ」
「そんなことあったんだ」
「かわいいチョコケーキでさ……つぐみ?」
「え、あ……ごめん、ぼーっとしてた」
「疲れてるなら、準備はできるメンバーでやるからね」
「大丈夫」
大丈夫には見えないんだけどね。俺としてはなんならいつもいつも頑張ってるつぐみには休んでほしい気持ちだ。こっちにはパレオ、マスキング、花音さん、ひまりと少なくとも俺含めて五人は日常的にキッチンに立ってるメンバーがいるんだから。だけどやっぱりって言うべきかつぐみは勢いよく首を横に振って、結構無理矢理気味な笑顔を作られてしまう。
「本当に、大丈夫だからっ! 心配しないで」
「そんなこと言われても……前も言ったけど、つぐみが大切だから、倒れられたりすると嫌なんだよ」
「……う、うん、ありがとう」
「無理したくなるくらい頑張り屋なのは尊敬してるけどさ、俺からしたら休める時は休んでほしいよ」
「えへへ……じゃあちょっとだけ、甘えてもいいかな?」
「ちょっとじゃなくてめいっぱい、ましろくらい甘えてもいいよ」
「それは……恥ずかしいよ」
それは確かに俺も恥ずかしい。あれは自称妹のましろが自称兄である俺に甘えてくるから許せるし何も感じないのであって、つぐみにやられたら多分硬直したまま動けなくなる自信はある。
雑談をしているうちにコーヒーもケーキもすっかり胃の中に消えて、そのくらいの頃に明るい声で名前を呼ばれて振り返った。
「シュウ……っと、つぐももう上がり?」
「後はちょっと掃除と片付けだけだよ」
「ひまり、ご機嫌だね」
「そう見える?」
「かなり」
「なんか、貸し切りってわくわくしない?」
ひまりの気持ちはわからなくない。しかも大人数でのプチパーティーみたいになってるから余計にそうだよね。はしゃぐひまりに微笑みつつ、つぐみが俺の分のお皿も持って立ち上がりそれじゃあ作業してくるねとバックヤードへと消えていく。そこから止まることのないひまりの愚痴やら何やらを聞き流していると、閉店したお店にいつの間にか花音さんやマスキング、パレオといったメンバーが続々とやってきていた。
「お、もう集まってたか」
「お兄ちゃん」
「浩介さん、いらっしゃいませ」
「うん」
「どうも」
最後にやってきたのは兄ちゃんと、八潮さんが同時だった。意外な組み合わせ、というわけではないんだけどね。サマーフェスの時なんかも会話してて初対面じゃないって話もあったし、ばったり鉢合わせて一緒に入ったって可能性が充分にありえるし。とはいえ意外なのはそっちじゃないんだってことは桐ヶ谷さんが代弁してくれた。
「しっかしルイがこーゆーの来るとか、意外すぎね?」
「そうかしら、こう……カレに誘われて、ちょうど予定も空いていたのに、断るのはおかしなことでしょう?」
「そっか、そうかぁ?」
「何か、言いたいことでもあるならはっきり言った方がありがたいのだけれど」
そんないつも通りな二人の言い合いに兄ちゃんがまぁまぁと軽い感じで肩に触れて止めていた。相変わらずこういう場を纏めるのは上手だ、桐ヶ谷さんのことも、八潮さんのこともちゃんとどっちにも言葉を掛けて、ああいうのがモテる男なんだなぁと再確認させられているとつぐみの横顔が何か複雑そうだった。そのさらに奥にいる花音さんはなんかちょっとだけ楽しそうな微笑みだったけど。
「……つぐみ、どうしたの?」
「ううん、いや……やっぱりそうなのかなぁって」
「なにが?」
「多分……つぐみちゃんの言いたいこと、すぐにわかるんじゃないかな?」
「そうなんですか?」
「うん」
「ならいいけど、というか結局休もうとしてないじゃんつぐみ、ほら座って」
「もう、元気だから大丈夫だよ?」
