夢路紀行抄   作:穢銀杏

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最後の平成・上

 

一月二十九日

『遺物回収』

 

 夢を見た。

 小学校四年生位の頃に使用していた机を漁り、中から数冊のノートを回収するという夢だ。

 

 ノートの中身は、夢の中でこそはっきり理解していたが、今となっては思い出せない。俗に云う黒歴史系統だったのは確かなのだが。

 

 机からはMDプレーヤーも回収された。左様、MDプレーヤー。一時期巷を席捲したが、MP3プレーヤーの登場によって瞬く間にその座を追われ消え去った、悲しき時代の遺物である。

 数は三つ。内一つはイヤホンが接続されていないにも拘らず、何らかの音声をひっきりなしに垂れ流し続けていた。どうやっても止められないので、仕方なしにそのまま鞄の底へぶち込んだ。

 

 今にして思うと、あれはあまりに儚い盛時しか迎えられなかったMDなる音楽媒体の、嘆きの声であったのだろうか。

 

 後は断片的な映像のみ。得点が三桁を超えた野球の試合。ホームに滑り込んだ私がアウト判定で試合終了。何故か緋村剣心が老人の片腕をぶった斬って血塗れになっていた。

 

 

 

一月三十日

『死してなお、ひとり』

 

 賽の河原にひとりきり。

 迎えの舟は影もなく。

 石積む子供も、崩す鬼も居やしない。

 地獄が経営破綻でも起こしたのかしらん?

 問うても答える声はなく。

 (かす)かなる、三途の川のせせらぎのみぞ響きける。

 

 ――そんな調子の、夢を見た。

 

 

 

二月三日

『雷の巣』

 

 夢を見た。

 紫電閃く夢である。それも一本や二本ではない。突如としてこの関東平野の一角に、マカライボの灯台が如き稲妻の雨が出現したのだ。

 至近距離に落ちた際、電化製品から飛び散った火花の鮮やかさを今なおはっきり記憶している。

 

 が、ありようは何てことない。

 

 酒に酔っぱらって明かりを消さずに寝た結果、ああいう夢を見ただけだ。何年かぶりの失態である。まぶしくてたまらないのも道理であった。外部環境が夢に及ぼす影響は、かくも大きい。

 

 にしても、あれっぽっちの酒でここまで酔うとは甚だ意外、加齢による体質の変化とでもいうのだろうか?

 浪費した電気代のことを考えると忸怩たる思いに囚われる。ああ、筋が痛い。

 

 

 

二月六日

『呼吸困難』

 

 夢を見た。

 電子たばこと間違えて、殺虫剤を肺に入れる夢である。

 前後に色々あったはずだが、その一事が衝撃的過ぎて憶えていない。

 ところが夢でよかったと思う間もなく、目覚めるや否や喉に違和感。粘膜がささくれ立っているような、むず痒いような感覚が水を流し込んでも癒されない。鼻をかめば黄色いものが混ざっている。嫌な感じだ。

 

『1日外出録ハンチョウ』9話で大槻が言っていたような、「『押したら風邪を引くボタン』の縁をなで回されている感覚」とは正にこれを指すであろう。

 

 思い当たる節はある。ここ数日の異様な気温の乱高下だ。しかしこれほど敏感に、影響が肉体に反映されるとはどうであろう。自分は生命としてよほど劣等なのではないかと危惧したくなる事態ではないか。

 いや、まだ発病するとは限らない。ここからでも十分取り返しは効くはずだ。さしあたり、もしものときにと常備しておいた葛根湯を服用す。

 

 

 

二月八日

『高尾? 高尾!』

 

 夢を見た。

 山に登っている夢だ。

 高尾山と呼ばれていた気もするが、登山道といい標高といい何一つ現実の高尾に似たる部位はない。あまりに険しく、またあまりに人気がなさ過ぎるのである。夢の高尾と呼ぶべきか。

 

 膝上までずっぽり埋まる雪中を、ラッセルしながらひたすら進んだ。装備は軽い。ピッケルもストックもアイゼンすら用意せぬという有様で、到底冬山を攻めるべき格好ではない。よほど山を舐めているか、さもなくば自殺志願のどちらかだろう。

 にも拘らず頂上まで到達し得たのは、ひとえに夢中の沙汰ゆえか。群峰脚底に低く、身は揚々として白雲の上に快哉を叫ぶ。我此処に至りて人間というものの総てを忘却し尽し、蒼天大自然に冥合する心地なり。――…

 

 いつから高尾はヒマラヤか、或いはアルプスの峰々と肩を並べるようになったのだろうか? この感慨を抱いていいのは、そのレベルの山の頂を征服してのけた時だけだろうに。

 

