「あの、隊長。少しお時間よろしいでしょうか?」
隊首執務室でお仕事中、外から遠慮がちに声が掛けられました。
あら、この特徴的な渋い声は……
「どうぞ、お入りください」
「はい、失礼します」
入室してきたのは予想通り、伊江村三席でした。
……え? 皆さんご存じありません?
撫でつけた髪型と、眼鏡を掛けていない方がカッコいいんじゃないかと噂されています。あと声が渋くてカッコいいです。
性格は至って真面目で、失礼な言い方をすると"中間管理職がかなり似合う"隊士です。
とまあ、変な言い方こそしましたが。
三席に選ばれるだけあって霊圧も高いですし、回道も得意なんですよ。
一応、四番隊全体で見ても回道が三番目――いえ、
うん、三番目くらいに上手です。
「伊江村三席、何か異常でもありましたか?」
「いえ、そういうわけではなく。ただ、隊長に許可をいただきたくて」
「許可?」
「はい……実は、
「あの子から?」
戸隠ちゃんかぁ……
登場したのって、ずいぶん前よね……私が昔、探蜂さんの大手術をしたときに一緒にいたメンバーの一人なんだけど、もう絶対に覚えてないわよね……
あの頃は十八席だった彼女も、出世して八席になっています。
伊江村三席が班長を務める救護隊の、副班長を務めているのが彼女です。
『全然関係ない話でござるが!!』
わっ、ビックリした!! なに、急にどうしたの!?
『現在の三番隊では、
やめて! 言えば言うほど泥沼だから!!
まあ、良い機会だから紹介しておきましょう。
射干玉が言ったように、吉良君が
彼は私が霊術院で教師やるより前に死神になってたから、あんまり知らないんだけど。
だって私の場合は、三番隊の副隊長って聞くと未だに
七番隊の射場副隊長のお母さんよ。
体調が悪くなって死神を続けられなくなったの。勿論、私が治療に担ぎ出されました。体調不良そのものは治したけれど、そうでなくても、かなりのお歳でしたから……
――とと、話が逸れちゃったわね。
「それで、何の話なの?」
「その……彼女が四番隊の敷地内に薬草園を作りたいと……」
「薬草園!? まあ、彼女らしいというか何というか……」
戸隠八席は、薬学系の知識にかなり明るいからねぇ。
あの子はちょこちょこ、新薬を調合したり既存の薬の配合比率を変えて効果を向上させたりとかしています。
薬学系の知識だけなら、私も舌を巻くほど。霊圧はちょっと低めだけど、この一芸だけで上位席官にまで上り詰めたほどよ。
「でもなんで今頃になって? 作りたいなら、卯ノ花隊長の頃でも問題なかったと思うけれど?」
「それがどうやら、最近になって新種の薬草を見つけたとかで……」
なるほど。つまり――
「……その新種を実験したいから、四番隊の敷地で実験したいってこと?」
「い、いえ……その、それは……」
ほんの少しだけ霊圧を強めに放ちつつ、真剣な目つきで尋ねれば、伊江村三席はたじろいだように一歩下がりました。
「四番隊の敷地内で実験するから、あわよくば費用も四番隊の予算から計上しちゃおうって魂胆かしら?」
「あ……うあ……」
「卯ノ花隊長だと断られそうだから、私が隊長になったタイミングで話を通そうとしたってことよね?」
「ちょ、ちょっとお待ちください隊長!!」
泣きが入ったわね。まあ、このくらいにしておきましょう。
「冗談よ、冗談」
「……へ!?」
それまでまとっていた霊圧を霧散させ、にっこり笑顔で手を振ります。
「戸隠八席の薬学知識は四番隊なら誰だって知ってるから、断る理由も特にないわよ」
「お、驚いた……勘弁してくださいよ隊長……」
恐怖でずり落ち掛けた眼鏡を直しつつ、ハンカチで額にびっしり浮かんだ汗を拭いながら、彼は安堵の息を大きく吐き出しています。
「大体、私を含めた隊士の中には、隊長が十一番隊に行った当時のことを克明に覚えているのも多いんですから……その隊長に詰め寄られるなんて、本気で殺されるかと思いましたよ……」
「あら、半分くらいは本気よ」
