貴方は中央トレセン学園から追放されることを希望しています。   作:はめるん用

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答えにたどり着く時間。


『Another Character Episode』

「なぁ、オレ、タバコ臭くない? 大丈夫?」

 

「少々臭うかもしれません。一応スプレーをしておきましょう」

 

「頼んだ。ったく、あの記者の男取材の前にどんだけタバコ吸ってやがんだよ。あの手のハズレがクソなのは日本人も一緒だな。ほかの雑誌記者が丁寧だったぶん余計にそう感じるぜ」

 

 育成評価の高い、活躍したトレーナーが注目されるのは世界共通である。まして、凱旋門賞を勝利したウマ娘の担当トレーナーともなればメディア関係者が我先にと取材を申し込むのも仕方のないことだと海外トレーナーも割りきっていた。

 だが、それとマナーが悪い記者を許すかは別の話だ。レース関係者であればウマ娘の嗅覚がヒトに比べて遥かに優れていることは知っていて当然であり、彼女たちのストレスとなるタバコの臭いを撒き散らすなどありえない。しかもそういう記者に限って時間を守らずしつこく付きまとってくるのだ。

 

 もちろん対応の良い、むしろもう少し長く話をしてみたいと思わせるような記者もいる。月刊トゥインクルという雑誌社からきた男性記者などは丁寧な態度でありながらもウマ娘への情熱をしっかり感じて時間も正確、自然な動作で胸ポケットのタバコを探す動作をしていたが全く不快な臭いがしなかったあたり禁煙は昨日今日ではないだろう。

 

 

「ここは少しでも前向きにかんがえましょう。本来であればアウェーでのレースですが、日本のウマ娘ファンの皆さんは我々のことを心から歓迎してくれているのだと。もちろん彼らも一番には自国の勝利を望んでいるでしょうが」

 

「その国民性が理由で世界中から最強クラスのウマ娘ばかりが集まっちまうんだから皮肉だよなぁ。勝っても負けても拍手でウマ娘たちを称えてくれるっていうのは……まぁ、トレーナーとしても嬉しい話だよ。安心して挑戦できるからな」

 

 国家の威信、ファンの期待。そういうモノを含んでいるからこその賑わいが国際GⅠレースだということは理解している。だが、そうした事情があるが故にレースに参加したウマ娘たちへ暴言を投げ付けることを当然の権利と考えているような連中がいるのも事実であった。特に、自分はトレーナーよりもウマ娘のことに詳しいのだと豪語するような連中ほどそういう傾向が強い。

 そんな光景をウマ娘たちがどう思うかなど説明する必要はないだろう。上質なワインの樽に泥水が混ざればそれは泥水の樽として扱われるように、数万のファンの中にそうしたクズの声が10人混ざるだけで彼女たちの心は容易く傷つくのだ。

 

 ジャパンカップが、開催国である日本のウマ娘が未勝利であるにも関わらず国際GⅠレースとして認められたのもその辺りの事情によるもの、そういう話はある程度自国のURAから信頼されているトレーナーであれば誰でも知っている。

 もっとも、日本は日本でなにかしらの問題は抱えているのだろうが……それは自分たちが関わることではない。関係者席から見える光景が、日本のウマ娘ファンたちが純粋にレースを楽しみにしているという空気が伝わってくるという事実が重要なのだ。

 

 

「安心して挑戦できる、という表現も如何なものかと。特に今回は日本のウマ娘たちも強者揃いです」

 

「無敗の三冠ウマ娘、シンボリルドルフか。先の顔合わせではトレーナーの印象が想像と真逆で驚いたっけ」

 

 理性と野性の融合、それがシンボリルドルフというウマ娘の走りを見て凱旋門トレーナーが抱いた印象であった。あのような走りをウマ娘に教えたトレーナーである、本人も並々ならぬ迫力の持ち主ではと身構えて顔合わせのパーティーに参加してみれば。なんとも、実に日本人らしい若きトレーナーが現れてすっかり毒気が抜かれてしまったのだ。

