貴方は中央トレセン学園から追放されることを希望しています。 作:はめるん用
利益のみを目的とする姿勢は、むしろ好都合ですらあった。
ちょうど名門の肩書きを理由に上から物を言われることに辟易していたタイミングだった。生徒会で話題になったときこそ周囲の反応に合わせていたが、金銭目的ならばむしろ御しやすいとすら考えていたのだ。
トレーナーライセンスを獲得しているのだから最低限の能力は有しているはず。もとより賞金には興味なく、報酬さえ渡せば充分な仕事をしてくれると考えればそれほど悪くない……と。
◇◇◇
「あら珍しい。門限までまだ時間があるとはいえ、真面目なグルーヴちゃんがこんな時間に外にいるなんて」
「……どう、も」
体調不良を理由にコースから追い出されてからずいぶん時間が経過したが、エアグルーヴは未だに部屋に戻らず外にいた。
1度気力が途切れてしまえば身体は正直なもので、手足が思うように動かない。ぼんやりと指を見つめて動かしていたところに声をかけられたものだから、顔見知りのベテラン女性トレーナーへの返事もつい適当になってしまう。
「貴女がそんなふうに悩んでいる姿を見るのは久しぶりね? 前はそう……ベルちゃんのことで相談を受けたときかしら」
「はい、彼女のことに関しては感謝しています。まだまだ周囲の視線が気になるようですが、以前よりはずいぶん走りに集中できるようになりました」
「それだけあの娘ががんばり屋さんってことね。もしくは憧れの先輩に少しでも恩返しがしたくて、精一杯の見栄っ張りをしてみたとか」
「──ッ!」
憧れの先輩、という単語にエアグルーヴが反応したことを女性トレーナーは見逃さない。目の前の少女が悩みを
おそらくだが、こちらから促せばエアグルーヴは悩みを口にするだろう。しかしそれでは意味がない。女性トレーナーはあえてそこには触れず、他愛のない世間話を続けることにした。
多少ぎこちないものの、いくらかは緊張が解れたのだろう。会話を続けるうちにエアグルーヴに柔らかい笑みが戻り始めた。そして。
「あの男が……第9レース場で希望者のために夜間の練習時間を設けているのはご存知ですか?」
「えぇ、もちろん」
「私も利用しているのですが……今日、体調不良を理由に追い返されました。そのことに不満はないのですが、帰れと言われたときに、私を慕う後輩たちから向けられた視線に少し……思うところがありまして」
私たちなら大丈夫です、と。
誰かに直接そう言われたワケではない。だが、彼女たちの眼には強い意志の輝きが宿っていた。あの男が言っていたように、自分が見守らなければ走れないほど後輩たちは弱くないのだと知ったとき──少しだけ、寂しさを感じてしまったのだ。
後輩たちの見本となれるような走りを心掛けてきた。自分が母に憧れてレースの世界に足を踏み入れたように、自分も誰かの背中を押せるウマ娘になりたいと努力を続けてきたというのに。
「それから色々と考えてしまったのです。生徒会副会長という立場にありますが、私はまだメイクデビューすら済ませていません。そんな私の言葉に説得力などあったのだろうか、後輩たちが慕ってくれていることに甘えて自己満足に浸っていただけなのではないか……と」
「なるほどねぇ。実に貴女らしい優しい悩みね。これまで自己満足のために大勢の夢を踏みにじってきた私とは大違いねぇ」
「──は?」
「あら、別に驚くところではないでしょう? だってレースの勝者は常にひとりですもの。ひとりのウマ娘を10回レースに勝たせれば100人以上の心をへし折ることになるのよ? もちろんウマ娘だけではなくトレーナーたちもね。レースに負けて学園を去るのはウマ娘だけの特権ではないの。知らなかった?」
「な……に、を……」
「
「──ッ!?」
「ひよっこ風情が自惚れてんじゃないよ。他人の夢を踏み砕いてでも栄光を掴みたいって連中が本気の我の張り合いすんのがレースの世界なんだ。外付けの理由でしか走れない意気地無しのために空いてるゲートなんてありゃしないのさ。わかるかい? 自己満足すら抱けない半端者なんてお呼びじゃないんだよ」
普段の温和で皆に慕われているトレーナーの姿はどこにもない。そこにいたのは一般家庭からレースの世界に飛び込み、担当ウマ娘たちと海千山千の猛者たちに挑み、ついには最高の育成評価『S』を手にしてみせた剛毅なる挑戦者そのものであった。
「……まぁ、これはさすがにちょっと大げさだけれど」
「いや、完全に本気でしたよね? 眼力だけで窒息するかと思いましたよ」
「そうよ~? だって本気で悩んでいる相手には、こっちも本気で応えてあげないと失礼でしょ? と、いうワケでグルーヴちゃん。貴女はもう少しエゴイストになったほうがいいわね」
「エゴイストに、ですか?」
