笑えない女の子の話。

1 / 1
この世界の中で、笑っていられたら

人は、どういう時に笑うのだろう?

 

 

きっと、人は楽しい時に笑うものだ。

 

 きっと人は、幸せなことが訪れた時に笑うものだ。

 

 

「笑っていれば、きっと幸せはやってくる!」

 

なんて、いつかテレビの向こうでヒーローが言っていたのを覚えている。

 

 

悲しいことがあったら笑えばいいさって、そのヒーローは言っていた。別のアニメでも、今は悲しくてもいつか笑える日が来る、なんてセリフを聞いたことがある。

 

子どもたちは、その言葉を胸に刻んだまま成長していく。笑顔が幸せと繋がり、悲しみを喜びに転化して、そうやって人間は生きていく。そういうものだ。聞くまでもないくらいに、それが普通で、当たり前の世界なのだから、ここは。

 

 

だったら、『笑えない』私は幸せになってはいけないのかな。

 

 

「生きづらいなぁ。」

 

少しズレていた『お面』を直しながら、私は呟いた。

 

 

「あなたは呪われてるの。だからあなたはぜったいに人に笑顔を見せたらダメ。

 

笑ったら、あなたはその人に忘れられてしまうから。」

 

 

私の覚えている一番はじめの記憶は、『お母さん』と呼べなくなった最初の人が、不安と恐怖の混じった顔で私にそう言っていた場面だった。物心がついてすぐのことで、彼女が私の何にあたるのか、私には今でも分からないのだけれど。

 

そんなこと言われても子供には分からない。結局、私が本当に呪われているのだと気づいたのは、何かが嬉しくて、その人の前で笑顔を見せて……実際に『呪い』を見てからだった。

 

 

「誰……あなたは、誰?どこからここに入ってきたの……?」

 

 

「私の子供?そんなはずない!だって私はずっと、1人で……」

 

 

「私がおかしくなったって言うの!?違う。こんな子本当に知らない!」

 

 

私は笑顔を見せるたびに、足場が無くなるような感覚に陥ってきた。あの時の全てが失われた感覚、何が何だか分からなくて、それでも全てが否定されていく感覚は、今になってもずっと離れない。——いや、離したらダメなんだ。離したら、きっと、また何かを失うから。事実失ってきたでしょう?公園で遊んでくれた女の子を。『お母さん』や『お父さん』だった人達を。……きっと、覚えてすらいない本物の親も。

 『私が笑顔を見せた人が私のことを忘れる』なんて馬鹿げた呪いのせいで、私は生まれた時から、幸せになってはいけない。だって、幸せな時に人は笑うのだから。

 

 

でも、そう思っていても何度も笑ってしまって失い続けた。そうするうちに、笑ってしまう自分の顔が嫌いになった。

 

時間は休みなく進み続ける。その間に私はどれだけのものを失うのかを想像してみて、ひたすら怖くなったのだ。

 だからある時私は、引き取られた孤児院で、そこに置いてあったお面を付けるようになった。夏祭りや縁日で良く売っているようなお面だ。これさえあれば、自分がどんな顔や表情をしているのか見られなくて済むし、自分も見なくて済むから。

 事情の知らない孤児院の子たちや街の人達は、そんな私を見て当然不思議に思っただろうね。けれどこんな非現実な『呪い』のことなんて、言ったところで誰も信じてくれやしないし、説明するのも面倒だ。

 改めて私の身の上を思い返して、また溜息をつく。私が今いるのは街の高い所にある大きな神社で、誰にも邪魔されずに街の色んな所を見る頃が出来る、お気に入りの場所だ。

公園で遊んで楽しそうにしている子供達や、仲良く楽しそうに話しながら帰る学生達。それらを見ながら、私は改めて自身の立ち位置を認識する。この健やかで綺麗な景色の中に、きっと私はいない。私がいるのは、きっと、もっと物騒で荒んだ世界なのだろう。だから、私はここで今日もまた、私をこんな風にした神様に、そして、私が得ることが出来なかった幸せを簡単に持つことの出来る人達を呪うように、この場所で毎日、綺麗な世界を眺めるのだ。私には、そんなことしか出来ない。

 

そんなことを今日もまた思っていると、ゴーン、と大きなベルが鳴っているのが聞こえた。5時を伝える時報だ。もう夕方なのか。もうあと1週間も経たないうちに8月になるし、夏がもう始まっているのだな、と改めて感じた。

 

