夢路紀行抄   作:穢銀杏

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令和三年・下

 

五月二十七日

『蘇生の代価』

 

 夢を見た。

 

 噛み殺される夢である。

 

 ここのところ、南洋関連の古本を好んで読み漁った影響だろう。蛮煙瘴雨の人外境が、ものの見事に昨夜の夢寐に再現された。

 

 私はそこで、何かしらの調査事業に携わっていたらしい。

 半球型のコテージまで建て、拠点とし、またずいぶんと力を入れていたようだ。

 

 中で準備を整えた。

 

 バックパックに機材を詰め込み、つば広帽を目深に被って外に出る。

 河があり、モーターボートが係留されて揺れていた。

 乗り込んで、手元のボタンを押し込むと運転手がやって来る。

 

 かなり年嵩の男であった。

 

 鼻梁が常人の三倍は高く、無毛の頭部とも相俟って、その風体はこれ以上なく独特であり、当分忘れられそうにない。

 彼は一言も発することなく、こちらに視線を向けもせず、ただ黙然と席に着く。

 エンジンがかかって、船は上流に進みはじめた。

 

 水は泥で濁りきり、底の様子を窺うなど思いもよらない。岸辺にはときどき火が揺らめいて、恰も紛争地帯に居るかの如き感を与えた。

 

 やがて目的の桟橋に着く。

 

 一応礼を述べておいたが、やはり返事は皆無であった。

 

 獣道をしばらく進む。

 

 ふと気がつくと、前方わずか三~四メートルあたりの位置に大型の猫科動物がいて、四肢を踏ん張り、歯も剥き出しに、私を威嚇している最中であった。

 

 ジャガーか、ヒョウか、それともトラか。ライオンでないのは確かだが、そのあたりの見分けはちょっとつかない。

 彼、若しくは彼女の出現はまったく急で、ほとんど地面から湧き出たのかと錯覚したほどである。

 

 思考が凍った。よしんば回転を保てていても、既にどうにもならない間合いであった。獣の身体が膨張し、視界いっぱいに広がるのを、私はどこか他人事のように醒めた気持ちで見守っていた。

 

 衝撃。

 転倒。

 

 野生の本能とはこれであろうか。獣の牙は過たず、初撃で私の首筋に喰い込んでいた。

 痛みはない。

 ただ、違物感だけが強かった。

 

 目は色彩の判別を止め、風景は白と黒だけになり、そこから更に黒の面積が増えてゆく。

 死への墜落が始まったのだ。

 が、そのペースというのが、如何にも遅い。

 

 人間とは思ったよりもしぶといものだと、致命傷を負っていながらいざ死ぬまでにこんなに時間がかかるのか、どうせ希望(のぞみ)など欠片もないのに愚劣なことだと、無性に辟易したものだ。

 

 ――次に我を取り戻したとき、私は再び例の拠点の中にいて、ベッドに寝転び、湿度の高い重い空気を吸っていた。

 

 夢だったのか? いいや否。私は確かに一度死に、そしてこうして復活したのだ。

 

 その証拠に、鏡を覗けばひとまわり若返った姿の私が。

 

 これが蘇生の代価であった。次があるのをいいことにほいほい死に続けようものならば、やがて乳幼児にまで回帰して、自分でベッドから起き上がれもしなくなり、リスポーン地点で餓死を迎える破目に至ろう。

 

 その次は受精卵まで溯るのか。どっちみち数秒と生きていられまい。次の次は、もう戻りようがない以上、消滅するのみであろう。

 

 よし、次こそはしくじらぬぞと頬を叩いて気合を入れて、そのあたりで目が覚めた。

 

 幼き日、近所の山で野犬と遭遇したあの瞬間の戦慄を、久方ぶりに想起した。

 

 

 

六月十四日

『粉々に』

 

 夢を見た。

 

 砕け散った夢である。

 

 まず、私の身長が一気に15㎝以上も伸びて、196㎝になっていた。

 

 後から思い合わせると、この数字の出どころはサントリーの缶チューハイに屡々プリントされている「-196℃」とみて相違ない。

 

 常日頃、何に興味を惹かれているか、透けて見えようというものだ。

 

 が、最中に在ってはそんな考えは微塵も浮かばず。

 

 座布団を枕に寝転んで、測定結果の書かれた紙を仰ぎつつ、至って無邪気に喜んでいた。

 

 すると頭上からコツコツと、控えめなノックの音が聞こえる。

 

 見れば愛想笑いを張り付けた押し売りの顔が、窓の向こうに浮いていた。

 

 家の外壁をよじ登り、遥々ここまで来たらしい。

 

 努力に免じ、中へ招じ入れてやる。彼はさっそく鞄を下ろし、商品の陳列をしはじめた。

 

 とんでもなく時代遅れなパッケージデザインの粉せっけんとか、2リットルサイズの漂白剤とか、とにかくそういう水回りの清掃用品が多かったように思われる。私はいったい、何をそんなに洗い流したがっているのか。

