夢路紀行抄   作:穢銀杏

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令和元年・上

 

五月十三日

『オカイコサマ』

 

 夢を見た。

 しゃくしゃくと、お蚕様が葉っぱを喰らう夢である。

 

 夢の中で、私はバイクに乗っていた。現実には原チャリ以上の二輪車を運転したことなどないくせに、夢の私は器用な手つきでメタリックに黒光りするその車体を操って、やがてたどり着いたのは、横に長い灰色の建物。

 

 養蚕博物館と、確かそのように銘打たれていた。

 

 中に入ると、その名の通り養蚕にまつわるあれやこれやの展示物が並んでいる。着物、糸車、カイコガの成虫の標本。

 しかし特に目を引いたのは、一面そっくりガラス張りになった壁の向こう、山と積まれた桑の葉を齧り、丸々太った蚕の幼虫の群れである。

 

 しゃく、しゃく、しゃくと、葉を咀嚼するなんとも幽けきその音が、厚いガラスに阻まれて到底聴こえぬはずなのに、何故か私の耳にはっきり届いた。

 

 職員に頼めば、一匹取り出して掌に乗せてくれるサービスまでしていた。

 

 この博物館にはどういうわけか温泉が併設されていて、こりゃ丁度いいやと暖簾をくぐったところで目が覚めた。

 

 今でこそ果樹に席巻されてはいるものの、一昔前の山梨では養蚕が実に盛んであって、畑といえば桑畑という時代が確かにあった。

 私の生家も例に漏れることはなく、やはり養蚕を営んでいて、何百、何千という蚕が葉を齧ることで奏でられるあの儚い音色を子守唄代わりに聴きながら成長したと、かつて母が話してくれた。

 

 祖母などは繭からの糸取りも実に器用にこなせた人で、何着もの絹の着物を持参して嫁入りしたと聞いている。

 その内の一着は一度ほどかれ、仕立て直され、目下私の袢纏として冬の扶けとなっている。

 譲り受けたのは、確か大学生の頃だったか。薄いくせに防寒作用はやたらと高く、歩くたびに絹擦れの音が心地よく鼓膜をくすぐってくれる逸品だ。手触りといい艶といい、とても八十年近く前の生地とは信じられない。

 

 斯くの如き種々の知識や絹に対する思い入れやら何やらが、私にあのような夢を見せたもとだね(・・・・)だろう。

 亡き祖母の面影が慕わしい。

 

 

 

六月十日

『三本立て』

 

 夢を見た。

 紫色の空の下、『星のカービィ』シリーズに登場する無敵の砲台――正しくはシャッツォとか云う名前らしい――からの集中砲火を浴びせられる夢である。

 

 段差を利用したり、落とし穴に潜んだりしてなんとか命を繋いでいると、唐突に場面が切り替わる。気付けば私は白を基調とした浴室に在り、鏡の前でハサミを動かし、自分の髪を切っていた。

 最終的に、いい具合のスポーツ刈りになったと思う。

 ただ、右側頭部、耳から少し斜め上あたりの部分の髪が除草剤でも撒いたかの如く綺麗さっぱりなくなっているのには驚いた。その不毛地帯は歪んだ三角形を為しており、私は思わず冷や汗を流し、

 

 ――しまった、まずい、失敗した。なんたることか、これではとても外出できない。

 

 と、文字通り頭を抱えたものである。

 

 再度場面が転換したのはその時だ。私はいつの間にやら雪国に居て、ストーブを――マッチによって点火する、白い円筒状のアレである――効かせた部屋の中から外の吹雪を眺めていた。

 

 すると目の前の網戸の外に、びたあん! と張り付いたものがある。

 

 胴体だけでも私の手のひらほどもある、なんとも巨大な蜘蛛だった。

 ガラス越しに節足が蠢くのを眺めていたが、こんな怪物が万が一にも部屋の中に侵入してくれば事である。殺虫剤を取りに行き、戻ってくると蜘蛛が蜘蛛でなくなっていた。

 

 そこにいたのは、黒っぽい毛皮に身を包んだ、福々しい狸の子供に他ならなかった。

 

 なんだ、さっきのは見間違えか、そりゃあそうだ、常識的に考えてあんな大きな蜘蛛なんぞが日本に棲息するわけがない――と安堵しながら窓を開け、狸を中に入れてやる。

 寝ていた猫が途端に跳び起き、この「新入り」に向かってシャーシャーと、威嚇の声を発したところで目が覚めた。

 

 ただでさえ、熱で意識が朧になってる。

 見る夢が輪をかけて奇天烈になるのも当然だろう。

 

 

 

六月十二日

『強制労働』

 

 夢を見た。

 収容所にぶち込まれる夢である。

 

 最初、私は船の甲板に立っていた。

 

 今となっては映画の中か、どこぞのテーマパークにでも赴かねばまずお目にかかれぬ、古式ゆかしき三本マストの風帆船の甲板に、だ。

 

 周囲は暗い。夜の海を、船は滑るように進む。

 

