兄ちゃんの誕生日の一週間前、ひまりの誕生日よりさらに少し前のこと、俺は編集の休憩として羽沢珈琲店に向かった。いつもなら家の中で済ませてしまうところだけど、つぐみに休憩しに来てくれたら練習中のケーキとコーヒー用意して待ってるからと言われたら、行かないでいいやとはならないだろう。今から向かうよと連絡をして部屋着から着替えて歩いてそれほど時間のかからない商店街の喫茶店のドアを開いた。
「いらっしゃいませっ、こちらへどうぞ!」
「はは……うん」
元気なつぐみに何か言うより前に案内されてしまう。予約したみたいになってるけど、こんな優遇をされてしまって本当に大丈夫なんだろうかと心配になることもある。
水を置いてもらって、ニコニコ笑顔ですぐ持ってくるねとキッチンへと消えていくつぐみ。
頑張り屋で素直で元気で、いつもつぐみを見ると元気になるんだよなぁ。
「ちょっとしたら休憩だから、一緒の席座ってもいいかな?」
「待ってるよ」
「うんっ」
ケーキとコーヒーは、本当につぐみが練習で作ったのかと疑うような出来であると俺は感じる。そんなに美食家ってわけでもないし、舌が肥えてるって自覚もないけど、なんとなくこの習作は値段を提示されても十分すぎるおいしさを持っていると感じた。
最近ひまりに勧められた漫画の続きをスマホアプリで読みつつ、なんでもない時間を過ごしていると視界の外からつぐみとはまた違った元気さのある声を掛けられた。
「よおシュウ! 」
「巴」
「独りって珍しいな──って言ってもそういえばひまりも花音さんもバイトだったな」
「同じバイト先でしょ」
「いやアタシあんまり行けてなくて」
宇田川巴は、こう言ったら他の人たちに失礼かもしれないけど真っ当な距離感のある異性友達だ。いや花音さんはいつもの通りお姉さんって意識が強すぎて友達とは言いにくいし、ましろは逆に妹感が強い。パレオに至っては論外だし、一番友達感覚の強いつぐみやひまりも、ふと冷静になると距離的にはちょっと近いかなと思わなくはない。
その点、巴はお互いをフランクに呼び合いつつも適切な距離感を保っていられてると思う。俺が悪いのかこれ。
「どうした?」
「いや、巴とひまりの違いについて考えてた」
「アタシとひまりじゃ似ても似つかないだろ」
「いいコンビだけどね」
「そうか?」
「そうだよ」
どっちもしっかりものという感覚はないけど、お互いがお互いに補い合ってる感じがする。巴の良さとひまりの良さが二人で歩いてるとわかる的なね。
趣味とか好きな食べ物とかほぼほぼ正反対なのに不思議と波長が合うのかな。
「それは、シュウだってそうだろ」
「食べ物に関しては特にね」
「前にひまりが辛いもの食べさせられたーってハムスターみたいに膨らんでてさ」
「あー、あれね」
そんな巴との共通の話題ももちろんひまりだった。他にもつぐみやらバイトの花音さんのふえぇ集などもあるけど、一番多いのはやっぱり俺と巴が知り合ったきっかけの人物だ。
お互いの知らないひまりを知っていくのは少し気が引けるけど、巴の口からは俺の話が出るため、ひまりがしゃべってるなら俺もいいかという気持ちである。
「巴ちゃん、いらっしゃい」
「おうつぐみ! シュウは借りてるよ」
「借りてるなんて……わたしが独占してるわけじゃないからっ」
「お疲れつぐみ」
「うん」
つぐみがやってくると会話は更に加速していく。ひまりの話からアフグロの話、学校の話、三人になることで話題のバリエーションは更に豊富になっていく。
俺が特に記憶に残ってるのは『Roselia』の中でも特にかつては孤高の歌姫と呼ばれたクールビューティ、湊友希那さんのプライベートな話題が意外なことだった。
「猫、え……湊さんって普段はそんなんなの?」
「うん」
「だからかしらないけど割とモカと仲良いよな」