そろそろ帰ろうとした時、背後から声をかけられた。

 

「すいません、あの……この辺りで、向日葵が綺麗な所って、ありませんか?」

 振り返ると、そこにはカメラを持った、自分と同じ歳くらいの少年がいた。

 

「えっと、君は……」

 

「あ、あの、僕は、夏休みで祖母の家まで来ていて、じゃなくて。だから、その……この街のことをあまり知らないんです。でも、綺麗な場所があるのなら写真に撮っておきたくて……それで。」

 少し早口で語るその少年の声からは緊張とどこか熱意が感じられて、それに少し押され気味になってつい答えようとしてしまう。本当はこんなの、無視すればよかったのだけど。

「向日葵が見たいなら、あの辺りにある公園からならいっぱい咲いてるのが見れると思う。あとは、ここの神社からでも向日葵は見られると思うけど——」

「えっ、どこですか!?」

「あそこに大きな木があるでしょ? あの奥。ちょっとついてきて。」

 少年を連れて、少し歩く。確かにここは神社の裏側だし、全然人目につかないから、分かりにくい。

「あっ、ほんとだ! 綺麗だなぁ……。」

 少年がカメラのシャッターを切る。カメラは家族で持っているようなそれではなく、本職の人が使うような一眼レフで。そして何より、彼の目は輝いていて、顔には笑みを浮かべていた。

「……写真、好きなの?」

「はい、大好きです!」

 彼の返事は本当に即答で、少し驚いた。

 

「なんで?」

「あ、でも、写真自体というか、綺麗なものが好きなんですよね。中学の頃にクラスで集合写真を撮ったんですけど……。あ、ほら、あった。」

 少年は財布の中から一枚の写真を取り出した。桜の下に彼を含めたクラスメイトが写っている写真。映っている人達は、皆笑っていた。

「この写真を初めて見たとき、本当に綺麗だなって思ったんです。この桜も、クラスメイトの笑顔も。綺麗な一瞬を切り取って、一枚の写真にする……そういうのが好きで、それからずっと写真を撮っています。」

「確かに……綺麗だね。」

 

でも、そこに、私はきっと……

 

 

「……あの! もし良ければ、またこの街のことを教えてくれませんか? お姉さん詳しそうですし……。あ!でも、嫌だったら断って頂いても。」

 

「ま、いいよ。私は多分毎日この時間は神社にいるし。来てくれたら教えてあげる。」

 

 

 私がこの時快諾したのは、この少年の眩しさが自分と真反対で、だから私が彼と一定以上の距離感より近づくことがないと思ったから。別に彼になら忘れられてもいいし、良い暇つぶしになるかな、という程度の考えだった。

「ありがとうございます! あと、それと……」

「それと?」

「そのお面、近くでお祭りでもあったんですか?さっきからずっと気になっていて……。」

「……あぁ〜。」

 そうだ。あまりにもナチュラルに接してくるし、普通避けられるから忘れていた。そりゃあ気になるな。

 

 

「このお面……んー、なんて言えばいいかな……。まぁ、ファッションみたいなものって思ってくれたらいいよ。」

「ファッション?」

 

 

そう、ファッションだからさ、服みたいに身につけないと。あらわになったら、まずいからね?

 それから1週間が経った。あの後少年は欠かさず毎日神社にやって来た。正直、来ないかな、なんてと思っていた私は驚きつつ、彼を街の色んな場所へと連れて行った。川だったり、山に登ったり。あえてビルが並ぶ街の真ん中の方にも行ったりした。その度に少年はすごく目を輝かせてシャッターを切るんだ。

 そして、今日はと言うと、

「あの……これ、入って良かったんですか……?」

「んー?知らない。あ、そのお茶もらっていい?」

「あ、これ一回口付けてますけど……。」

 

 

「いやいや全然気にしないよ。」

 

 

少年が持っていたペットボトルを受け取り、そこからお茶を飲む。うん、いい感じに冷えていて生き返る。最近は暑くてたまらないから。

 

今日はそろそろ案内するところも無いからと、街の隅にある廃ビルにやって来た。廃ビルは何となく、除け者って感じがして私としては居心地がいいんだけどね。

 

 

「〜♪」

 

 

鼻歌を歌いながら一段、また一段と階段を登っていく。

「あ、それ。子供の頃で聞いたことある曲……。何でしたっけ?」

「スマイルレンジャーのテーマソング。」

「あぁー! よく見てました! 『せかいにえがおが~』ってやつ。スマイルレンジャー、好きなんですか?」

「んー、嫌いだよ?」

「え……。嫌いな曲を歌うんですね。」

「嫌いなのにさ、やけに胸に残るんだよね、この歌。

ほらほら、そんなことより、もうすぐ屋上だよ?」

 