 と、あたりの闇がにわかな盛り上がりを見せた。

 不審に思う暇もなく、その盛り上がり(・・・・・)から幾条もの光線が発射される。

 サーチライトの照射であった。

 

 いつの間に忍び寄ったのだろう、D-Dayにノルマンディーの岸辺へ雲霞の如く押し寄せた、あのLCVPにそっくりな船がこちらを完全に包囲しており、蟻の這い出る隙間もないのだ。

 

 乗り込んできた兵士達に、為す術もなく捕縛された。

 

 縄を打たれて体育館に詰め込まれたかと思うと、窓が閉められカーテンが引かれ、一切の明りが落とされて、正面スクリーンに映し出されたのは大英帝国の絢爛たる歴史を物語るドキュメンタリー映像。斯くも偉大なる我々の為に働けることを光栄に思え、いっそ感涙にむせび泣けとか、そんな趣旨だったように記憶している。

 

 その後は強制労働が待っていた。

 

 黒ずんだ皮膚の老人が、得体の知れぬ海産物を干物にする作業に従事していた。

 私はというと、コーンスープのぶちまけられた板敷の床を雑巾で以って拭かされた。

 出来栄えをチェックしに来た先輩に、拭き方が下手だと怒鳴りつけられ、なにをこの、てめえだって虜囚の分際で偉そうに、と嚇怒の炎に身を焼かれたあたりで目が覚めた。

 

『殉国憲兵の遺書』や『アーロン収容所』を読み込んだ影響だろうか?

 

 それにしても、風邪をひくといつもより、夢を見やすいような気がする。

 不幸中の幸いと言うか、怪我の功名と呼ぶべきか。なんにせよ、思わぬ恩恵があるものだ。

 

 

 

六月十五日

『心臓祭り』

 

 夢を見た。

 猟奇的な夢である。

 

 夢のなか、中学生に戻った私は教師から、耳を疑う指令を受けた。なんでも新学期を始める前に心臓を取り換える必要があるから、これで適当に見繕って来いと言うのである。

 教科書を買い揃えろとでも告げるに等しい、いともさりげない口ぶりだった。

 それで手渡されたのが、何の変哲もない鈍色の鍵。わかりましたと返答し、私は迷わず階段を下りた。

 

 鍵は、学校の地下室のものだった。中に入ればあるわあるわ、無機質な蛍光灯の輝きの下、棚という棚に陳列された心臓の数々。

 

 円筒状のガラスケースに収められ、透明な薬液にぷかぷか浮いてるいかにも(・・・・)といった風情のモノがあるかと思えば、ぞんざいにビニールぶくろに突っ込まれ、くるくると丸められただけのモノがあったりと、扱いにひどい差があった。

 透明なビニールぶくろから、膿が漏れ出て棚を黄ばませていたのが印象深い。

 

 しかしながらそれにも増して私の眼を釘付けにしたのは、心臓を格納している容器、その片隅に貼られた「採集場所」と「採集日時」を書き込むシール、そこに記入された文字という文字が悉く、「ヤーナム」であったことである。

 

 ――なんということだ。

 

 こんな代物を移植されて、果たして人間のままでいられるのか? ――と、私が戦慄したのもむべなるかな。あの呪われた古い医療の街から取り出された心臓が、決してまともなはずもないであろう。そのことを私は、知りすぎるほどに知っている。たとえ茫洋たる夢の中でも、その認識だけは揺らがなかった。

 

 さてこそ我が学び舎は、ビルゲンワースに連なるものかと底冷えするような怖気に襲われたところで目が覚めた。

 

 布団を跳ね上げ、胸に縫合痕がないのを確認したとき、私がどれほど安堵したかはちょっと筆には書き起こし難い。

 

 

 

六月二十六日

『ドラッグストアのウィッチャーゲラルト』

 

 夢を見た。

『ウィッチャー3』の主人公、リヴィアのゲラルトが日本の市街でラグビー選手に化けていた吸血鬼と死闘を繰り広げる夢である。

 やがて角を切り落とされた吸血鬼は――どういうわけかこの吸血鬼には額から、角が一本、それも瘤だらけで血管の浮き出た紫色の異形の角が突き出ていた――それまでの傲慢な振る舞いから一転、黒い靄に姿を変えて逃走を開始。

 

 ゲラルトはゲラルトで馬を呼び寄せ、それを追った。

 

 そうしてたどり着いたのがドラッグストア。騎乗したまま店内に突っ込んだゲラルトは、唖然とする客や店員を歯牙にもかけず、巧みな手綱さばきで棚や商品の合間を縫い、一つたりとて崩さなかった。

 

 再び店外に飛び出すと、そこはドラッグストアの駐車場。ちょうど出て行こうとしているトラクターがあって、その荷台にはどういうわけかドラえもん一行が乗っており、例のオープニング曲を合唱していた。

 

 そのあたりで目が覚めた。棚の隅で埃を被っている『ウィッチャー3』がたまには起動してくれと、私に抗議しにでも来たのだろうか?

