貴方は中央トレセン学園から追放されることを希望しています。 作:はめるん用
「……う~ん。あと2年、いや1年早く彼がトレーナーになってくれてたら、あの子も秋まで走れたのかしら」
クールダウンのストレッチをするハルウララを見ながら、ひとりの女性トレーナーが誰に言うわけでもなく静かに呟いていた。
相変わらず模擬レースの成績は最下位だった。しかし、かつては一人旅と形容されるほど集団から大差で離されていたはずが、いまでは七バ身ほどの差で食い付いている。少しずつではあるが、確かに脚質が芝に適応し始めているのだ。
大きく差を付けられて負けていることに変わりはなく、変化と成長に気が付いているトレーナーはまだ少ない。だが、脚質の限界に屈して悔しい思いをしたことのあるトレーナーやウマ娘はまず間違いなく気が付いているだろう。
春のレースを最後に引退した、女性トレーナーの担当ウマ娘もまた、脚質が理由でなにかと苦労の絶えないレース生活を送っていたウマ娘だった。
滅多に現れない純度の高いステイヤーで、模擬レースや選抜レースはもちろんのこと、メイクデビューからクラシック級の半ばまで成績が奮わなかったのだ。ようやく長距離に本格的に挑めるようになったと思えば「中距離ですら苦戦しているウマ娘を長距離に出走されるのは如何なものか」と
それでもシニア級の1年目でコツコツと勝利を重ね、今年の春の天皇賞で見事GⅠウマ娘の栄光を勝ち取ったのだ。これで満足して引退できると発表したら、今度は「なぜ秋の天皇賞を走らせないのか。長距離で結果を出したのだから中距離でも勝てるだろう」という
メディアの協力とファンの存在あってこそのレースだがトレーナーとて人間である。世間体を気にすることなく心置きなくお気持ち表明ができたなら、さぞや心地よいだろうなと何度思ったかわからない。
「データ、欲しいわね……。交渉してみる? でも、それにはウマ娘の協力が必要だし……。う~ん、悩ましいわぁ~」
おそらく、いや確実に。協力してくれるウマ娘はすぐに見つかるだろう。全ては女性トレーナーの気持ちの問題である。担当ウマ娘のデータを得るための被験体として扱うことを受け入れることができるのであれば、あの青年との取り引きも不可能ではないと頭ではわかっている。
そういう意味では、トレーナーよりウマ娘のほうが精神面ではタフなのかもしれない。脚質の壁を超える代償が大きくとも、それを承知で可能性に挑むことを躊躇わないウマ娘は大勢いるだろう。だが、どれだけ僅かであろうとも、危険を承知でトレーニングを施せるトレーナーはそうそういないのだから。
「失礼します。お時間、よろしいでしょうか?」
「貴女は……ミホノブルボン? 私になにか用かしら?」
「はい。先ほど、データ収集のためにウマ娘の協力を必要としていると仰っているのが聞こえましたので。脚質改善は私の“夢”にとっても必要なことですので、共同ミッションの提案を」
「なるほど。たしかにそれは私にとっても魅力的な提案ね。でも、それなら彼と直接“取り引き”をしたほうが効率的じゃないかしら」
「……父が、言っていました。レースはトレーナーとウマ娘が協力して挑戦するものだと。シービーさんやマルゼンスキーさんとは異なり、私がクラシック三冠ウマ娘を達成するためには、担当トレーナーのサポートが必須であると判断しました」
なるほど、ミホノブルボンも
件のトレーナーは頑なに担当契約を結ぼうとはしない。それが原因で、彼のトレセン学園内での評価は面白いほどバラバラになっている。トレーナーとウマ娘との関係性に理想を抱いているような者は、彼のような曖昧な立場で指導を続けていることをあまり良く思っていないのだ。
全てのウマ娘の幸福を目指す生徒会長シンボリルドルフ、レースに向ける情熱やトレーナーへの強い期待を抱いている理事長秘書の駿川たづな、そのほかウマ娘が担当トレーナー不在のままトゥインクル・シリーズに挑むことに否定的な者たち。99の美点よりも1の欠点が目立ってしまうように、彼がウマ娘たちの支えになっていることは認めつつも、感情的な部分で受け入れるのに苦労しているのだろう。