 とはいえ、それも第一印象だけの話である。言動こそ礼儀正しくとも瞳に宿した戦士の輝きは誤魔化せるものではないし、本人も誤魔化すつもりなど一切無かったのだろう。言葉にせずとも凱旋門賞の肩書きを愛バの糧としてやるという気概はしっかりと伝わってきた。

 

 関係者席で師匠である老トレーナーと会話している姿からは、やはりどう見ても好青年という雰囲気しか感じない。だが間違いなく今回のジャパンカップでは彼の育てたシンボリルドルフが最大のライバルとなるはずだ。しかし。

 

「チーフ、向こうを」

 

「情報そのままだな。チームカラーも目立つが、どうにも油断ならないモノを持ってるウマ娘が何人もいる。そして、中心にいるあの男がウワサの“Ghost”というワケか……」

 

 もうひとりの三冠ウマ娘、ミスターシービーについて情報を収集していたときにたどり着いた正体不明のトレーナー。プロフィールそのものは日本のURA、そして中央トレセン学園のホームページで確認できたが、得られたのは“担当ウマ娘のいない育成評価『G』のトレーナー”ただそれだけだった。残念ながら遠すぎてバッジの確認はできないが、インターネットに転がっている出所不明な呟きではなく公式に発表されているデータだ。事実として彼の評価はそうなのだろう。

 いや、ミスターシービーだけではない。日本のウマ娘たちの走りが、レースが興味深い変化を──トレーナーという目線だけではなく、余計な肩書きを抜きにしたひとりのウマ娘ファンとしても見ていてワクワクするものに進化した裏側には、必ずと言っていいほど彼の存在が見え隠れしている。

 

 だからこそ不気味だった。大勢のウマ娘に慕われている、それだけでもトレーナーとしての価値は計り知れないというのに育成評価が最低ランクのままなのはどういうことなのか。同じデザイン、同じカラーリングのジャージを身に付けている集団は誰がどう見てもチームのそれであり、担当契約を持ち掛けるウマ娘には不自由しないハズなのに。

 その辺りの事情を、他国のトレーナーにはわからないなにかがあると抜きにして考えても厄介な相手である。なにせターフもダートも区別なく、距離も作戦も関係なくウマ娘たちの背後にはあの青年がいるものだから得意とするスタイルがまったくわからない。おかげでミスターシービーを警戒しようにも今回も追い込みをしてくるという保証はなく、さまざまな可能性を考慮して対策する必要があったのだ。

 

 

 もっとも。

 

 その程度で怖じ気付くような器しか持たないトレーナーでは、担当ウマ娘と凱旋門を目指すことなど不可能なワケで。

 

 

 なにをしてくるのか予測できないのであれば、なにをされてもいいように対策をするだけの話。走るのがウマ娘の仕事ならば考えるのがトレーナーの仕事である、1パーセントでも“もしかしたら”と感じたことは全て封殺する心構えで挑めばいい。

 例えるのであれば、多くの少年が憧れたであろう夢物語に登場する騎士の気分といったところか。正体不明のモンスターを倒すために冒険に踏み出すような不安と高揚感を胸に、凱旋門トレーナーはジャパンカップを純粋に楽しんでいた。ひとりのウマ娘が異常な加速を始めるまでは。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 先頭を駆けるウマ娘の纏う空気が『切り替わった』ことを最初に感じ取ったのはシンボリルドルフであった。

 

 かつての、シンボリ家や生徒会長という立場でしか走れないと思い込んでいたときの彼女であれば気が付くことはなかっただろう。対等なライバルとしてではなく、愛すべき庇護するべき者としてほかのウマ娘たちを見ていたままでは決して理解することは叶わなかった走り。

 そうか、キミはここで全てを使いきるのだな……と。そこにどのような事情があるのかまではわからない。金銭的なものか、体力的なものか、それとも精神的なモノなのか。いずれにせよほかでもない、彼がトレーナーとしてサポートしても尚どうにもならないのであれば、どのような理由があろうとも彼女の決断こそが最適解なのだ。ならば。

 

 

 ──ひとりのウマ娘として、同じ舞台で戦うライバルとして。その覚悟、全力で喰い破らねば無作法というもの。

 

 

