お前は天に立て、私は頂をこの手に掴む   作:にせラビア

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第88話 お泊まりデートと人は呼ぶ

「眠れない……」

 

 もう何度目になるのか分からないほどの寝返りを打ちながら、イヅルは虚空に向けてそう呟いた。

 彼が布団の中に入ってから、どれだけの時間が経過したのか。それすらも彼は自分では分からなかった。

 元気が有り余っていて眠くないだとか、お腹が空いていて眠れないだとか、精神を高揚させる薬を飲んだとか、そういうわけでもない。

 

 ただ、あえてこの不眠の原因を挙げるとするならば――

 

「先生の家……先生の寝間着……先生の布団……!!」

 

 ――恋の病、というやつかもしれない。

 

 

 

 

 

 日中、十一番隊での合同稽古――というべきか、はたまた合同の殺し合いと表現すべきかも知れないが――に参加し、命からがらイヅルは生き残れた。

 その後、藍俚(あいり)に背負われる形で帰宅することになったのは恥ずかしかったが、少々の役得もあってそこまで悪い気はしなかった。

 

 本来ならばそのまま帰るはずだったのだが、神の悪戯か。彼を背負っていた藍俚(あいり)がこんなことを言い出したのだ。

 

「疲れてるわね。このまま寮に戻っても辛いでしょう? よかったら、ウチに泊まる?」

 

 その提案を、イヅルは一にも二にもなく了承していた。

 

 

 

 藍俚(あいり)の家に案内されたイヅルは、藍俚(あいり)の手作りの夕飯でお腹を満たし、風呂で一日の疲れと汚れを綺麗さっぱり洗い流して、さあ後は客間に用意された布団で眠るだけ! という状況になったわけだが。

 事態は冒頭へと戻る。

 

「眠れない眠れない眠れない眠れない眠れるわけないじゃないか!」

 

 頭から布団を被り、亀のような格好になりながら叫ぶ――勿論、夜なので叫んだのは小声でだが。

 

 イヅルは藍俚(あいり)の事を慕っていた。

 初めこそ教師と生徒としてだが、その感情が男女のそれになったのも同じ日だった。

 霊術院で初めて彼女を見て、そして彼女の稽古を初めて受けた時から。

 

 目を奪われるような美人を前にして、そして彼女の胸元に目を奪われ続けながら。

 明らかに他の霊術院生よりも熱心に指導してくれるその姿に、彼はすっかり心まで奪われていた。

 

 そんな恋い焦がれる相手の家に泊まっているのだ。

 興奮して眠ってなどいられない。

 

 しかも今彼が着ているのは、藍俚(あいり)が着ている寝間着なのだ。サイズはイヅルよりも一回りは大きくて、少々持て余すくらい。

 しっかり洗濯をしているから汚くないと言っていたが、襟元に鼻を近づければ気のせいだろうか、とても良い香りがしているように思えた。

 まるで自分と藍俚(あいり)が同じ着物に袖を通しているように錯覚してしまう。

 興奮して眠ってなどいられない。

 

 布団は来客用だということだが、それでも藍俚(あいり)の家にあった物だ。それはつまり、藍俚(あいり)の空気をたっぷりと含んでいるということだ。

 その空気を含んだ布団に寝ているということは、これはもう藍俚(あいり)に抱き締められているのと全く同じ状態なのだ。しかも布団だから素っ裸の相手に抱き締められているのと同義という理屈である。

 興奮して眠ってなどいられない。

 

 この家は藍俚(あいり)が住んでいる家だ。それはつまり、藍俚(あいり)の色んなものが染み込んでいるということだ。

 その家の中にいるということは、もう結婚して夫婦でいると思ってよいくらいだ。

 興奮して眠ってなどいられない。

 

 着物の下りまではまだ分かる。

 だが布団と家に興奮する理由については、どういう理屈なのだとお悩みの方もいらっしゃるであろう。

 いらっしゃるであろうが、真面目に考えてはいけない。

 若くて健全な男性が、好きな女の家に泊まっているのだ。このくらいの妄想・煩悩まみれは当たり前である。

 イヅルのコレは奇行ではなく極めて正常。むしろ常識的で大人しい部類だ。

 これがもう少しアグレッシブだと、落ちてる毛を探したりしてもおかしくない。

 だからイヅルは間違いなく常識的で大人しい良い子。いいね?