さてどうしたものか。ミホノブルボンの提案を受けるということは、彼女と担当契約を結ぶことと同じである。
いわゆる“逆スカウト”というものだが、なにせマイルのウマ娘がクラシック三冠ウマ娘を目指そうというのだから育成難易度はかなり高い。というかそんなノウハウや経験など自分はサッパリである。
適性に合わない距離を走らせてトラブルが起きればメディアは大喜びで食い付くのが簡単に想像できる。自分のトレーナーとしてのキャリアに傷がつくのは別にどうということもないが、ミホノブルボンのほうは確実に厄介なことになるかもしれない。無理をさせるなんて可哀想だという“世論”が、彼女からクラシック三冠に挑む権利を奪うことになる未来も有り得るのだ。
ここは慎重に検討に検討を重ねて答えるべき場面だが──。
「いいわ。担当契約に必要な書類を用意しておくから、あとで一緒に彼に会いにいきましょ♪」
冷静なふりを装ったところでトレーナーという生き物の本能には逆らえない。目の前のウマ娘の可能性を見てみたいという欲望に抗うには、彼女は少しばかりトレーナーでありすぎた。
◇◇◇
道中、また生徒会の仕事をサボろうとしたのか「肉が私を呼んでいる」と、いつにも増して適当な言い訳をしているナリタブライアンを連行するエアグルーヴとすれ違いつつ彼のトレーナールームへ向かう途中のこと。
「えっと、その、ブルボン?」
「はい、なんでしょうかマスター」
「マスターて。あぁ、いいえ、私の呼び方は貴女の好きにしてくれて全然いいんだけれど、その。……そちらのウマ娘さんは」
「はいッ! サクラバクシンオーですッ!!」
「えぇ、知ってるわ。イロイロ有名だもの。うん、そうじゃない。そうじゃないの。自己紹介をしてほしいワケじゃなくて、どうして貴女もここにいるのかを聞きたいの」
「ブルボンさんから聞きました! トレーナーさんがダービーや有マ記念を走れるスプリンターを必要としていると! そう、実は……まさに私こそがトレーナーさんが求めているウマ娘なのですッ! つまり! この出会いは運命ということですのでご安心くださいッ!!」
ミホノブルボン曰く「ただ普通に説明しただけ」らしいが、いったいどんな説明をしたらこうなるのか。そこまで大きく間違ってはいないのだが、明らかに認識がずれているのは確実だろう。
雰囲気的に断れる状況ではない。真面目で一生懸命だが性格の部分でプラス方向に問題のある癖ウマ娘をふたり同時に担当するのか、考えるだけで頭を抱える未来の自分が想像できる。いったいなにをご安心すればいいんだ私は。
「……書類は、用意しておくから。あとで私のルームに取りに来てね」
顔を合わせた時点で悩んでも解決できる段階は過ぎてしまったようなので、その場で女性トレーナーは深く考えることをやめた。
◇◇◇
「レースの結果はウマ娘たちのものです。たしかに私も少しだけトレーニングを手伝いはしましたが、それだけです。彼女たちの努力を私の成果のように言われるのは面白くありませんし、好みでもありません」
後輩らしく丁寧な言葉遣いと態度、しかしまっすぐこちらに向けた視線には明確な“不快”の感情が見えていた。
女性トレーナーが話題に選んだのはメイクデビューのウマ娘たちの様子についてであった。勝利したウマ娘のように喜ぶのではなく、かといって負けてしまったほかのウマ娘たちのように落ち込むのでもない。静かに次に向けて闘志を燃やすウマ娘たちの姿は、メイクデビューを見に行ったトレーナーの間ではちょっとした話題になっている。
大抵のウマ娘はレースに負けたときに“負けた”という結果だけを見て反省するものだ。今回のメイクデビューに出走していた一部のウマ娘たちのように、負けても尚自分の成長という手応えを感じて満足そうにコースを去る姿はそうそう見られるものではない。
彼女たちの事実上のトレーナーが目の前の青年であることはもちろん知っていた。契約無しで単独出走するウマ娘たちのことは心配半分期待半分くらいで気にかけていたが、勝っても負けてもウマ娘たちが楽しそうにしている様子は見ているだけでトレーナーとして満たされるものがあった。だからこそ話題に選んだのだが……どうやら自分は迂闊にも彼の聖域に踏み込みかけたらしい。