「えぇ。だって、お母さんに憧れているんでしょう? オークス、勝ちたいんでしょう?」
「……はい。勝ちたい……です……」
さすがに急ぎ過ぎたか。真面目な性格のウマ娘は似たような悩みを抱えやすいことを女性トレーナーはよく知っていた。
この手の悩みは解決に時間がかかることが多い。だが自分も担当ウマ娘を何人も抱えている以上、いつまでも相手にしているワケにはいかないのだ。担当ウマ娘とそうじゃないウマ娘と、ふたりが困っていたら迷わず担当ウマ娘を助けるのがトレーナーという
むしろ、それができないのであればトレーナーになるべきではない。その場の勢いと甘ったれた正義感で両方救おうなんて考えるトレーナーは一年と持たずに自らバッジを棄てることになる。優しいだけのトレーナーに価値など無いのだ。
とはいえ、ここまで話しておいてこのまま放置するのはさすがに薄情過ぎるだろう。なにか都合よく妙案がポンッ! と浮かばないものかと女性トレーナーが頭を捻っていると──。
「エアグルーヴに関わるのを止めろ。彼女はGⅠウマ娘になる才能を持った貴重なウマ娘なんだ。なんの実績もない寒門トレーナーの出る幕じゃない、身の程を弁えろ」
「いまの声……アレはッ!? 」
うんざりするほど聞き覚えのある声。だが、いつもの上から目線のスカウトとは違う明確な敵意を含んだ声色。どう考えてもただ事ではないと現場に向かってみれば、そこではジャージ姿の青年が──話題に事欠かない問題児トレーナーが、ほかのトレーナーたちに取り囲まれていた。
「あら、間の悪い。それになんだか剣呑な雰囲気ねぇ」
「なにを呑気なことを──」
「まぁまぁグルーヴちゃん、落ち着きなさい。貴女が出ていったところでなんの役にも立たないし、余計に拗れるだけよ?」
「ぐ……ッ!?」
「心配しなくても大事にはならないわ。
「ウマ娘が指示に従うのは当然だ、という態度を受け入れるほうが難しいでしょう。たとえその命令がどれほど理にかなっていてもです」
「まぁ普通はそうよねぇ。いくら立場が上だとしても、命令となると感情的にちょっとイヤよねぇ。ルドルフちゃんなんか生徒会長だけれど、あの子ほかのウマ娘に命令なんてしなさそうだもの」
女性トレーナーの言い方にエアグルーヴが露骨にイヤそうな顔をする。彼女にしてみれば敬愛する生徒会長“シンボリルドルフ”と傍若無人なトレーナーとを比較されることすら面白くないだろう。
ウマ娘たちの幸福を願うシンボリルドルフがほかのウマ娘へ命令などするワケがない。シンボリの名を誇ることはあっても、それを振りかざして意見を押し通そうなどと考えるはずがないのだから。
「そうよね~、たしかにルドルフちゃんはとっても優秀だし素敵よね~。
「なんでちょっと楽しそうなんですか……」
◇◇◇
「ふ、ふふ、んフフ♪ ちょ、あれ、あの子んフフフフッ。ちょっとンフ覚悟ありすぎンフフゲホッ、エホッ」
「いくらなんでも笑いすぎですよ」
むせるほど笑い転げる女性トレーナーの姿に呆れつつも、先ほどのやり取りが見ていて痛快なのはエアグルーヴも同感であった。
意見してくる者を相手に家の名を出して黙らせるのが常套手段だったが、それが全く通用しない相手には手も足も出ないらしい。まさか「今日はこのぐらいで勘弁してやる!」というセリフを実際に聞く日がくるとは思いもしなかった。
「アレ、いいわね~。バッジを指でコンコンって叩くヤツ。私もちょっとやってみたいわ~」
「止めて下さい本当に。貴女がそれをやるとシャレになりませんから」
格下の育成評価『G』のバッジでやるから挑発行為になるのであって、それを『S』のバッジでやったら状況次第では脅迫行為である。
まして、2人目のクラシック三冠ウマ娘と初代トリプルティアラウマ娘を育てたトレーナーがやれば、知らないところでどんな影響が出るかわかったものではない。
「うん……うん。グルーヴちゃん、貴女、しばらくボウヤのこと観察してご覧なさい。我が道を往くのお手本みたいなトレーナーですもの、きっと貴女に新しい発見を与えてくれるわ」
「我が道を往くというよりも、我が道しか往けないと表現したほうが正しいような……」
「我が道しか往けない男! なんだかキメ台詞みたいでカッコいいわね! 私もなにかそういうのが欲しくなっちゃうわ~。そうね、豪華絢爛にしか生きられない女とかどうかしら?」
目の前の女性といい、あの男といい。優秀なトレーナーには変人が多いのか、それとも変人だからこそ優秀なトレーナーになれるのか。そんなことを考えていると。
「──あん? なにやってんだオメー」
エアシャカールはシャカールと略すことに抵抗がないのに、エアグルーヴはなんとなくエアグルーヴと呼びたくなる不思議。たぶん私だけでしょう。
続きはゴマだれ冷やし中華の美味しさが世間に露呈したら、次の登場ウマ娘はマルゼンスキーになります。