 この夢は、しっかり下山まで続いていた。その行程も尋常一様なものでなく、途中ひっきりなしに落石が降り続ける地帯があったから驚きだ。雪崩ではなく、真っ黒な岩石が滝のように落ちてくる。中には岩のくせにゴムボールよろしく跳ね回るものまであった。真に奇怪千万。

 

 そのあたりで目が覚めた。枕元の電波時計は午前七時を表示していた。

 

 

 

二月二十二日

『よろしければどうですか』

 

 夢を見た。

 献血の影響がもろに出たに違いない、とんでもない夢である。

 

 夢の中で私は例の寝台に横たわり、血抜きが完了するのを待っていた。

 空の血液パックを入れた装置にデジタル式の大きなメーターが付いており、400からスタートした表示が一秒毎に丁度3ずつ減ってゆく。それに合わせて血液パックが膨らむのを茫洋とした意識で眺めていた。

 

 やがて0を迎えると、カーテンの向こうから女性看護師がやって来て、装置よりパンパンになった血液パックを取り出した。

 

 私の心に好奇の焔がゆらめいたのはこの時である。かねてより、一度でいいからアレに触ってみたい、持ってみたいと焦がれていたのだ。

 すると、そんな私の熱が伝わりでもしたのだろうか――看護師は莞爾としてそれを差し出してきたのである。よろしければどうですか、なんて文句まで言い添えて。

 願ってもない。むろん私は頷いた。いいんですか、ありがとうございますと礼を言い、それを両手に受け取った。

 

 雲行きが変わったのは此処からである。私が受け取った物体は、なんと血液パックではなく心臓だった。

 誰の、などとは問うだに愚かだ。改めて周囲を見回せば、既に景色は一変している。

 

 明らかに手術室の中だった。私の胸腔はこじ開けられて、L字型の、何か金属製の器具によって固定され、すっかり中身を抜き取られている。なんとも寒々しい眺めであった。

 

 こんな死に方は厭だなあ、と思っていると目が覚めた。献血後の飲酒が夢見にどう影響するか、まざまざと実感させられた一夜であった。

 

 

 

二月二十五日

『狂人哀歌』

 

 夢を見た。

 正気を失わんとしてあらゆる手段を講ずれども甲斐がなく、ああ、何故俺は狂うことすら満足に出来んのだと嘆き悲しむ男の夢だ。

 

 夢野久作の読み過ぎである。先日、全集を買ったのだ。

『猟奇歌』は生田春月とは別のベクトルで魅力的な(うた)である。

 

 ――と、ここまで書いてあの言葉を思い出した。すなわち、

 

 

 病的な行動への過度の興味は、それ自体病的なものなのだ。

 

 

 という、アーサー・C・クラークが『3001年終局への旅』にて書き記したあの言葉を、だ。

 もう少し早く、そう、夢の中にいる間に思い出せていたのなら、あの男に

 

 ――大丈夫、お前さんはとっくに立派な狂人だよ。

 

 と、お墨付きを渡せたろうに。慙愧に堪えない。可哀想なことをした。

 

 

 

三月九日

『はちあわせ』

 

 夢を見た。

 海に沈む夢である。

 といっても、別段海難事故に遭ったとか、そういう負の事情に依るのではない。ヒレだのゴーグルだのボンベだのと、きちんとダイビング用の装備を整え、万全を期した上でのことだ。

 

 その海域で発見された、新種の海洋生物を撮影することが目的だった。

 映像は、ドキュメンタリー番組の制作に使われるらしい。まあ金さえきちんと払ってくれればなんでもいいさと、私はその、エイとタコの合いの子みたような「新種」とやらの生態を撮影するのに勤しんだ。

 

 背筋に言いようのない圧迫感を覚えたのは、もう少しで十分な映像が集まるという時である。振り向くと、なんと、巨大なシャチの鼻先が、指呼の間にあるではないか。

 

 奇妙な虚脱がおとずれた。

 

 地上なら、へなへなと腰を抜かして崩れ落ちていただろう。

 ああ、駄目だなと直覚した。何が駄目なのか訊かれると詰まってしまうが、とにかく駄目だと分かったのだ。

 

 立ち向かおうなんて発想は微塵も湧いて来なかった。

 

 昔、近所の小山で野犬に遭遇したことがあるが、ああいう場合――こちらの息の根を絶つのに十分な能力を備えた生物と、檻越しではなく直接(じか)に対面した場合――冗談抜きで思考が凍る。

 その時は棒立ちになっている間に野犬の方がそっぽを向いて去ってくれたが、今度の夢でも同様の展開が待っていた。シャチは私なんぞより、もっと大きくて食いでのありそうな「新種」の方へと向かって行った。

 シャチのひと噛みで身体の三分の一以上を喪失する「新種」を尻目に、漸く金縛りから解放された私は、海面目指して一心不乱に水を掻いた。

 

 そこで目が醒めた。目を閉じると今もまだ、あの群青の世界に居る心地がする。

 

 

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