女性トレーナーの背中に冷たい感触が流れる。この感覚は知っている、育成評価『S』の化け物たちと相対したときと同じ感覚だ。他人の評価など無価値、己の信念に従いウマ娘たちを育てることのみが“是”である。
なるほど、これなら納得だ。担当外のウマ娘たちのトレーニングを監督するという
これは頭を切り替えなければならない。経験上、こうした手合いには下手に出ても逆効果。むしろ傲慢に、自己中心的に、自分の担当ウマ娘のためにお前を利用するのだというぐらいの気概をみせなければ相手にされないだろう。
アドバイスを求めておきながら非常識な頼み方をしなければならないのは、どうにも気持ちのおさまりが悪いのだが……ミホノブルボンの提案を受け入れた時点でゲートは開かれたのだ。あとは兎にも角にも前に走るしかない。
◇◇◇
「ほら、ペース守ってッ! ブルボン、ギアを上げるのはまだ早いわよッ! バクシンオーは……気合いと根性で食らい付きなさいッ!」
「──了解ッ!」
「バク……シィィン……ッ!!」
ある意味、予想通り。自分がミホノブルボンとサクラバクシンオーの担当となり適性外のレースに挑ませるという話はあっという間に広まった。そもそも口止めする気などないし、普通に同僚に話したのだから当たり前なのだが。
あの青年と違い後ろ指を指されて笑われることがないのは、自分がGⅠレースでいくつかの結果を残しているからだろう。冠を頂くウマ娘はバラバラだが、一応皐月と菊、春の天皇賞と安田記念を勝たせた実績がある。
それでもウマ娘に無茶をさせているという事実は変わらないはずだが、肩書きひとつでここまで対応が変わるのだから面白いというべきか、それとも下らないと呆れるべきなのか難しいところだ。
「それにしても、なんというか……まともなプランを提案されちゃったわね。これはこれで皮肉が利いてて面白いけど」
用意された脚質改善メニューは、ひと言で表現するなら『じっくり丁寧に』といった内容だった。成果が目に見えなくとも根気強く成長できると信じて、当たり前のようにステイヤーのための練習を加減しながら続けるだけ。
たったそれだけのことだが、ベテランと呼ばれるトレーナーほど耳が痛い話だろう。脚質の限界を超えるためには無茶なトレーニングをするしかないと思い込んでいたが、それは裏を返せば努力の否定、そしてウマ娘たちの可能性の否定であったのだから。
あの青年はそうではない。渡されたメニューを見れば、彼がサクラバクシンオーもミホノブルボンも、当然のように距離を克服できるものと信じているのがよくわかる。短時間の手合わせで、あのマルゼンスキーとの勝負──勝負? いや、まぁ。同じコースの中を同じスタートの合図で走っていたのだから勝負と言えないこともないはず。ともかくあの併走でふたりの気質というか、真面目で実直な本質の部分を見抜いたのかもしれない。
ただ、これだけ正攻法に近いプランを組めるにも関わらず、あえて謎のトレーニング方法でウマ娘たちを指導している理由についてはサッパリ見当が付かない。飽き性の対策としてなら効果もあるかもしれないが……。
「これでトレーニング方法がまともだったら、もっとウマ娘たちが集まっていたかもしれないわね。最新のトレーニング機材には興味無し、ロープスキッピングのような前時代の方法やらサンドバッグの打ち込みやら……やっぱり天才って、見えてるものが違うのかしら?」
視界の端っこのほうで中等部のウマ娘が──最大積載量に秀でていそうな体格のウマ娘と、何故かプロレスラーのような覆面をしたウマ娘がやたら緊張感のある様子で座禅しているのも、その後ろでいかにもお淑やかな雰囲気のウマ娘がニコニコと微笑んでいるのも、きっと彼が関わっている不思議なトレーニングなのだろう。多分。
複数のトレーナー視点で書いてはみたものの、自分で読んでいて微妙だったのでひとりに絞りました。欲張ってはいけない(戒め)
続きは焼き肉の似合う夏が本格化したら、次はジュニア王者に関する話になります。