眼の前には大きな屋敷が広がっており、花音さんに手招きされるまま入っていく。
お嬢様、という話は聞いていたし実際に「弦巻」といえば都心だろうが地方だろうが、ましてやこの国じゃなかろうが名前を聴くであろう大富豪だ。だけど俺はまだその大富豪、というスケールを測りかねていたらしい。なんでイギリスの宮殿みたいなのがこんなところに建ってるんだというツッコミから入る。
「ってか……いいんですかね、面接とか」
「こころちゃんだし」
「……前もそのフレーズ、聞きました」
そしてどうやら弦巻こころという人物は即断即決、単刀直入、という人のようで花音さんの相談に大して「いいんじゃないかしら」の一言で終わったらしい。後に現状手伝いをしている「ミサキ」という方が訊ねたところ知り合いだからということらしい。知り合いの定義がとんでもなく広い気がする。
「美咲が忙しくて来られない日もあるから、その日はお手伝いを頼みたいの!」
「その、ミサキさんは普段どういうことをしているんですか?」
「そうねぇ」
「会議を纏めたり、こころんの鼻歌を曲にしてくれてるよ!」
「ミッシェルが来れない時はDJを代わりにしてくれているよ」
「スケジュール管理とか、ハコを抑えてくれたり、スタジオ予約してくれるのも美咲ちゃんだよ」
「……超人ですか?」
どうしよう、なんだか俺の頭の中にいるミサキさんがパワータイプになっていく。というか作曲、作詞の原案がこころさんなだけで基本的な編曲等、そして代理DJ、その他マネージャー業のようなことを一手に引き受けてるのがその子ってことですか。そういやここハロハピでリーダーは弦巻こころさんだった、お察し。
「音をあわせる時はあたしが絶対いるから大丈夫……あとバイトだからそんな根本に関わる業務はさせないんで」
「……助かります。えっと、ミッシェルの都合つけるのも奥沢さんだって聞いたんだけど」
「そりゃそうだ。ミッシェルはあたしだからね」
「……えっ」
そして本人は面接する気満々──と言っても手伝ってもらう前提での面談のようなものだったわけだけど、黒髪をボブで切りそろえたちょっとあっさりめな奥沢美咲さんに正しい業務内容を教えてもらう。思ってたより普通の子っぽかったけどやっぱり超人だった。マネージャー兼ミッシェルって多分出来る人はこの世界にキミくらいしか存在しないよと言ってあげたい。
「磯村さんには特に三バカのお守りをしてもらいたいですね、ぜひ……と言っても難しいでしょうけど」
「三バカ……」
「こころ、はぐみ、薫さんの三人です」
瀬田薫さんってそっち側なんだ。ひまりから伝えられる印象や演奏してるイメージとは大違いだけど会議の様子を見学させてもらった結果はなるほどと思わず頷いてしまった。あの人残念麗人だったんだ。
そして会議が終わった後に黒い服の人達が奥沢さんの発言や普段していることを纏めたマニュアルをくれた。どうやらこころさんが最初に言っていた「美咲が忙しくて来れない日」というのはミッシェルをしている時らしい。通称三バカのみなさんは結成から一年経とうと「奥沢さん=ミッシェル」という単純な等式が成り立っていないらしい。
「じゃあ本格的に手伝ってもらうのは11月からってことで」
「うん」
「大変だと思うけど、あたしがミッシェルの時はサポートするんで」
「ありがとう」
「後は……まぁやってれば解るけど、案外楽しいから」
大変ではあるけど、楽しいは楽しいらしい。奥沢さんの薄い微笑みからもそれは伝わってきた。急にガールズバンドの手伝いがしたいだなんて男が出てきたというのに思ったより警戒されてないんだなっていう印象は、きっと花音さんやはぐみが色々と俺のことを話してくれたんだろうと思う。特に花音さんは言い切ってるからね。
──これでシュウくんとたくさん一緒にいられるね、と。
まさかの私情だったことに驚いたけど、そういうところがあるから花音さんは花音さんなんだよね。
「アフグロにも手伝い来てくれたらいいのに」
「ひまりちゃん……」
「給料払えないでしょう、そもそも美竹さんがなんて言うか」
家でひまりに報告をしたところこの反応である。すごく文句言ってくる感じで、一緒に来てる花音さんやつぐみも苦笑い気味である。そもそもアフグロはつぐみが無理だと判断してるからね。幾らリーダーとはいえ、俺に投資するほどのお金はないでしょと言うとますます不機嫌になってしまわれた。
「お金欲しさにハロハピ行っちゃって、あーやだやだ!」
「……ひまりちゃん、元はといえばひまりちゃんのせいなのもあるんだよ?」
「え?」
「え、じゃないが」
元凶がなんか言ってる。つぐみと花音に宥められ、俺にも宥められひまりは漸く納得してくれた。
その代わりに誕生日にもクリスマスにもビタ一文出さないからと宣言されたけどね。誕生日は元々出させるつもりはなかったんだけどそこで割り勘でもいいのにとか言ってくれる優しさがひまりには必要だと思う。
「カレシとかならさ、あるかもだけど男友達に全額はね」
「……シュウは男友達じゃないもん」
「なおさらでは?」
「バカ」
「……か、花音さん」
「これは、うーんシュウくんの言い方も悪いけどひまりちゃんも機嫌直して、ね?」
俺では埒が開かないと判断し助けを求めるとひまりと俺の頭に手を置いて、花音さんはあくまで笑顔ながらもいつもの圧で仲裁してくれる。ひまりはいいとして俺まで撫でられるのは、なんというか恥じらいとその他色々なものが混ざり合って複雑な気分になってしまうんですが。
「はい、シュウくんはシュウくんで、ちゃんとひまりちゃんに言ってあげて」
「……言ってあげてって」