 

 そんな悶々とした感情に苛まれ続け、枕に顔を埋め、掛け布団を簀巻きのように身体に巻き付けて悶え苦しんでいると――

 

 

 

 

 

 ――スーッと微かな音を立てて襖が静かに開いた。

 それから少し遅れて、誰かが室内に入ってくる気配がした。

 

 誰だろう? そう自問ようとして、イヅルはその無意味さに気付く。

 今この家にいるのは、自分ともう一人だけ。

 ならば、入ってきたのは……

 

「吉良君、もう寝ちゃった……?」

 

 相手を気遣うような控えめな声が聞こえ、イヅルの心臓はドキリと跳ね上がった。

 声の主は言うまでもなく藍俚(あいり)だ。

 だが、どうして彼女が今この部屋に来たのか。今度はそれがわからない。

 

 返事をするべきなのかどうか迷っていると、気配は再び動いた。

 

「……!?!?」

「あ、やっぱり起きてたんだ。ズルいな吉良君ってば。寝たふりなんかしちゃって……」

 

 その気配はイヅルの布団の中に潜り込み、彼の背中から抱きついていた。

 湯上がりなのだろうか? 背中から感じる温もりは熱を帯びて温かく、同時に言葉では言い表せないほどの柔らかさがあった。

 夕方に彼女に背負われた時に感じた感触、その百倍は柔らかく心地良い感触が背中から伝わってくる。

 

「吉良君……ううん、イヅル君。急にゴメンね、こんなことされても迷惑だよね」

 

 背中から伝わってくるのは、柔らかさだけではない。

 つい先程までイヅルが寝間着から必死で嗅いでいた匂い。それと同じ香りが数十倍の濃度で叩きつけられて、彼の脳を狂わせていく。

 耳元で囁かれる声、吐息もまた五感を擽り、彼の身体の中心を熱く昂らせていた。

 

「でも、イヅル君……どうしても言っておきたかったの。私、私……あなたのことが好き。霊術院で初めて見た時から、ずっとずっと……」

 

 愛の告白。

 それが告げられると同時に、背中から強く抱き締められた。

 密着面積が広がり、今までの比ではないほど強く藍俚(あいり)の存在を感じられる。

 イヅルの背中に豊満な胸が押しつけられて、柔らかく潰れる。

 

「イヅル君が雛森さんが好きなのは分かってるわ……でも、自分の気持ちにもう嘘は吐けないの! お願い、イヅル君……! 私を、あなたのお嫁さんにして……!」

 

 精一杯の言葉で囁き、ダメ押しとばかりに藍俚(あいり)がイヅルの耳に口付けを施した。

 それどころか彼女は片手を彼の臍よりもさらに下、男の最も熱く昂っている部分へと手を回し、ゆっくりと優しく撫でる。

 それだけでイヅルは腰が抜けそうな衝撃を受けた。

 

「あ……あ……せ、せん……」

 

 イヅルは勇気を振り絞って――

 

 

 

 

 

 ――叫んだ。

 

「先生! 僕も!! ……あれ?」

 

 気がつけばすっかり朝だった。

 チュンチュンと雀の鳴き声が障子の向こうから小さく聞こえ、日差しがいっぱいに差し込んできている。

 辺りを見回せば布団と枕が、まるで台風でも通ったかのように散乱していた。

 

「……ゆ、夢……だったのか……」

 

 すっかりと意気消沈したところに、外から声が掛けられた。

 

「おーい、吉良君。起きてるかしら?」

「あっ! せ、先生!!」

「入ってもいい?」

「は、はいっ! 大丈夫……大丈夫です!!」

 

 とりあえずイヅルは慌てて布団を被った。

 まるで何かを隠す(・・・・・)ように。

 

「それじゃあ入るわね……って、なんだか凄いわね。枕が合わなかったかしら?」

「いえ、その! 僕、寝相が悪くってそれで多分……!!」

 

 そう言い訳するものの、藍俚(あいり)の顔をまともに見られなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 

 イヅルは恋次と共に居酒屋に来ていた。

 話題は勿論、先日の合同稽古についてである。

 

「んで?」

「んで? って、何が……?」

「分かってんだろ! あの日のことだよ! 先生と一緒に帰ったんだろ! なんかあったんだろ! ほれほれ、隠してないで喋っちまえよ!!」

 

 酒が入っていることもあってか、普段よりも軽く陽気なノリで恋次は問い詰める。

 

「その、一緒に帰って……」

「帰って?」

「先生の家に泊まって……」

「おお!! やるじゃねぇか!!」

 

「……それだけだよ」

 

「……このヘタレがっ!!」

「なっ!! き、君にだけは言われたくはないね!! 霊術院の頃から、いやもっと前から朽木さんのこと…………!!」

「あーッ!! ワーッ!!! ワーッ!! きこえねーきこえねー!!」

 

 若い二人の大喧嘩が始まった。

 




●夢オチ
万能過ぎるから困る。
そしてイヅルはこういう扱いが似合うと思う。

●吉良の部屋に入った藍俚(省略されたその後)
「(くんくん)……! お風呂とか入る? 沸かすわよ? 遠慮しないで」

「(……懐かしい匂いがしたわ……それに、若い子って本当に"元気"よねぇ……)」

「あ、お布団。洗って干さなきゃ」
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