怪我による引退後に〝走ること以外の自由〟を探し、迷走しながらも前に進もうとするマックイーンのお話を書きました。

2022/12/16
pixiv版にて表紙と挿絵付きを公開致しました。
【イラストあり】自由と覇道と夢の架け橋
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=18912523
イラストレーターのおむ先生に素敵な表紙と挿絵を描いて頂きましたので、是非ご一読よろしくお願い致します。

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自由と覇道と夢の架け橋

『あなたはこれまでよく頑張りました。これからは走ること以外であれば何でも自由に好きなことをしなさい。その為の援助は一切惜しみません。あなたはメジロ家の誇りなのですから』

 

 繋靭帯炎を発症して現役引退から数年が経った今でも、ふとした時にマックイーンは祖母に言われた言葉を思い出す。今日はたまたまそれが朝食後の食器をシンクで洗っている時だった。

 

 最強のステイヤーと呼ばれ、青春のほぼ全てをレースに捧げてきたマックイーンに与えられた突然の自由。もちろんそれは〝走る以外の自由〟であり、これまで積み重ねてきたものと引き替えに得たもの。マックイーンからしたら不等価交換以外の何物でもないのだが、それでも受け入れるしかない。運命というのは、いつだって理不尽極まるものなのだから。

 

 理不尽を受け入れようと努めたマックイーンは、まずはじめに一人暮らしを望んだ。

 

 府中駅から徒歩五分。オートロック、宅配ボックス完備で築十年未満のマンション二階の角部屋。お世辞にもメジロ家の令嬢に相応しいとは言い難い極々普通の単身者向けの賃貸物件を祖母の名義で借りてもらった。メジロ家からの援助は敷金や必要最低限の家電類、引越し等の初期費用のみで月々の家賃光熱費や生活費などは全て自身で賄っている。

 

「洗い物も済ませましたし、そろそろ時間ですわね」

 

 壁にかかっている時計に目をやると、時刻は午前八時半。マックイーンは週に三日程度、朝九時から夕方十七時までのシフトで駅前のスーパーにてレジ打ちのアルバイトをしている。最初は不慣れで戸惑ったが、パートの主婦たちの支えや物覚えの良さもあり今では若手中堅の一翼を担っている。

 

「お疲れ様、マックイーンちゃん。来週もよろしくね」

 

「はい。お先に失礼致しますわ、店長」

 

 仕事を終え、帰宅途中にコンビニへ寄るのがマックイーンにとっての楽しみの一つだった。缶ビール数本とおつまみを買い、野球中継を見ながら晩酌。行動パターンが完全に中年男性のそれだが、このひと時だけは走る事を完全に忘れることが出来た。

 

 アルコールにはそこまで強くない。二本目の缶ビールに口を付けた辺りで頬は色っぽく紅潮し始める。二本目が空になる頃にはテーブルに突っ伏して寝落ちしてしまい、尿意と喉の渇きで夜中に目を覚ましては「またやってしまいましたわ」と後悔する。そこまで含めてルーティンと化していた。

 

 まさしく自堕落の極み。実家にいた頃からは想像も出来ない背徳感溢れる休日前夜の過ごし方。祖母が見たら卒倒するだろうが、マックイーンにとっては不自由を忘れることが出来る数少ない瞬間の一つでもあった。

 

 翌朝、と言っても時刻は昼前。

 

 散らかっていたテーブルを片付けた後、シャワーを浴びたマックイーンは着替えと洗濯を済ませ、ハンドバッグを持って外へと出た。

 

 天気が良い休日には散歩に出かけるのが習慣となっていた。日がな一日ただ部屋に篭っていては気が滅入るからと何となしに始めたのがきっかけで、毎回行き先はとくに決めずに気の向くままにぶらぶらと散歩するのが密かな楽しみだった。

 

 可愛い小物や服が売っている店を覗いたり、路地裏で猫を見かけたら写真を撮ってみたり。オシャレなカフェがあれば、休憩がてらに入ってみたり。

 