「さっきもボーッとしてた人の言葉は信用しない」
「ふふ、だってさ、つぐみちゃん」
「……あはは、修斗くんはそういうところ頑固ですね」
「だね」
そこで通じ合わないでほしいんだけど。つぐみと花音さんは微笑み合ったまま俺を置き去りにしていく。ため息を吐いて、とりあえずつぐみを席に座らせた。確かにここはつぐみの家で、一番動きやすくはあるだろうけどこっちは人材がすごく豊富だから、つぐみ一人が頑張る必要なんてないんだよな。
「つぐみさんは休んでいてくださいね、修斗様もお休みいただいていてもよろしいんですよ?」
「いいよ、俺は」
「というかパレオ的には厨房に立たれてしまうとムズムズしてしまうので、チュチュ様のようにどっしり構えていてくださいませっ」
「チュチュさんは家事系統が壊滅してるだけでしょう」
「まぁそれはそうですが」
「聴こえてるわよ!」
「あはは……だってさ、わたしも休んでる間、おしゃべり相手がほしいな」
「……つぐみ、まぁそれで休んでくれるっていうなら」
パレオの笑顔とつぐみの言葉に圧されて俺はつぐみの隣に座った。向かいにはましろと兄ちゃんがいて、久しぶりの兄ちゃんとの時間にましろはすごく笑顔で兄ちゃんと何やらしゃべっていた。ましろは本当に兄ちゃんが好きだよな、ここにいるとすごくよく伝わってくるんだから。
「パレオちゃんさ」
「うん」
「やっぱり、修斗くんのこと好きなんだなぁって思った」
「パレオが? まぁ懐かれてはいるけど」
「そうみたいだね、すごく笑顔がキラキラしてるから、それこそあの子と一緒に居る時みたいに」
「チュチュさん?」
「うん」
修斗様はもうひとりのご主人様ですからと笑顔で言い切って、週末になると俺が何をする間もないくらいに家事などをしてくれる彼女には感謝しかない。まだ中学生なのに、こんなに頼り切りでいいんだろうかと苦笑いした時には褒めて抱きしめて、甘やかしてくれればそれでいいんですなんて微笑むあの子は、確かにつぐみの言う通りキラキラしていたよ。
「聞いてよシュウさん、つぐみさんも。お兄ちゃん、自分の誕生日のこと忘れてたんだって」
「ええっ、そ、そうなの浩介さん……?」
「なんかあっという間すぎてな、もうすぐなんて言われてハッとしたよ」
「兄ちゃんらしいと言えばそうなんだけど……ねぇつぐみ?」
「なにがだ?」
「もう、わたしたち、色々準備してるんだからね?」
「そうだったのか……それは確かに悪いことしてるな、十月末空けとくよ」
「お兄ちゃん、さっき言ってたコーヒー豆もお兄ちゃんがもうすぐ誕生日だからって二人で買いに行ってくれたやつなんだからね」
「……マジか、ありがとなシュウ、つぐみ」
兄ちゃんの感謝の言葉に俺もつぐみも笑顔で応える。ちょっと早すぎるってことに後から気付いたけど、まぁ来月は改めて追加でコーヒー豆を買うってことで話がついた。それにメインはパーティだし。今回の図られずものパーティを見た後だとちょっとだけ自信がなくなりそうだけど。
「どうせならどこか別のところって言うのもあるよね」
「うーん、今のところここのメンバーとひまりとパレオと花音さんだからなぁ」
「一応全員でご飯食べるのは可能だよね」
「いやぁ、ここまで人が来てくれるってなると広い部屋借りてて正解だったな」
「本当だね、これもシュウさんが女の子を引き寄せるから」
「だな、言えてる」
「兄ちゃんが最初でしょ」
「だとしても、去年のままだと誰も来ないってことになるぜ、来ても今年はましろとパレオくらいだろ」
「わたしも……去年のままって言うとね」