「どうしてキミはお金が欲しかったのか、自分の口で説明しないと」
そう言って少し落ち込んでいるひまりの前に放り出される。ソファで隣合って、顔を合わせるとひまりは拗ねているのかややむくれた顔をしつつも、どこかで何かを期待しているような、なんとも言えない表情で俺を見上げてくる。
「ひまりと……ひまりだけじゃないけど、俺はみんなとの時間を大切にしたい。そのために、その時間を楽しいってめいっぱい思えるためには、バイトしなきゃいけなかったんだ」
「……なんで、ハロハピなの?」
「音楽から少しでも離れたくなくて、俺としては最善の道を選んだつもり」
「私のために?」
「ひまりちゃんだけじゃないって言ってたよ?」
「……花音さんは黙ってて」
ひまりが珍しく花音さんに向けて反論した。確かに俺はひまりだけじゃないって言ったけど、原因の七割はひまりだからいろんな意味で私のためにという質問にはそうだとしか言えない。
だから俺はゆっくりとうなずくことで肯定してみせた。
「ならしょうがないから、許してあげる」
「ありがとう……でいいよね?」
「知りません」
「花音さん?」
もしかしてひまりに黙っててと言われたのが思いの外ショックだったんだろうか、つんとそっぽを向かれてしまった。ご飯の間も花音さんは俺とは会話をしてくれなくて、というほど露骨ではなかったけど花音さんから話しかけてくることはなくて、もしかしてなんかしたのはひまりではなく俺の方なのかと思い始めたところだった。
「か、花音さん……?」
「なぁに?」
「いや、なぁにじゃなくてですね」
──帰り、いつものように花音さんを送っていくと、その二人きりの道中で突如腕を組んでくるもんだからさぁ大変。何度味わっても健全な男子たる俺には慣れることのない肘に与えられる花音さんの柔らかさ、そして中央にあるちょっとした硬いワイヤーと、おそらくリボンであろう感触、こう解説してるだけでも変態の誹りを受けそうな状態だが、ニコニコ笑顔でやめてくれそうな気配は一切ない。
「時々ね」
「……花音さん?」
「ひまりちゃんがすごく、すごく羨ましいって感じることがあるんだ」
「か、花音さんが……ですか?」
「シュウくんを振り回して、拗ねて怒ってみたり、まるでジェットコースターみたいに」
「ジェットコースター……そうすると花音さんは観覧車ですかね」
確かにひまりを遊園地のアトラクションにすると表情がコロコロ変わって気まぐれでわがままなところはジェットコースターみたいで、花音さんはゆっくり確実に回ってゆったりとした時間とその時々によって変わる景色を楽しめる観覧車、というイメージだ。他はどういう喩えがいいかな、なんてことを考えてると花音さんの足がちょっとゆっくりになった。
「観覧車かぁ……」
「花音さんといる時間は、いつもゆったりですからね」
一緒に水族館を回る時間や喫茶店でのんびりする時間、そしてこうして送っていく時間がまさに観覧車のような静かで、ゆっくりと時間が流れていくように錯覚する。だが、花音さんはすがるように俺の腕を抱き込んで頭を押し付けてくる。
「観覧車って、頂点に行く時はすごくワクワクして、景色が綺麗で楽しいけど……降りていく時間が、終わりに近づいている時もゆっくりで、それが少しさみしいよ」
「まぁ……そうですね」
「私は、おしまいにしたくない……この時間が、ずっと続けばいいなぁって思っちゃう」
「それは」
「……わがまま、だよね」
「わがままですね」
「だよね」
「でも、嫌だとは思いません」
花音さんのこういうところはむしろ俺としては好感が持てるというか、親近感というか、なんて言ったらいいのかわからないけど花音さんのそういう隙を見ることができて嬉しい。
彼女は普段はいつもにこやかで、笑顔が素敵な人だと思う。実際に出会ってしばらくは花音さんの笑顔と困り顔くらいしか知らなかったと思う。
でも今ではふとした時にヤキモチのような顔をしたり、わがままを言って寂しがってみせたり、いつも笑顔なお姉さんってだけじゃない顔を俺に見せてくれる。それが、なんだか嬉しい。
「ふふ……そっかぁ、シュウくんも成長するんだねぇ」
「どこ目線ですかそれ」
「お姉さん目線……かな?」
「なら偶には駅集合にしてみます?」
「それは、お姉さん関係なくないかな?」
「冗談ですよ」
「あ、これからバイトあって私がいる時は学校とか家まで迎えに来てもらおうかな」
「俺、ハロハピの手伝いであって花音さんのサポートじゃないんですけど」
「これもハロハピのお手伝いってことで……ね?」
「──しょうがないですね、俺に余裕がある時だけですよ?」
「やった……ありがとうシュウくん」
──観覧車はいつか終わるとしても、物足りないならもう一周してしまえばいい。
だってこうやって夜の中を二人で歩くのも、別に今日限りってわけじゃないんだから、迷子癖のある花音さんを家まで送り届けるのはもはや半分義務のようなものであって、この時間も日常の一つなんだから。
「友達に誰って聞かれたらカレシです、って言っちゃおうかな?」
「それは後で大変な誤解を生みそうなんでやめましょうね、というか女子校のど真ん前で待ち合わせるつもりなんですか?」
「門までに迷子になったことあるよ?」
「……嘘、だろ……?」
どうやら割がいい上に音楽に触れることが出来る最高条件のバイトを見つけたはいいものの、内容としては結構俺の精神的なものを削ることになるとは、まだこの時はほんのさわりしか理解出来ていなかった。いやまぁうちに入り浸る女子勢のせいで油断と慢心をしていたことは否定できないけど。