 シンボリルドルフが位置取りを前に。周囲のウマ娘たちもすでに異変に気が付いているようだが、まだ動く気配は感じられない。いや、常識的に考えればその判断こそが正解だ。こんな序盤から加速を続ければ最終直線を待たずしてスタミナが尽きるに決まっているのだから。

 もちろんそのような常識などいまの“皇帝”には全くの無価値である。シンボリルドルフは知っている、先頭を駆けるあのウマ娘は決して垂れないことを。最後まで、ゴール板を越えるまで、絶対に脚が鈍ることはあり得ないと。

 

 

「……来たか、キミも。あぁそうだろうな、私よりもずっと、ずっと彼女との勝負を焦がれていたのはキミのほうだからな。だが、それでも、それを知りながらもあえて言わせてもらおう。このレース、勝つのは私だッ!!」

 

 

 最後尾から迫り来る気配。もうひとりの三冠ウマ娘が放つ獰猛であり歓喜であり、そして僅かに惜別を含んだソレを背中越しに感じながらシンボリルドルフも脚に力を込めた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

(バカな、どういうつもりだッ!? 勝負を捨てた? いや、違うッ! あの走りはそういう類いではないッ!! ラビットなどではない、本気の──勝つための走りだというのかッ!?)

 

 ラビットならばまだ理解できた。それなら海外のウマ娘たちは、凱旋門ウマ娘は動揺することはなかった。

 だが同じコースの上で走る彼女たちには理解できてしまったのだ、狂った加速を続ける先頭のウマ娘が本気でこのレースに勝つつもりだと。

 

 混乱したままの凱旋門ウマ娘をシンボリルドルフが追い越す。ほんの一瞬だが見えた表情はレースが始まる前の理知的な雰囲気など欠片も感じない、獲物を見つけた猛獣にしか見えないほど暴力性に満ちている。

 さらには背後、もうひとりの三冠ウマ娘であるミスターシービーの覇気が迫ってくる。追い込みを得意とするウマ娘とは思えないほど前に、控えるつもりなどないという意志がハッキリと伝わってくるほど力強い踏み込みで。

 

 

 ペース配分を無視した無謀な逃げにリズムを乱されたワケではない。ふたりとも逃げウマ娘が垂れない前提で走っているのだ。

 

 

 数多の激戦を潜り抜けることで備わった常識が訴える。惑わされるなと、あのような破滅的な逃げは成立しないと。短距離レースならばともかく、このジャパンカップで逃げきることなど不可能だと。

 そして、数多の激戦を潜り抜けることで研ぎ澄まされた本能が訴える。ここで引けば勝ち目はないと、踏み出す勇気を持てぬ者に栄光は与えられないと。例えゴール板が100ハロン先にあろうとも、あのウマ娘は逃げきってみせると。

 

 いつもの駆け引きとはまるで違う、ウマ娘としての在り方そのものを問われる選択を突きつけられて迷いを抱くなというほうが無理だろう。

 だが迷いは脚を鈍らせる。心が揺れたままの走りで勝てるほどレースは甘い世界ではない。まして、先頭を行くウマ娘が仕掛けたこのイカれた展開の勝負をシンボリルドルフもミスターシービーも受け入れている状況だ。

 

 

 

 

 もしも。本当に。

 

 あのウマ娘の走りが最後まで衰えなければ。

 

 このまま──。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──前に出ろォォォォッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その声が耳に届いた瞬間に、最も信頼するパートナーから背中を押されたその瞬間に、凱旋門ウマ娘はそれまで心の中を掻き乱していた全ての迷いを踏み潰すかの如くギアを上げた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 背筋が凍りつく、などというレベルではなかった。人間とは、あれほどまで感情を削ぎ落とした表情ができるのだなと感動すら覚えたかもしれない。

 

 

 Ghostを睨んでしまったのは半ば八つ当たりに近い。ターフの上で戸惑う担当ウマ娘と同じように、トレーナーもまた混乱していた。

 いや、それだけではない。常識外れの逃げ脚でありながら、その走りはあまりにも完成されていた。速いだけではなく、強いだけではなく、呼吸を忘れてしまうほどに美しい走りに見惚れてしまったのだ。

 

