夢路紀行抄   作:穢銀杏

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令和二年・中

 

三月四日

『車中談議』

 

 夢を見た。

 車の中の夢である。

 ふと気が付くと友人の運転する車の助手席、そこに座って雑談に興じる私が居たのだ。

 車内にはラジオも音楽もかかっておらず、ただ二人の話し声だけが響いていた。

 

 友人は私に、多年の研究の果てに見出したという真理について熱く語った。なんでも彼の言うところでは、同じアニメーション作品でもそれを視聴する環境次第で面白さに顕著な差異があらわれるという。

 

 つまり、アマゾンプライムやネットフリックス等に代表される、ストリーミング再生に依った場合と。

 手持ちのDVDやBDをプレーヤーに叩き込んで再生させる、旧来の手法に依った場合とで、だ。

 

 友人の展開した理論は電光のようにあざやかで、まさに天啓といってよく、秘め置かれし啓蒙的真実をこれほど鋭く抉り出すとは、いやはやとんだ天才もいたものだと膝を打って感嘆したのを覚えている。

 が、斯くも素晴らしき新発想の詳細は、目覚めと同時に湯を注がれた海苔のように形を失い、今では痕跡すらも残っていない。在るのはただ、何か偉大なものに触れたという感慨だけだ。

 

 いつの間にやら、我々の車は寂れた温泉街を疾走していた。

 

 窓の外では体育着姿の女生徒たちが、真面目な顔で電線からぶら下がり、腕を交互に動かすことで前へ前へと進んでゆくところであった。

 陸上部の練習中だと、何故かなんの疑問も抱かず、ごく自然にその光景を受け入れた。

 

「俺たちにも、あんな時代があったよな」

 

 今にして思うとあってたまるかと切り捨てるべきこのセリフは、しかし他ならぬ私自身の口から発せられたものなのだ。友人は深く頷いて、同調の意を示してくれた。

 

 アトラスから発売されたばかりの『ペルソナ5 スクランブル』をプレイ中であることが、或いはこの夢を形成した一大原因やもしれぬ。

 北は北海道から南は沖縄まで、日本全国をキャンピングカーで旅してまわる青春真っ盛りの主人公たちの姿には、単なる憧憬を凌駕した、なにか物狂おしい感情を掻き立てられずにはいられないのだ。

 

 それにしても、ここまであからさまに反応するとは。肉体はともかく、感受性に関しては、私はまだまだ瑞々しさを失っていないようである。

 

 

 

四月三日

『きれいにならぬ』

 

 夢を見た。

 不毛極まる夢である。

 夢の中、私は慣れ親しんだ自宅のシンクに突っ立って、ひたすら洗い物に勤しんでいた。

 

 山積する汚れた食器を、無用な水道代が嵩まぬように効率を心がけつつ雪いでゆく。

 

 ところがこれはどうしたことか、泡を落として水切りかごに置いたはずの品々が、ふと目を戻すと再びきたならしく喰い残しをこびりつかせてそこにある。

 はて、確かに洗ったはずだが――いくら首を傾げてみても、目の前の光景は変わらない。

 やむを得ず、再びシンクに叩き込み、スポンジでごしごしと磨きをかける。今度こそ大人しく綺麗になっていやがれと、念と力を籠めながら。

 

 そんな私を嘲笑いでもするかのように、同様の現象が繰り返される。

 

 いつまで経っても洗い物の総量が減じない。

 嬲られているようなものであった。

 ハムスターじゃあるまいし、延々と同じ動作の繰り返しを強いられて苦痛でないわけがない。その苦しみが、本来麻痺させられているはずの心の機能を呼び起こしもしてくれた。

 すなわち、違和感を覚えるという重要な機能を。

 

(いくらなんでも、これはおかしい)

 

 現実にこんな不思議が起きてたまるか、ひょっとすると私は目下、夢でも見せられているんじゃないか――正解にたどり着くのとほとんど同時に、私は寝床で目を開けた。

 