 

 いぶかしがる暇もなく、景色ががらりと変化した。

 

 部屋も商人も春の霞の如く消え去り、ごみごみした、灰色っぽい駅の構内が出現(あらわ)れる。急に下腹部に焼けつくような疼きを覚え、いたたまれずにトイレを求めて駆けずり廻った。

 

 駅ならば、当然併設されているはずだろう。

 

 やがて見つけた。

 駈け込んで、しかしはたと当惑させられる。小便器が一つもない。すべて個室のみである。

 

(あっ)

 

 紫電が背筋を遡上する。気がついたのだ。そうだとも、この事態を解く鍵は一つしかない。

 どういう感覚の狂いに依ってか知らないが、私が足を踏み入れたのは女子トイレの方だったのだ。

 

(なんということだ)

 

 慄然として引き返そうとしたものの、しかし時すでに遅しであった。

 

 個室の扉の一つが開き、利用者がすっと顔を出す。

 

 目が合った。

 

 そのあたりの空気が急に、ひどく硬くて冷たい「何か」に変わったような感がした。

 

 四方三里に響かんばかりの金切り声が、その「何か」に亀裂を刻み、ガラスの如く砕き散らせる――さも劇的な、そんな光景さえ幻視する。本当に粉々になったのは、私の人生そのものだろうに。

 

 目覚めてから「夢でよかった」と胸をなでおろした例は幾度もあるが、今度のはわけても最上級だ。

 

 ああ本当に、夢でよかった。

 

 

 

九月十九日

『亜大陸』

 

 夢の中では往々にして感覚器官が鈍磨する。

 

 特に舌はその影響が顕著であろう。

 

 今朝方とても、酒瓶ほどの太さを有するソーセージに齧りついていたのだが、何の味もしなかった。

 

 そこはインドの料理屋で、いや日本にあるインド人が経営する店でなく、本当にあの逆三角の亜大陸の上に立つ、どのチェーンにも属さない、個人経営のこじんまりしためし屋であった。

 

 古い馴染みの友人二人と観光旅行の道すがら、たまたまこれを発見し、そろそろめし時、小腹も空いた、おあつらえ向きではないかねと、暖簾をくぐることにしたのだ。

 

 その結果、私は濡れた厚紙を延々咀嚼するかの如き拷問を味わわされている。

 

 そう、 されて(・・・)いる(・・)のだ。強制である。一度註文した以上、食べ残しは許されない。完食せずに席を立つのはこの店の重大なルール違反で、みだりに犯そうものならば、たちまちのうちに奥の店主が包丁振り上げ襲いかかって来るからだ。

 

 抵抗という発想はなかった。

 

 店主の戦闘力が高いというのは『シレン』にせよ『トルネコ』にせよ不思議のダンジョン界隈では常識だし、よしんば返り討ちに成功しても、どうせ次にやって来るのは怒り狂った地元住民によるリンチであろう。

 

 抜け道はない。

 正攻法が唯一の生還手段と見るべきだった。

 友人たちはとうに食事を終えている。

 彼らの手元の、何も載せない白い皿に追い立てられるようにして、私はどうにかこの難局を乗り切った。

 

 青色吐息でよろばうように店を出る。すると連れの片方が、

 

「見ろ」

 

 巖頭に立つ預言者さながらの威厳で以って、すっと彼方を指差した。

 

「あれがカラコルム山脈だ」

 

 弾かれるように頭を上げると、なるほど確かに、白雪戴く峨々たる峰が延々連なり、地平線を埋め尽くしている。

 7000m超の高山を60以上も抱え込む、荘厳なる「世界の屋根」。南極、そして北極に次ぐ、「第三の極地」をこの眼で拝んでいるかと思うと、背骨に甘美な痺れが起きた。

 

 だが、しかし、それにしても――何故ヒマラヤではなく、カラコルムを選択したのか。

 

 日ごろ目にする文字列は、前者の方が圧倒的に多いというのに。

 

 目覚めてからも、そのことばかりが不審であった。

 

 毎度々々のことながら、私は私の無意識に、首をかしげずにはいられない。

 

 

 

十一月九日

『八本脚』

 

 三日前、蜘蛛を始末した。

 

 壁に張りつき、止まっているのを発見次第、ティッシュを引き抜き、ぱっと突き出し、果たして狙い過たず、圧殺してのけたのだ。

 

 反射に等しい作業であった。

 

 残骸を検め、確かに殺ったと安心し、ゴミ袋に叩き込みにゆくすがら、ふと疑念の影が脳裏にきざす。

 

 ――はて、抹殺がタブーであったのは、朝の蜘蛛と夜の蜘蛛、いったいどちらであったろう?