 ある種の嫉妬、羨望、そういった感情を抱いたことに対する苛立ち。それによって気づかされる、自分が心のどこかで日本をレース後進国の格下として見ていた事実。

 

 凱旋門ウマ娘のパートナーという名誉、育成評価Sという社会的地位に恥じないようにと心掛けていたはずなのに。結局は毛嫌いしていた俗物と同レベルなのかと、ジャパンカップを勝負ではなく祭典として侮っていた連中と同類なのかと、揺れ動く感情を無理矢理抑え込もうとしてついGhostを睨んでしまったのだ。

 

 そして、視線が交差した。

 

 その表情をひと言で表すのであれば『失望』だろうか。欠片ほどにも感情が見当たらない、何処までも無色透明で無価値なモノとしてこちらを見ていた。

 悲鳴をあげなかった自分を褒めてやりたい。そう思えるほど恐怖以上のナニかを感じた凱旋門トレーナーであったが、Ghostがレースに視線を戻したのに釣られて自分の視界にターフを走るウマ娘たちの姿が映った瞬間、どうして彼が自分に対してあのような表情を見せたのか全てを理解した。

 

 

 

 

 ターフの上で愛バが苦しんでいるときに、オレはいったいなにをしている? 

 

 

 

 

 前に出ろと、担当ウマ娘へ向けて全力で叫ぶことへの躊躇いなど無かった。立場、見栄、祖国を背負うものとしての品格。そんなものは最早どうでもよかった。恥と悔いと憤り、すでに自分はトレーナーとして取り返しのつかないレベルの無様を晒しているのに今さらなにを取り繕おうというのか。

 前に出ろ、とにかく上がれ。そうしなければ勝負すらさせてもらえないぞと声を張り上げる。ターフの上でパートナーが迷わなくてもいいように、そしてこれは打算的な話になるが──これだけハッキリ大勢に聞こえるように叫んでおけば、万が一のときに全ての責任は指示を出した自分が引き受けることもできるハズ。

 

 

 緊張は伝搬する。世界最高峰である凱旋門賞を勝利したトレーナーの余裕の無い悲鳴のような叫びを無視するには、目の前で展開されるレースはあまりにも海外トレーナーたちの想定から外れていた。

 そして彼ら彼女らもまた一流を自負する者たちであり、担当ウマ娘のために見栄を棄てることなど容易いこと。例え世界中のファンから後ろ指を指されることになったとしても、相棒の信頼を失うことに比べればなにを恐れることがある。

 

 大逃げのウマ娘に合わせた高速レース。それも相手のスタミナが無尽蔵であるというバカげた前提の展開。竜に挑まなければならない騎士はこんな気分だったのかもしれないと、正真正銘未知の怪物と同じリングの上で勝負しているのだと実感した凱旋門トレーナーは足元から恐怖が這い上がってくるのを感じていた。

 だが、それと同じくらいにワクワクしているのも事実。凱旋門賞の次に目指すべき目標はどうしたものか、そんな贅沢な悩みを全て吹き飛ばすほどの出会いに恵まれたのだから仕方ない。新しく越えるべき壁を前にして奮い起たないようではトレーナーは務まらない。

 

「ええの~、盛り上がってきたの~! やっぱり勝負ってのはイイもんだ。いやはや、これだからトレーナーは辞められんな♪」

 

 そりゃそうだ。こんな面白い仕事、簡単に辞められるかよ。何処からともなく聞こえてきた声に凱旋門トレーナーは心の底から同意した。

 

 

 ◇◇◇

 

 

(シービーやルドルフはともかく、まさか海外のウマ娘たちまで全員ノッてくるとは思わんかったわー。いやはや、トレーナーさんの先見の明には恐れ入っちゃうね!)