「す、すごく俺の中のイメージと違う」
こう、音楽に全てを捧げているというか、チュチュさんのストイックさに近い感じがあると思ってた。実際に求めるものも音楽性も高いのは事実なんだけど、そんなバンドを率いるボーカルでリーダーでもある歌姫が普段はリサさんに介護されていて、猫に目がない人だなんて普通は思わないよ。
「Roseliaって前は割とこう、近寄りがたいイメージだったんだけどな」
「リサさんは前から面倒見がいいというか、ひまりちゃんとか巴ちゃんの先輩って感じだったけど、わたしは紗夜さんがイメージ変わったかなぁ」
「ああ、あこも結成したばっかりの時より確実に優しくなってるって言ってたな」
「へぇ……なんかみんなこう、淡々とバンド続けてるもんだと思ってた」
兄ちゃんも『Roselia』は結構面白いメンツの集まりだぜみたいなこと言ってたけどその意味がようやくわかった感じだ。ミステリアスな感じのするキーボードで花女の生徒会でもある白金燐子さんは巴からの情報によるとなんとあこちゃんのゲーム仲間らしいし。あの人ネトゲするんだという驚きがあった。
「本当に人って見た目と雰囲気のイメージから想像つかないことってあるよね」
「確かにな」
俺の知るイメージと実際の違いが大きいのはましろとパレオだろうか。
ましろは見た目すごく清楚系でお嬢様な感覚がするけど中身は内弁慶で甘えん坊、そのくせ割とネガティブでテンションが下がり始めると大変なことになる。
逆にパレオはあのアッパーテンションのどこに隠してるのってくらい冷静で穏やかな──本人に言うと絶対に拗ねるから言わないけど優等生としての面をちゃんと持ち合わせている。
後は桐ケ谷さんはちょっとした衝撃だったな。あの見た目と性格で老舗呉服屋の娘でバリバリのお嬢様だっていうんだから。そんなイメージの違いで盛り上っていると、ふとつぐみが俺に質問を投げかけてきた。
「修斗くんって、学校だとどんな感じなの?」
「俺の?」
「うん、前はあんまり学校好きって感じしなかったから訊けなかったけど」
「そうだったんだ」
つぐみの言ったことは間違いじゃない。去年は特にあまり学校に馴染めてなかったと思う、いや今も学校に馴染んでるかと言ったら疑問だけど。つぐみやひまりどころか兄ちゃんにすらあんまりしゃべったことがないくらいだから相当避けてきた、避けてきたというか話題にすることがなかった。
「俺としてはあんまり変わってる自覚がないかな……」
「シュウって部活は入ってないんだよな?」
「うん、まぁ去年ですっかり入るタイミング失ったし、今年はやりたいこと多いし」
「けどひまりがシュウは暇だから困ったら誘えばいいと思ってるから適度に予定は入れといたほうがいいと思うけどな」
「あはは、でも確かにひまりちゃんばっかり優先すると困っちゃう人がいるかもね?」
「つぐみとかな」
「と、巴ちゃん!」
「好きに言ってくれたらいいんだよ、ひまりだって予定があるって言っただけで拗ねることはないし」
いや花音さんに埋められた時は流石にちょっと頬が膨らんでたような気がしなくはないけどさ。でもひまりだって俺が自分だけじゃなくてつぐみや花音さんとも出かけるような仲だって知ってるわけだし、一回くらいで腹を立てるようなやつじゃないのは確実だ。
特につぐみは普段から手伝いや生徒会、バンドで忙しいんだから。オフくらい自分の思う通りにすればいいんだよ。
「い、いいのかな……」
「アタシはどっちかの味方ってわけじゃないけど、少なくともひまりはもう
「巴ちゃん……うん」
「そのつもり?」
「はは、それは覚えてたらひまりに訊いてくれ」
「覚えてるかな……」
「アタシ的には覚えてなくても問題ないと思ってる」
「おっけ、わかった」
なんのことかな、ひまりのことだからこれからも好きな時に誘って遊びに行けると思ってるとかその辺りだろうか。