 本作をクリアしてから随分経つ。そろそろ記憶も薄れてきた。また最初からやり直すのも悪くない。

 

 

 

六月三十日

『浮気者』

 

 夢を見た。

 父親が死ぬ夢である。

 風邪をこじらせぽっくり逝ってしまったと電話口で知らされて、慌てて帰省してみれば、なんたることか私を出迎えてくれたのは、馴染み深いキジトラ柄の愛猫ではなく、すわ狼かと見紛わんばかりの精悍な顔つきをした柴犬だった。

 

 驚いて母に訊ねると、なんでも父が亡くなる前に畑仕事の帰りに拾ってそのまま飼うことにしたのだと。

 一通りのことは仕込まれていると聞き、試しに掌を差し出すと、果たせるかなポンと「お手」をしてくれた。

 

 するとこいつが親父の忘れ形見になるわけか、と肉球の感触を楽しみつつ思ったところで目が覚めた。

 

 まあ、誰かが死ぬ夢を見ると逆にそいつは長生きすると俗に云うし、きっと吉夢の類だろう。……愛猫には、浮気者と叱られそうだが。

 

 

 

七月二日

『軟体動物』

 

 夢を見た。

 山の中の夢である。

 ふと気が付けば私は独り登山に勤しんでおり、強烈な斜度の鎖場を、滑落の恐怖と闘いながらひいこら喘いで攻めていた。

 やっとの思いでそこを越えると、千古斧鉞を加えざる老樹の緑のその中に、ひどく不似合いなものがある。

 

 白く明るいなまこ壁が目に鮮やかな、堂々たる武家屋敷である。

 

 鋲が打たれた、これまた立派な門の横の看板は、しかしながら主人の正気を疑わずにはいられぬものだ。

「なめくじ博物館」と、そう記されているのである。

 

 金を貰ってもこんなところに入りたくはない。ないが、残念なことにここを潜らねば頂上を踏むことは叶わぬ様子。

 ゲームに於ける強制イベントのようなものだ。諦めて入館することにした。

 

 そこで見たものの詳細を、ここに書き並べたくはない。書いてる途中で、おそらく私の精神力は限界に達する。筆を投げ出すこと請け負いである。

 

 ただ、起床してからしばらく経って、思い出したことがある。そういえば私の故郷の山梨県はその地誌に、地方病の大猖獗という陰惨な過去を持っていた。

 

 言わずと知れた、日本住血吸虫のことである。

 

 ミヤイリガイというごくごく小さな巻貝を中間宿主として発育するこの寄生虫はかつて甲府盆地で猛威をふるい、数えきれないほどの住民の体内に潜り込んではその血管を卵だらけにしたものだ。

 卵はやがて門脈をはじめ各所の血管を詰まらせる。当然、宿主は無事ではいられない。栄養障害、消化器障害を来し、手足は棒の如く痩せ細る。そのくせ腹ばかりが腹水により異常なばかりに膨張し、ちょうど地獄絵巻に描かれた餓鬼そのものの姿を呈する。

 

 最悪なのは、この寄生虫が皮膚からでも易々と人体に侵入して来ることだ。

 ミヤイリガイの棲息している水場に素足で踏み込もうものならば、ほぼ確実に入り込まれる。

 そして当時、すなわち山梨がまだ「果樹王国」でなかった頃は、甲府盆地一帯でミヤイリガイのいない水場を探す方が難しい――否、いっそ不可能事に等しいといっても過言ではない有様だった。

 

 なにしろミヤイリガイ一合につき五十銭という賞金が「官」によってかけられて、大正六年から八年かけてのべ三十八石五斗――米俵にして九十六俵――もの貝が集められたにも拘らず、総体としては一向に減る気配がなかったと記録にあるから馬鹿げていよう。

 

 私は山梨県立博物館で、パネル上に固定されたミヤイリガイの実物を見た。

 

 あんな小さなものを、いったい何万匹集めれば米俵一つぶんに届くのか。下手をすると何十万が要るかもしれない。しかもそれを九十六倍してなお、総体から俯瞰すれば雀の涙というのだから、完全に想像の埒外である。

 

 寄生虫のみならず、その中間宿主まで桁外れの繁殖力とはなんたる悪夢か。

 

 七十年以上に亘る悪戦苦闘の歴史の果てに、今でこそミヤイリガイは撲滅されて、日本住血吸虫も山梨県から姿を消したが、私の親世代には未だに当時の恐怖が色濃く残っていたらしく、命が惜しけりゃ水場に入るなと、平成生まれの私でさえも口を酸っぱくして言い聞かされたものである。

 こういう梅雨時、カタツムリに触ろうものなら、それはもう入念に石鹸で手を洗わせられた。

 そうした経験の積み重ねが、自然と私の精神の内部に軟体動物全般に対する苦手意識(トラウマ)を形成したのは間違いない。

 ミームは受け継がれたといってよかろう。教育の効果を実感している。

 

 連日の雨が、記憶のそのあたりを刺激したのか。いやはや、ひでえ悪夢を見たものだ。

 

 

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