①:新しい始まり
十月が始まり、俺は外へと出掛ける準備を整えていた。出掛けると言ってもいつものように羽沢珈琲店へと向かうだけだけど。ショッキングというか、驚きに満ちた兄ちゃんの恋人の話から少し経って、ようやく俺も事実を受け入れ始めていた。同時に、また俺の苦手というか、なんとなくこう顔を合わせても話が弾むにくい相手だなぁという感想も抱いてしまっていた。
「……磯村さん」
「八潮さん」
「どこかへ出掛けるんですか?」
「うん、羽沢珈琲店に」
「そうですか……では」
「うん」
これが家の前で出くわすと余計に気まずいんだよなぁ。家の前ですれ違って、そして兄ちゃんが家にいるってことは間違いなく二人はデートの予定があるということだから。今日は事前に話を聞いていたからこうしてその時間は家を出て、帰ってきてもいるようならスタジオにいようと心に決めていた。
「……ならパレオを置いていかないでくださいませ」
「RAS行くもんだと思ってて……」
「本日はチュチュ様が海外に出ておいでなのです。これは言っていなかったパレオが悪いのですが」
「ごめん、一緒に行く?」
「はい、修斗様のおられるところならどこまでも」
「それはチュチュさんにも言ってあげて」
「月曜まで帰ってこないらしいので、パレオはご一緒できませんでした……」
それは、普段は普通の中学生としての姿を持つパレオには難しい話だねと苦笑いをする。パレオはRASがない時はその分のリソースを自主練と俺に費やそうとしてくることが傾向としてあるため、こうして散歩に出るわんこの如く外に出歩くとご機嫌になるのだった。まぁ行き先はすぐそこなんだけど。
「いらっしゃいませ〜、あれ、磯村さんと」
「パレオです〜♡」
「きょ、今日は二人ですか?」
「うん、つぐみは練習?」
「はい、モニカはお休みですけど」
「残念ながら知ってたんだよね」
「そうなんですか?」
なにせそちらのバンドのバイオリニストさんは現在我が家にいらっしゃるのですとは言わずにおいた。どうやら八潮さんとしては桐ヶ谷さんもましろも口止めというかあんまり外で関係をしゃべられるのは気分がよくないらしく、その場にいた恋愛話大好きなひまりも俺らと情報が共有できるからとなんだかんだであの場にいたものだけが知っている衝撃の事実になっていた。
「そういえばましろさんは大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫って……兄ちゃんのこと?」
「はい、明け透けに言ってしまえば愛するお兄様をお友達に奪われた、という形になっていますから」
「確かにね、ショックで寝込んでもおかしくなさそうなくらい兄ちゃん一筋だったもんな、ましろは」
とは言うけど、思っていた以上にましろのリアクションは薄く、また昨日の練習の時もそんなに気にしている風ではなかったから、もしかするとまだ現実感が湧いてないだけの可能性は充分に有り得るよね。
全部終わる前に告白とかして、区切りをつけられたらよかったんだけど、それより先にカノジョができて言えないままって──実は相当キツいことだよな。
「ですね、秘密は……言わない後悔は、したくありませんね」
「そりゃそうだよね。フラれちゃうと言った後悔ももちろんデカいんだけど……言わなきゃ踏ん切りつけるのも難しいよ」
「言わなきゃ、踏ん切りつけるのも……やはりそうなんでしょうね」
「うん」
ましろのことは、ましろから口に出さない限り俺は何も言わないって決めてるからな。あんまりよくないことかもしれないけど、逆に俺から地雷に踏み込むと、下手するとバンド活動にまで支障をきたしそうだから、という逃げだ。ましろは妹のような子でありながら大事なバンドメンバーという側面もある。なにせたった一人のバンドメンバーだ。そんな彼女と絶縁状態なんて絶対に嫌だから。
「パレオも、とりあえずはそれでいいと思います。ましろさんから相談されたらまた、考えたらいいかと」
「悪いけどその時パレオがいたら」
「それはもう、修斗様のことなので」
「おまたせしました、ペペロンチーノ二つです」
二人でランチのパスタを食べながら雑談交じりにこれからのことを話していく。前に誕生日は家に帰ってこれるみたいなこと言ってたけど八潮瑠唯さんは兄ちゃんの誕生会のこと知ってるのかとかね。憶測で話すことじゃないけど、コンタクト取らないとなぁ。俺がなんとかするしかないのか?
