兄ちゃんの誕生日、そしてクリスマスと続いていく中で財布の中身が心許ないと判断した俺は短期のアルバイトを探しているところだった。
だが珍しく家にやってきたチュチュさんにことの経緯なんかを雑談混じりにして今後の方針を話していると非常につまらなさそうに口にされた。
「悪いことは言わない、やめておきなさい」
「え」
「音楽の方針ではなく、アルバイトの話よ」
「……ああ、そっち?」
チュチュさんにダメ出しされたら話の流れとしてもまず動画の話かなってなるけどそうじゃなかった。
以前、彼女はRASを
「曰く、甘く見積もって考えても週で15時間くらい働かないといけないみたいで……」
「それは……確かにしんどいよね」
「ただでさえ常人の四倍やらなきゃいけないことがある上にプライベートを大事にしている状態で別のことをやったら間違いなく崩壊するって言われちゃって」
「うん、わたしもそう思うなぁ……修斗くん倒れちゃうよ?」
まさかのド正論をチュチュさんに向けられた挙げ句に、その前にバイトがどうのって相談していたつぐみも具体的な拘束時間の提示に引き気味だった。しかしそうなるといよいよ花音さんが冗談めいて──多分冗談だったと思いたい「絶対に当たる宝くじ」こと弦巻こころ様のお力を借りないといけないかもしれない。
ちなむ必要はあるかどうかわからないけど偶には、というつぐみの提案で彼女の働く羽沢珈琲店ではなくまた別のおしゃれなカフェで向かい合っていた。今日も大人っぽくてドキドキするね。
「それはそれで花音さんが喜びそうだね」
「この単語でなるべく花音さんに頼るのはやめようって思える俺は宝くじとかギャンブルが向いてないと思い知らされたよ」
「確かにね、絶対に当たるギャンブルなんてひまりちゃんだったら飛びつきそうだなぁ」
「つぐみ? それ、本人に言わないであげような」
「ん? うん」
きょとんとしないでほしい。確かにひまりはそういう傾向を感じることが出来るけど、それを悪意なく幼馴染から抉られるのはまた何か違うような気がするんだ。
──ちなみにチュチュさんに相談したら投資でもしてみたらという大してありがたくもないギャンブルを勧められたため丁寧に断っておいた。失敗した末路が怖すぎるんで。
「あ、だからってつぐみが遠慮する必要はないからね」
「そ、そう?」
「うん、なんなら全部奢ってもらおうくらいの勢いで振り回してくれて構わないから」
「それは……それは、困っちゃうよ」
苦笑い気味に言われてしまうけど、その勢いの人がいるからつぐみの遠慮に甘えているとあっという間にその隙間をかっさらっていく悪魔がいるからね。誰とは言わないけど。
つぐみには遠慮してほしくないし、ひまりはちょっとくらい遠慮してほしい。二人を足して二で割ってほしいと俺は何度思ったことか。
「そっか」
「でも」
「でも?」
「でも、そこで遠慮しちゃうからつぐみはつぐみで、遠慮してくれないからひまりはひまりなんだよね」
「修斗くん」
俺はそれが少しだけ好ましいと思う。ひまりの強引でわがままに振り回してくるところも、つぐみのそっと傍にいてくれる感じも優しい、仄かな甘味と酸味のケーキみたいなところも。ふわふわしてる花音さんや内弁慶で甘えたがりなましろも、メイド兼ペットなパレオも含めて、そこまで含めて知り合って仲良くしてくれて、大切な縁なんだって思えるんだなぁ──なんてことをふと考える。
「今の俺が、こうやって楽しいって振り返れる時間があるのはみんなのお陰だって思うからさ」
「……そうだね」
ここに引っ越してからもう一年半、本当に色々なことがあったけど、俺の中での今の日常に繋がるきっかけは兄ちゃんと一緒に羽沢珈琲店に行ったことだ。