 

 大逃げのプランに文句はなかった。ミスターシービーとシンボリルドルフがこちらに合わせてくるのも納得していた。しかし海外のウマ娘たちまでペース配分を無視した勝負に挑んでくると断言されたときはさすがに少しだけ疑った。

 なにせその根拠が「本気の勝負の世界に生きているヤツなら誰かの本気に必ず反応すンのは当たり前だ。コイツは俺の経験則だから間違いない」というほぼ100パーセント主観によるものだから当然だ。

 

 それがいざフタを開けてみればこの通り、トレーナーが予測した展開そのままにジャパンカップは狂ったような速度で鎬を削るウマ娘だらけである。

 さすがは中央トレセン学園の頂点に立つレースバカ、面目躍如とはこういうことか。自分がレースを楽しむことにしか興味がないだけあって、その辺りの嗅覚は相変わらず頭がおかしいレベルで優秀だ。

 

 まぁ、彼はそうでなくては。そんな彼だからこそ、自分たちはポラリスのウマ娘として集まったのだ。

 

 これがもしも余計な感情が含まれていたら。選抜レースで活躍できなかった()()()()()()()に手を差し伸べなければ、などという態度でスカウトされようものなら間違いなく反発していた。

 端から見れば下らないプライドでも、そんなものにすがらなければ自分を保てないことだってある。トレーナーの仕事がウマ娘を支えることだと理解していても、それが同情による義務感でしかなかったら惨めなだけじゃないか。

 

 そんな捻くれ者のウマ娘にとって、彼は最高のトレーナーなのだ。目の前のウマ娘はどうすれば面白い走りができるようになるのか、徹頭徹尾それにしか興味がない。きっと、いや、確実に。彼にウマ娘を憐れむというシチュエーションは決して理解できないだろう。

 それでいい。それがいい。そんなトレーナーと一緒に完成させた脚で走るジャパンカップは実に最高の気分だ。彼に名誉の価値を理解するつもりがないおかげで自分も思う存分開き直って走ることができるのだから。トレーナーの前で、彼が見守る中で走って楽しいかどうか。それがポラリスに集う平凡なウマ娘たちの全てなのだ。

 

 

 アンタならわかるだろ? 

 

 三冠ウマ娘の称号を、そのへんの雑貨屋に並んでるアクセサリー程度にしか考えていないトレーナーなんて後にも先にもあのアホひとりだよ。

 

 こんなチャンス、きっと2度と無いぞ。天才ウマ娘の全力に勝つつもりで凡才ウマ娘をぶつけるトレーナーなんて絶対にいない。

 

 だから、遠慮なくかかってこいッ! 

 

 

「勝負だッ! ミスターシービーッ!!」

 

 

 ◇◇◇

 

 

「……バカじゃないの、あいつ。あんな走りで最後までもつワケないじゃん」

 

「仮にもグランプリウマ娘だからねぇ~、少しは活躍してるとこ見せないとって張り切ってんじゃない?」

 

「つーか、シービーとかルドルフとかまで前出過ぎでしょ」

 

「それでイケるって自信あんでしょ。あーあ、やっぱ才能のあるウマ娘ってのは別格なんだろうな~」

 

 熱狂するファンで埋め尽くされた観客席の片隅で、会場の雰囲気とは真逆の感情を胸にレースを眺めているウマ娘たちがいた。現実を受け入れて自分の能力に見合った舞台で走ることを最善とした、ある意味では賢いウマ娘たちが。

 運が悪かった。才能に溢れたウマ娘と同じタイミングでメイクデビューに出走することになるウマ娘なんて大勢いるのだ。たまたまミスターシービーやマルゼンスキーのときに自分たちの本格化が重なってしまっただけ。

 

 誰が悪いのではない。

 

 ただ、運が悪かったのだ。

 

 ならば身の丈に合った舞台で走って歌っているほうがずっと()()()()なのに、なんでわざわざ無理をして上を目指す必要がある。勝てるかどうかわからない、入着すら狙えないようなレースを走ることに自己満足以外の意味なんてない。

 どうせ今回のジャパンカップだって、日本のウマ娘にチャンスがあるなら皆ミスターシービーかシンボリルドルフが勝つと思ってるし、三冠ウマ娘が活躍するところが見たくて応援してるのに。あんなムチャな走りで脚に負担をかけてまで、凡才が天才に挑むなんてバカげている。

 

 レースは才能があるウマ娘が、強いウマ娘が勝つ。ただその事実があるだけ。ファンはその結果を“夢”という言葉で持て囃して楽しんでいるだけ。死に物狂いでトレーニングしたぐらいでは、本物の天才に勝てるワケがない。

 

 でも。

 

 だったら。

 

 なんで。

 

 どうして。

 

 私たちは、ここに立ってレースを見ているのだろうか──。

 

 

 ◇◇◇

 

 

(まさかこれほどとは! 想像以上だッ! タマモクロスやゴールドシップに追い詰められたときとも違う、これが──速いとはこういうことかッ! 面白い、やってくれるじゃないかッ!!)

