貴方は中央トレセン学園から追放されることを希望しています。   作:はめるん用

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答え合わせの時間。


『脇目も振らずの桂蔵坊』

「蹄鉄、よし……シューズの紐もしっかり結んだし……ジャージに汚れもねぇし、寝癖も問題ねぇな。……よっしゃあッ!!」

 

 パシンッ! と自分の頬を両手で勢いよく叩くイナリワン。大井のウマ娘として大井レース場を走るのは今日で最後になるかもしれない──いや、今日で最後にすると決めたのだ。

 チームの仲間にも、親方にも、ついでにわざわざ集まってくれた地元の人々にもみっともない姿を見せるワケにはいかない。

 

「その……なんか、スマン。まさかこんな大事になるとは想像もしてなかった」

 

「気にするこたぁねぇさ。湿っぽいのは性に合わねぇし、これだけ賑やかに送り出してくれるってことぁそれだけ期待してくれてるってことだしな。で、よぉ」

 

 改めて、イナリワンは自分をスカウトしたいと言ってくれた中央の新人トレーナーと向き合った。最後に仲間と本気の勝負を……という話は聞かされていたらしいが、まさか地元の人々まで集まるとは思っていなかったらしい。

 思わぬ事態に参ってしまったのか困ってしまったのかどうにも落ち着きが悪い。だがそこに関してはイナリワンも同感である。お節介焼きたちに呆れつつも、やはり応援してくれることは素直に嬉しいのだ。

 

「なぁトレーナーさんよ。いまさらこんなことを聞くのは無粋っつーか、アンタに対して失礼なのは百も承知なんだがよ……もう一度、ハッキリ聞かせてもらえるかい? ──アンタの気持ちは、変わらねぇんだな」

 

「当たり前だ。こういう言い方はキミに失礼かもしれないが、強いとか速いとかそんなありきたりな理屈じゃないんだ。俺はキミの……大舞台で走るイナリワンの姿が見たいんだ。本気で」

 

 それはどこか穏やかで静かなようで、しかし確かにそこにある。瞳の奥ではギラギラとした情熱が、派手に花を咲かせるその瞬間をいまかいまかと待っているようだった。

 

 スカウトしてはフラれ続きだと偶然出会った蕎麦屋で愚痴に付き合ったときと比べればずいぶんと男振りが上がっている。

 あのときは誠実そうではあるがイマイチ頼りない雰囲気であり、申し訳ないがスカウトを断られたのも納得できてしまうような有り様だったが──どうやら、このトレーナーの本質を見抜けなかった自分の目が節穴だったらしい。

 

「そうかい。そこまで言われちゃあ応えてやらなきゃ女が()()()ってモンでぃッ! しっかり見てろよ? あたしの……ダンナが選んでくれたイナリワンってぇウマ娘の走る姿をよぉッ!!」

 

 

 ◇◇◇

 

 

「イナリさん。レースが終わったあとにそんな余裕があるかわからないんで、さきに謝っておきます」

 

「謝る、ねぇ。そいつぁいったいナニに対してだい?」

 

「別に大したことじゃないんですけどね。これから中央へ挑戦するのを応援しようって集まったのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 気持ちだけで勝てるほど勝負の世界は甘くないが、心の在り方がパフォーマンスに影響するのもまた事実。

 

 イナリワンを慕うチームの仲間たちは彼女に憧れているが、それ故に心のどこかで“イナリワンに負けるのは仕方のないことだ”という思いがあった。背中を追いかけることに慣れすぎて、横に並んで対等な勝負をする自分の姿など想像すらしなかったのだ。

 だが、いまは違う。トゥインクル・シリーズを走るウマ娘は、中央トレセン学園に所属するウマ娘は恐ろしく強い。そんな格上相手にイナリワンは喧嘩を売りにいこうとしているのだから、自分たちだって最後くらいは本気で勝負を挑むぐらいはしなければならない。それがきっと恩返しになると信じて。

 

(────ッ!? へっ、なんでぇなんでぇ、どいつもこいつも走りのキレが桁違いに鋭いじゃねぇか。なるほどなぁ、あたしが世話ぁ焼いてやんなきゃなんねぇ……なんてのは自惚れだったワケだ)

 