「そうですね、お声を掛けるなら修斗様が適任かと」
「……だよね」
「これは弟面談をするしかないですね、修斗様」
「……なにそれは、生まれて初めて耳にする単語なんだけど」
「読んで字の如く、でございますよ! お兄様の伴侶として相応しいかどうかを、弟である修斗様は対面し、確かめるのです」
「不合格になると?」
「嫌がらせとかですかね」
「嫌なやつじゃんそれ」
不合格になったらとかはともかくとして、兄ちゃんの弟として八潮さんと会話をする必要があるというのには賛成できる。さすがはパレオだねと褒めると嬉しそうにツインテールが左右に揺れた。
いつものクセで撫でたくなったけど流石にそれは我慢するとして、とりあえずましろが何をしてるかだけが気になるね。傷心中とか……ないよな。
「ましろちゃんなら今日は透子ちゃんと七深ちゃんとで出掛けていますよ」
「そうだったんだ……ならいいか」
「何か用事とか?」
「ああいや、急な用事じゃないから、大丈夫」
どうやら傷心中で引きこもってるとかではないらしいのでとりあえずは安心した。特に桐ヶ谷さんは八潮さんと兄ちゃんのお付き合いを知ったメンバーだし、こう気を遣ってあげられてるといいんだけど。あの性格だと微妙に厳しいかもしれない。
──そういえば俺、八潮さんもそうだけどモニカのメンバーの性格よくわかってないところあるかも。一通りの人となりはましろから聞いてるけど。
「Morfonicaの方々はなんというか、我が強めですかね」
「パレオが言う?」
「確かにパレオたちRASもクセの強さで言うなら引けを取りませんが……」
「クセのあるメンバーか、まぁましろ以外の全員がお嬢様なんだもんね」
「お嬢様というか……ちょっと色々とズレてるというか」
月ノ森でバンドを組むというだけでお金持ちお嬢様の中でも特に一癖も二癖もあるメンバーになるかもしれない。広町さんの家のアトリエを練習の場所に改造、というか改良してるし、そもそも八潮さん以外はお小遣いとか自分のお金で楽器を一括購入してる恐ろしい金銭感覚の狂い方をしてるってのはよくわかった。
「パレオもましろさんに色々と伺いましたが、まぁとっても素敵で愉快な方々が揃っているなという印象でございますね」
「だよなぁ」
「ですが実力もまた確かなものです。まだまだ不安定なところは多いですが……本来はもっと大きなハコで活躍してもいいバンドかと」
「パレオがそういうなんて相当だね」
「チュチュ様の受け売りでございますよ」
それなら尚更すごいバンドってことだよね。俺の浅くて狭い知識と適当すぎる耳からしてもRASは凡百のガールズバンドとは一線を画す技術とインパクトと個性がある。レイヤさんの声も他のボーカルとは違う伸びがあるし、俺のめちゃくちゃ個人的見解としてはパレオがすごく重要なポジションにいると思う。
「パレオですか?」
「動きのあるキーボードって時点ですごく特殊なのにさ、チュチュさんのDJの補佐をしつつ、目立つところは目立てる──ある意味RASの花形なわけじゃん?」
「……修斗様は、そうやって思われているのですね」
「うん、実際にソロパート多いし」
その言葉にパレオが頷いた。確実にパレオとロックの演奏は他の三人よりも目立ちやすい部分だと思う。レイヤさんはボーカルもあるけど。ドラムも相当目立ってるけど、ほらバンドを聴きにくる人は全員が全員演奏の音を楽器毎に分解できるわけじゃないからね。そうなるとベースとドラムはどうしても真っ先にこれがすごい、とはならないわけで。
「モニカなら圧倒的に八潮さんのバイオリンだし、RASはチュチュさんとパレオだからね」
「そうですね」
「それに、パレオのかわいさってのもね」
「かわいさ……」
常に笑顔で客席を向いて、キーボード以外でも動きで音楽を伝えてくれるところね。このかわいさが──ってこれじゃあRASの話に移行し始めてる。いやぁ本当にパレオのいるバンドはインパクトも強いし聴けばいっぱつで良さがわかるってオススメできるレベルだし、俺も実際にドツボのハマってる気がするんだよな。
「……そんなに愛されているとわかると、パレオ的には嬉しいと同時に少しだけ困ってしまいます」
「愛されてって、また語弊を生みそうな」
「あの夜の熱さがご主人様を満たして差し上げることができているというのは、口に出されると少し恥ずかしいのですよ」
「うーん、言い方もうちょっと考えてもらえるかなパレオ」
あの夜ってあれね、パレオが是非って言ってくれた最初のライブね。あれは本当にすごかったけど、ぼかすとすごくアダルトな単語に感じるんだな、日本語って不思議。俺としてはただパレオの演奏とバンドを褒めちぎっただけなのに。後ね、恥ずかしいのはわかったんだけど、下を向いてもじもじされると俺はいつか通報されるんじゃないかってヒヤヒヤしそうだから。
