準備が終わってしばらくしてから、兄ちゃんが帰ってくる。そのタイミングでリビングに折りたたみの長机を出し、そこに料理を並べて兄ちゃんの誕生日を改めて一斉にお祝いしていく。クラッカーの音と、ロウソクの火を吹き消す。去年とは大違いの賑やかな誕生日に、兄ちゃんもかなり嬉しそうだ。
「まぁケーキは食べないんだけどな」
「そういうことは言わなくていいのよ」
「大丈夫、兄ちゃん専用で別のスイーツ用意してるから」
「お、なんだ?」
「唐辛子たっぷりのたこ焼きです!」
「いいね! そういうの食べてみたかったんだよ」
「罰ゲームっぽい」
「確かに」
兄ちゃんの誕生日ということでましろには申し訳ないけどメインは辛いものばかりだ。配慮して一応、一応後からスパイスを入れるものもたくさんあるが。
ところで兄ちゃんと付き合えてるってことは八潮さんも辛いものは平気なのだろうかと話を振ると悩む間もなく首を横に振って否定された。
「いいえ」
「……あれ、違うの?」
「瑠唯は味の濃いものと主張が強いもんが嫌いなんだとさ」
「そうなんだ、薄味派?」
「そう捉えてくださって構いません。もちろん、苦手だからと無闇に口に出すこともしませんが」
「なんか、ごめんね」
そもそも八潮さんがパーティに参加して泊まること事態がほぼ想定外のため、好みをリサーチすることを怠っていた。謝るとまた首を横に振って、私が主役ではないからと水を口に付けた。クールだなぁと観察していると隣にいるましろがそれに気付いて八潮さんの肩を叩いた。
「水だと辛いの、余計にひどくなるよ」
「……そのようね」
「牛乳持ってくるね」
──ましろは屈託のない笑みで八潮さんに牛乳を出していく。どうやら手を付けたチキン南蛮は八潮さんの舌には辛すぎたらしい。よく見ると額に汗を掻いていることからも、顔には出ないだけでめちゃくちゃ辛かったんだろう。それに、ましろはすかさず気付いたってわけか。
「ありがとう、倉田さん」
「ダメだよこの辺の料理、お兄ちゃん向けに作られてるからね」
「本当に……味の好みが合わないというのは、効率的ではないわね」
「そうだね、でも私、瑠唯さんが来るって思ったからコンビニで白玉ぜんざい買って来てるよ」
「いただくわね」
「うんっ」
なんというか、この二人の相性って悪いのかと思ったらそうでもないようだ。いやバンドを組んでるんだから相性が悪かったらそもそも成り立たないんだけど。徹底的な理屈と効率主義で、リアリストな雰囲気のある八潮さんに対してましろは夢想家であり、割と感情を優先しがち。衝突しそうなのにあの雰囲気はちゃんとお互いのことを思いやれてるし無理に共存しようとしている雰囲気でもない。
というか八潮さん、ましろとしゃべってる時はちょっとだけ雰囲気が柔らかい気がする。
「かわいい女の子見てニヤニヤしてる」
「兄ちゃん以外の周囲全て女の子だよ」
「それはそうだけど、あの二人が尊い……って感じのちょっとキモい視線だったよ」
「失礼がすぎる」
二人を見ていると隣に突かれる。その隣にいるひまりもかわいい女の子に入るんだけどねとは言わない。兄ちゃんと俺の周辺は赤い料理が多いが、そこから離れたひまりは普通の唐揚げを結構いい大きさなのに一口で頬張っていた。
その雰囲気と丸みを帯びた頬と瞳がげっ歯類を彷彿とさせるね。
「それ、もしかして太ったってこと……?」
「言ってないし、ひまりのほっぺが丸いのはいつものこと」
「いつも太ってるって……?」
「なんでそうなるんだ」
「シュウってそういうデリカシーのないこと言いそうだし」
「言わないよ、ちょっとお腹出てるなぁって時も言わなか──っ!」
そこでひまりから足をつままれ、反射的に背筋が伸びてしまう。その様子を見ていたつぐみが苦笑いをしつつひまりを宥めていく。
理不尽だと思いつつも、そこで怒ってたらひまりはますます不機嫌になって何が起こるかわからないため素直に謝罪すると膨らんでいた頬を戻してよろしいと笑顔に変わった。
「……ひまりって」
「なに?」
「いや、なんでもないよ」
「なーにー?」
「絡んでこないでくださいませんか」
こっちとしては先週のデート以来、ひまりの真意がわからなくて困惑してるっていうのに。今日もごく自然に隣に来て、笑ったり怒ったりして、いつもの上原ひまりだ。そんなフラットで裏表なんて言葉がないくらいのひまりの態度が、どういう感情が基礎になっているのか逆に全然見えてこないのが、ちょっとだけ困っている。ましろみたいな兄ちゃん大好きオーラみたいなのを出すような人ばっかりじゃないってことくらいは、わかってるはずなんだけど。ひまりに関してはそういうタイプであってほしいと心から願っている。
「シュウくん、ひまりちゃんとなんかあった?」
「え?」
「なんもないですよ? 先週デートして、ちょっと前にも一緒にご飯食べたし、ね!」
「あ、うん、そうだね」
「でも、うーん……私の気のせいかなぁ?」
大丈夫です、俺が勝手に一人で思考の迷路をさまよってるだけなんで。花音さんは不思議そうにしながらもひまりの態度を見て勘違いだったかもしれないと結論付けたようだ。おっとりでふわふわしているようで実は鋭い花音さんだ、俺のちょっとしたひまりに対する迷いを即座に見抜いたに違いない。