 嬉しいような、どこかほんの少しだけ苦いような。それでも真剣勝負の真っ最中、なにより同じコースを走る仲間たち……いや、ライバルたちは本気で自分に挑んでいるのだ。余計なことを考えて脚を鈍らせるなど言語道断である。

 得意とする追い込みの走りで、いままでよりも大きく見えるライバルたちの背中をひとり、またひとりと追い抜いていく。そしていよいよ最終直線、ラストスパートが始まったタイミングで。

 

 

「負け……るかぁぁぁぁッ!!」

 

「こんにゃろぉぉぉぉッ!!」

 

「まだ、まだッ! だぁぁッ!!」

 

 

「んなッ!?」

 

 

 届かない。

 

 自分は間違いなく本気で走っている。彼女たちをライバルと認め手加減無しの全力で走っているのにギリギリその背中に届かないのだ。

 心構えひとつでこれほど変わるものなのか。いや、この走りはそれだけの努力をしてきた結果だ。丁寧に丁寧に鍛えられた才能の種が、イナリワンというウマ娘を見送るために満開に咲き誇ったのだろう。なんとまぁ、三女神も粋な計らいをしてくれるじゃないか。

 

 こんないいものを見せて送り出してくれるのならば、それはそれで悪くない。一瞬、そんな考えがイナリワンの頭を過るが──。

 

 

 

 

「イナリワンッ! 負けるなぁぁぁぁッ!!」

 

 

 

 

「ッ!? っと、いけねぇいけねぇッ!! あたしとしたことが、今日の主役が誰なのか一瞬忘れちまってたぜぇッ!!」

 

 それは、レース場の外まで轟くかと思わせるほどの豪快な踏み込みであった。

 

 仲間たちがイナリワンというウマ娘が心置きなく中央へ挑めるようにと最高の走りを見せてくれたように、イナリワンもまた、自分こそが最高のウマ娘だと言い切ってくれたトレーナーの期待に応えなければならないのだ。

 

 トゥインクル・シリーズを走るウマ娘たちの横顔を思い出す。あれはいつからだったか、ミスターシービーやマルゼンスキーのような才能に溢れたウマ娘ばかりに世間が気を取られている間にも、イイ表情で走っているウマ娘は大勢いたのだ。

 どんな理由があろうとも、どんな事情があろうとも、勝ちを妥協するような半端者では太刀打ちできないことぐらいは理解できる。

 

 ならば、そんな連中にこれから一緒に喧嘩を仕掛けようと誘ってくれた相棒に情けない姿など晒している場合ではない。

 立つ鳥跡を濁さず、などというお上品な別れは趣味に合わないのだ、ここはせいぜい派手に勝ちを飾らせて貰うとしよう。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「蹄鉄、よし。シューズもジャージも問題ねぇ。寝癖もついてねぇし顔色も健康そのもの。よぉし、準備万端ってぇヤツだな!」

 

「うん、なんかゴメン。まさか転入早々こんなことになるとは思わなかった。普段のシンボリルドルフはもう少しこう、生徒会長らしく理性的というか理知的というか……」

 

「なぁに、気にしちゃいねぇよ。むしろこういうもてなしの仕方はあたしとしても大歓迎ってモンでい。レースと勝負はウマの華って言うだろ? ウマ娘の気持ちをわかってくれるイイ会長さまじゃねぇか」

 

 転入生と在校生が交流できる場を設けよう、その提案はイナリトレーナーとしても嬉しい配慮であった。だが肝心の内容が模擬レースで勝負して理解を深めようというのだから驚かずにはいられなかったのだろう。

 あれこれ言葉を飾るよりも手っ取り早いと無敗の三冠ウマ娘に言われてしまえば反対意見を言える者などそうそういるものではない。

 

 ウワサでは自らがその役目を請け負おうとして副会長であるエアグルーヴに「自重してください」と頭頂部にファイルを落とされたらしいが……それはさすがに生徒たちが面白おかしく脚色した話だとして、ともかく交流会という名の勝負の場が用意されてしまったのは事実である。

 あくまでメイクデビュー前のウマ娘だけという条件ではあるのだが、参加するウマ娘たちを担当しているトレーナーはどういうワケか一部を除いて新人ばかりであった。模擬だろうがレースはレース、準備に使える時間は限られていてもサポート役としてしっかり支えなければと大忙しであった。