 

お面越しでもわかる、じりじりとした光が射す方を指差して言う。そこから何段か登って、ビルの屋上にたどり着いた。吹いてくる風が心地いい。

 

自分が「綺麗な場所」と聞いて真っ先に思いついた場所は、ここだった。神社でもいいけれど、ここが1番見晴らしが良くて、街中を見渡せる。まぁ、そんなに人に勧められる場所ではないけどね。

「あ、これ——」

 君が呟き、カメラのシャッターを押した。彼が見ていたのは外の景色じゃなくて、屋上のタイルの隙間の土から生えていた、タンポポの花だった。

「8月になっても咲いてるんだ、珍しい……!」

目を光らせて、色んな角度から写真を撮る彼。

「へぇ。君はそれを撮るんだ。」

「あ、えっと……僕はこれがすごく綺麗だと思ったんです。なんていうか、生きてるって感じがして。」

「生きてるのが、綺麗?」

「はい。人のエネルギッシュな笑顔とか、力強く立つ木、あと、こうやって咲いている、小さな花だったりとか。『生きてる』って感触が、本当に良いって……それに、そういうエネルギーが、僕に元気をくれるんです。」

「ふーん……。じゃあ、このタンポポが、いま君に元気をくれた訳だ。」

「……この世界ってそういうものだと思うんです。他人が嬉しいと自分も嬉しいし、他人が悲しいと悲しいって風に気持ちが伝わりあって。それは多分、『生きてる』っていう部分で繋がり合うからなんです。人同士が、人じゃなくても互いに影響され合って生きてる世界って、自分は本当に綺麗だなって。僕はそう思うんですよね。」

 

 

 気持ちが伝わり合って、互いに影響を及ぼす世界、か。でもやっぱり、そこに私は……。

「あなたは、どんな景色が綺麗だと思うんですか?」

 彼に尋ねられる。まぁ、色んなとこに行って何となく分かってきたけれど、彼の話を聞いて、確信に近づいたな。

「今目に映る世界は、全部羨ましいくらい綺麗に見えるよ。」

 だって、そこには私が映らないから。私が悲しもうと、お面の内にある感情には誰も気づかない。私が笑っても——いや、そもそも、笑えないな。そこにいない私がきっと誰かに影響を及ぼすことも、及ぼされることもない。

 

 私がいない世界は、憎い程に綺麗なのだ。笑顔も生きるエネルギーも、それらは全部、私が持っていないものだから。

「さーて、今日も綺麗な景色を満喫したところだし、そろそろ帰ろっか?」

 まぁ、暇つぶしのつもりだったけど、それがちゃんと分かっただけでも収穫ありかな?この街のことも色々分かったし、これで終わりでも、いいかな。そう思って階段の方に向かおうとして、

「それにしては、随分寂しそうですけど……。」

 その足が止まった。

「……そう見えた?私はお面を付けてるのに、おかしな事を言うね?適当に言った?」

 少年は少し微笑見ながら、言いづらそうに言う。

「楽しんだか楽しめなかったか、たとえそれが半分で当たるとしても、そんなことを適当には言わないですよ。——写真を撮っていると、ちょっとした変化に敏感になるっていうか、何ていうか……。というか、多分そういうのは関係なく、顔に出ているのだと思います。あなたが綺麗なものを見る時は、物凄く寂しそうな目で見ていましたよね?近づきたいけど近づけない、みたいな目で……。」

「君、すごいね。本当に……そんなことまで分かっちゃうなら、お面の意味もないじゃん。」

 両手でお手上げって感じのジェスチャーをして言う。

「なんか、ごめんね?笑顔が好きな君は嫌だったかな?」

「いえ、そんなことは……。ただ、気になっただけです。多分、僕と会ってから1回も笑ってないんじゃないですか?」

「それも当たり。よく見てるね。すごい。気になる?私が笑わないわけ。」

 小さなころから交流した子は何人かいたけど、そこまで分かられたのは、もしかしたら初めてかもしれない。それも、こんなに短い期間で。んー……そこまで分かってるなら、折角だし話した方がいいのかもしれないね?信じられなかったら、それでもいいし。