 同世代の一般的な女性の嗜みをなぞることで、走ること以外の自由を満喫出来ている気がした。最強のステイヤーと讃えられた過去をどこか遠くに置き去りに出来る気がした。

 

 しかし残酷なもので、それは一時の現実逃避でしかない。ふとした時に現実に引き戻される瞬間というものがある。今この場所でもそれは起こった。

 

「ねぇねぇ、来週の天皇賞は誰が勝つかなぁ?」

 

「そりゃあもちろん、三強の誰かだろ。ナリタトップロード派が周りには多いけど、でもやっぱり俺的にはテイエムオペラオーかな。なんせ去年の春秋天皇賞の覇者だし、このままの勢いで行けば、あのメジロマックイーンさえも成し得なかった記録を打ち出してくれるんじゃないかって期待しちゃうんだよなぁ」

 

 たまたま耳に入ってきた向かいの席に座っているカップルの談笑の中にさえ、過去の栄光はちらついてくるのだ。

 

 ズキンとした痛みが走り、マックイーンは口に運びかけていたティーカップをソーサーの上へと戻す。痛んだ箇所が負傷した左脚なのか、それとも心なのかは彼女自身にもわからなかった。

 

「ねぇ、あそこの席にいるの、そのメジロマックイーンさんじゃない?」

 

 女性の方がマックイーンに気づいたようで、彼氏にそれを伝えているのが耳に入った。彼氏の方もすぐにこちらを見て、椅子から立ち上がろうとしている。声をかけて来ようとしているのだろう。遂にマックイーンは居た堪れなくなり、飛び出すように店を後にした。

 

 忘れたくても忘れられない。

 逃げようとしても追いつかれる。

 

 在りし日の栄光が今の自分を未練に縛り付け、不自由を強いる。この地上にいる限り、どこにも自分の心休まる場所などない。

 

 憔悴したマックイーンがふと空を見上げると、二羽の鳥が頭上を飛んでいた。自由気ままに戯れ合うように羽ばたくその様が、在りし日の自分と友の姿に重なって見えた。

 

『ならば私は天まで駆けていきますわ!』

 

 かつて天皇賞前の記者会見の場で放った台詞が脳裏に浮かぶ。

 

(嗚呼、いっそ本当に天へと駆けていければ、今よりずっと楽になれるかも知れませんわね)

 

 ふらふらとした足取りで近くのビルの最上階へと向かったマックイーンは、不用心にも施錠されていないドアを開けて転落防止の柵に手を触れる。

 

 暖かい日差しとやや肌寒い風が実に心地良い。今この大空を自由に飛べたなら、どれほど素敵な気分になれるだろうか。

 

 うつろな瞳のまま、柵から身を乗り出そうとした直後、マックイーンを現実へ引き戻したのはスマートフォンから流れる着信音。慌ててバッグに手を突っ込み、発信先をロクに確認せず応答ボタンをタップして電話に出た。

 

「も、もしもし?」

 

「いよぉ、久しぶりィ! 突然でわりーけど、明日オマエの家に行くから!」

 

 聞き覚えのある声の主は快活明朗を一気に飛び越えて爆音に近い声量で用件だけ伝えると、半ば強制的に通話を終了させた。

 

「はぁ? ちょっ、もしもし? もしもし?!」

 

 通話前とのテンション差で増したマックイーンの混乱は、通話履歴の一番上にあった名前を見てようやく静まった。そもそも、こんな電話を寄越す知り合いはマックイーンが知る限り一人しかいない。

 

「明日って……いくらなんでも急すぎますわ。そもそもあなた、今自分がどこに住んでいるかわかってるんですの?」

 

 既に通話は強制終了させられたため、今や返事はただの独り言になってしまっている。そもそも彼女は昔から一度こうと決めたらこちらの意思などお構いなしだったことを思い出した。

 