 

「それで? ダンナも色々と参加者の情報を集めてくれてたみたいだが、あたしは誰に気をつけりゃいい?」

 

「そうだな……まずはオグリキャップだろうな。笠松からの転入生なんだが、なんで最初から中央にこなかったのか不思議なくらい能力が高い。スピード、スタミナ、パワーのバランスもそうだが競り合いに強いのも脅威だな。特にラストスパートでの粘り強さはシニア級を走っているウマ娘たちと比べても劣らない」

 

「へぇ……? いいねぇ、中央に来ていきなりそんな強ぇウマ娘とバチバチやれるってなぁ嬉しい誤算ってヤツだぜ。自分が強くなるには格上相手と勝負するのが一番手っ取り早いからな! で、ほかには?」

 

「ほかには、か。……担当トレーナーとして、本当はこんなこと言うべきじゃないんだろうが」

 

「あん?」

 

「それでも、オグリキャップが相手でもイナリなら充分勝てると俺は信じてる。だけど、ひとりだけ……いまのイナリじゃ勝ち目がゼロのウマ娘がいる」

 

 トレーナー曰く、そのウマ娘はスピードやパワーはそこまで脅威ではないが、スタミナが同期となるウマ娘たちと比べて尋常ではないのだという。

 そこにチームメイトとの併走で培われた判断力と、担当しているトレーナーの指導により鍛えられた高い完成度の先行スタイルが加わることでデビュー前のウマ娘とは思えないほどの走りをするらしい。

 

「名前はスーパークリークって言うんだが──というか、親方さんからなにも聞いてないのか? イナリの同期になるかもしれないウマ娘のことを教えてほしいって言われたから、たづなさんから許可出たぶんの資料はまとめて渡したんだけど」

 

「へ? 親方が? う~ん? 面倒見もいいし義理人情を大事にしてるってぇのは知ってるけど、そんなこと気にするようなヒトだったかな……。あたしは特になんも言われちゃいねぇよ。ただ、中央じゃあ驚くことも多いだろうから腰抜かさねぇように気をつけろって笑っちゃいたがよ」

 

「そうなのか? 俺はてっきりイナリにアドバイスのひとつでもするのかと思ってたんだけど。ともかく、いまの俺たちじゃスーパークリーク相手に勝ち目はない。勝ち目はないんだが──」

 

「だからって、ハナッから負けるつもりで挑むなんて()()()()()()する必要はねぇよな?」

 

「当たり前だ。どうせいつかは勝たなきゃいけないんだ、だったら最初から勝つつもりで勝負したほうが手っ取り早いし、そのほうが……イナリワンらしい、からな!」

 

 勝てる見込みは無いと言っておきながら勝ちに行くほうがイナリワンらしいという。もちろんそんなトレーナーの態度を矛盾とも優柔不断とも思わない。

 勝てないのならば勝てるようになればいい。勝てるように支えてみせる。必ず勝てるようになると信じている。そうした強い意志はしっかりと伝わってきているのだからなにも問題などないのだ。

 

 中央トレセン学園にて、イナリワンというウマ娘の初のお披露目である。善戦なんて景気の悪い目標など不要である、ここは派手に楽しく快勝の華を咲かせてやろうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところでよ、そのオグリキャップとスーパークリークってぇウマ娘はどんな見た目してんだい? 情けねぇ話なんだがよ、転入から交流会の支度にってんで寮の連中とさえもまだ満足に挨拶できてねぇんだ」

 

「オグリキャップは芦毛のウマ娘で、ちょっと天然というか、独自のリズムで生きてる子、かな。そしてスーパークリークはチームカラーの黒いジャージを着ているウマ娘で……えーと、その……あの雰囲気はお淑やかというより、その……なんと言ったらいいか……。…………。………………。……ひ、人妻?」

 

「なに言ってんだオメェ」




狐キャラはたくさんいますが、令和の世の中になってもコーン守のことを覚えている人はどれだけ残っているのやら。


続きは麦茶の胎動を感じるようになったら、次は極悪非道な守銭奴トレーナーの愉悦と暴虐に満ちたトレセン学園での日常になります。

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