「これは誰かに話した事が無いんだけど……まぁいいや。毎日欠かさず来て、それに気づいた君への私なりのささやかなプレゼント、ということにしよう。」

 そう言って、私は自分の『呪い』のこと、ついでに、今まで失ってきたもののことを全部話した。

 

『笑顔で、記憶が……』

『そりゃあ信じますよ。本気で話してくれていますから。』

 

 

『でも……記憶は消えても、あなたがその人に残したものは消えないんじゃないでしょうか?』

『さっき言った通りです。人と人とが影響を及ぼし合う。あなただって、仲間はずれじゃないはずですから。それにあなたの事を忘れた人達だって、きっと。』

『僕だってそうですよ。あなたのお陰で色んなものを見ることが出来たし、あなたからいっぱい元気を得ています。あなたから、頂いたものばかりです。』

 その日の夜。布団の中で、彼に言われたことを思い返す。歩き疲れて眠くて仕方がないはずなのに、その事を考えていたら何故か眠れなかった。

 私も、この綺麗な世界の一部になれているのだろうか。 もしそうなら、それが少しでも私がここにいていい理由にならないかな……なんていう期待と、でもそれは呪いが消えたことにならないし……という不安が頭の中でぐるぐる回って、でも、少しでも自分が、そっちの世界に入っていけたらな、なんて夢物語を想像したりして——気づいたら窓の外から朝日が漏れていた。

 ……何をずっと考えてるんだろうね、私。ダメだよ。

 結局、その日は一睡もできなかった。

 街の綺麗な場所をだいたい見せ終わった後も、何故か彼が神社に通い続けるものだから、私と彼との交流は続いていた。

 

「怖くないの?」

 と聞いた事は何回かあるけれど、

「記憶が無くなるのは怖いですけど…… それだけですよ。あなたは怖くないですからね。」

 

 と、流された。そんな言葉も、彼らしいな、と今では思うようになった。

 最初みたいに何処かに行ったりする訳でもなく、軽い世間話だったり、お互いのことについて話すのが大半だった。たまーに、一緒にどこかに行ったりもしたけど。

彼は、映像関係の専門学校に通っている最中なのだという。「将来も写真を撮る仕事がしたいなと思っています」と相変わらずの笑顔で話す彼を見たから、私は自分の将来について初めて考えることになった。考えたこともなかったのだ。私に未来なんて、ないと思っていたから。私はこれから何がしたいんだろう?普通の職業には……まず就けないだろうな。こんなお面では働けないよ。いつまでも孤児院のお世話になっている訳にもいけないし、何か、いい道があったらいいんだけど。

 

そんなことを考えている間に、気づけばいつの間にか8月も終わろうとしていた。その日は、彼が昔撮った写真を見ていた。1番初めに見た学校の集合写真だったりとか、そこの通学路に咲いた花だったりとか……。

「これは……花火大会か。綺麗だねぇ。」

「はい。自分がもともといた街の花火大会が結構大きいやつで。 こっちも花火大会とかやるんですか?」

「こっちは夏祭りで花火をやるね。この神社にも屋台が立ったりして、いっぱい人が来るんだよね。」

まぁでも……夏祭りは、自分は嫌いかな。普段静かな神社がうるさくなる上に、間近で楽しんでいるのを見せつけられる感じがするのが。自分の世界とそれ以外を分けて考えていたから、なんだか自分の居場所まで奪われる気がして……。

「あの、もし良ければなんですけど……一緒に花火を見に行きませんか?」

 ……うん、やっぱり君はそう言うよね。分かっていたよ。ちょっと怖いけど……

「うん、わかった。行こうか。」

 君とこうやって行くことで、私も少しずつ変われたら良いね。着物、あったかな。帰ったら探さないと。似合うだろうか。

 ……なんて、女の子らしく考えるようになれたのは、彼のおかげなのだろうな。

「お待たせ。待ったよね。」

夏祭りの日。待ち合わせの時間に遅れた私はちょっと息を切らして少年に言った。

「いえ……でも、珍しいですね。いつもは僕が後なのに」

「ちょっと着付けに手間取っちゃってね?こういうことするの、初めてだからさ。……花火上がるまでまだ時間かかりそう?」

「そうですね。あともうちょっと……時間がありそうです。」

「じゃあ、屋台回ろうか。」

「……そうしましょう!」

 屋台が立ち並ぶ神社はいつもの静かな様子とは打って変わって、人混みが激しく、騒がしい。遠くからは和太鼓を叩く音と、かけ声が聞こえる。多分、祭りでよくあるような盆踊りをやっているのだろう。