 夢の中で「これは夢だ」と自覚する。

 

 なにも今回が初めてではない。伝え聞くところによればこれこそ明晰夢を見る第一歩という話だが、第二歩目を踏み出せた経験はついぞない。自覚するや否や途端に夢が晴れてしまって、思うさまコントロールする暇もないのだ。

 

 今回も失敗したかと起こした体に、違和感が。

 なにやら妙に頭が重い。

 頭蓋の中身がそっくりそのまま、鉛にでも置き換えられてしまったようだ。

 

 偏頭痛との付き合いは長いが、時期が時期であるだけに、流石にちょっとぎょっとする。取り急ぎ体温計を脇に挟むと、十数秒で36.2℃を示した。

 まず、これならば、大事はなかろう。それでも用心のためにバファリン二錠をぶち込んで、私は本日、四月三日を開始した。

 

 

 

四月八日

『不思議のダンジョン“狛犬の台座”』

 

 夢を見た。

 門前町の夢である。

 神社への参道沿いに細長く形成されたその町は、歴史の滲みた土産屋などがところせましと軒を連ねて、参拝客でごった返し、あたかも縁日の趣を呈していた。

 

 ――わが国目下の情勢では顰蹙を買うに相違ない、そんな光景の只中を。

 

 どういうわけか、私は愛猫を肩に乗せ、彼女が滑り落ちないように前傾姿勢で恐縮しながら歩いていたのだ。

 私の家では伝統的に室内飼いをモットーとしているものだから、現実の彼女はすっかり外界恐怖症を罹患して、玄関が開け放たれていようとも決してその先に進もうとしない。

 よしんば抱きかかえて出たとしても、雷に打たれたように硬直し、目を丸くして爪を立てるのが関の山だ。

 あんな風に人波の中でも落ち着いて喉をゴロゴロいわせることなど、決してないと言い切れる。正しく夢ならではの沙汰であろう。

 

 時折彼女を愛撫しながら、提灯に照らされた街を歩いた。

 

 水ヨーヨーをビニールプールに浮かべている店がある。かと思いきや、生簀の中に芸者二人が正座して、寄っていきなんしと客を手招きする店が。

 水深は、正座した彼女らの膝のあたま程度まで。だいぶ浅いといってよく、その浅瀬の中を悠々と、ドジョウどもが我が物顔で遊弋している。

 

 ――ははあ、ドクターフィッシュだな。

 

 と、正体不明の合点があった。芸者の接待を楽しんでいるあいだ、足元ではドジョウどもが角質等の不要物を喰ってくれ、身も心もすっかりリフレッシュさせられるという寸法か、と。

 むろん、ドジョウにそんな習性はない。

 このあたりは明らかに、最近の読書――『外人の見た日本の横顔』の影響だろう。旅行者の語るゲイシャガールの魅力について、あまりに再三聞きすぎた。

 

 かなり心惹かれるものを覚えたが、参拝が先と誘惑を断ち切り、歩みを再開。

 途中、短いながらも隧道を通った。

 素掘りの情緒あふるる道であり、どこからか地下水が洩れているのか、地面がしとどに濡れていた。

 

 ここを抜ければ、(やしろ)は近い。指呼の間といっていい。

 

 圧倒的な存在感を伴って、重厚な木造建築が私の前に出現(あらわ)れた。

 

 ところが、これはどうしたことか。守護獣である狛犬が、一匹だけしか居ないのである。私から見て右側の、「阿形」の方が忽然と姿を消している。

 守護(まも)るべき神社を置き捨てて、いったい何処へ行ったのか。いぶかしみつつ主を失くした台座に近付く。すると何たることであろうか、隠し扉があるではないか。

 

 開けた先には、地下へと続く階段が。女神の騎士ロートレクなら、炎に向かう蛾のようだと嘲笑(わら)うだろうか。誘われるように下りた先の空間は、まこと驚くべきことに、不思議のダンジョンになっていた。