──その後は他愛のない雑談で時間は過ぎていく。兄ちゃんが何故かお酒も入ってないのに俺の小さい頃のエピソードなんかを語り始めてしまったのはちょっとどころじゃないくらい恥ずかしかったけど。
「でさ、一度一緒にこっちついてきた時に、ボロボロになって帰ってきた時はほんとびっくりでさ」
「……そんなことあったっけ?」
「あったって、その前は仲良くなってたのに急にオレの同級生となんか揉めたかなんかでさ……」
「覚えてないって」
「シュウって子どもの頃は乱暴だったってこと?」
「ケンカはダメですよ、修斗様」
覚えてないことまで話されるのは本当にどこまで真実かわかったものじゃないから。俺はテンションの上がる兄ちゃんに適宜ツッコミを入れつつ、パレオやつぐみと一緒に空いたお皿を片付け始める。デザートとしてケーキがあるからね。兄ちゃんにはお茶だけだよと言うとそうだなとなぜか嬉しそうに言われた。
「いや、いっつも楽しくなさそうにケーキ食ってたことを思い出してさ」
「そうだった?」
「むしろなんで俺は誕生日でもないのに一人でケーキ食べてるんだって言ってたこともあるくらいだ」
「……それは覚えてるよ」
両親ともにお腹いっぱいで、ケーキに手をつけなかった時だ。兄ちゃんの誕生日を祝うケーキを独りで食べるのは結構虚しかった。
でも、今日はたくさんいて、大きいサイズのケーキを買っても後悔することがないんだもんな。
──そのタイミングでみんながそれぞれ誕生日プレゼントを兄ちゃんに手渡していく。
「わたしはいつもの入浴剤です」
「つぐみのセンスは最高だからな、期待させてもらうよ」
「これ、この前シュウくんと一緒に行った時にかわいくて買ってきちゃったんだ」
「お、おう……クラゲのぬいぐるみか」
「パレオからは無難にギターのお手入れ道具一式です〜」
「助かるよ、ありがとう」
俺はつぐみと一緒に買ったコーヒー豆、ひまりはスパイシーな香りを漂わせそうなペーストの入った瓶詰め、ましろは手編みではないがこれから寒いからとマフラーを贈っていた。八潮さんは何も渡さないとは思ったけど、きっと昼の時点で何か渡してるんだろうなってことは想像に難くない。
そんなわいわいとした雰囲気の中、不意にましろが兄ちゃんの前にやってきて眉をわずかに上げた。
「お兄ちゃん」
「どうしたましろ?」
「私ね、お兄ちゃんが好き……男の人としてずっと、ずっとずっと好きだった」
「……ましろ」
──それは、おそらくましろがずっと考えてきたサプライズの正体なんだということが俺にはすぐわかった。この人数が居る場で、しかも八潮さんまでいる状態で兄ちゃんへの告白をした。
答えなんて、訊くまでもなくわかってる。兄ちゃんはましろの頭に手を乗せてかわらず、妹をあやすように微笑んだ。
「ごめんなましろ、オレにとってましろはずっと、妹みたいなやつだよ」
「うん……わかってる。それに、瑠唯さんって素敵な人がいるのに、恋人になれるなんて思ってないから」
「……倉田さん」
「瑠唯さんもごめんね、私、言えてなくて……言いたかったの、わがまま聞いてくれてありがとう」
「私にあなたを制する権利なんてない。浩介だって、それがわかったから返事をしただけ」
「そうだね」
ましろは、パレオや八潮さんにずっと相談していたんだろう。驚いていた花音さんやひまり、つぐみとは違ってパレオは少し苦しそうな顔で、八潮さんは心から申し訳なさそうにましろを見つめていたから。
八潮さんからすれば、惹かれた人がたまたま知り合いの幼い頃からの想い人だったというだけだ。責められる謂れはなくて、逆に彼女を咎める権利もない。
「……ひまり?」
「ましろちゃん……なんで、笑っていられるんだろう」
「なんでひまりが泣きそうになってるんだよ」
「だって……だって」
隣にいたひまりが一番、感化されてるみたいだ。俺の手をしっかり握って何かしらの恐怖を振払おうとするみたいに。
それは、俺にとっては疑念を確信に近づけるものだと考えることもできる。ひまりは告白をして振られたり、または告白をせずにああやって誰か別の女性と結ばれるという状況を想像しているのかもしれない。それが彼女が恋愛をしているのかしてないのかというのはまた別の話かもしれないけど。
「えへへ、でも言えてすっきりした!」
「倉田さん」
「お兄ちゃんと仲良くしてね、瑠唯さん!」
「……ええ、もちろん」
ここで本当にましろの長い初恋は一区切りされた。後のことはましろの気持ち次第だろう。つぐみとパレオがましろの傍に行き、笑顔を交わして、花音さんは少し離れたところからその様子を見つめている。八潮さんも幾分か安心したようにそっと兄ちゃんの足に手を置いた。
──この状況でひまりだけが不安そうな顔をしているんだろう。手を握り返してもリアクションがないことから相当。
「ひまり」
「な、なに……?」
「後で少し、話をしようか」
「……うん」
ましろの告白は、色んな意味でみんなに影響を与えていく。八潮さんと兄ちゃんの関係にも、そして、俺とみんなの関係にも。よくも悪くも、兄ちゃんの誕生日は俺にとって、そして俺の傍にいてくれる彼女たちにとってのターニングポイントだったんだろうなと振り返ると、そう思えた。