途端、汗を拭う手がピタリと止まりました。
「戸隠八席の知識は評価しているけれど、薬草園を作るとなれば話は別よ。四番隊に益が出るとわかれば、予算を計上するのもやぶさかではないわ。だからまずは、彼女にしっかりとした計画書を作って持ってくるように言って。それを見て、私が判断するから」
「は、はいっ!」
「趣味の延長で終わるのか、それともちゃんとした隊の活動になるか。彼女がどのくらい本気で考えているかも含めて、それとなく気にしておいてね」
「ご指導、ありがとうございます!!」
そう言うと彼は退出していきました。
「…………驚きました……」
「あら、何が?」
同じ部屋の中で仕事をしていた勇音が、目を丸くしながら私を見ています。
「その、なんというか……」
「真面目なことを言ったから?」
「はい……あ、いえ、そうじゃなくて!!」
思わず頷きかけてから、慌てて否定する副官が可愛くて仕方ありません。
「いいのいいの。今までは大体が私個人の責任でなんとかなる範囲の話だったから、笑って済ませていたのよ。ただ四番隊の敷地を使うとなると、ちょっと話が違ってくるから。対応も真面目な物にならざるを得なかったの」
各部隊の敷地には、隊長の権限で好きな建物を建てたりできます。
なので隊長権限で"エスティックサロン"な設備をドカンと建設しても問題ありません。
まあ、あくまで建設できるだけで、あまりに私的で横暴なことをすると怒られますけど。
逆に言うと"隊長権限で大きくて立派な戦闘訓練施設を建てる"とかは、その隊に所属する隊士たちにも利があるので容易に受け入れられて、上も怒りません。
「今回は、ちょっと業務にも関係してきそうだったから厳しめにしただけ。これが"個人の趣味で家庭菜園を作りたい"とかなら、そこまで目くじらも立てないわ」
「家庭菜園、ですか?」
「ちゃんと面倒を見て、世話をするのならね。新鮮なお野菜が取れるなら、悪い話でもないし――……」
トマトとか良いわよね、ビニールハウスも作って。
鶏小屋とかも、新鮮な卵が手に入りそうで良いかもね。
そんなことを勇音と話しながら、執務を続けました。
後日、薬草園は無事完成しました。
が、その隣に野菜園もできていました。
まさか本当に実現する子がいたなんて……
誰!? トマト育ててる子は!!
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
ぬ、射干玉……生きてる……?
『もう……へとへと、からっからでござるよ……
……なに?
『あ、甘い物を……何か甘い物をプリーズ、で、ござる……』
カボチャの煮付けでいい?
『マジでござるか!! やった! カボチャの煮付けでござる!! そ、その、できれば天ぷらも!! サツマイモの天ぷらもお願いするでござる!!』
……あんたって……ちょっと安くて本当に可愛いわよね。
『ですが、大学芋も捨てがたいでござるな……ホクホクのお芋にアイスクリームを乗せて……熱いのと冷たいのが合わさって最強に見えるでござる! プラスとマイナスが合体して極大が消滅してしまうでござる!! 超たまらんでござる!!』
いい加減、なんでこんなことになっているのか説明をしないと駄目ですよね。
原因は簡単です。
卯ノ花隊長と更木副隊長のお稽古が原因です。
お二人が全力で激突しあった結果、どちらも死にかけるような大怪我を負いました。
なので霊圧を全力全開で必死に治しました。
力を使いすぎて私たちは干からびました。
以上。
という、とてもとても簡単な理由です。
「……お二人とも、稽古をするなとは言いませんが……せめてもう少し、なんとかなりませんか?」
「そうは言っても、十一番隊は戦うのが仕事。四番隊は治療が仕事ですから。ならば十一番隊隊長として、部下の隊士を鍛えるのは当然のことでしょう?」
いけしゃあしゃあと卯ノ花隊長が言いました。
くっ! この人、治療を考えなくて良くなったからって、自由奔放になりすぎでしょう!!