「はぁ……帰って部屋の掃除をしなくては」

 

 諦めと同時に出た溜息が妙に強張っていた肩の力を抜いてくれていた。加えて、先程まで胸の奥で渦巻いていたわだかまりが解れていることに気づき、マックイーンは僅かに微笑むと携帯電話をバッグにしまい帰路に着いた。

 

 翌朝、マックイーンは昨日より早く家を出た。向かった先は自宅マンションから徒歩数秒ほどの距離にある駐車場。そこに停められている一台のメルセデスベンツEクラスのパタゴニアンレッドがマックイーンの愛車。半年前に普通自動車免許を取得した際に祖母が新車を一括で購入してくれたのだ。

 

 身分証代わりに取得しただけで、別段運転などする気はさらさらなかったので再三断ったのだが、祖母だけでなくドーベルやライアンといった他のメジロ家の面々からも勧められ、渋々受け取ったのだ。

 

 皆の思惑には気づいていた。わざわざ新車を。それも高級外車をプレゼントすることの意味。文字通り、足代わりに使って欲しいとの願いからだったのだろう。他者からすれば羨ましい限りだろうが、当時のマックイーンは違っていた。寧ろこの車に対して嫉妬さえ覚えていたほどだ。

 

 最高速度はウマ娘と比較にならない程速く、何よりある程度の故障であれば部品の交換でまた走れるという事実。自分の望みすべてを体現しているように見えていた。しかし、一度乗ってみるとそんなネガティブな考えはすぐに消え去った。

 

 今ではパワフルで軽快な走りにすっかり魅了され、特にこの時期はソフトトップを閉まってオープンカー状態にして走るのがとても気持ちが良い。自慢の愛車を存分に走らせるため、マックイーンは中央道から首都高を使って羽田空港へと向かった。

 

 朝の早い時間とはいえ、ゴールデンウィーク真っ只中の羽田空港は多くの人でごった返していた。特に今年は海外旅行に行く家族が多いようで、国際線ターミナルは例年よりも更に人が多いように見受けられる。この中から彼女を見つけるのは一苦労だと思い、マックイーンは電話をかけてみることにした。昨夜届いたメッセージ通りならば、もう飛行機を降りている頃であろう。

 

「マックイーン! こっちだこっちー!」

 

 通話には出ず、代わりに元気な大声で自分の名を呼ぶ一人のウマ娘が、両手に大量の紙袋を持った手をブンブンと振って早足で駆け寄ってきた。

 

「そんなに大きな声で人の名前を叫ばないでくださいます?」

 

 モデルのようにすらっとした長身と抜群のプロポーション。銀を織り込んだかのように綺麗な髪と同性でさえ見惚れるほど整った顔立ち。しかしその外見と裏腹に中身の乖離ぶりがもはや異次元レベルとまで謳われたトレセン学園一の異端児、ゴールドシップの帰国をマックイーンは諦めを込めた溜息で迎えた。

 

「わりーわりー、お土産やるから拗ねんなよ」

 

「そんなお土産だなんて。別に気を使わなくても……」

 

「一泊させてもらうのに手ぶらなんてさすがに悪いから遠慮すんなって。つまんねーもんだけど受け取ってくれ」

 

「あ、ありがとうございます。ところでこの中身はなんですの?」

 

「1/650エッフェル塔プラモ」

 

「マジでつまらないものですわね」

 

 フランスから一時帰国したゴールドシップと大量の荷物を車に詰め込み、マックイーンはベンツを走らせる。帰りはゆったり下道経由。道中、ゴールドシップが行きたいという場所へ寄り道しながら楽しくドライブ。気づけば陽もすっかり傾き始めており、府中に帰る頃には夕方になっていた。車を契約している駐車場へと停め、二人は夕食の買い物へスーパーマーケットへ向かうことにした。

 

「日本のスーパーとかひっさしぶり過ぎてテンション上がるなぁー! うひょー!」

 