 

 真剣勝負の最中に笑うなど、そう思いながらもシンボリルドルフは口の端が歪むのを堪えることができなかった。()()()()()()()()()()()()()()と戦う機会などそう簡単に巡り合えるものではなく、しかも確実に距離を詰めているはずなのに影すら踏める気配がしないのだから滾ってしまうのも当然だろう。

 

 餓えるという楽しみを、満たされぬという喜びを知ったいまの彼女にとって、自分よりも速いウマ娘の背中を追い続けるというこの状況は値千金でもまだ足りないほどの魅力的な時間である。

 もちろん対等なライバルたちとのレースも幸福に満ちたものであるが、こうして格上の相手に挑むことで己の未熟さを知るのもまた面白い。足りないモノがあるということは成長の余地があるという証明であり、無敗の三冠ウマ娘“程度”ではたどり着けない領域を見せられて興奮するなというほうが無理難題というものだ。

 

 

 そしてそれは、もうひとり。凱旋門賞を征した“程度”では自惚れるに値しないと知ったウマ娘も同様である。

 

(フフッ、世界とは広いものだな。レースの可能性とは……こういうものもあるのか。ならば私も、貴公の覚悟に見合うだけの走りにて勝利するのが礼儀というものだろうッ!!)

 

 同じウマ娘同士、言葉は不要だった。まるで結晶が1枚1枚剥がれ落ちて砕けるように、前を走るウマ娘の脚がアスリートとしての終わりを迎えようとしていることは理解できていた。

 

 単独で出走登録をしていることは把握しているが、これは独学だけで身に付くほど簡単な走りではないハズだ。ならばそうなるような指導をしたトレーナーが、彼女がここで終わることを良しとしたトレーナーが存在するのは明白である。

 もちろんそのことを非難するつもりはない。それが押し付けられたモノでないことぐらい部外者の自分でも察することはできるし、本人が覚悟の上で決断したことに外野が文句を付けるのは褒められた行為ではない。

 

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()。世界最強という肩書きと引き換えに、火の無い灰のように熱を失いつつあった心を再び燃やしてくれたのだから。何処かの誰かが定めた栄光のためではなく、自分自身の信念と誇りだけを胸に走る。そんな走りをしてみたいと憧れるぐらいは許されるハズだ。

 

 

 その走りに、その輝きに魅了された追う者たちが脚に力を込める。あの背中を捕まえるために、いまの自分にできる限界の走りに挑むために。

 そうして決意と共に1歩を踏み出した瞬間、ふたりの耳に「こぅ」と囁くような音が届く。観客の大歓声やライバルたちの足音が全て消えてしまったと錯覚するほど、不気味なくらいにハッキリと。そして。

 

 

 

 

 背後で、大地が跳ねた。

 

 

 

 

「ミスターシービーッ!!」

「ミスターシービーッ!?」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 視界は明瞭、吐き気がするような頭痛もなければ手足が突然鉛のように重くなることもない。さすがに疲労は尋常ではなく呼吸も苦しいが大袈裟に乱れるようなこともない。

 ただ、加速する度に脚から可能性が消えていくことだけは笑えるほど自覚できた。よくドラマやマンガで見るような“壊れそうになる”なんて感覚は無いが、これから先どんなトレーニングをしても成長することはなく、ただ緩やかに穏やかに衰えていく未来だけが想像できてしまう。

 

 だからといって今さら。ここまできて止まれるワケがない。もとよりコッチは選抜レースでトレーナーたちの興味を引くことすらできなかったその他大勢のウマ娘、それが国際GⅠレースで好き勝手走っているのだ。これがラストランになる程度であれば、奇跡の代価としてはお釣りが多すぎて困るレベルの贅沢。