「……夜に中学生とイケナイ遊びでもしているの?」
「こんにちは千聖さん、お忍びデートですか?」
「あら、そんなスルースキル、いつの間に身につけたのかしら?」
「ち、ち、千聖さん……っ!」
「パレオちゃんも、こんにちは」
「は、はい……っ、ち、千聖さんですよ……オフの、推し……っ」
「ふふ、あんまりイベントに来てくれる時とリアクションが変わらないのね」
俺たちに声を掛けたのは花音さんの親友にしてこの反応の通りドルオタとしての顔を持つパレオの最推しグループ「Pastel*Palettes」の白鷺千聖さんだった。彼女は推しと言っているが箱推しなのでこの場合は文字通りの推しグループという意味になる。
普段白鷺さんがこのお店に来る時はほぼ確実に花音さんとセットだが、どうやら今日は違うらしい。ソロだなんて珍しいこともあるんですね。
「待ち合わせよ。ここならお忍びするにはちょうどいいもの」
「カレシさんでもできたんですか?」
「修斗様! 彼女はアイドルですよっ? お忍びだとしたらそんなこと否定も肯定もされずにパレオの情緒が壊れてしまう質問ですよ!」
「あ、ごめん」
「あら、そうだったとしても中学生と夜にイケナイの遊びをしているよりはとっても健全よ?」
「してません」
「パレオの妄想の中でしか」
まだ書き募らせていたのかあのとんでも設定の小説。俺はなし崩し的にパレオのご主人様なのを認めてはしまっているけどそんな中学生のメイドにいやらしいことをするという人の性格を捻じ曲げた小説を許した覚えはないからな。そういうのはせめてアニメキャラでやってくれ。三次元で妄想するならもうちょっとだけ節度を持ってほしい。
「冗談よ、日菜ちゃんと待ち合わせなの」
「日菜ちゃん……っ」
「いちいち過剰反応しないでほしいかなパレオ」
「す、すみません……」
「いいのよ、ただ……花音には内緒にしておいてくれるかしら?」
「花音さんですか? わかりました、パレオもいいね?」
「もちろんでございます、千聖さんに加えて修斗様から仰せつかった命令なら、文字通り命に変えても!」
「重いから」
内緒にしてほしいと言った白鷺さんはまるで甘く熟れた果実、しかも結構柔らかめの桃とかマンゴーとかに包丁を入れて半分にした時の香りに似た、見るもの全てを恋に堕とすような笑顔をしていた。割とこう、花音さんの前ではリラックスした笑みを浮かべている印象が多くて、ちょっとだけイタズラっぽい笑顔と言葉選びをするお姉さん、という印象だったけど。またそのどれとも種類の違う笑顔だったな。パレオ的にはどうだろうかと向かいを見ると既に目がハートマーク状態だった。魅了されてる。
「千聖さんと……あんなに近くでプライベートな会話を……ふふ、うふふふ……」
「パレオ、笑い方結構ヤバいから」
「も、申し訳ございません、しかしこの頬の緩みは……ちょっと抑えられそうにないですぅ〜」
この状態で氷川日菜さんまで見かけたらどうなるかわからないため、俺はパレオを連れて羽沢珈琲店を後にした。当然ながら八潮さんはまだ家にいるだろうから、スタジオに籠もった。BGMに適当な曲を流し、動画の編集作業でもしようかと考えていたが、そんなことを許してくれるパレオではなくて、これ幸いとばかりにウィッグを取り、黒髪になった状態でメイドからただの甘えん坊な大型犬へとジョブチェンジを果たした。
「今日は独り占めできて、嬉しいです」
「寂しかったの?」
こんなことを訊くのはどうなんだと思ったけど、結局その解けた長く美しい黒髪に手櫛を通しつつ、思った通りの言葉を向けるとパレオは首を横に振ってそれを否定した。否定してくれたのかどうなのかはちょっとよくわからないけど。思えば最近こうしてゆっくりとパレオが誰にも見せないこの状態でいるのを見てない。放置していたって言われてもおかしくないんだけどさ。
「私は、待てる子なので」
「そうだった、でもわがまま言っても俺は怒らないよ」
「本当ですか?」
「うん」
「なら、独り占めさせてください……もう少しだけでいいので」
RASとして活動をし始めたからなのか、それともやっぱり中学生の成長が早いのか、パレオは初めて会った時よりも確実に女性としてより魅力的に、そして本人が聞いたらすごく嬉しい顔をするけれど、よりかわいくなってると思う。思えばこういう女の子から少女から女性へと、羽化していく途中の姿をちゃんと見る機会はなかった。まぁ男子中学だし当然なんだけど。だからこそ今こうして目の当たりにして、どんどんと女性として美しい翅を手に入れようとしているパレオと密着しているのが、今までよりも少し、恥ずかしいというかドキドキしてしまっていた。
──ましろにはあんまりドキドキとかしないんだけどな、あの子だってちゃんと女の子として成長してるはずなんだけど、この違いはなんだなんだろうなぁ。