「職場なんですからあんまり騒がないでくださいませ。恥ずかしい」

 

「あっ、このスナック菓子食べたい! 向こうで売ってるの見たことねーんだよコレ」

 

「わかりましたから! 買ってあげますから静かにしてくださいまし!」

 

 遊園地に来た子供のようにテンション高めなゴールドシップと、それを嗜めるマックイーン。側から見れば二人は仲の良い姉妹にも見えなくもない。突如スーパーに現れた美人ウマ娘コンビの姿は、周囲の視線を釘付けにしていた。

 

「あれ? マックイーンちゃんじゃない。珍しいわね。そちらの美人さんはお姉さんかい?」

 

 食材や飲み物を買い込み、会計へと向かったマックイーンはレジの店員に声をかけられた。同じシフトでよく一緒になるパートのおばちゃんである。慌てて訂正しようとするも、その隙を見逃すゴールドシップではない。

 

「あぁ、えっと彼女は学生時代の友人で——」

 

「どうも、マックイーンの孫です」

 

「姉の方がまだマシですわ!」

 

 他の仕事仲間たちや周囲の客の微笑みに見送られ、赤くなった顔を隠すようにマックイーンは逃げるようにそそくさと店を後にした。

 

 車に置いていた荷物を取り、ゴールドシップを連れてマックイーンは自宅のマンションへ戻った。

 

「おっじゃましまーす!」

 

「お隣の迷惑になりますから、テレビでも見て大人しくしていてくださいまし。今お夕飯の支度をしますわ」

 

「ゴルシちゃんも手伝うぜ」

 

「お客さまなんですから座っていてください。それに、実家と比べてここのキッチンは手狭ですから」

 

「久々に焼きそば食いたいから作らせてくれ。キッチン半分借りるぞ」

 

「たった数年でそんなに日本語が不自由になります?」

 

 自由のレベルが神域にまで達しつつあるゴールドシップと並んで狭いキッチンに立つ。現代時代は考えもしなかったこの瞬間が、何故かマックイーンには心地良く感じた。

 

「おーし、準備出来たし早く食おーぜ。長旅で腹減っちまったよ」

 

 ローテーブルに並べられたいくつかの皿。焼いたバゲットにガーリックオイルを染み込ませ、生ハムとカットトマト、刻んだオレガノをあしらったブルスケッタ。チェダー、カマンベール、ゴルゴンゾーラの三種のチーズ、ドライソーセージとスモークサーモンの前菜盛り合わせと彩り野菜のマリネはマックイーンが作り、その小洒落た料理たちに囲まれたど真ん中に鎮座する大皿。そこに盛られた袋麺三玉ぶんの焼きそばはゴールドシップが作ったものである。

 

「飲み物は何がよいですか? ワインなら赤も白もありますし、ビールも少しなら買い置きがありますが」

 

「それならこいつを飲もうぜ。お土産第二弾だ」

 

 ゴールドシップはそう言うと、持参した紙袋の中から一升瓶を取り出した。

 

「世にも珍しいニンジンを原料にして作られた人参焼酎だ」

 

「まぁ、美味しそう! ……って、フランスのお土産なのに何故焼酎なんですの?」

 

「こまけーことはいいじゃねーか。とりあえずカンパーイ!」

 

 マックイーンが用意したワイングラスになみなみと注がれる人参焼酎。溢さぬようゆっくりと口を付けると、フルーツのような甘く芳醇な香りが口一杯に広がった。その後でガツンとくる焼酎特有の強い風味。アルコール度数25%は伊達ではない。あまり蒸留酒を飲み慣れていないマックイーンには相当強く感じた。だが、それがいい。強い酒が入っていた方が本音や弱音といった心の奥に溜め込んだ感情を吐き出しやすいものなのだから。

 

「ねぇ、ゴールドシップ。何故あなたは卒業後にフランスに渡ったのですか? 後進の育成ならば日本に残ってでも出来たでしょうに」

 