 然り、『風来のシレン』や『トルネコの大冒険』でお馴染みのアレである。探索を進めるうち、鞍馬天狗という物理攻撃の通用しない強敵が出てきて、アイテムが枯渇しかける危機に蒼褪めたところで目が覚めた。

 

 そういえば『風来のシレン』シリーズにはコッパという喋りイタチが登場し、無口な主人公に代わって周囲との折衝をこなしてくれる、よき女房役がいたものである。

 

 もう少しダンジョンの深みに潜って、たとえば伝説の民の隠れ里にでも行き当たったなら、わが愛猫も気を利かせて人語を喋り出したりしたのだろうか。そう思うと、ちょっともったいないようなことをした気分になる。

 

 

 

五月二十一日

『変態する同居人』

 

 夢を見た。

 鳥が猫になる夢である。

 

 夢の舞台は、現実の私の部屋と変わらない。そっくりそのままといっていい。枕元の時計の位置まで完全に再現されていた。

 ただ一点、明確な差異は、窓のサッシに鳥の巣が出来ていたことか。

 

 藁や枯草を組み合わせて設えられた粗末な褥。カーテンを開くなり斯くもあからさまな異物が視界に飛び込んで来たものだから、

 

(いつの間にこんなものが)

 

 流石に吃驚させれらた。

 中を覗くと、卵の殻も新しい、手のひらサイズの雛がいっぴき、身を縮ませて私の顔を見返してくる。

 

(これは殺せぬ)

 

 反射的に理解した。

 これが蜘蛛やゴキブリだったら即座に潰して終いだろうに、我ながら現金なものである。

 不法侵入者という点に於いても、また一つの生命という点に於いても、両者の間になんの違いもなかろうに。

 

(愛らしいというのは、万事得だな)

 

 雛はおそるべきスピードで成長した。

 私がちょっと冷蔵庫を調べたり、皿を洗ったりしている間にもう形態が変化している。

 

 立派な若鳩になったかと思えば、次の瞬間には何故かアヒルの姿になって、水かきのついた黄色い足でフローリングの床の上をペタペタ歩く。

 

 ふとした用事で外出し、再び帰って来てみると、奴はもう鳥類ですらなくなっていた。

 

 つややかな毛並みに、黄金の瞳。肉の付きかたも健康的で抱き心地のいい、みごとな黒猫がそこに居た。

 

 ――とうとう系統樹の枝を飛び越えやがった。

 

 目の前の奇蹟に、感動が溢れて止まらない。

 更に驚くべきことに、こいつは人語を解すのだ。背中合わせに寝転がっていたところ、

 

 ――あと一回。あと一回で、やっと仕上がる。

 

 虚空に向けて嬉しそうに囁く声を、私ははっきり耳にした。

 

 おそらくは、私が寝ていると思ってつい油断したのだろう。その迂闊さすら可憐であった。猫を相手に、私は狸寝入りをしてやった。

 

 仕上がったアレの姿というのは、いったいどんな具合だったのだろう。惜しむらくは、それを見届ける前に夢から覚めてしまったことか。声は外見に相応しく、気品のある「お嬢様」的なものだった。もし猫又にでも化けてくれたら、さだめし魔性の美しさを呈しただろうに。

 

 布団を出て暫くしてから、

 

 ――そういえば。

 

 と、古い記憶を思い起こした。そういえば小学生の時分、実家の玄関の上のところにツバメが巣を作ったことがあったなあ、と。

 

 彼らの負担にならぬよう、注意深くゆっくり戸を閉め、学校に向かったものである。

 

 あいつらの血は、その後どうなったのだろう。淘汰の運命に屈したか、それとも脈々と受け継がれ、今も何処かの空の下を変わらず飛翔しているのだろうか。

 

 願わくば後者であって欲しい。

 

 

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