今思えば、あの時笑顔で接客をしてくれた子とこうして二人で向かい合って別の喫茶店でゆったりとした時間を過ごすことになるなんて考えてもいなかった。
「それは──うん、わたしもそうだったよ」
「だよね」
「あの時、浩介さんと一緒にいた人とこうして……デートしちゃうようになるなんて思ってもなかった」
わざとなのか、照れたための躊躇いなのかデートという単語を溜めたことで俺の頬もその恥じらいが伝播してしまった。
けど、本当にあの頃の、そしてそれから後の関わりでもまさか「近所の喫茶店のお手伝いをしている女の子」だったはずの子とこんなに仲良くなるだなんて考えもしなかった。
今、俺がぱっと思い浮かべる仲のいい女の子というとつぐみ、ひまり、花音さん、ましろ、パレオの五人だろうか。この中で一番最初に面識を持ったのは確かにつぐみだったけど、彼女をくだらない話が出来る友人、知人の関係に置けたのは花音さんよりも後だという記憶がある。冬ごろからの知り合いであるましろとパレオを除いた三人の中で最初に知り合って、最後に友人だと感じたというと、中々変な言い回しだ。
「そうだよね、わたしの印象も、浩介さん抜きにするとひまりちゃんと仲のいい男の子だなぁって思ったこと、覚えてるよ」
「なんか、今考えると懐かしいというか、あの頃のひまりとの作戦会議は全て無駄な会話だったなぁ」
なんせひまりと羽沢珈琲店でメインに挙がっていたのは兄ちゃんとつぐみを恋人関係にしようっていうものだったんだから。つぐみの気持ちを知った今では笑い話でしかない。
つぐみもそんな俺につられて笑いながら、カップに口をつけた。
「わたし、そのことはちょっとだけまだ怒ってるからね?」
「……え」
「ん?」
「ま、マジ? なんちゃって……とか言ってくれる?」
「マジだよ?」
「ふぇえ」
あれ、笑ってたの口許だけだった。目はビタ一文笑ってなかったどころか黒いぐるぐるの渦巻きを幻視してしまうほどなんだけど。思わず知り合いの年上女子くらいしか使ってるの聞いたことのない驚き方をしてしまったよ。
それだけ怒りモードのつぐみという珍しい状態に戸惑っていると、彼女は雰囲気をいつもの優しいものに戻しながら今度は怒りを眉に表しつつケーキにフォークを刺した。
「二人して勘違いして、お陰で仲間外れだなぁって思ってばっかりだったんだから」
「ごめん」
「ううん、今は……こうして一緒にいてくれるから、大丈夫」
大丈夫、という言葉に少し力が籠もっている気がしたけど、仲間外れじゃなくなってからもパレオの一件やひまりや花音さんに振り回された夏の一幕、そして同じものを一緒につくりあげていくという関係であり精神的な妹のような存在であるましろに比べてしまえばつぐみとの時間は少ない。それを気にして九月からは二人で買い物をしたり、料理を作ったりと時間を取ってはいるものの、疎外感はあったりするんだろうか。
「……そうだ」
「うん?」
「アルバイトの件、一個だけいい方法があると思うよ」
「バイト時間確保しつつ、練習時間とこういう時間を取る方法……?」
こう言ってしまってはつぐみにも申し訳ないけど時間は有限であり、生徒会副会長とバンドと実家手伝いを両立しており、ひまりが冗談めいて「つぐは分身の術が使えるからね」と言うほどバイタリティが俺にはない。部活三つとバンドというかアイドルとモデルとバイトをこなしている北欧娘がいるらしいがあれは多分戦女神かなにかだと思ってる。
──と、そんな異次元バイタリティを持つ羽沢珈琲店コンビを思い浮かべているとつぐみは人差し指を顔の横に立てた。キャリア転職でもするの?