「んー、なんつーか。やっぱ悔しかったから、かな」

 

 トレセン学園卒業前の有馬記念を最後に、ゴールドシップは引退を宣言した。現役時代は目立った怪我や故障をしなかった強靭な肉体持つゴールドシップでさえもピークを過ぎてしまえば走りのキレは衰退していく。盛者必衰はこの世の真理であり、誰にでも等しく訪れるものである。ラストランでは「現実は厳しかった」の一言だけ残し、ツチノコ探しと称して虫取り網を担いで中山レース場を後にしたあのゴールドシップの口から〝悔しい〟という言葉が出たことがマックイーンにはとても意外だった。

 

「引退レースの有馬もそうだけどよ。その前の凱旋門賞での結果がずっと心のどっかで引っかかっててさ。今更終わっちまったもんはどうしようもねーことはわかってンだけど、それでも何か出来ることはねーかって考えて出した答えが現役引退からのトレーナー転身ってワケさ」

 

「つらくはないのですか?」

 

「ん? なにが?」

 

「将来有望な後進たちを見ていて、もう自分には彼女たちのような走りは出来ないという現実を何度も思い知らされて、潰えた自分の夢を間近で見せつけられて……そんなの耐えられそうにありません。私には到底ムリですわ」

 

「そんなことねーよ」

 

 マックイーンの頭を優しく撫でながら、ゴールドシップは続けた。

 

「自分じゃ叶えられなくなったとしても、夢や想いってのは途中で形を変えたり、別の誰かが背負って走ってくれたりするもんさ。だからアタシはアタシの夢の続きの為にフランスでトレーナーやってんだ。いつかアタシの教え子が未来の凱旋門賞で優勝する姿をこの目で見るためにな。それにマックイーンの夢だって潰えちゃいないと思うぜ? 今も誰かがお前からのバトンを受け取っているはずだ。そう、たとえ——」

 

〝たとえ走れなくなってもアタシたちの夢は終わらない〟

 

 この一言が、マックイーンの心にあった呪縛を解き放った。今まで抑えていた想いが一粒、また一粒と瞳から溢れ落ちていく。

 

 初めて出会った時から、不思議な人だと思った。

 

 破天荒で性格も真逆。でも、誰よりも親近感を覚えた。自分のことを見透かされるようなことも多々あった。今だってそうだ。夢と不自由さに押し潰されそうになっていたことに誰よりも早く気づき、海を越えてわざわざ会いに来てくれた。

 

(嗚呼、そうでしたわ。この方は……)

 

 マックイーンは思い出した。

 

 やる気を出したゴールドシップは誰よりも速い。

 

 それが何だか可笑しくて、そしてとても誇らしかった。

 

「うぅ……ひぐっ……うぐっ……」

 

「泣くなよマックイーン。お前にいなくなられたらアタシが困る。お前がいなくなったら、アタシは誰とツチノコ探しに行きゃいいんだよ」

 

「ひっく……それは一人で探してくださいまし……」

 

 ひとしきりゴールドシップの胸で泣いた後、酔い潰れたマックイーンはそのまま眠りについた。

 

 翌日、マックイーンはベッドの上で目覚めた。

 

 時刻は昼過ぎ。昨晩の酒が残っているのか、やや頭が重い。二日酔い気味の鈍った体をゆっくりと起こしてリビングへ向かうも、ゴールドシップの姿はない。食器類は洗って棚へと綺麗に戻されており、片付けられたテーブルの上には一枚の書き置きが残されていた。

 

『他の奴らにもお土産配ってくる! 次また帰国したら一緒にツチノコ探しに行こうな! あと、起きたら今日のレース中継絶対見ろよ!』

 

「まったく……羨ましいくらい自由な方ですわね」

 

 左手を胸に当てて数回ほどゆっくり深呼吸を繰り返す。覚悟を決めてリモコンを手に取り、テレビの電源を入れてゴールドシップの言い付け通りチャンネルをレース中継へと合わせた。