つぐみがなにやら真剣な顔をしたところで巴が思い出したかのように去年のクリスマスの話をし始めた。そういえば兄ちゃんの誕生日が終わって、ハロウィンシーズンが過ぎたらもう次はイルミネーションになり始めるのか。
「シュウは去年のクリスマスどうだった?」
「ひまりにクリスマス限定のイベントに引きずられてったね」
「な、つぐみ」
「だからあの後二人でお店に来てたんだ」
「そうそう、荷物持ち重かったよ、本当に」
今年も同じ目に遭うんだろうか。いやでも今年は兄ちゃんの誕生日に続いて盛大なパーティとかの方がいいかな。兄ちゃんはもしかすると八潮さんとデートするかもしれないけど。それでもパレオがいて、ましろがいて花音さんもひまりもつぐみもいたら、俺は割と満足かもしれない。兄ちゃんいらないって言ったらショック受けそうだね。
「だってさ、どうする?」
「どうするって巴は予定あるの?」
「アタシはまだだな」
「じゃ、じゃあ……わたしとデートって言っても、してくれる?」
「え……く、クリスマスに?」
「と、当日じゃなくてもいいんだけどねっ、ダメかな……?」
「いやダメじゃない、ダメじゃないよ!」
ダメではないけど、クリスマスって日につぐみから誘われるのが俺には予想もしてなかったからびっくりだった。
イベント事に敏感なのはひまりだからひまりからは絶対に誘われそうだなとか、またイベントでもあるかもなくらいは思ってたけど、まさかつぐみからだなんて。もちろん、嫌なわけじゃない。つぐみと他愛のないおしゃべりをしながら歩くのは楽しいっていうことは過去の経験からわかってることだから。
「わたしやひまりちゃんだけじゃなくて、花音さんも……きっとクリスマスは水族館とか特別な展示してるって言うと思うし、もしかするとましろちゃんやパレオちゃんも何かあるって言う気がするよ」
「忙しいクリスマスになりそうだな、シュウ」
「……脅かさないでよ」
それ、クリスマス周辺全部出かけるってことにならない? 今の兄ちゃんからのお小遣いと動画の収益だけで大丈夫なんだろうか、いや夏休みの時にカツカツどころか兄ちゃんが全てを察して追加でお小遣いくれたレベルだったんだよな。それ以上のスケジュールの詰め方をされたら俺は財布を一切出さないダメな男になってしまいそうだ。
「ならアタシと一緒に短期で別のバイトするか?」
「お父さんに掛け合ってみるよっ」
「ちょ、ちょっと待って……考えさせて」
バイトは多分しなきゃいけないだろう。それこそ収益が倍になれば言うことはないんだけど、そんなことになるわけがないんだよね。
選択肢があるほど伝手がありそうなのはすごく嬉しいことだけどさ。
でも再来月中旬から末が予定でうまると考えると来月にはちゃんと始めてないとどうしようもないのか。特に普通のバイトだったら月末までの給料が20日やら15日に来るんだし。
「ふふ……修斗くんとクリスマスかぁ、素敵なプレゼント用意しないとねっ」
「気合入れすぎるとシュウの胃に穴が開きそうだな」
「それは困っちゃうね……」
俺が頭を抱えているところで二人の会話から更につぐみはプレゼントまで用意してくれるつもりらしいため更にバイトの必要性が上がってしまった。なんとかして再生数が十倍くらいになるか宝くじでも当たらないかなとか生産性のないことを考え始める始末だった。
後日、花音さんからクリスマスの誘いをされた時にバイト先か絶対当たる宝くじ紹介してくださいって冗談交じりに言った時に私が全部出してあげるけどどうしても必要ならこころちゃんに頼んであげようかって笑顔で言われたため流石に遠慮しておいた。
花音さんって時々笑顔で怖いこと言うのどうにかならないかな、その後で俺が否定するとふえぇとか言うから余計に怖いんですよ。