 なによりも、後ろからはアイツが追いかけてきているのだ。ここで日和るぐらいなら初めから勝負なんて挑まない。ここで賢いフリをして言い訳をしながら妥協してしまえばもう2度とあの人をトレーナーと呼ぶことはできない。あのアホはそんなこと気にしないどころか意味がわからず首をかしげるだろうが、だとしても自分が自分を許せない。

 

 

 

 

 過去も未来もどうでもいい。

 

 いまこの瞬間に全てを。

 

 

 

 

「────はぃ?」

 

 光の道が見えた。というか見てる。ターフの上に、ゴール板まで続く光の道が。

 

 世界から全ての音が消え、時間が無限に引き延ばされたかのように景色がゆっくりと動いている。

 

 1歩、踏み出す。

 

 輝く羽毛が舞い、光の粒になり消える。

 

 なるほど、これがいわゆる“ホンモノの奇跡”というヤツか。ここまで努力を続けてきたご褒美に、これから先を失っても構わないという覚悟を示した勇気に、三女神さまがほんの少しだけ力を貸してくれているのだろう。ゴールまで迷わず真っ直ぐ走れるように。

 きっと誰に話しても──あぁ、いや。ひとりを除けば誰も信じない、神秘の光景。脚が温もりに包まれるのを感じながら、ウマ娘は全ての力を振り絞るように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「邪魔をッ!! するなァァァァッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光の道を踏み砕いた。

 

 これは、アタシのレースだ。アタシが自分の意思で天才に挑むと決めたんだ。この脚は、この走りは、そのためにトレーナーと完成させた大事な宝物なんだ。

 

 それをこんなモノで、こんな奇跡(まやかし)で誤魔化してたまるか。そんなものに助けられて勝つぐらいなら、ゴール板の手前で力尽きて倒れたほうがずっとマシだ。

 

 最後の直線。アタシという物語を終わらせるために残された500メートル。これだけは誰にも譲れない。

 

 三冠ウマ娘だろうと、凱旋門ウマ娘だろうと、三女神にだって渡せない。

 

 渡せるものか。

 

 渡してたまるかッ!! 

 

 

 意識が再びジャパンカップの舞台に戻る。全身を襲う疲労と痛みを取り戻したことに満足したウマ娘が最後の加速を始める。三バ身後方にライバルの気配を感じながら。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「ムリだって……勝てるワケないんだって……」

 

 その呟きにはどんな感情が込められていたのか。

 

 嫉妬? それは当然だ、GⅠの大舞台で走るウマ娘に憧れないウマ娘なんてまずいない。

 

 嘲笑? それもあるかもしれない。努力する天才相手に凡才の勝ち目なんてあるハズない。

 

 

「…………」

 

 

 バカみたいに夢を追いかけたって負けてしまえば意味がない。

 

 

「…………れ」

 

 

 現実と向き合って、それなりの勝負で満足するほうがずっと賢い。

 

 

「…………ばれ」

 

 

 だけど、それでも。

 

 

「…………んばって」

 

 

 ミスターシービーの驚異的な末脚が、前を走るウマ娘の影に迫る。

 

 

 

 

『『────がんばれぇぇぇぇッ!!』』

 

 

 

 ウマ娘たちは叫ばずにはいられなかった。

 

 惨めだった。自分たちの選択は賢いのだと誤魔化して、努力を続ける彼女が羨ましくてバカみたいだと見下しておいて。そのくせ、こうして彼女の走りに心が爆発しそうなほど熱を帯びて震えている自分たちの身勝手さがどうしようもなく惨めであった。

 

「いけぇッ! 逃げきれッ!」

 

「三冠ウマ娘がなんだッ! 凱旋門ウマ娘がどうだってのよッ! アンタはそんなもの関係ないでしょッ!」

 

「負けるなッ! 負けるなッ! 負けるなァッ!」

 

 必然。走ることを続けているということは、結局のところこのウマ娘たちも心の奥では夢を諦めることができなかったということだ。

 自らの意思で決別したのではない。ただ見失っていただけ。ならば、切っ掛けさえあれば夢を見ずにはいられないのは当然のこと。

 