「スタジオやライブハウスのバイトでバンドのお手伝いをすればいいんだよ!」
「スタジオやライブハウスって……具体的には?」
「どれかは色々選択肢があると思うけど」
「あるのかな」
「修斗くんはガールズバンドの知り合い、多いでしょ?」
多いもなにも全員ですが。ただ確かにその知り合いの多さから解る通りスタジオやライブハウスなら割と点在しているし楽器ショップなんていう選択肢もある。
それでも俺が近寄らない理由は普通なら男が「バイトしたいです」と言ったところでみんなガールズバンドを顧客にしているため受け入れられにくいという問題があったから。実際に俺も三つくらいバイトの面接受けて苦い顔されてきたし。
「けど修斗くんなら」
「例えばつぐみやひまりに紹介してもらえば受かる可能性がある……と?」
「実際に働いてる男の子とかはそういう人ばっかりだってひまりちゃんが」
「……そうなんだ」
音楽のスキルアップのためにバンド系のバイトをするというのは確かにいいのかもしれないけど、果たしてそう上手くいくんだろうか。というかうまくいくならとっくにチュチュさんが口利きしてくれそうという妙な安心感がある。でもあの子はやめておきなさいってきっぱり言ってるんだよなぁ。
雑用とか受付メインだったら楽器どころか音を聴く機会すら与えられないわけだしな、実際のところ。
「う……わたしたちがプロならなぁ、お手伝いしてもらってお給料払えるんだけど」
「プロだったらフリーでも無い限り事務所のサポートがあると思う」
「……そ、それもそっか」
いい方法ではあっただろうけど、またもや手詰まりになってしまった。
解決こそしなかったものの話し合えたことで少しまた違った視点を得られたことに感謝して、俺はつぐみと帰路についていく。
本当の最終手段は申し訳ないけど兄ちゃんに交渉ということで話がまとまりかけていたところだった。
「あ、シュウくん、つぐみちゃん」
「花音さん」
「どうかしたんですか?」
「ちょっと迷子になっちゃって……羽沢珈琲店が見えたからもしかしたらシュウくんに会えるかなぁって」
どうやらバイト帰りに迷子になったらしい花音さんに遭遇した。花音さんも今日俺とつぐみが別の喫茶店に行ってることを知っていた、というかおすすめの喫茶店を教えてくれたのが花音さんなんだけど──その事情を知ってたから待っていたらしい。いいタイミングでしたね。
「送っていきますよ」
「うん、ありがとう」
「つぐみはどうする?」
「……わたしも一緒に行く、いいですよね花音さん?」
「もちろん」
少し遠回りをして帰ることになり、三人の会話になっていく。話すことは目前に迫った兄ちゃんの誕生日、そしてひまりの誕生日から11月を挟んで定期試験なんかを越えたらすぐクリスマスと年末、冬休みが始まること。
その中で花音さんにもチラッと愚痴を言っていたからか、すぐにその話題になった。
「シュウくん、大丈夫そう?」
「いやぁ、大丈夫じゃないんですよ……これが」
「そうだよね、そもそも楽器のメンテナンスも普通じゃないでしょ?」
「そこは、ちょっと支援してくれてる人がいるので……なんとかなってるんですけど」
兄ちゃんとチュチュさんのことです。チュチュさんは相談してその結論へと導いた手前の義理というかそこまでして初めてアドバイザーなのよ、とか言ってパレオを通して。兄ちゃんは事務所と提携してるメーカーさんのお試し品を横流ししてくれている。大丈夫なのかと問いかけたけど転売してるわけじゃないからと笑っていた。
「で、わたしはバンドのお手伝いとかスタジオでお仕事したらどうかなって言ってはみたんですけど、難しいですね」
「お手伝い……お手伝いかぁ」
「スタジオじゃ音楽に触れる機会が確実とは限らないし、手伝いでバイトに給料出してくれる太っ腹なアマチュアバンドなんてこの世界には存在しないからね」
「そうだよね」
「……あるよ」
「え?」
「お手伝いでバイトしてくれたら給料出してくれるような太っ腹なアマチュアバンド、私は一つだけ知ってるよ」
諦観を込めてつぐみと笑い合っていると花音さんはとんでもないことを言い出した。
そんなミラクルでハッピーなガールズバンドがこの世界に存在すると言うんですか? いやいや、でもそのバンドが今バイトを募集しているかどうかはまた別では? そんな冗談のような発言に否定の言葉が口から出るけど花音さんはふわりとした笑顔をこっちに向けてそのバンドの名前を告げた。
「ハロー、ハッピーワールド! って言うんだけどね」
「え……え?」
「ハロハピ……花音さんのバンドに?」
「うん、ちょうど11月から12月、みんなが揃いにくくなっちゃうからさ……こころちゃんに伝えておいてあげるよ」
「か、花音さん……!」
「期待しておいてね」
こういう時は本当に花音さんは頼れるお姉さんという雰囲気だ。
まるで迷子になって俺とつぐみに送られているという状況を感じさせない頼もしさで花音さんはそっとあざとかわいいウィンクをしてくれた。