 

 ひょっとして、禁忌を犯したやもしれぬ。何を弱気な、この令和の世の中にとすかさず己を叱りつけたが、ひとたび芽生えた後ろめたさは容易に拭えぬものらしい。

 

 昨晩、それが夢に出た。

 

 網戸の向こうにへばりつく、毒々しい八本脚――。

 

 記憶はそこからはじまっている。タランチュラ、と咄嗟に思った。でかい、ただひたすらにでかすぎる。私の掌、成人男性として誰恥じることなきサイズのそれを、更に上回っている。

 

(冗談だろ)

 

 猫すら容易に捕食しそうな、こんなとんでもない化け物が、日本で生まれるわけがない。大方どこぞの好事家が海の先より取り寄せて、管理を怠り、脱走させてしまったものだ。

 顔も名前も知らない奴が踏んだドジ、そのツケを、俺が支払わされている。近所迷惑も甚だしいぞふざけるな、生態系を撹乱させる地獄野郎めと思いつく限りの罵詈雑言を心の底で並べつつ、殺虫剤を取りに行く。

 

 何が相手を刺激するかわからぬ以上、抜き足、差し足で息を殺して、慎重に進まねばならなかった。

 

 目当てのモノを入手して、再び取って返したとき、既に標的の影はない。

 

「――」

 

 絶句した。

 

 心臓が喉仏のあたりまでせり上がって来たかと思った。

 

 中に侵入(はい)った? まさか、違う、そんな筈はないだろう。破れ(・・)動き(・・)も見当たらぬ、網戸は先刻そのままだ、きっと勝手に離れて去っていったのだろうさ。――

 

 予測というより、ほとんど祈りに近かった。そして大概、祈りとは、踏み躙られるために存在している。

 

 果たせるかな、私の瞳は捉えてしまった。本棚と壁の僅かな隙間に、丁度、まさに、隠れんとする毛むくじゃらの節足を――。

 

 そのあとはもう、狂乱である。

 

 隙間めがけてひたすらスプレーを噴射するうち、気付けば夢は覚めていた。

 

 北枕は不吉、二人箸は下品、めしは二度に分けて盛れ、新しい物を夜におろすな――。

 

 三つ子の魂百までとはことのことか。幼少期に刷り込まれた禁忌に対する畏怖というのは、まことに根強い。暗示には耐性があると思っていたが、ちょっと自信が揺らいでしまいそうである。

 

 

 

十二月三十一日

『今年最後の夢模様』

 

 夢を見た。

 

「今日でよかった」、心の底からそう思わされる夢である。

 

 私は山の中にいた。

 

 雪が積もっている。膝の上までゆうに没する。完全な冬山の景である。

 

 いとも容易く人を呑み込む山中異界。斯くの如き危険地帯をなにゆえ進んでいるかというと、理由はすべて己自身の迂闊さにある。

 

 麓の世界で馬鹿をやった。血気に逸って新撰組に切り込んで、しかも返り討ちに遭い、尻尾を巻いて逃げ出したのだ。

 近藤勇に幾度か太刀を浴びせたものの、猫の毛一本ほどしか減らぬ彼のHPゲージを目の当たりにして、ああこりゃ駄目だといっぺんに気組みが挫けてしまった。

 

 せめて相手を退かせていたなら仲間内の評判もよく、俺のところで庇ってやるよ、しばらく息を殺してろと声をかけてもくれただろうが。こうも無様を晒した以上、期待するだけ愚かだろう。

 

 結果、こうしてただ独り、銀世界を掻きわけている。

 

 平地に身の置き所がない以上、頼れるのは山以外に有り得ない。

 

 少なからぬ歩数を重ねた。

 

 そうするうちに十人足らずの幼童と、それを率いる初老の紳士にかち合った。

 

 訊けば地元の小学生と、校長先生であるという。

 

 これも何かの縁でしょうと頷き合って、同道することにした。

 

 先頭には私が立った。いちばんの男盛りである以上、当然の判断であったろう。臍下丹田を意識してラッセルに勤しむ。

 

 やがて開けた場所に出た。

 

 窪地があって、その真ン中に巨大な繭が鎮座している。

 

 七色に発光しているあたり、どう見てもこの世の存在ではない。

 

「どうです皆さん、これがドクターマリオの繭ですよ」

 

 と、校長が生徒らに説明していた。

 ゴジラやキングギドラにも殴り負けない、日本が誇る怪獣なのだと。

 

 イタリアの配管工が、どこをどう取り間違えてこのような生態になったのだろうか。カオスの極みといっていい。もしこの夢が一日ズレて、つまりは明日、令和四年一月一日の初夢だったりしたならば、それこそ私は名状し難い珍奇な表情(かお)を作る破目になったろう。

 

 理解不能意味不明の反動として、明日はこう、何というか分かり易い、富士の裾野で鷹狩り装束の家康公に手ずから茄子をいただくような、とびきりの吉夢を見てみたい。

 

 

 

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