 

 本日開催されるレースは春の天皇賞。マックイーンにとって最も因縁の深いレースの一つである。

 

 レース観戦は実に数年ぶりだったが、響き渡る歓声とファンファーレがマックイーンの記憶を鮮明に呼び起こす。風と土の匂いと足元から伝わる芝の感触。高鳴る胸の鼓動。まるで自身もスターティングゲートに立っているかのような錯覚さえ覚えた。

 

 誰もが固唾を呑んで見守る中、スターターの合図と同時に居並ぶ十二名の優駿たちが一斉に走り出す。勝利と栄光という名の一帖の盾を手にする為に。レースの様子を食い入るように見守るマックイーンの意識も彼女らと共に京都レース場を走り出していた。

 

 言わずもがな、長距離レースはスタミナ勝負。だが何よりもそのスタミナの使い所を的確に判断できる冷静さが必要不可欠。走者の判断力や冷静さを狂わせてくる難所の一つが〝淀の坂〟と呼ばれる第三コーナー付近に設けられた小高い丘のような坂道にある。春の天皇賞を二連覇した経歴を持つマックイーンはそのことを熟知していた。

 

 先団が第三コーナーに差し掛かったと同時に観戦しているマックイーンの額にじわりと汗が滲み、脚にもグッと力が入る。坂を駆け上がる際の脚への負荷はスタミナを大きく削るが、下りもまた同様に消耗が激しい。また、馬場状態や膝関節への負担も考慮しなければならないため、様々な要因を計算して最適解を導き出せるか否かで勝敗が大きく左右されると言っても過言ではない。

 

(ここからが正念場ですわ)

 

 長丁場のレースで大切な三つの要素が持久力、判断力、そして最後にものを言うのが精神力。体力の限界を迎えて極限状態となった時、最後は誰もが己との戦いとなるからだ。かつてマックイーンはその精神力の差で三連覇の夢を阻まれている。

 

 どんなに足を前へと踏み出しても外から追い抜いていったライスシャワーに追いつけず、その背中を見せられ続けた過去の自分を画面の向こうに見ていた。やはりどう足掻いても勝てない。変えられない過去から目を背けるように俯くマックイーンだったが、その視線はすぐにテレビから流れてきた大きな歓声によって画面に戻された。

 

「えっ?」

 

 マックイーンは我が目を疑った。

 

 先頭に追いつかんばかりに猛烈な勢いでグングンと上がってくる一人のウマ娘。その勇姿に在りし日の自分の姿が重なって見えたのだ。

 

 あの日、あの場所で〝こうありたい〟と願った自分自身の幻影が先頭を一気に抜き去ると、実況がその者の名を高らかに叫ぶ。

 

「テイエムオペラオーが先頭か! そしてナリタトップロード! 外からメイショウドトウでゴールイン! 勝ったのはテイエムオペラオーです! 手が上がりました! これで史上初の天皇賞三連覇!」

 

 拳を天に突き上げ、高らかに勝利宣言する世紀末覇王。去年の春秋、そして今回の天皇賞春を制し天皇賞三連覇の記録を樹立。更にはマックイーンの持つ春の天皇賞二連覇の記録に並んだ瞬間でもあった。

 

「テイエムオペラオーさん、前人未到の天皇賞三連覇達成おめでとうございます。また、春の天皇賞二連覇ということですが今のお気持ちは如何でしょうか?」

 

 ウィニングライブ前のヒーローインタビューで壇上に立ったテイエムオペラオーは、今回の勝利をこう語った。

 

「偉大な覇王であるボクに不可能はないさ。ただ、今回の偉業に関して言えば、ボク一人の力で成し得たものではないと思っている。応援してくれたファンのみんなや、今日共に競い合った十一名のライバルたちの奮闘があればこそ。そしてなによりも、かつて同じようにこの地で春の天皇賞二連覇を成し遂げたメジロマックイーン。彼女の存在がボクの中ではとても大きかったと思っている。彼女の走りはとても勉強になったよ。もしも叶うなら、彼女が成せなかった春の三連覇にも挑んでみたいね」