 周りを見れば、自分以外にもお面を付けている人もいっぱいいる。どこかに売っていたのだろう。人々のそういう姿を見ていると、いつもは感じないのに、なんだか自分が、夏祭りの風景に溶け込めているように感じた。

 

でも、それだけじゃない。例えば、それは金魚すくいで。

「えっ、これどうやってとるの? 紙で、無理じゃない……? あっ! 金魚が跳ねてお面に水が!」

「ははは。こう、ポイを水平にして取るんですよ」

 

 

射的で。

「当たったって! 当たったのになんで倒れないの?」

「へへっ、お嬢ちゃん、悔しいならもっかいやるかい?」

「やる!」

 

 

他にも、綿菓子を買った時や焼きそばを買って食べた時に。きっと私は人並みに夏祭りを楽しんで、人並みに幸せを感じているのだと思った。 だから。

 

私は、今きっとこの世界にいる。

「ところで、花火はまだ始まらないの?」

 

 

お面を少しだけ上げてさっき買ったアメリカンドッグを食べながら、少年に尋ねる。

「もう開始予定時刻は過ぎたはずなんですけど……なかなか始まりませんね。」

「ふーん。早く見たいね。 あっ、そのオレンジジュースちょーだい。」

「えっ、あっ、ちょっ!」

 

 

そう言っていつものノリで少年の持ってるペットボトルを取って、オレンジジュースを飲もうとする。さっきだってたこ焼きを一緒に食べたしたのに、なんで急に慌てて……

「……あっ。」

 

 

これ、間接キスか。と気づき、ペットボトルを持つ手が止まった。身体が熱くなり、頬が赤らんだのがわかる。少し前までは、きっと気づいたとしても、どうでもいいってそのまま飲んでただろうに。意識して飲めなくなったのは――そういうことなのだろうな。

 

胸の鼓動が早まる。恥ずかしくて、彼の方をまともに見れない。体験したことは無いけれど、『これ』が何なのかくらいは、私にも分かる。

 

 

あぁ、私は、彼のことが好きなんだな。

『長らくお待たせしました。間もなく本日の夏祭りの目玉イベント、花火大会を開催致します!』

 

 

いつもは5時のベルを鳴らすのに使われるスピーカーから花火のアナウンスが発された。突然の事で、びっくりして顔を上げる。

「始まるみたい、だね。」

「そうですね。」

 

彼がカメラを構えようとして、やめた。カメラを持つ手は、震えていた。

「……あの、今、こんなところで言うことではないかもしれませんが。」

「うん。」

「僕は、あなたと色んなとこに行けて、綺麗な景色を見れて、何だかんだ本当に楽しかったです。今までに無いくらい。」

「うん。」

 

 

彼にこの後何を言われるかも予想がついた。だって、私も今気づいたところだから。

「あなたと神社で話をできた時、一緒にいられた時、全てが幸せでした。だから、一緒に夏祭りに行けることになった時、とても嬉しくて。」

「うん。」

 

 

私は、彼のことが好きだ。彼がいたから、私は今日という日を普通の女の子みたいに楽しむことが出来た。彼が、私はここにいてもいいんだって教えてくれた。

 

 

でもね。

「僕は、あなたの事が……」

「…………ごめん。」

 

 

やっぱり、ダメなんだ。私は。私では。

 

溢れそうになる感情を抑えながら、私は逃げ出すように、その場から走り去った。

 

 

「ハァ……ハァ…………」

 走り疲れた私は、人通りのない神社の裏側にたどり着いて、そこにある大きな木にもたれかかった。花火の上がる音と人々の歓声が聞こえる。けれど、それ以上に自分の胸の鼓動の音が大きくて、止められなかった。

 

 

 ずれたお面を直し、胸を抑えながらふと前を見ると、目立たない場所に向日葵が咲いているのに気づいた。

 

「これは……」

『すいません、あの……この辺りで、向日葵が綺麗な所って、ありませんか?』

そっか、ここは……最初に君と向日葵を見た場所かぁ……。

 あの頃の記憶を思い出す。今となっては懐かしいな。あの時は、君のことなんてどうでもいいって思っていたのに。君はいつの間にか、私にとって、失いたくない大事な人になっていた。

 でも、そんな大事な人だからこそ、きっと私は失ってしまう。

 人はどういう時に笑うのか?