私を"どんな傷を与えても死ななきゃ完全蘇生させる便利な回復アイテム"だって思いすぎてますよね!?
気兼ねなく殺し合いをしすぎなんですよ!!
以前からちょくちょく思ってましたけれど、この人はちょくちょくぶっ飛んだ考えをするんですよ!!
「こんな楽しい戦いなんだ。我慢しろって方が無理だ」
更木副隊長……は、こういう人でしたね。
今は毎日が楽しくて仕方ないんでしょうね……きっと……
というか。
この二人の大稽古、隔週くらいの頻度で起こってるんです。
一番酷かったときは隔日で起こってました。
そのたびに、私が呼ばれて、ぶっ倒れるくらいに霊圧を消費して回道を使う……
もう勘弁して欲しいんですよ……日常業務に支障が出るんですよ……
しかもこの二人、十二番隊に依頼して十一番隊の敷地内の地下に、広大かつ強固な戦闘用の空間を作らせたんですよ!
周りに被害が出ないようにって!
その気遣いを! 三分の一で良いから! 私にも向けてくださいよ!!
「せめて頻度をもう少し下げていただけると、助かるんですけど。なんとかなりませんか?」
「と、言われても……」
卯ノ花隊長はチラリと更木副隊長を見ます。
彼は――というよりも、どちらもやる気満々の表情をしていました。
「断る! 言い分を聞くだけの理由がねぇ!」
やっぱりそうなりますよね……
くううぅ! 何か、良い策があれば……あっ、閃いた!
「本気のぶつかり合いは一年に一度、とかにしてもらえません? 一年間、お互いに力を溜めて牙を研ぎ続けて、決められたその日にすべてをぶつけ合うんです。少し期間が開くからこそ、新鮮な発見も多くなるんじゃないですか?」
丁度七月だったので、
「……なるほど。それ少しは面白そうですね」
「一年くらいなら……まあ、我慢できなくはねぇだろうな。色々と新しい発見もできて、面白えかもしれねえ」
あら、意外に素直で好感触。これは、聞き入れてもらえるかもしれない。
「今月は七の月でしたね? では揃えて七の日を決行日としましょう」
「覚えやすくていいじゃねぇか。乗ったぜ」
……あら?
いえ、織姫と彦星からヒントを得たのはそうなんですが……
どうやらこの世界では、毎年七月七日には血の雨が降るようです。
なんて恐ろしい天の川なんでしょうか。川が真っ赤に染まりますよ……
しかも地下の空間で戦ってるから雨天中止はありません。
「せっかく来たことですし、湯川隊長。あなたもちょっと戦っていきなさい」
「……え?」
「そいつぁいいな。お前と戦うのも、そんなに嫌いじゃねぇんだ」
「え、え……!?」
「あなたもいい加減、下手に隠さなくていいですよ? あの奇妙な力、一度くらいはちゃんと見せてみなさい」
「アレか! あの速くなって強くなるヤツか! いいじゃねぇか、遠慮すんなよ! 俺とお前の仲だろ?」
「ちょ、ちょっと待って!!」
……え、まさか
この日はこれ以上、四番隊の業務ができませんでした。
二人掛かりには勝てませんでした。
日常業務回。
(ちょっと隊長っぽい姿、ときどき、血の雨)
●
バズビーに一瞬でやられた子。
元が三席でイヅル不在だから副隊長に繰り上がった。
●伊江村 八十千和
四番隊三席。
回道の腕前は勇音に匹敵する。でも目立たないというか不遇ポジション。
後々、射場さんに声を掛けてもらって七番隊の副隊長になった。
(しかし後の読み切りで「輪堂与ウ」が七番隊副隊長になっていた。
彼はどこに行ったの? 三席に降格? 四番隊に出戻り?)
●薬草園と野菜園
アニオリ(刀獣編)で、そんな描写があったので。
(正確には野菜の栽培と鶏小屋くらいでしたが)
あの回はハゼを釣ったり、一軒の食堂に昼食を依存してる描写も欲しかった。
(誰がわかるのよ、このネタ)