つぐみの言葉に俺はそうなんだと思わず考えてしまった。よくよく考えれば自然なことだよな、元々好きって告白してフラれた──それが例え憧れで恋愛的な感情じゃなかったと後で気付いたとしても事実として告白してフラれた相手の誕生日に、わざわざ来る理由がほぼない。ひまりや花音さんもそこまで普段から兄ちゃんと接してるわけじゃないし、そもそも事実として去年の誕生日は俺と兄ちゃんの二人だったからね。
「でも、今年は盛大にやってくれる。それはシュウが一年でたくさん関わってきたから、だろ?」
「そうだね、シュウさんってば最近うちに誰かしらいるからね」
「お、連れ込んでるのか?」
「そうじゃないです。でも……兄ちゃん」
このタイミングだ、と俺は思ったと同時にましろの前でこの話題を出すことに躊躇った。ましろはショックを受けないだろうか、泣かせたりしないだろうか。そう考えていると俺の迷いをつぐみと兄ちゃんが正しく受け取ってくれたようだった。兄ちゃんはどうしようかと考えているように視線を俺の後ろにさまよわせて、つぐみは──なんと俺の言葉をそのまま続けていった。
「花音さんともお話してたんだけど……浩介さん、恋人できたんだよね?」
「つぐみ」
「兄ちゃん、家に連れて来れなくて迷惑してるんじゃないかって前に話したんだ」
「そうだったのか……まぁそうだよな、
「そっちは?」
「……けど、つぐみと花音にはバレてるみたいだ」
「そのようね、全く……隠すならもっと徹底する方法なんて幾らでもあったでしょうに」
「一緒に来たがったのは、お前だろ瑠唯」
「そうね、浩介が誘ったのだけれど」
「……えっ」
最後の驚きは俺とましろ、その両方が重なったものだった。
そこにやってきて兄ちゃんに声を掛けたのは──先程まで桐ヶ谷さんとしゃべっていた八潮さんだったからだ。口を大きく開けて、目を疑った、けれど確かにいくつか腑に落ちる点もあった。兄ちゃんと八潮さんって結構前から仲良かったし。
「る、瑠唯さんが……お兄ちゃんのカノジョ?」
「ええ、そうなの……黙っていたのは、騙していたようで悪いと思うけれど」
「それは、知らなかった……てかつぐみと花音さんはいつから?」
「さっきだよ、ほらさっきおしゃべりしてた時」
「あれで?」
「さっすが……つぐみと花音は人を見る目があるからな」
その驚くべき事実を打ち明けられ、俺とましろは声を大きくして羽沢珈琲店を揺らすほどに驚いた。その後はみんなで完成したカレーライスを食べることになったのだが、ましろと俺はその後、一言たりとも会話をする暇もなく桐ヶ谷さんと八潮さん、そして兄ちゃんの輪の中に消えていってしまった。パレオもチュチュさんとマスキング、という輪の中に入り、必然的にメンバーはつぐみと俺、そして花音さんとひまりというある意味安心する席になっていた。
「いやぁ、驚いたね」
「わたしも最初は疑っちゃったもん」
「そうだね〜」
「花音さんは驚いてませんね、あんまり」
「実は……二人で歩いてるところ見ちゃってたんだよね、先週迷子になった時に偶然」
「あ、あの時ですか」
「そうそう、ひまりちゃんとシュウくんに迎えに来てもらった時」
雑談をしつつ、俺はなんとなくこの事実が色んな変化を生むような気がしていた。そしてそれは、俺が予想もしていなかった方向で変化していくことになる。
これは恋するバンドガールたち、そしてそれを見守るバンドマン、それに挟まれた中途半端な俺が自分の道と意志を見つけていくまでの物語だ。
これにて、つぐみ編その1 及び前半が終了しまして、後半から色々と変わっていきます。とりあえず年の差カップルが番外で誕生してました。見た目はほぼ年齢差わからないだろうけどね。