――人は、楽しい時に笑う。

――人は、幸せな時に笑う。

 夏祭り、普通の人として彼と過ごした時は楽しくて仕方がなくて……心から幸せだった。彼から告白された時。私は心の中では本当に嬉しくて、喜びの感情が抑えられなくて、思わず笑みが零れそうになって、怖くなって逃げ出した。

 結局のところ、そういう呪いなのだ。幸せになればなるほど、私は1人になっていく。

 好きな人のことを考えて心の平穏がかき乱される度に、抑えられない感情が溢れ出し、だから私はきっと笑顔を見せてしまう。私が笑顔でい続ける限り、仮面をつけていても、いつかはきっとボロが出る。大事な人にそれを見られて、忘れられる。そして、その絶望感は、きっと幸せが続けば続くほど、重いものになってしまうだろう。

 はぁ……ほんとに、私が君のことを好きにならなければ……最初の距離感のままずっといたのなら、きっと良かったのにな。なんて。叶わない想像をする。けれど――今の幸せは君がいないと感じられなかっただろうな。

「はぁ……はぁ……見つけた……」

 後ろから君の声がする。私を見つけるのに相当走ったらしく、息が切れている。

 うん。もう心は決めた。全部無かったことにするなら、今しかない。後に引き伸ばしても、辛いだけだから。

 最後くらいは、ありのままの私で、清々しく終わらせた方がいい。

「ねぇ、ありがとうね。こんな私と一緒にいてくれて。 ……幸せだったよ。」

「何を、言って……っ!?」

 私は君の方に振り返ると、つけているお面を外して、心からの笑顔を彼に見せた。

 笑っているはずなのに、涙が流れる。

 君の顔が強ばる。きっとあと数秒もしたら、私のことを忘れるだろう。

「ごめんね…………。」

 私は勝手な人間だ。勝手に君のことを好きになって、それでいて勝手に手放そうとするのだから。きっと、一生君のことは忘れられないだろうな。でも、君のおかげで、私はこの世界で前に進むことが出来ると思う。

 君は、私を忘れて生きていく。せめて、君が私といた記憶は消えても、私が君に残せていたものが、何1つでもあったのなら良いな……。

「大好きだよ。」

 私が最後に心の底から絞り出した言葉は、花火の音にかき消されて、君にはきっと届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん…………? ここは……?」

 

 

気がついたらそこは神社の裏だった。倒れていたのだろうか。確か、僕は、夏祭りに来て…………それで? 何か、足りないような。

 

 

その時、

 

 どーん、と、花火の上がる音と人の歓声の上がる音がして、僕は音に釣られて人の沢山いる表に出た。花火はもう既にクライマックスを迎えていて、色んな色や大きさの花火が一斉に打ち上げられていた。 それは本当に綺麗で、僕は急いでカメラのシャッターを切った。

 ――だけど、僕はもっと綺麗なものを、どこかで見たことがある気がする。

 それはこの花火のように本当に綺麗で、最後にようやく見られた、心から溢れ出た、笑顔のような……そんな何かだった気がして、でも、思い出せなかった。心の中に穴が空いたような感覚が残って、そして――。

「泣いているのか、僕は……。」

 色んな感情が何故か溢れ出て、涙が止まらなくなったのだ。

 

 

その後、学校を卒業した僕は、写真家として色んな場所に行って、風景を写真に収めた。

 けれど、記憶に残らない『それ』を超える綺麗なものは、見つからなかった。

 

 

そしてある時、自宅でアルバムを整理していると、かつての夏にあの街で撮った写真がいくつか見つかった。神社の向日葵の写真、廃墟で撮ったタンポポの写真……夏祭りの、花火の写真。どれを見ても、やはり、何かが抜け落ちた感覚だけがやけに頭に染み付いていて。だから僕は休みを取って、再びあの街に行った。

 

 

しかし、そもそも何か分からないものを探すなんて無理な話だ。写真にある神社や廃墟に行ってみても何も分からないままで――せめて今後のインスピレーションの元になるかもと街の美術館に立ち寄って……そして、見つけた。

 それは、『この世界の中で、笑っていられたら』と名付けられた、公園で遊ぶ子供たちと、隅に咲く向日葵が描かれた絵だった。

 

初めて見る絵だった。だけれど、ずっと空いていた心の中の穴が埋まるような感覚がした。何かを思い出したわけじゃない。でも、ただ嬉しかったのだ。

だって、『彼女』は、この世界の中で生きているのだと、確信できたのだから。

[了]


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。