 

『『いっけぇぇぇぇッ!!!!』』

 

 

 いつの間にか自分たちが泣いていることにさえ気付かないまま、ウマ娘たちは叫び続ける。彼女が天才相手に勝つ姿を見たくて。そうすれば自分たちも再びレースに“挑戦”できる勇気が貰えるかもしれない、そんな身勝手な夢を託して。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 楽しく走ることができればそれでよかった。

 

 そんな自分を受け入れてくれるトレーナーに出会った。

 

 天才と呼ばれていることは知っていた。

 

 そんな自分に本気で勝負を挑んでくれるライバルたちに出会えた。

 

 三冠ウマ娘の価値はいまでもわからない。

 

 そんな自分の走りが好きなのだとトレーナーは言う。

 

 ジャパンカップの悲願に興味はない。

 

 そんな自分でもライバルの覚悟ぐらいは真っ正面から受け止めたい。

 

 

 

 

 明るく振る舞っていても心の中では悔しかった。

 

 そんな自分の行く先を照らしてくれるトレーナーに出会った。

 

 凡才の自覚なんて中央トレセン学園に来たとき思い知らされた。

 

 そんな自分が本気で挑むことを楽しんでくれるライバルに出会えた。

 

 夢を追う資格があるのかはわからない。

 

 そんな自分を見守るのが楽しいのだとトレーナーは言う。

 

 ジャパンカップの悲願に興味はない。

 

 そんな自分でもライバルとの決着からは絶対に逃げ出したくない。

 

 

 

 

 自分の心は誤魔化さない。

 自分の心は誤魔化せない。

 

 

 

 

 あのときのように、もう一度。

 あのときとは違う、今度こそ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「キミと、最高の勝負をッ!!」

「アンタと、全力の勝負をッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねぇ、マジでやんの?」

 

「当然。そのためにわざわざ彫刻刀買ってきたんだから」

 

「コイツさぁガチで準備してンの! ちゃんと木の板まで用意しててさぁ、カリカリ練習してんの!」

 

「そりゃ1発勝負だし気持ちもわかるけどさぁ」

 

「てか、さすがにトレーナーさん怒らんかね?」

 

「あのトレーナーさんですからねぇ。むしろ、お腹を抱えて笑いそうな気もしますが」

 

「あー、それな」

 

「つーかこれ、シービーとかマルゼンとか悔しがりそうじゃね?」

 

「知らんよそんなん。これはアレよ、取引完了の署名捺印的なヤツだから」

 

「モノは言いようだな。……あーあ、ホントにやりやがったよコイツ」

 

「というか、本当にお上手ですね」

 

「コレぜったいほかの子たちも真似するヤツじゃん。そのうちこの机ぜんぶ削られるんじゃね」

 

「そこは空気読んでイイ感じにレイアウトしてくれんでしょ。とりあえず真ん中だけ残しとけばいいんじゃない? いつの日かトレーナーもなんか刻みたくなるかもしれないし。……よしオッケー」

 

「地味にウマイのウケる」

 

「これぞ練習の成果よ。さーて、そんじゃあ併走トレーニングに向かうとしますかね」

 

「脚、大丈夫かよ?」

 

「ナメて貰っちゃ困るよチミィ。後輩の相手ぐらい本気出せなくても余裕だっての。ま、教えられるモノはしっかり教えてやるのも先輩の役目だしね。なにを学ぶかまではアタシの知ったこっちゃないけど」

 

「テメェみたいなイカれた逃げウマ娘が簡単に量産されてたまるか。ホレ、さっさと着替えにいこうぜ」

 

「へいへ~い。……いやぁ、夢ってのはいいもんだね。見るのも、見せるのもさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最強のライバルに

 

最高の舞台で

 

勝ち逃げをかます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ついにミスターシービーとトリプルビーフケーキ師匠が実装されましたね。その情報を知る前にシンコウウインディをお迎えするため180回ほどガチャを回してしまった作者にはあまり関係ない話ですが。


シーズン4はファインモーションと担当トレーナーの話から、おまけの1話はグラスワンダーと賢さGの冬休み・炭焼きグルメになる予定です。

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