 

「では、現役を引退されたメジロマックイーンさんに何か言葉をかけるとしたら、今なんと言葉をかけてあげたいですか?」

 

 額に滲む汗を拭うと同時に前髪を掻き上げながら、煌めく爽やかな微笑みをカメラに向けて世紀末覇王はこう答えた。

 

「君の夢のバトン、勝手ながら受け取らせてもらったよ。今のボクがあるのは間違いなく君のおかげだ。心から感謝を述べたい。そして、今ここに宣言しようじゃないか! 君に奇跡を見せてあげられるのは帝王だけじゃない。世紀末覇王こと、このテイエムオペラオーもその一人だということを!」

 

 この一言が、マックイーンの余生を大きく変えるきっかけとなる。

 

 それから半年後、自分にもまだ何か出来ることがあると悟ったマックイーンは借りていたマンションの部屋を引き払い、実家へと戻った。

 

 やっと見つけた〝走ること以外の自由〟

 

 マックイーンは自身の考えと今後のビジョンを祖母に伝えた。孫の瞳に宿った覚悟と熱意に打たれ、厳格な祖母もマックイーンの意志を尊重すると言ってくれたのだ。

 

 今は家業を手伝いつつ、恵まれない環境に身を置いている才気溢れる若者たちへの支援活動や、ウマ娘用の最新トレーニング設備等への投資に心血を注いでいる。

 

 自分がそうしてもらったように、自分も誰かの夢の架け橋となること。それこそが今のマックイーンの夢であり、新たな人生の目標となっていた。

 

「お嬢様。ご友人からお荷物が届いております」

 

 自室で山積みとなっていた書類の整理をしていると、部屋の扉をノックしたじいやが小包みを抱えてやってきた。

 

「荷物? どなたからですの?」

 

「テイエムオペラオー様からでございます」

 

 荷物を受け取り、小包みを開けると一枚の手紙が同封されていた。マックイーンはまず手紙の内容から目を通すことにした。

 

『遅くなってしまったけど、キミへの感謝の気持ちとボクの天皇賞連覇を祝して記念品を贈らせてもらったよ。是非ともメジロ家の家宝にしてくれたまえ!』

 

 小包みの中には梱包材で厳重に包装された1/7スケールのテイエムオペラオーフィギュアが入っていた。

 

「いつぞやのゴールドシップといい、何故こうも扱いに困るものを……」

 

 諦め混じりの溜息を吐きながら、マックイーンは部屋にある木製のアンティークキャビネットのガラス扉を開ける。

 

 そこには、これまで勝ち獲ってきたレースの盾やトロフィー。かつてのチームメイトたちと撮った写真が入ったフォトフレームといった、所謂マックイーンの宝物が綺麗に飾られていた。そんな思い出の品々が並ぶ棚の一角で異彩を放っているのは素組のエッフェル塔プラモデル。マックイーンは本日新たに加わった宝物をキャビネットの中へと収めた。

 

「これから更に忙しくなりますわ。たとえ走れなくても、まだまだやれることは残っているのですから」

 

 どんなに偉大なウマ娘であっても、永遠に走れるわけではない。しかし、夢や想いは次の世代に受け継がれていく。

 

 レース場に刻まれた血と汗と涙。そして、これまで走ってきた幾つもの蹄跡の積み重ねこそが更なる偉業を成し遂げる糧となる。

 

 そして今日も先人たちの築き上げてきた偉業を越えんとする夢や想いが、未来の優駿たちを生み出していくのだ。

 

 




十七年後、宝塚記念にて一等星(テイエムオペラオー)の想いを繋いだ〝あるウマ娘〟が龍勢の如き活躍を魅せるのだが、それはまた別のお話。

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